PandoraPartyProject

SS詳細

熔融する天秤

登場人物一覧

マルベート・トゥールーズ(p3p000736)
饗宴の悪魔
ソア(p3p007025)
無尽虎爪

●Quiet Morning
 知ってる匂い。
 甘くてキレイな黒睡蓮の香り。
 探せばすぐに見つかった。ギルド・ローレットからほど近い幻想の大通り、短髪の中に埋もれていた向日葵色の虎耳がピンと立つ。
「マルベートさぁーん、おっはよー!!」
「おや?」
 マルベートは足を止めて視線を投げた。
 オレンジ色の虎の両椀が可愛く手を振っている。最近懐いてくれている、愛らしくて見所のある精霊種の子だ。
「おはよう、ソア。こんな所で会うなんて奇遇だね」
「えへへっ」
 名前を呼ばれたソアは無邪気に笑い、つられてマルベートも微笑む。朝の光に包まれた少女たちの戯れは一種の神聖さを含む光景だ。
 マルベートはソアが最近知り合ったローレットの冒険者だ。
 何でも知っていて、見るたびに胸がドキドキする、素敵なヒト。
 出逢ってからと言うもの、ソアはマルベートに夢中だった。教養、美しさ、知性、優しさ。そういった『人間らしさ』の手本となる存在、それがソアにとってマルベート・トゥールーズだった。
「仕事かい?」
「ううん、ボクはお散歩してたの。人間の街って色んな物があるんだねっ」
 ソアは人間を愛する精霊種だ。
 長い年月人間の暮らしに憧れ、人間の姿に身を模すまでに至った銀の森から来た精霊。
 とっても楽しいよと頬を染めながら報告するソアはまるで健気で純白な幼子のようで、マルベートは思わず頭を撫でていた。この新たな後輩兼友人は会うたびにマルベートの柔らかな部分を擽って止まない。
「楽しい散歩のようで何よりだよ」
「えへへ、くすぐったいよぅ」
 ふにゃりとマシュマロのような声を出したソアは大きな瞳で問いかけた。
「マルベートさんもお散歩?」
「いや、私はローレットに向かう途中さ。どうやら私に指名依頼が入ったらしくてね」
 広場の大時計に視線を移す。情報屋に指定された時間まで、まだ余裕がある。
「指名依頼!? すごいっ」
「尊敬の眼差しで見られるのは悪くない気分だね。しかし何の依頼かな……大体の想像はつくけれどね」
 呟くようなマルベートの静かな声に、ソアは持ち前の好奇心を刺激された。
「ねぇ、マルベートさん。もし良かったらその依頼、ボクも一緒に行っていいかな?」
「良いよ」
「ホント!?」
 マルベートは即答した。ソアは驚いたが、それよりも押し寄せてくる喜びの方が勝る。
「私一人で来いという指定はなかったからね。ソアとは一度一緒に狩りを楽しみたかったんだ」
「狩り?」
 依頼のことかなとソアは首を傾げる。
「うん、分かった!!」
 悪戯っぽく笑うマルベートさんも素敵だなぁと、その時までのソアは、そんな楽しい気持ちでいたのだ。

 ローレットにマルベートが姿を見せた瞬間、冬の朝よりも緊張した空気が広がった。
「やぁ、おはよう。朝早くから呼び出してすまない」
 なのに情報屋たちは、普段と変わらぬ温かい挨拶と笑顔で彼女たちを出迎える。その表面上のチグハグさが、ソアを落ち着かない気持ちにさせた。
「……いつもより、空気がピリピリしてる」
 不穏な気配にソアはマルベートに身体を寄せる。
「ふふ、気がついたかい? どうやら、厄介事のようだね」
 普段と変わらないマルベートの余裕がソアには頼もしかった。二人の会話が聞こえたのか初老の情報屋は困ったように手招きをする。
「一人で来ると思っていたんだが」
「そこの通りで偶然出会ったんだ」
「おはようございます……」
 おずおずと頭を下げるソアを見てから、情報屋はマルベートに視線を戻した。
「ソアなら、どんな依頼でも大丈夫だよ」
 マルベートは言った。振り下ろされる首切り斧よりも迷いなく断言した。
「なら依頼の概要を話す前に、ソア君、だね?」
「う、うん」
「君の実力は既にローレットも認めている。マルベート君が望めば、君もこの依頼を受けられるだろう」
 情報屋は頷くマルベートの姿を視界に捉えると、そのまま説明を続けた。
「しかし指名依頼という物は特殊でね。此方から選ぶだけの理由もあるし、受けた以上は後戻りできない。途中で止める事も許されない。何よりも、この依頼は君にとって辛いものになるだろう。それでも受けるかね?」
 ソアは拳を握った。揺らぐことの無い意思が雷鳴のように瞳を奔る。
「ボクも、受ける」
「……分かった。二人とも、こっちの部屋に来てくれ」

 小部屋には椅子と机、そして様々な情報で飾られた黒板があった。幻想周辺の地図、新聞の切り抜き、写真。蝿のように荒ぶった文字や疑問点。マルベートはそれら一つ一つを丹念に眺めていく。
「まるで部屋自体が依頼書だね。執念に近いものすら感じるよ」
「二人はバトナー、という名を聞いた事があるかね」
「お名前?」
 マルベートの真似をして黒板の字を覗きこんでいたソアの疑問に、部屋の空気が和らぐ。
「偽客という意味もあるけれど、最近幻想を騒がしている殺人事件の犯人の通称でもあるね」
「そうだ、若い女性ばかりを狙って殺人を繰り返している凶悪犯。何度か官憲が奴を追い詰めたんだが、全員殺されたよ」
「尻尾を掴ませたのは自分の腕に自信があるからだろうね。彼らはまんまと罠に嵌ったわけだ」
「悔しいが、その通りだ。ヤツは幻想の街を狩り場と定めたらしい。官憲も匙を投げ、犯人の捕縛または討伐がギルド・ローレットへと依頼された」
「狩り場、ねぇ」
 面白そうにマルベートの目が細くなる。
「犠牲者の数は?」
「分かっているだけで十八人。女性の遺体には暴行された形跡もあった。現場の調査に行かせたルメネとヘロープの二人も、昨日遺体で戻ってきたよ」
「だから受付があんなに沈んでいたのか」
 机に放られた犠牲者の写真をマルベートは一瞥し、ソアは混乱したように両の手で口を抑えた。
「なんっ、な、んで?」
 ソアは彼女たちの名前を知らなかった。ただ、彼女たちの優しさは知っていた。その少女たちがローレットで働いている姿は何度か見かけていたし、世間話をしたこともあった。依頼の報告に来れば「お疲れさま」と飴や花を渡されたことも何度かある。
「情報屋はあんたらみたいに強くないからな。依頼を受け、裏付けを取る。その途中で失敗なんて、よくある話さ」
「つまり犯人は、相手がローレットであろうが関係ないと。そう喧嘩を売ってきた訳だ」
「ああ」
 一目で死んでいると分かる、ひしゃげた知人からソアは目が離せないでいた。ぐぅ、と胃が存在を主張する。混乱した脳が、吐き気と空腹を間違えて伝達したのだろうか。
「どうして? どうして?」
 ソアはずっと人間に憧れていた。
 綺麗で、楽しくて、頭が良くて、親切で、何よりも素敵な生き物。そう信じてきた。
「どうして、こんな、ひどいことができるの?」
「俺たちも知りたいよ。何故こんな、悪魔みたいな所業を思いつくのか……すまない。失言だった」
 欲望に塗れた悪意に晒され、愉快な残虐さに無防備な感情が罅割れる。
 飴細工のように美しかった夢が、汚される。
 ソアは怒っていた。同時に酷く悲しかった。混乱した感情が理性を削るのに、剥き出した牙を突き立てる相手が此処にはいない。熱い息が溢れ、口角が上がる。
「ソア、おいで」
「わかんない。ボクには、わかんないよ」
「大丈夫だよ、ソア。大丈夫だ。ソアの混乱を、私はちゃんと理解しているよ」
 ぐずる赤子をあやすように背を叩く。胸に顔を埋めたソアをマルベートは引き離そうとはしなかった。
 ソアは混乱している。まだ理由が分からないからだ。理解すれば落ち着くだろう。
 マルベートはソアを抱き寄せる。ソアが笑ってしまった理由を、この場で本人にも人間にも分かるように説明するのは、些か骨が折れる仕事だ。
「しかし解せないな。ただの凶悪犯を討伐するなら通常依頼でも充分だろう?」
 だから話題を変えた。詩を吟じるようにマルベートは言葉を紡ぐ。芝居がかった口調は既に答えを悟っているようで、妖しげな光を宿した柘榴石の瞳に情報屋はたじろいだ。
「そろそろ私を選んだ理由を聞かせてもらおうか。あぁ、その顔だと望んだのは一人二人じゃないね? もしかしたら君もかな。何にせよ、私は君たちの判断を尊重し、憎悪を歓迎するよ。ソアと一緒に戯れる玩具が欲しかったところだからね」
 敢えて言葉にさせる事で後戻りさせない軛を打ち込もうとしている。人間の溢れる怒りを、悲しみを、絶望を、殺意を呑み込まんと緋色が誘う。紅く赫く、口をあける。
「君たちは、悪魔に何を望む?」
「殺されたのは俺の娘たちだ」
 情報屋はオーダーを口にする。明確に、曖昧に、懇願する。
 怨毒の代行、その執行人として依頼人はマルベートを指名した。
 正解だ。
「良いよ」
 マルベートは春告げ鳥のように微笑んだ。縋りつきたくなるほど優しい笑みだった。

● Quiet Moaning
 バトナーは、自分の為した殺人が世間を騒がせている事に酷く満足していた。
 美しい女を愛玩し暴行し、その後に来る血の静寂の何と甘いこと。
 残忍だの狂人だのと面白おかしく騒ぎ立てる新聞と読者の狂気に敬意を表して死体には色々と工夫を施した。
 その結果、性を辱めれば世間が加熱すると知った。それ以来、出来るだけ試行錯誤を重ねている。
 貴族も奴隷も皮を剥けば同じこと。お綺麗な言葉を並べても、結局、死と暴力と性に魅せられている。
 思考を巡らせていると路地に二人の少女が現れた。
「来ると思っていたよ、ギルド・ローレット」
 俺から新聞の一面を奪い取った憎い相手。
 専属の情報屋を念入りに耕してやったのが良かったのか、思ったよりも早い登場だ。
「街の人? この辺りは危ない人が出るから、入っちゃダメだよ」
 一人が男に声をかけた。太陽の臭いが強い。豊満な肉体にあどけない表情。虎の耳と四肢。獣と人間の要素が混ざり合った、そのアンバランスさが魅力的な娘だった。四肢を引き千切ってやれば、もっと美しくなる。
 虎の娘が歩み寄ろうとするのを、細い腕が止めた。
「ソア、あの人を嗅いでごらん」
 もう一人の黒い娘からは仄暗い匂いがした。あの貴族にも似た上品な仮面の下に、自分と似た獣性が潜んでいるのかと想像し、男は恍惚に肌を震わせる。自尊心の高い女の死体を嬲るのはいつだって気持ちが良いものだ。
「血の匂いがする、それもたくさん」
「ククッ、ンヒヒッ……」
 警戒態勢へ切り替えたソアに、男は綺麗な顔を歪めて下品に笑ってみせた。
「待ってて良かったよ。まさかこんな可愛い獲物が二人もかかるだなんて」
 黄金色の豊かな巻毛に翡翠の垂れ目。蜂蜜のように甘い左右対称の造形。
 偽客バトナーなどと呼ばれるには相応の理由がある。男の場合、それは天使のような外見にあった。
「いいね。どっちも、愉しめそうだ」
 軽い破裂音と路地に燻る硝煙。
「マルベートさん!?」
 ぐらりと傾いだマルベートの身体と男が構えた小さな黒い銃筒を認識した瞬間、ソアの視界は怒りで赤く染まった。
「お前ェ!!」
「ソアッ」
 前に飛び出したソアにマルベートから静止の声がかかった。剛爪が路地裏の固い地面を抉る。裂かれた男のシャツが花のように舞った。
「依頼の内容を忘れては、いけないよ」
「でも、マルベートさんが」
「私なら大丈夫」
 片目を押さえながらマルベートは微笑んだ。
「俺を殺さない、なんて甘いことは言わないよね?」
 微笑みの中に冷たい目を宿したバトナーは、その銃口をマルベートから外さなかった。殺傷能力が低い短銃は相手を殺すための物では無い。ただ相手の体力を削るためだけの道具。
「行方不明者の情報を探ってこいとでも頼まれた? 正直、俺もどれを返していないのか、よく覚えてないんだ」
「ソア、最初は私に任せてくれるかな」
 ソアは迷うように視線を巡らせたあと、強く頷き返した。
「別に二人がかりで来てもいいよ」
「それだと直ぐに終わってしまうからね。やめておくよ」
「言ってくれるね。死角だらけの片目で俺に挑む愚行、思い知らせてあげる」
「やってみなくちゃ分からないさ」
 バトナーはマルベートに向かって突進していく。
「虎ちゃんの目の前でじわじわ君を嬲るのも、面白そうだ」
「出来るものなら」
 マルベートは手を外す。
 傷ひとつ無い顔を晒して、微笑った。
「知能犯気取りだけれど、君にそこまでの知性はないよ。色男君」
「はァ?」
 マルベートはあえて相手の地雷を踏んだ。踏みつけた。
「テメェ、いま、なんて言った?」
「真実を」
 荒い拳をいなしながら、マルベートはカウンターを当てていく。
 ソアには分かった。マルベートは遊んでいるのだと。
「スピードはまあまあだけど、力は全然ダメだね。隙を見て相手に毒でも仕込んでいるのかな」
「ッ!? さ、さっきから、バカにしてんのか、テメェ!!」
「してないよ、多分ね。それより暗器を仕掛けるなら、もっと上手く隠してくれないかな。暴きがいが無くて困ってしまう」
 挑発しては突っ込んでくる相手を嘲笑い、長縄跳びを楽しむようにスカートを押さえ飛び跳ねている。
 その光景を見たソアは遊園地に遊びに来た子供のようにワクワクした気持ちを抑えられなかった。
「ね、ね、マルベートさん。ボクもやりたい!」
「いいよ。殺さないように、優しくしてあげてね」
「ッざけんなよ……」
 地面に這うバトナーは幽鬼のように起き上がった。自慢の顔は腫れ上がり、毒々しい色を湛えた手足と鈍った感覚にも気づかない。唾を飛ばし、憎悪を湛えた血走った目で二人睨みつけた。
「許さねえ、許さねえ。テメェら二人は嬲りつくしてやるよ。お願いだから殺してと懇願するまでな、ひゃは、ひ、へへ……」
 よろめきながら男は路地の奥へと身を滑らせた。
 相手が逃げるようにわざと隙を見せたマルベートはソアにむかって微笑んでいる。
 獲物を元気なまま、弱らせるのは難しい。しかも此方への殺意も忘れないおまけ付き。
 スゴい、とソアは尊敬の眼差しでマルベートを見た。悪魔も、自分の作り上げた作品の出来に満足そうだ。
「じゃあボクも十数えたらいくからね! いーち、にーい」
 命がけの鬼ごっこ。
 崩れかけた倉庫の間をくぐり抜け、細い裏通りの角を曲がると、道を塞ぐように壁が行手を阻む。
「シッ!!」
 死角から突き出された男の刃はソアの爪に捕われ、入れ替わりに撫でた腕から血飛沫が上がる。
(殺さない程度、殺さないていどに)
「ちゃんと急所を外せて偉いよ、ソア」
 マルベートの腕がソアの両肩へ回される。しなだれるように支え合う二人は愛らしく囁きあった。
「まだまだ遊べるね」
「うん」
「もっともっと可愛くしてあげようね」
「うん。だから、ねぇ。もっと、逃げて?」
 くすくす、くすくす。
「くっそ、化け物どもが!! ふざけた皮被りやがって!!」
 風が血を含んで甘く薫る。
 答える代わりに、ソアは爪に着いた血をアイスキャンディのように舐めとった。
 迷路のような辻を幾度か曲がると男の姿は忽然と消え、古びた土壁が悠然と二人の前に立ち塞がった。
「あれ、いなくなっちゃった?」
「ここだね、土が途切れてる」
 地面に入った正方形の切り込みに気づいたマルベートが靴底で砂を払った。
「壊す?」
「いや、扉があるなら入ってみよう」
 なだらかな階段が地下へと続いていく。
 底では光の一筋すら許さぬ深い暗闇が二人を待ち受けていた。
 かつては食料倉庫として使われていたのだろう。今や見る影もない。暗く冷たい場所を支える木製の梁には至る所に鎖や拷問具がぶら下がっている。鉄錆の臭いに混じって、溶けかけた蝋の臭いがした。
「馬鹿正直に入ってきてくれてありがとよ!!」
 鎖が摩擦する耳障りな音と共に頭上から光を取り入れていた扉が閉まる。地響きと共に天井から降ってきたのは獰猛な生命を捕獲するために作られた、黒に塗りつぶされた檻だった。
「ひひ。それはなァ、練達から仕入れた魔物用の檻だよ」
 先ほどの短銃も練達から流れてきたのだろう。紫苑の電花を咲かせる鉄檻の中に二人は立っていた。闇の中では互いの表情も伺うことができない。声だけが反響する。
「高圧電流って分かるか? どんな魔物も一瞬で黒焦げになる電撃を人間が浴びたらどうなるか。知りたきゃ自分で試してみな」
 バトナーは狂笑する。一瞬でも沈黙が出来ることを恐れるように声を枯らして叫び続ける。彼よりも彼の本能の方が先に理解していた。
 自分はもう、狩る側ではなく狩られる側なのだと。
「いいの?」
 場違いなほど明るい声で誰かが問うた。
 紫電を纏った鉄の棒が飴細工のようにぐにゃりと曲がる光景を、バトナーは呆気にとられて見つめている。
「この程度の雷で、ボクが止められると思ったの?」
「へっ、はっ、ごぽっ」
「失礼しちゃうなぁ」
 抉られた腹を見下ろし、食道からこみ上げる血を吐き、男はぷくりと頬を膨らませたソアを見上げた。
「案内、ご苦労様。被害者の悲鳴が聞こえたという証言がどこにも無かったからね。この辺りに防音施設を隠しているんじゃないかと見当をつけていたんだけど、当たりのようだ」
 よっこらしょ、とわざとらしい声と共にマルベートが檻の中から出てくる。
「お前、最初からこの場所をつきとめる気で……」
「違うよ」
 取り出した燐寸の火を壁の蝋燭に移しながら、マルベートはふっと手の中の火を吹き消した。
「街中だと君の悲鳴がうるさいと苦情が来て、ソアがゆっくり遊べないだろう? 私の館に招待しても良かったんだけど、依頼主からは『すぐに事後を見たい』と言われていてね。ならば君の部屋で遊べば良いと思いついたのさ」
「へっ?」
 闇に炯々と浮かんだ琥珀と柘榴。獣の双眸が男を縛りつける。
「じゃあ、あそぼう」
「ああああああああ!!」
 ようやく男は理解した。自分は、手を出してはいけない存在モノに手を出してしまったのだと。
「あはっ」
 逃げようとするたびに響く殴打音。キャンディのように転がる歯を猛獣の足が踏み潰す。
「ごめん、ごべんなさいっ」
「あははっ」
 髪の毛と一緒に頭皮が剥げる。
「もうじませんがらぁっ!!」
「あははは!」
 膝が摩り下ろされる。 
「だず、だずげ……」
「あはははは!!」
 血痰混じりの謝罪の声に感じ入りながら、ソアはうっとりと背骨を舐め、肩甲骨辺りの肉を噛みちぎった。
 恋するように絶叫を咀嚼する隣では、マルベートがソアのために舌触りの悪い部分をせっせと剥いでいる。
「ゆるしえ、ごめんなさ……ご、」
「わぁ可哀想かわいい
 何も言わず痙攣するだけになった温かい肉に、おなかいっぱいのソアは頬摺りをした。
「ソア」
「なぁに、まるべーとさん?」
 全身を血で濡らしたソアは、マルベートを見上げた。陶酔しきった瞳孔が、妖しげな銀雷を宿してジャムのように溶けている。
「美味しかったかい?」
「うん」
「良かったね」
「マルベートさんもどうぞぉ」
 差し出された拳の中には男の肺が握られている。マルベートはソアの手から直接口に含んだ。
 捧げられた供物を咀嚼し終わると、血に濡れたソアの毛皮を舐め、接吻するようにソアの口元についた肉片を吸い取っていく。
「マルベートさん、くすぐったいよぅ」
 朝と同じ声色でソアは言う。だからマルベートは彼女の耳に唇を寄せた。
「可愛いソア。食欲旺盛で元気なのは良い事だけど、今度の食事はもっとゆっくり丁寧に食べようね」
「どうして?」
 ソアは指を食みながら餌を見下した。
 確かに、獲物はできるだけ長く生かしてから食べる方が良い。血の抜けた肉は美味しい。生きている間は心臓が血を押し流してくれるので血抜きの手間がはぶける。
 だからソアは餌で遊ぶことが多い。ソアだけではなく、強い獣は大抵そうだ。ちょっと血管を切って走らせる。
 追いかけっこするのは楽しい。恐怖に引きつる顔を堪能して、断末魔を楽しんで、美味しく頂きます。
 そうした楽しい狩りをしたあとの食事はどうしても興奮してしまって、肉が飛び散ってしまう。
「ボクたちの餌を横取りする奴がいないから?」
「それもあるけど。でも、品よく食べた方がもっと人間らしくなれるよ」
「にんげん」
「今日はそういう依頼だっただろう」
「あ」

 ニンゲン。
 悪い人だから、苦しめて欲しいって言われた。
 ボクは分かった、って言った。
 いきたまま、なぶって。
 いきたまま、はしらせて。
 いきたまま、たべちゃった。
 泣いてる顔、かわいかったなぁ。懇願する鳴き声、おもしろかったなぁ。おなかいっぱい、美味しかったなぁ。

 狩りはすごく楽しい。
 みんなそう。ボクもマルベートさんも、この人だって狩りが好き。
 でも、それは悪い事だって、ギルドの人は言ってた。
 これは悪いことなの?
 理解できない酷い事だってニンゲンは言ってた。
 これは酷いことなの?
 人間はしないの? こんなに楽しいのに、なんで?
 分からないボクは、人間になっちゃいけないの?
 
「やだぁぁ!!」
 ソアは頭を抱えた。
「やだやだやだやだ!!」 
 両足を床につけ、衣服に、髪に血液が付着することを気にも止めず泣き叫ぶ。
「マルベートさん、マルベートさん。どうしよう、ボク、人をたべちゃった? たべちゃった!!」
 血に濡れた獣の両爪と、口から滴り落ちていく粘性。隠そうと唇を押さえても、透明な唾液と混じりあった赤色が床を濡らす。中途半端な理性が脳をかき混ぜる。閉じこめていた獣の残虐性が蛹から零れだす。齧りかけの筋を元の場所に戻そうとするが、くっつかない事に慌てた。べちゃりと音を立てて落ちていくソレを拾っては押し付ける。
「ちがうの。マルベートさん、どうしよう」
「美味しかったかい?」
「うん。おいしかったの。あは、どうして? ボク、おかしいのかな。焦がれてたのに、すきだったのに」
 美味しかったよとお腹が笑ってる。また食べたいなと舌がうねってる。牙が、爪が、引き裂いた筋肉が気持ちが良かったって満足してる。
「永い刻、憧れてた。だけど手が届くようになったら、壊しちゃった。ねぇ、マルベートさん、ボク、どうしちゃったんだろう。楽しかったの。ボクはどうしたら良いんだろう。教えて、マルベートさん、ねぇ、マルベートさん」
「ソア、可愛いソア」
 マルベートは母のようにソアを抱き、優しく額に接吻した。
「何にもおかしいことなんて、ないよ。ソアの持つ人間への憧れと、生まれた時から持っている獣性は何も矛盾しない」
 光が消え焦点が合わなくなったソアの瞳からほろりほろりと涙が落ちる。全ての活動を停止し、思考を停止し、胎児のように身体を丸めるソアの頭をマルベートは自らの腿に導いた。それでもソアは動こうとはしなかった
「考えてもご覧。私達と同じように人間たちも生き物を殺しているよね。肉も食べるし、皮膚や爪や牙に金銭的価値を見出すこともある」
「……ん」
「残虐な暴力や殺人を忌避する一方で興味津々だ。突き詰めれば人間だって動物の一種だもの」
「……うん」
「でも彼らは同時に、素晴らしい文化や知能、理性や複雑な感情を持っている。ソアは、そういった物に憧れているんだよね」
「うん」
「なら、きっと。ソアも憧れるままの人間になれるさ」
「……ボクも、マルベートさんみたいに、なれる?」
「なれるとも。人ならざる存在のまま誰よりも人らしい人になる。私がその証明さ」
 悪魔の腕に抱かれてソアは希望と共に羽化をする。
 森では得られなかった多幸感が、今や彼女の身を包みこんでいた。マルベートが傍に居る限りそれは続くのだろう。
「ヒッ」
「おや、もう時間か。存外早いものだね」
 指定された時間、指定された地下室に降りてきたギルド員は青ざめた。
 嘔吐するために外に出た者もいる。闇に包まれた今でさえそうなのだ。明りが入ればどれだけの人数が外に出るだろう。
 冷たい暗室には凄惨な光景が広がっていた。赤暗色の煮凝りとなった悪意の胎にいるような、そんな錯覚を受ける空間。
 元からそうだったのかもしれない。そう考えた方が精神衛生上、良い。
 その中心でまるで先程生まれたかのように、血に塗れた少女たちが抱き合っている。
「なんてことだ……」
「これを望んだのは君たちだよ、忘れないで」
 初老の情報屋とすれ違いざまマルベートは言った。
 顔を覆う人間もいれば、面倒臭いとあからさまにやる気のない人間もいる。人は様々だ。
「行こう、ソア。まずはお風呂かな。そしたら着替えてデザートにしよう」
「はぁい『お姉さま』」
「一緒に食事の練習もしよう。いずれお箸にも挑戦してみようね」
 腕を組んで歩く可憐な少女たち。
 血に濡れて、地獄を作り上げて、それでも変わらぬ笑顔でいる。
 彼女たちは獣である。然し、人間の美しい側面を学ぶ術を知っている。
 彼女たちは獣である。と、同時に人間でもある。
 二つの事象は両立する。
 自然の決めた獣の秤りに人間の裁定した善悪を乗せようなど、烏滸がましい人間の思い上がりでしかないのだから。

  • 熔融する天秤完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2022年02月20日
  • ・マルベート・トゥールーズ(p3p000736
    ・ソア(p3p007025
    ※ おまけSS『各国新聞の切り抜き』付き

おまけSS『各国新聞の切り抜き』

・本日のシェアお料理
生け造り/カルパッチョ

・食材イメージ
下劣だけど女性の被害者がついていきそうな色つやの良い健康的な成人男性

・舞台イメージ
牧場/地下の食料倉庫/檻
食べるの失敗したサンマ

・イメージ単語
Morning 朝
Moaning うめき声

●報道各紙
濃霧を切り裂く双槍の葬送!
特異運命座標、霧の海賊団に圧勝か。
ギルド・ローレットに所属するイレギュラーズがグレイス・ヌレ海域にて海賊連合と思わしき賊と交戦状態に入ったと発表。討伐は確実か――グルメディア通信社

お手柄、タイガーガール!! 魔種を撃退!!
第三次グレイス・ヌレ海戦にてアルバニア配下の魔種と接敵。惜しくも逃げられるが相手を追い詰める獅子奮迅の活躍を見せた――月間 雷神讃歌

第三次グレイス・ヌレ海戦はイレギュラーズ達の活躍により両軍の総司令官同士の講和交渉へと至った。海洋王国、鉄帝国両国は講和条約を締結し、グレイス・ヌレ海域に平和が戻ろうとしている――ウィリグラフ・ニュース(号外版)

ギルド・ローレットの名声は留まるところを知らないのだろうか? イレギュラーズが各国に与える影響は日に日に大きくなっている。中でも依頼達成率の高さたるや、他ギルドの追随を許さない――ポールメディスン・ジャーナル社説より引用

酸鼻の極み、[抹消]の犯行か!?
幻想にある食料倉庫で複数名とみられる女性の遺体が発見された。中には死後数ヶ月と見られる遺体もある事から身元確認作業が難航している――タブル・タブロメール


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