PandoraPartyProject

SS詳細

彼岸此岸の獣共

登場人物一覧

死牡丹・梅泉(p3n000087)
一菱流
紫乃宮 たては(p3n000190)
紫色殺陣
彼岸会 空観の関係者
→ イラスト
彼岸会 空観(p3p007169)
彼岸会 空観の関係者
→ イラスト

●彼岸
(この程は、幾ばくか静やかになったものです――)
 混沌のなりは変わらないが、日常を騒がしくも好ましく彩る友人達と過ごす時間は少し減っていた。
(――思わば、こんな時間が『普通』でありました。
 ならば、私はどれ程に鈍っていたのでありましょうね……?)
 単なる事実を少し寂しく思う事それそのものが、彼岸会無量にとっては多少の驚きを禁じ得ぬ事実だった。
(……何分、私には少し難し過ぎます故に)
 置いていかれたような多少の退屈を感じなくもないが、僅かに眉根を寄せ、尖らせた唇を言の葉に出来る程、無量は素直な可愛げを外には出せない。
 苦笑い混じりに、人には等しく得手不得手があるものだ、と考えた。
 世の中には何でも如才なくこなす天才なる人物も居るには居るのだろうが――少なくとも彼女はそこまで器用な性質では無かった。
 一見すれば多才であり、流麗に何事もこなしそうには見えるのだが、実際の所、得手ならぬ不得手については相当に不器用である。
 取り分け、幾ばくか『時代掛かった女子』である事を鑑みれば機械の類には酷く疎い。事更に関わらぬとまでは言わないが、探求都市国家アデプト――つまり、混沌のオーパーツたる練達が、現代地球の科学技術を大きく飛び越えて完全なメタバースProject:IDEAを達成した、等と言われても。
 まるで分からないし、正直な所、興味を持てるかと問われても答えは否に違いなかった。
 かくて電脳空間なる『世界を救いに行った』仲間達の背中を見送った無量は、こんな機会だからと久方振りに武者修行の真似事を始めたのであった。
「さて。それが救世を兼ねるのならば、これもまた人事になりましょうや――」
 冷たい木枯らしの吹き抜ける枯れ木の山を一人往けば、勾配のきつい山道に白い呼気が小さく弾む。
 無量がこの程滞在するのは大きな動乱を越え、人心地ついた神威神楽の『外れ』であった。
 中央――高天京は以前に比べ京の外の民心にも気を配るようになってはいたが、やはり政の中心――八扇の主たるの大半を喪った国はまだ脆弱であった。現場にある誰もが心より国の為を想っていたとして、生命を削るような激務に取り組んでいたとしても。その小さな掌から零れ落ちるモノは少なくはない。
 純粋なる善行と言われれば面映い気持ちは隠せないが、無量は孤を以て己を鍛え、練り上げる貴重な時間を神威神楽の問題解決に当てる事を決めていたのだ。
 それはあくまで彼女にとっては修行であり、己を見つめ直す時間にも違いなかったが、それで救われる人間が居たのも確かだった。
(それでなくとも、不思議と縁を感じるお国です)
 元居た世界ふるさとを思わせるからだろうか?
 多くの例外に漏れず、無量もまた神威神楽のノスタルジィを受け取る一人であった。
 中央の目の届かない郊外、或いは田舎の怪異、問題を解決し、誰ぞの小さな感謝を受け取るのは悪くない。
 少なくとも綺羅びやかにここぞとばかりに飾り立てられ、大勢に万雷の拍手を浴びながら称賛されるに比ぶれば、余程性に合うというものだ。
 ざわざわざわざわと葉を落とした木立を揺らす。
(――しかし。これはどういう事か)
 幾度目か白い息が山の空気に弾けていた。
 生半可なる敵に遅れを取る心算は無いが、どうしてかこの日の無量の胸はざわめきを止めていなかった。
 自身の中にある種の予感があった。
 例えばそれは混沌に喚ばれた時のような。
 例えばそれは『彼』に出会った夜のような。
 例えばそれは――愚かで無力な鬼畜生が冥府魔道に道を踏み入れたあの日のような。
「はて、『鬼が出るのか、蛇が出るのか』」
 無量はしばしばに己の利き過ぎる勘を持て余す。
 大抵の場合、予想も知れぬモノが出るのに好悪さえも分からない。
 分からないのだから、こんな『先触れ』意味等無いのに。
 外れた記憶も無い位に、無量の心の水面を揺する。
「止めてくれるなら、それで良いのに。
 行けを背を押すならば、それも良いのに――ままならぬものです」
 彼女は独りごちたが、二秒の後には考え直した。

 ――そう言えば、止められて頷く性質ではありませんでした。

 ならば、きっとその予感は偏に往けという事なのだろうと。

●此岸
「弱い。弱いぞ、坊主――」
 力に対して力で抗するのは容易い手段である。
 より強い力は常に力による現状変更に対しての抑止力足り得るだろう。
 力無き正義は時に無力であり、故に正義は力を欲するべきである。
「弱過ぎるのだ。その細い腕も、小さな身体も。
 技を練れば吾(おれ)に通ずると思うたか?
 貧しき力で爪を立てれば、鬼が怯むと思うたか――?」
 誰よりも、何よりも。何かを守ろうと考えるのならば。
 だが、力に対して力で抗するのは容易い手段であるが故に、時に結論は余りにも簡単に平穏の維持を裏切った。
「甘過ぎる! 塵芥と吾(おれ)を横に並べたその増長、万死に値するでは済まぬぞ――坊主!」
 何かを、誰かを奪わんとする力が対抗するそれを上回ったとするならば、後に残るは諸行無常の響きだけ。
「成る程――鬼だ」
 四本の腕を持ち、捻れ聳える角は天を貫くが如しである。
 人為らざる膂力をその巨体に漲らせ、鋼鉄よりも堅い皮膚は如何なる打撃もものともしない。
 暴虐する事、まさに悪鬼。その無双たるやまさに豪鬼。
「――成る程、これが終わりか。これが拙僧が見る終わりか、死か」
 渾身を込めた錫杖での一撃が通用せずに跳ね返されたその時に、雅楽公暁(うた くぎょう)は確かにそれを自覚したものだった。
 だが、荒い呼吸を吐き出して、片膝を土に突く――そんな彼が大いに嘆くのは果たして単純な己の終焉を端緒にしてはいなかった。
「……この日は」
 唇から零れ落ちたその声は痛恨とある種の憐憫を帯びている。
「この日だけは。来てくれなさんなと思っていた――」
 ……大分昔、角奪法師と呼ばれた男が居た。
 黄泉津のある山間部に居を構える雅楽院(がらくいん)の跡取りであり、武勇に優れ、多くの妖を滅し、『衆生を救う事』で功徳を積むに到った男である。
 取り分け、彼の名を世に轟かせたのは全き血色の救世を謳う『彼岸の朱天』を討った事実に起因する。
『二人掛かり』と云えども『朱天童子』を討伐せしめた彼の実力、その技を世は大いに称賛したものだ。
 しかし、公暁の――この男の願いはその功績に対して余りにも細やかなものであった。
 混沌に喚ばれ、『神隠し』に遭い。
 神威神楽の廃村に住み着いて幾年月、継ぐべき雅楽院を失っても公暁の生は大きく変わる事は無かった。
 迷う衆生を導き、罪無き彼等を害する『悪』を滅する――
 拗らせた混沌の誰かが、少なからぬ数が呪った神というものは。人並み外れて『正しい事』を続けた公暁を報いる心算も無いらしい。
「畜生め」
 悪態を吐いた公暁の視線は己を叩きのめした悪鬼を見てはいなかった。
 複雑な感情を乗せた彼の目が射抜き、映す姿はこの鉄火場に現れてしまった三人目――
「――――」
 ――懐かしくも口惜しい。色褪せぬ『朱天童子』に他ならなかった。
 神威神楽の怪異と事件を解決するに奔走する公暁と、気まぐれでこの地を訪れた無量。
 因縁浅からぬ二人は同郷にして宿敵同士である。
 無量が最愛の妹を『救えず』血に狂ったその時に、彼女の角を折ったのがこの男。
 邂逅はそれ以来であるが、公暁のささやかなる願いは『願わくば二度と彼女に出会う事が無いように』に他ならない。
 記憶を失くした彼女が『贖罪(すくいのみち)』に進むと言うのなら、
 鬼は鬼であるだけで悪しきとすべきではない。この黄泉津の鬼人らの様に虐げられながらも懸命に生きる者も居るのだから――
 公暁の内心を知ってか知らずか、しかし『朱天』の発した言葉は彼にとって予想外のものだった。
「――助力が要りますか、雅楽法師」
「……は?」
「見た所、この鬼を相手に大分ご苦労をなされている様子故」
「……お前、ひょっとして記憶があるのか?」
「……?」
「拙僧の名を迷いなく呼んだだろう?」
「……………はて。我ながらおかしな事を言うものですが。
 今気付きました。どうしてか法師のお名前に心当たりがあったのです。
 覚えているのか、と問われれば覚え自体はありませぬ。唯、知らないのかと問われれば……
 識っている、と答えずにはおりませんね」
「……ははあ。成る程、『そういう』話か」
「無謀なる木っ端がまた一枚。吾(おれ)の邪魔をしよるか、小娘――」
 四ツ腕は現れた無量なる新手を警戒し、彼女をギロリと睥睨した。
「面映いものですね、殿方にか弱き娘扱いされるのは」
 ふと、渋茶を呑みながら交わした言葉遊びさえ思い出す――
(……しかし、これは勝てませんね)
 ――それでも無量の判断は早く、同時に冷徹に揺らがない。
 公暁を一方的に叩きのめしたそれは彼女を加えて相手にしても、無勢で手に負えるような存在ものでは無い。
 十全な準備を整え依頼で討伐にあたるならばさにあらず、手負いの法師と自身のみの遭遇戦で仕留められる獲物ではなかろう。
 つまる所、無量の勘は今日も一つも間違っていなかったという訳だ。
「ですが、花も手折られれば手向かいの一つもいたしましょうや。まこと、はしたなき性ですが――」
 しかしながら、それで退こうという話にならぬ辺りは無量が無量であるが故にあろう。
『これで退くならば彼岸会は彼岸会足り得ない。飾りの花と揶揄した誰かの台詞をもう二度と否定は出来まい』。
 故に涼しく――大鬼の威圧さえ何事でも無いかのように無量は微笑う。

 ごあああああああああ――!

 山の空気を震わすその轟音は四ツ腕の発した怒号である。
 彼をそれだけ苛立たせる無量の『悠然』はその顛末を眺めていた公暁を向く。
「やはりおかしな事を尋ねますが――法師は私の知り合いですね?」
「答えは是だ。そんなあんたに会うのは初めてだが、そこは御仏の粋ってヤツなんだろうよ」
「そんな」
「……楚々として綺麗なあんたさ。もう少し『おっかない』顔なら見た事あるぜ」
『公暁はあの戦い以後の記憶を失くし、人のなりをした朱天に心の底から安堵していた』。
 願わくば二度と会いたくないとは思っていたが、これは大いに救いがあった。
 無量が混沌に在る事はその声望より知っていたが、耳にする評判と今の一言。

 ――助力が要りますか、雅楽法師

 悪鬼に相対する自分に加勢をするという言葉からすれば、彼女の今が『人の道』を進んでいるのは確実だったからだ。
「法師はやはり私の過去をお知りなのですね」
「ああ。あんたの角を折ったのが――俺と『もう一人』だからな」
「……………」
 押し黙った無量は多くを覚えていない。角を折られた自身は気付けば混沌の地に降り立っていただけだ。
 前後の記憶はあやふやで、ただ妹を救えなかった悪鬼むりょうが救世の名の下に多くを殺めた事は知っている。
『彼岸の朱天』は末法の世への呪いであり、代弁であり、自身に楔を打つ決して消せない罪である事を知っている――
「俺は二度とあんたに会いたくなかったが、少しだけそいつを撤回するぜ。
 奴さん、あんたを警戒してる。俺を優先するべきか、新手のあんたに当たるべきか考えてる。
 ……恩に着るぜ。人生の終わりに、もう少しばかりお喋りを楽しむ時間はありそうだからな」
 つまり、最悪の中に最良はあった。土を踏みしめ、錫杖を頼りに姿勢を持ち上げた公暁の口元が微かに笑った。
 恐らく自分は、そして無量も――今日死ぬ事になるだろう。
 しかしながら、僅かばかりに救いがあるとするなら、人生の後悔と心残りを解消する時間が訪れたという事だ。
 願わくば会いたくは無かった。武僧と鬼としての邂逅なら最悪だった。
 それでもこれで『終わり』とするならば、御仏は自己満足の一つに撥を当てる程狭量ではあるまい。
「一つだけ聞かせて貰いたい。あんたは今――何を考えて生きてる?」
「……何、とは」
 公暁の余りにも胡乱な問いに無量は小首を傾げた。
「『救い難き末法に、彼岸が終わりにて此岸よりの救済とするのです』」
「――――」
「血の涙を流したあんたが昔、俺に言った言葉さ。
 不出来で不具合だらけの此岸このよ彼岸しゅてんが引導を渡す――って。
 誰かを救う事が出来ない世の中なら、遅かれ早かれ酷く壊れちまうなら、全部自分がぶっ壊す――ってな。
 ……聞かせてくれよ。今でもあんたはそう思うかい?」
「それは」と無量は一瞬言い淀んだ。
 角の折れた彼女は『それ』が酷く虚無的であり、独り善がりである事を知っていた。
 妹を亡くした傷は癒えず、彼女の中で酷く膿むばかりであったけれど。ルル家ゆうじんの行く末を救わんと奇跡に縋った事は、真っ向から『終わりの救済』を否定している。
「……分かりません」
 末期に許された僅かなお喋りの時間が長く許されない事は知っていた。
 
「唯、今は――此岸よりの救済ではなく、此岸での救済でありたいとは思うのです」
「感謝するぜ。俺は最大の宿敵を『倒せた』らしい。成る程、これで死んでも悔いはねぇ」
 もう一度、四ツ腕が咆哮し――狙いを無量の側に定めた。
 短く鋭く息を吐いた公暁がそれを食い止めんと痛む身体に鞭を打つ。
 静かなる面持ちの無量は刀を手に、真っ向より勝てぬ大敵を迎え撃たんと腰を落とした。

 ――ごああああああああッ!

 それでもまさに鎧袖一触。
(これが終わりとは口惜しい、そして――何とも益体の無い――)
 全身を撃ち抜いた強烈な痛みと共に地面へと叩きつけられる。
 間もなく襲い来る鬼は自身にとっての終焉である筈で――あった筈なのに。
「呆けるな、無量」
「――――」
 息を呑んだ彼女を微塵さえも気取らせず現れた強烈なまでの存在感が押し退けた。
「千客万来か!? だが、無茶だ――」
 無量までならばいざ知らず。『和装の武芸者』――公暁は神威神楽の民と思った――を『巻き込む』のは余りにも本意ではない。
(――せめて、俺が!)
 何とか引き付け、『彼』と無量は逃さねば。
 そう思った公暁に艷やかな声が降った。
「邪魔せんといて下さいな」
 手練の公暁に同様に気取られず、真後ろから声を掛けた女のいでたちは艶やかな蝶を思わせる。
「旦那はんに勝てるもんなんて居やしません。うちだって無理言ってついてきただけで――
 ――ハッキリ言って、あんな女ほっとけばいいやんって思いますけど。
『鬼州の四ツ腕』――退治の邪魔をしたら嫌われてしまいますもん」
 場違いな言葉の応酬は兎も角、話は全く止まっていない。
「どれ、音に聞くその『暴虐』このわしに見せてみよ」
『彼女の場所』に割って入った男は四ツ腕の振るう一の腕、猛烈に唸る豪腕を軽く避ける。
 二の腕、叩きつける大槌の如き一撃をからかうように大地を揺るがした拳の上に飛び乗った。
「――猪口才な!」
 三の腕、鋼鉄より鋭き爪を帯びた切り裂く一撃は長い黒髪の一筋を散らすに過ぎず。
 四の腕、恐るべき悪鬼の最大最強の一撃を妖気を噴き上げた魔人の妖刀が真正面より受け止めた!
 それはまさに幻想のような出来事であった。
 目を見開いた大鬼、鬼州の四ツ腕が想像だにしなかった光景であった。
「莫迦な。これは何事か――ッ!?」
「――は! 『悪鬼風情』が囀るな。
 主は誰に口を利いておる。相対せしは、神仏さえも斬り伏せるこのわしぞ? 
 しかし鬼。正直を言えば貴様もまぁ『それなり』じゃ。多少の無礼は咎めまい。
 ただ、許せぬのは――わしの枝を折りかけた方じゃ。それは偶に過ぎまいがな!」
「……枝?」
 鍔迫合う膂力の向こうで四ツ腕に困惑が見えた。
「主はわしの獲物じゃ。そしてわしの獲物を横取りしかかった間男ぞ。
 許す故、精々抗い、大仰に暴れに暴れて――死出なるわしに抗えよ!」
 一声と共に一の腕が回転して宙を舞う。
「―――――ッ!?」
 大鬼の困惑に構わず、二の腕がボトリと落ちた。

 ごあああああああああああ――ッ!

 痛みと恐怖に絶叫する四ツ腕の三、四の腕が細切れのように刻まれている。
「どうした。わしは主が軽んじる人間ぞ?
 吹けば飛ぶ人間如きに、大鬼が何を怯える――?」
 高く笑う男はは少なくとも無量が見た事が無い程に『本気』であった。
「花を愛でるように」と揶揄されていた己の事。豪胆なれど繊細な彼が『壊れぬ』のように触れていたのはとうの昔から分かってはいた事。
 されど――さりとて。
「――――何という」
 血蛭地獄・裏五光。
『本気』を出した地獄変の如き男は、剣修羅、羅刹門。一菱なる最高傑作、死牡丹梅泉はこれ程までに『美しい』のかと。
 無量はまるで、まったく魅せられる他は無かった。
「……悪い夢でも見ておるのか。あれは本当に人間か?」
 僅かな時間の間に『削ぎ落とされ』どんどん小さくなっていく四ツ腕に息を呑む他はない。
 悪夢めいた光景に思わず呟いた公暁は傍らに立った女――紫乃宮たてはに思わず問いを向けていた。
「さあ?」
 くすくすと笑ったたてはは全てをねじ伏せる自慢の――そして最愛の人に目を細め、実に華やかな笑みを見せた。
「それ、割とうちも知りたいとこです――」

●彼岸と此岸
「……拙僧は夢でも見ておったのか。事情は分からぬが礼を言うぞ、武芸者殿」
「礼を言われるような話でもないがな。見た所、主は無量の知り合いの様子。
 まぁ、今日の目的は過ぎた。『もののついで』には受け取っておく事としよう」
 公暁が決めた『覚悟』は結局無駄に終わっていた。
「いや! 実に見事! 我ながらつく格好もつかぬが、あの太刀筋は正直まるで見えなかったわ!」
「狸め。主とて、わしの筋が見えぬ程のぼんくらでは無かろうが」
 鼻を鳴らした梅泉は事も無げだが、そんな彼への褒め言葉を聞いたたてはの方は実に上機嫌といった風である。
「何やら複雑な事情があったようじゃが、そちらはもう済んだで良いのか?」
「いえ」
「ならば、わしは帰る。後は主等で好き勝手に続けるが良い」
 首を振った無量に梅泉は素っ気無く言って踵を返しかける。
 慌てて横に並びかかったたてはが彼の腕を取ろうとするが、「お待ちを」と待ったをかけたのは当の無量本人だった。
「また意地悪して、このいけずなお邪魔虫……!」
「たては、煩い」
「……ぐぎぎぎぎ……!」
 足を止めて振り返った梅泉が呼び止めた無量を見つめている。
「一つ問いたい事が」
「無常の悩みに、こんな男が答えられる話が多いとは思わぬがな」
「それでもです。私は貴方の言葉が欲しい」
「言うてみよ。出来るだけ簡潔にな」
「では」
 無量は大きく息を吸い込んで、決意をするかのように口を開いた。
「私はずっと――人を殺める事で此岸よりの救済を果たしたいと思っていたのです。
 しかし、今は。人を救う事による此岸での救済を果たせるのではないかと思っています。
 貴方は、この話をどう思いますか?」
 吐き出された澱は先程、公暁に告げたものと同じだ。
 それは無量の懊悩であり、四苦八苦、七転八倒しても解決しない呪いだった。
 過去の己の全てを否定する新たな結論が『怖い』。そうしていいかも『分からない』。
 ただ昔のように全てを殺める事が救いになると信じる事も出来ない。
 新たに生まれ出でた希望を無視し続ける事も難しかった。
 自分の持ち得ぬ『愛』で戦い抜いた友人が眩しくて、厭だった。
 宙ぶらりんの彼岸会は、まるで迷子の童女のように――この瞬間、『一番頼りにしたい男』に縋っていた。
「そんなこと」
 ふ、と笑う梅泉は実に彼らしい顔をする。
「したいようにせよ。
 一体、この現世の何に遠慮する。
 そこの坊主には悪いがな。所詮この世は弱肉強食。神も仏も無い末法ぞ。
 人が道は、一度決めれば二度と変わらぬ物事か?
 事情は知らぬがな、過ぎた過去に遠慮して――この先も己を縛るが最良か?
 ……無量。わしは主がそれ程に飼い慣らされた獣とは思わぬがなあ!」
「確かにあんたに撥を当てるのは骨が折れそうだ」と公暁が苦笑した。
 息を呑み、唇を噛んだ無量に梅泉は「ではな」と改めて踵を返し、振り返ったたてはは今度こそ彼の腕を取り『あっかんべー』と舌を出す。
 嵐のような二人は去り、嘘のような死線の後には四ツ腕の『残骸』が血生臭く残るだけ。
「……あんたも大変だな」
「……………はい?」
「厄介なのに、惚れた」
「――――」
「違う」とも「馬鹿な」とも無量は言わなかった。
 唯、自分の頬に触れ、平常ならざる熱を確認して、そして『納得』した。
 唯の興味だ、憧れだと幾ら言葉を尽くしたとて、これはもう無理だと『自覚』してしまった。
「法師殿、私は今――どんな顔を?」
「あの旦那が居たら大惨事だった、みたいな顔をしてるよ」
 目をぎゅっと閉じた無量はイヤイヤをするように頭を振った。
 そうして暫く。混沌での出来事、出会いと言葉に無量は遂に覚悟を決めた。
「……法師殿」
「ああ」
「私は、『全て』が知りたい」
 無量の利き過ぎる勘は運命を捉える。
 自身の内より響く警告は先程の四ツ腕のそれを上回る程に強くなっていたけれど。
 運命に出会ってしまった無量はそれを求めずにはいられない。
 彼岸の朱天ならぬ、此岸の無量は――人として答えを求めずにはいられなかったのだ。
「死出の土産なら――良いかと思った」
 言葉少なな無量に公暁は嘆息する。
「本当の意味で言うならあんたは知るべきだった。
 だから、俺は決めてたんだ。もしあんたが人として俺に出会って、あんた自身の意志で答えを知りたがるならって」
 コクリと頷いた無量はじっと彼の目を見つめる。
「あんたの妹は生きている。少なくとも俺が混沌に来る前は生きていた」
「は……?」
 妹が姿を消したのは自分が不甲斐なかったからで。
 あのいい子が苦しみ続けるしかなかったのは自分が助けられなかったからで……
「……ちょっと、待って下さい」
 頭が煮える。世界自体がぐらぐら揺れる。
「待っても仕様のない話だ」
「あの子が生きている……?」
「ああ」
 考えた事も無かった。
 本当にそれは考えた事も無かった事である。
「あんたの妹は彼岸会無量――あんたの本当の名前は彼岸会空観だ。
 彼岸朱天の角を折ったのは俺一人じゃあない。俺と、『無量』が折ったんだ」
 伽藍の世界を揺らすのは鮮烈なる妖刀の煌めきと、公暁の告げたその言葉。

 ――無量、否。空観の脳裏で妹の幻影が微笑んだ。

状態異常
彼岸会 空観(p3p007169)[重傷]

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