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忘れられないもの
登場人物一覧
――君はもう必要無い。僕の期待に応えられるものではなかった。だから、ここでさよならだ。
反芻する誰かの言葉。
もう何年も前の話で、誰がそれを言ったのか顔も思い出せなくなっていた。
ただ道を違えて、もう二度と会えない事だけは怪生物でも理解できた。
誰かと別れてから怪生物は長い間彷徨い続けていた。
途方もない時間を、他と同化し吸収して、ゆっくりと成長し続ける。
あるときは虫、あるときは鳥、またある時は犬。
化け物だと槍を突きつける人間はどうにも好きになれなかった。
集団で寄ってたかって追い回して来るから、面倒くさくなって蹴散らしたら、其処から追撃は止んだ。
そこから何十年も経って森が自分のテリトリーになった頃。
人間の気配を感じて怪生物は森の入口まで降りて来た。
今まで見てきた人間に似ているけれど、少し小さいのが二人だ。
槍は持っていないようだが、今度も蹴散らしてやるかと怪生物は人間の前に姿を現す。
目をまん丸に開いて驚いた小さい人間は、恐怖からかその場にへたり込んでしまった。
たっぷりと怖がらせてから喰ってしまおう。
そう考えた怪生物はゆっくりと焦らすように近づいていく。
口を大きく開けて、爪を伸ばし、いかにも獰猛な獣を演じて見せた。
実際の所、誰かに見せつけるのは久しぶりで、楽しいとさえ思えたのだ。
小さい人間の一人が片方の前に立ち手を広げる。
「やめて! ミユをたべないで! 食べるなら僕だけにして!」
「だめだよ、ツムギ! 逃げないと!」
震える身体で一生懸命ミユを守るツムギ。
こんなにも小さくて弱い生き物が立ちはだかってくる。恐れを知らぬのだろうか。
怪生物はじりじりと近づき、ツムギと呼ばれた小さな生き物を食べようと近づいた。
ふと、その生き物の顔が視界に入る。
何だか懐かしいような顔。何処かで見た様な造形。
さよならと言ったあの人の顔に似ているような気がした。
――――
――
「ねぇ、カイセーブツはどうしてそんなにお口が大きいの?」
「どうして身体が真っ黒なの?」
怪生物を見上げる小さな生き物。人間の幼体。子供という存在らしい。
生まれ落ちてから7年ほどしか経っていないミユとツムギは、力が弱いくせに好奇心だけは旺盛で。
あの日食べ損ねてから毎日のように森の中へ入ってくるのだ。
怪生物が居るとはいえ、野生の熊も危険な崖もあるというのに、「カイセーブツどこー?」といいながら無防備で歩いて来る。
ついには怪生物を見つけると嬉しそうに友達と称して抱きついて来るようになったのだ。
ミユとツムギは双子の姉弟で「心結」と「紬」という漢字を書くらしい。
当時は理解出来なかったが、混沌に来てから漢字の読みと意味を知った。
彼女達は夜継村の『神子』であるらしい。子は十四になる頃に神の元へ還らなければならない。
「だから、友達を作ってはいけないんだって」
「現世に縁が出来て、引かれてしまうから」
生贄にされてしまうという事なのだろう。よくある土着信仰の部類だ。
「でもね、カイセーブツは村の人じゃないから大丈夫」
「僕達の初めての友達なんだよ」
抱きついて来るミユとツムギに、何だか心の奥にむず痒い感覚を覚える。
体験した事の無い、温かくて食べたくなる気持ち。
これが何なのか分からないけれど。でも、目の前の二人を食べるのはやめておいた。
もしかしたらこの気持ちの正体が明日には分かるかも知れないから。
それから七年。
儀式の為に夜明けと共にミユとツムギは生贄になる。
村の北にある崖から神の御許に還るというのだ。
「今日はさよならを言いに来たの」
「明日からはもう来られないから」
あの頃より随分と大きくなった二人が怪生物の腕を掴む。
ミユとツムギの顔が、忘れていた『誰か』の顔と重なった。
――君はもう必要無い。僕の期待に応えられるものではなかった。だから、ここでさよならだ。
さよならとはもう会えない事だ。
其れなのに記憶に何時までもこびりついて離れないものだ。
失ってしまったことを忘れるなと叩きつけるもの。
さよならなんて、大嫌いだ。
思い出が沢山あるほど、胸の奥が掻きむしられて自分が自分で無くなってしまう。
訳の分からない情動が全身を巡る。
だったら、離れぬようにしてしまえばいい。
この二人を喰らい一つになればもう離れる事も無いのだから。
怪生物は同化の獣。
ずっと一緒で絶対に離さない。
離れない。
二人も怪生物を信じて此処にやってきた。
自分達を喰らってくれると。
「アァ……ァ」
食べた瞬間に分かった。
怪生物が想っていたように、二人も自分の事を大切に想ってくれていた。
それは、今まで喰らってきたどんなものよりも。
なんて。
どうして。
こんなにも。
「――――オイシイ」
ミユとツムギの血肉に身体中が歓喜し。
怪生物はいつまでもいつまでも二人を貪り尽くしていた。