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小指までの恋
登場人物一覧
●夢みる乙女と腐臭
夢見る乙女の情熱は時に暴走しがちだ。
「ドゥフフフ……。今年の夏の祭には間にあわせてみせますとも! このRing様×ヨタカ団長様本を! 嗚呼、旅一座に通い詰めて約2年! ただ、あのカップルを見て、萌え萌えしてたわけじゃないんですから!」
ヨタカ・アストラルノヴァとはサーカス集団の旅一座の団長にして、片目を隠した白髪の美青年である。 Ring・a・Bellも旅一座の団員で、ヨタカをいつも世話している、筋肉が逞しい碧眼の獣人だ。
クサレ・ジョシの腐女子レンズを通すと、Ringとヨタカがカップルにみえるのだ。何故なら、ヨタカはRingだけには『アベル』と特別な呼び方で呼んでいるのだ。クサレがそう思ったって仕方ないはず……はず……。
クサレはRingとヨタカの萌え萌えエピソードを思い出しながら、鼻息荒くトーンを削る。そして、うっかり削りすぎて、また貼り直しになるのだが。
そんな苦労の末、完成したRing×ヨタカ本をご覧頂こう。
●同人誌『小指までの恋』
恋なんて、俺ことヨタカには関係ない。
——と今日まではそう思っていた。
でもそれは、恋という感情を無視していただけなのだと、俺は今日知ることになる。
どこまでも広がる海、燦々と照りつける太陽。それだけで爽快な気分になる。カップルが「ドキドキが止まらないよ」、「それって好きって証拠だよ」なんて言いながら、並んで歩いている姿は微笑ましい。その一方、ナンパにきた男達が女の子に声をかけては玉砕していくのを見るのは、少し可哀想だ。そんなことより、屋台がずらりと並んでいるさまは賑やかで、心が躍る。喉かわいてきたから、ジュースが飲みたい。暑いから棒アイスも食べたいし、かき氷はやっぱり夏の鉄板だ。
遅れて、更衣室からアベルがやってくる。
「坊ちゃん、先に言っとくけど、屋台がいっぱい並んでるからって、調子に乗って買い過ぎるのはナシだからな」
アベルの忠告は耳が痛い。今まさに屋台を見て何を食べようか吟味していたところのに。
「そんなことより……、星型のサングラスに……アロハシャツなんて……、夏らしい水着だ……。似合ってる……」
「坊ちゃんもチャイナ服のようなシャツがお似合いじゃん。その組紐のネックレスを今日は首輪代わりに握っておいた方がいいよな」
アベルが悪戯な顔で、俺のネックレスを引っ張って、顔を近づけさせる。やっぱり意地悪だ。
「やめろ……」
手でネックレスを引っ張って、アベルを払い除ける。
「はいはい。悪かったって。ああ、もう、ふくれっ面になっちゃって。折角の海だから、今日は屋台を楽しむのも大目に見るからよ」
大目に見るという言葉につい釣られてしまう。
「じゃあ……、喉乾いたから……、ジュースがいい」
「はいはい、じゃあ、まずは、ジュースの屋台に行きますかね」
そうして、俺は右手にはブドウジュース、左手にはいちご味のかき氷、口にはオレンジ味の棒アイスを咥えて、大満足だ。アベルは呆れ顔だが、気にしないことにする。
「坊ちゃん、また甘いものばっかり……。虫歯ができても、オレは知らねぇよ」
「ン……ンム……ング……チュパ……ン……だ……い……ン……じょう……ンム……ぶ……チュプ……」
アベルが妙に前傾姿勢になって腰をモゾモゾさせている。どうしたんだろう?
「よぉ、兄ちゃん。そんなオッさんより俺たちとイイコトしない? そんな棒アイスより、ぶっといモノ、しゃぶらせてあげるよ」
2、3人の男を引き連れた下卑た男に声をかけられる。男達はナイフをチラつかせたり、拳をならしたりと、物騒だ。
「イイコトとか……、ぶっといモノとか……、何かは知らないけれど……、断る……」
「ギャハハハ」と男達は嗤う。「マジかよ。初モノ?」、「汚してー」、「いい声で啼きそうだ」とか、よく分からないことを言っている。だけれど、いい意味ではなさそうだ。
「コイツをナンパするなら、先にオレに話を通してもらおうじゃねぇの」
アベルがそう言いながら、俺を庇うように前に出る。アベルの声音から怒っているのがよく分かる。それにしても、俺へのナンパだったのか。理解できない。俺なんて醜いのに。
「おっさんに用はないの。俺が用があるのは、コ・イ・ツ。それとも、おっさん、コイツに片思い中?」
男は俺を指差し、つま先から頭のてっぺんまで、じろじろと見る。後ろの男達は口笛を吹いたり、「ヒューヒュー」と囃し立てたりして、煩い。
「集団でしか……、ナンパできないのか……。かっこ悪いな……」
「なんだと! 下手に出てれば、お高くとまって生意気なこと言いやがって! おい、オマエら、ヤっちまえ!」
ガシッと両腕を後ろから羽交い締めにされる。そのまま、引き摺られて、海辺に放り込まれる。迂闊だった。他にも仲間がいたなんて。
「オレのヨタカに触れんじゃねぇ!」
海辺でびしょ濡れになった俺に襲いかかろうとする男達を、アベルが憤怒の表情で素早く襟足を掴んで叩き落とす。大きな水飛沫の中、俺はアベルに初めて名前で呼ばれたことに驚く。しかも、『オレの』なんて普段なら言いそうにもない。怒りのせいだろうか?
アベルが叩き落とした男の急所を踏みつける。「ギャァアアアアー!!!」とダミ声が響き渡る。だが、その後ろから男がアベルの足を蹴りつける。その反動でアベルが俺の上に跳んできた。アベルは俺を潰さないよう、俺を守るように手を地面につけて、覆い被さる。
「絶対アイツらシメる。待ってろ。オレの大切な人」
そして、不意に、アベルが俺の頬を優しく撫でた後、一気に跳躍し、男達へと立ち向かっていく。
あんなに優しく頬を撫でられたのは、いつぶりだろうか。そのせいか胸が切なくなって、胸の鼓動が高まって仕方ない。普段そんなことされないせいだろうか。いや、違うような気がする。ふと、アベルを待っているときに聞いたカップルの会話を思い出す。ドキドキは恋の証拠だとか。ドキドキしている俺はアベルに恋しているのか……? そんな、まさか。そう思いながらも、今までの思い出がとめどなく流れ出す。アベルが俺を大切にしてくれてきた思い出が星屑のように煌く。俺を醜いと言う人を否定してくれるアベル。俺にどこまでもついてきてくれるアベル。俺を守ってくれるアベル。嗚呼、俺はアベルのことが好きなんだ。
気がついた時には、男達は全員気絶させられていた。風がもう冷たい。
「——もう終わった。坊ちゃん、風邪を引くから、浴衣に着替えてくれ」
そう言うとアベルは俺を軽々とお姫様抱っこする。今、アベルのことが好きだと自覚したばかりの状態で、こんなに密着するとアベルを意識し過ぎて、息もできない。
「……お姫様……抱っこなんて……、女の子……みたいで……嫌だ……」
手足をばたつかせて、嫌がるも、アベルは俺をしっかりと抱きしめたまま、更衣室へと向かう。
「ダメだ。坊ちゃんの水着姿は他の奴らの目に毒だ。もう坊ちゃんの水着なんか見せてやらねぇ」
強制的に更衣室に放り込まれる。少し離れられて、ホッとした反面、抱きしめられたときのときめきが蘇る。俺は着替えながら悶々として、更衣室から出られない。そもそも、恋心をどう整理すればいいのだろう。アベルにどう顔を合わせればいいかも分からない。お姫様抱っこされたとき、逞しい身体に自分の身体を委ねて、永遠に抱きしめてもらえたら、どれだけ幸福だろうと思ってしまった。もっとアベルが欲しい。もっと近くに、もっと側にいたい。だけど、俺の水着を見せたがらないのは、何故だろう。俺が醜いからだろうか。思考はまるで終わらないメリーゴーランド。延々と脳内をぐるぐる回って答えなんて出ない。戻ってこない俺をアベルが心配して、更衣室の中に入ってくるまで、ずっと俺は悩み続けていたのだった。
外を出た時には、もうとっぷりと日が落ちていた。夜は花火大会があるらしく、昼とは違う雰囲気で華やいでいた。並んだ屋台の灯りが煌々と辺りを照らすさまは、幻想的で、どこか懐かしい。ふんわりと甘い香りに、香ばしい香り、ソースのジューっという音、屋台の人のかけ声、どれもダイナミックで、尚且つ調和している。まるで協奏曲のようだ。薄暗い浜辺にはゴザが敷いてあって、カップル達が肩を寄せ合って、ゴザの上で、今か今かと花火を待っている。もしかしたら待っている時間すらも楽しいのだろう。
アベルは俺の浴衣姿を見て「狐面と紺地の浴衣はいいけどよ。もうちょっと襟は閉めてくれよ」といって、俺の浴衣を着つけ直してくれ、屋台を見て回ろうと誘ってくれた。横にアベルがいる。それが、俺のアベルへの恋情を刺激してならない。すれ違うカップルが指を絡ませて「やっぱり告白してよかった」なんて話している。今まで、ただ微笑ましかったカップルが羨ましく妬ましい。もし好きだと告白したら、俺とアベルは恋人になれるのだろうか。恋人になれたら、幸せになれるのだろうか。告白したい。だけど、拒絶されたら? そう考えるだけでゾッとする。そもそも男同士なのに恋なんて可笑しな話だ。それだけでも拒絶されそうなのに、醜い俺なんて好きになってくれる人などいないに違いない。
綺麗な女の人が前から歩いてくる。アベルはこういうおっぱいが大きくて、腰がくびれてて、お尻が大きい人が好みなんだろうな。
その女の人がアベルにしなをつくりながら言う。
「あら、素敵なおじ様、子守りかしら?」
「そんなとこだ」
「子守より、私と楽しいことしない?」
女の人がアベルの唇に指を滑らせる。俺は心が凍るような思いがした。アベルが取られるのは嫌だ! やめろ、俺のアベルなんだ。誰にも渡したくない。そう思っても、醜い俺など拒絶されるに決まっている。だから、俺は手出しも口出しもできない。
「楽しいこともいいけど、俺は子供好 きでね」
「あら、残念。子守頑張ってね」
女性は投げキスをして、去っていく。それに対してヒラヒラと手を振るアベル。俺の面倒をみるために断ったなら、俺はアベルの邪魔をしてばかりじゃないか。アベルも俺よりも女のほうにいけば、いいじゃないか。どうせ、俺は手間のかかる子供のようなものなのだろう? 沸々と湧く罪悪感と怒り。
「俺は……子供じゃない……。……どうせ……、父上から言われて……、俺を……、見張ってるだけ……なんだろ。女……のほうに……行けばいい……」
つい、心にもないことを言ってしまう。アベルが父上と繋がっているなんて信じたくもないし、思ってもいない。俺はアベルを信じてる。女の方には行かないでほしい。でも、それがきっと最善だ。
「坊ちゃんがいるから、女のほうになんかいかねぇよ。坊ちゃんはオレにつきまとわれたくないだけなんじゃねぇの?」
ムッとした顔をしながら、アベルが言い返す。その言葉にカッとする。俺の葛藤も知らずに! 俺はお前の為を思って言っているのに!
「——お前を……嫌いなわけないだろ……! 俺は……お前のことが……スキ……んむ!」
押し殺すような冷淡な顔をしたアベルが俺の唇に人差し指を当てて、それ以上を言わせようとしまいとする。俺はすぐ後悔する。俺は勢いで告白してしまったのか。この反応はやっぱり嫌いって意味なのか。
「それ以上は言っちゃダメだ、坊ちゃん。オレは従者で坊ちゃんは主人なんだから」
「そんなのどうでもいい……! 主従関係なんて……、関係ない……! 本当は……俺が……醜い……から……、なんだろう?」
「何度だって言ってやる。坊ちゃんは綺麗だ。醜くなんてない!」
「じゃあ……、どうして……? なんで……主従関係なんかで……、好きな気持ちを……、拒絶されなきゃいけないんだ……!」
「オレと坊ちゃんは対等じゃないんだ。坊ちゃんが上司でオレが部下。オレが坊ちゃんを大事にするのは坊ちゃんが上司だから。坊ちゃんはそれを勘違いしているだけなんだ」
「そんなこと……ない……。アベルの優しさは……、本物だ……!」
アベルは困ったように微笑んで、路上で膝をつく。何をするつもりだろう。
「オレは一生ヨタカ・アストラルノヴァに仕え、仕事の上で可能な限り優しくすることを誓います」
そう言って、アベルは俺の手の甲にキスをする。「なんてな」なんて笑いながら。手の甲から体温が奪われるようだ。
「今日……、ナンパした人達に……怒ってたのは……?」
「護衛も仕事だから」
「今日……、俺を……お姫様抱っこしたのは……?」
「大切にするのも仕事だから」
「今日……、俺の頬を……撫でたのは……?」
「可愛がるのも仕事だから。全部仕事だからだ。坊ちゃんはカップルが沢山いるから当てられているだけだ」
大切にされている、愛されていると感じたことが全て仕事だからなのか。俺は勘違いしていたのか。俺は信じていたのに。本心から大切にされていると信じていたのに。俺は、俺の思い出は、俺の感じた温かさは全て偽りだったのか。
——信じたくない。信じたくない。信じたくない。
——そんなのは嫌だ。
顔を伏せて、悄然とした俺の手首を掴んでアベルが「花火が始まるから」と言って、浜辺に並ぶゴザへと引っ張っていく。俺はただただ無抵抗でアベルの後をついていくだけだ。だって、これも仕事なんだろう?
空には花火がパッと咲いて散っていく。儚く美しい。俺の恋もそんなものだったのだろうか。花火が涙で歪んでみえる。
頬を伝う涙をアベルが指で掬う。優しい仕草なんて辞めてくれ。俺が勘違いするだけじゃないか。アベルの手を払いのける。涙はとめどなく溢れて止まりそうにない。嗚咽が漏れるのを必死に耐える。
「あーーもぉーーーー!」
アベルが髪をガシガシとかく。泣いているのが迷惑だからだろう。身を縮こませて、涙が溢れるのを見せないようにする。それが俺の最善なんだ。きっと。
アベルが小指を絡ませる。また勘違いさせるつもりなんだ。俺は小指を振り払おうとする。
「ヨタカ、聞け。花火が終わるまでは、小指分だけ、主従関係はなしだ! ヨタカ、愛してる。小指分だけな! そこだけは仕事じゃない本心だ。分かったら、大人しくしろ」
アベルの目は真剣で、頬は赤く染まっている。愛しているという言葉が胸に染みていって、さっきまでのことなんて、どうでもよくなる。小指分だけでもいい。花火大会までのほんの短い間だけでもいい。今だけは、この小指までの恋に浸りたい。
●大反響
同人誌は大いに売れ、そして大反響を呼んだ。旅一座に聖地巡礼に訪れる人が現れるくらいだ。
不審に思ったRingが腐女子達の方へ話を聞きにいこうとすると、キャーと叫んで逃げられてしまう。だが、一冊の同人誌の落し物が残っていた。拾って読んだRingは本を即座に燃やす。こんな事ありえねぇよ、とボヤきつつ。