SS詳細
10日と、13時間と5分9秒。
登場人物一覧
●少女の挑戦
その日、少女――ヨハナ・ゲールマン・ハラタは未知の領域へと挑戦する。
ここまで来るまでに散々笑われたし、全力で心配し声をかけてくれた友人もいた。
けれどヨハナは諦めようとはしなかった。前人未到といわれるとやりたくなるのは人間の性だ。
例えそれが無謀だと言われても、やってみなければ本当かどうかなんてわからないのだから。
睨み付けるように空を見上げ、雲をつかむように手を伸ばす。
そして声高らかにこう宣誓するのだ。
「ヨハナちゃんによる『幻想天義往復RTA』はっじめますよー!!」
え、挑戦ってこれ?
●知らない人に解説しよう
【RTA】とは?
リタルタイムアタックの略称。ゲームのプレイスタイルの一瞬で、スタートからゴールまでにかかった時間を争うものである。
つまりヨハナはこれから幻想から天義まで、どれ程早く行って帰ってこれるかを目指すらしい。
目の付け所がなかなかにシャープ、ではなくシュールすぎて理解がしにくい。
そりゃ誰かに笑われるし真剣に心配される筈だ。主に頭の方で。
しかしいくら笑われようと彼女は挑戦を諦めないどころか、さらに自身に重い制限を与える。
彼女の足元にはそれを物語る道具――人が入りそうな程大きなバケツとハンマー(先が尖っていて引っ掻けたり打ち込んだりしやすいタイプだ)がスタンバっている。
なんとこのバケツに入った上、ハンマーを地に突き、腕の力だけで移動するのだという。
さすがイレギュラーズ、さすが自称未来人。考えることがイレギュラーすぎる。
バケツがツボではないのはせめてもの優しさかもしれない。
「ヨハナが頑張ることで、色々なことを諦めてしまってる世界中の子供たちを元気付けることができれば、って思って」
そう儚く笑いながら語る彼女の心意気は素晴らしいものだと思う。挑戦する種目にさえ目を瞑れば。
しかしもう後には退けない。自分の前には道はなく、自分が通った後に道は出来る。
肩からかけた鞄には夢と希望と食料を。バケツにすっぽりと嵌まったヨハナは、力強く第一歩を振り下ろした。
●行くぜ、往路!
ギルド『ローレット』の壁をぶち抜く勢いでスタートしたリアルタイムアタック。
幸いにも天候に恵まれ、出だしはすこぶる順調だ。
進む先には太陽がぽっかりと浮かび、まるでキング・スコルピオの頭のよう。思い出して、つい笑みがこぼれる。
ちなみにヨハナの様子は練達の謎技術により世界中に生中継でお送りしております。
ヨハナを写し出すモニターに叩くとコインが出そうなキューブがぷかぷか浮いているように見えるのは気のせいでしょう。気のせいです。
振り上げて、家屋の壁を抉り、また振り上げて屋根によじ登る。
単調に見えるこの作業。早くも4日が経過していた。
「ふぅ、ちょっとお腹がすきましたね」
天義まではあともう少し。ここでエネルギーを補給しておこう。
ハンマーを壁に突き刺したまま彼女は鞄を漁る。中には十秒で食事一食分の栄養をとれるゼリーとか、バナナとかそんなものが入っていた。
片手と口で器用にバナナの皮を剥き、頬張るとねっとりとした甘味が口いっぱいに広がる。
「ちなみにバナナを冷蔵庫にいれると全体的に黒ずむのは追熟によるシュガースポットの出現ではなく、南国の果物であるバナナに冷蔵庫の温度は寒すぎて、人で言うところの風邪を引いた状態ですので注意ですよ!」
視聴者にウィンクをひとつ。ファンサービスも欠かさない。
そんなサーヒス精神が功を奏したのか視聴者数は確実に増えていて、ここ最近ではスポンサーまで付き始めたらしい。
物好きもいたもn……もとい、ヨハナの行動力にはこんなにも人を引き付けられる力があったらしい。いろんな意味で。
さぁ、休憩はお仕舞い。あともうすこし、この一振りで天義へ到着……、
「そのような格好で天義に踏みいるなど不正義だ!!」
天義を守る壁に、ハンマーを振り下ろすことは叶わなかった。
●帰ろう、復路!
地面にハンマーを立て、その上にバケツに入ったヨハナが乗ることで天義の人とは対話が叶った。
だがこちらの言い分は9割9分聞き入れてもらえず、苦肉の策で天義を守る壁にハンマーの先っちょをほんの少しだけ(天義の人が見ていない隙に)タッチして帰ることにした。
「まさかこんなことになるなんて。アポイントメントはとっておくべきでしたね……」
さぁ、帰りは一度見た道だ。スムーズに帰れる筈。
いくら道中、中継を見ている(ヨハナ曰く『暇な』)視聴者のためにガバ運を発動して時間をかけたとはいえ、これはリアルタイムアタックなのだ。
早ければ早いに越したことはない。
急げ急げ、懐かしい街角に。見慣れた風景がヨハナを待っている。
きっとゴールは溢れんばかりの歓声に包まれて――、
幻想に戻ったヨハナが、ローレットに壁の修理費用を請求されたのは別の話。