PandoraPartyProject

SS詳細

いとしきインパーチェンス

登場人物一覧

フルール プリュニエ(p3p002501)
夢語る李花
フルール プリュニエの関係者
→ イラスト
ルミエール・ローズブレイド(p3p002902)
永遠の少女


『好き』、『嫌い』、『好き』、『嫌い』……。

 おぼろげとうつつ。
 ゆめとまぼろし。

 ここは花園。秘密の花園。
 隠された夢のあわいの、かすかな魔法が作り出す夢の世界。
 密やかな魔術の仕組みレシピを、″魔法使いのムスメ″はよく知っていた。
 淡い色彩。たっぷりの陽の光に満ちた世界。
 見る角度を変えれば、きらめいた色は複雑などんな色にも見える。ほんとうのことと、ほんとうではないことの間にはっきりした境界はない。
「おねーさん、目をつむっていて?」
 すぐそばから、聞きなれた声がする。じれったい感触が、手の甲をなぞる。
 ふわりとすももの香りが漂った。
 目を閉じていても、無邪気な少女の様子を容易に瞼の裏に思い描くことができる。
「手を出して……そう、そうやって」
 穢れのない少女の指先が、小さな花でつくった指輪を差し出す。けれど、そう。大きさが合わなかったのね?
 少しむきになって、ええ。そうね、きっと、少しだけ、不安そうな顔をしたはず。そうすると、フルールちゃんは、とても真剣な様子で、ぶかぶかだった指輪の大きさを蔓で調整する。
 ほら、うまくできたはず。
 次の呼吸のときには、もう自信たっぷりで、頬には薔薇のような赤みがさしている。そうでしょう?
 目を開ける。その通りの光景が目の前にある。
 あなたの右目は夕暮れの橙色、左目は深海の紺碧色をしている。
 いつ見ても、その瞳をはっとするほどきれいだと思う。何度だって……。

 ルミエール・ローズブレイド (p3p002902)は、
 フルール プリュニエ (p3p002501)が、

『好き』、『嫌い』、『好き』、『嫌い』……。


……目が覚めた。

「……っ!」
 フルールは飛び起きるように身を起こした。
 ついさっきまで、幸福な夢を見ていたはずだったのに……。

 胸はどきどきと高鳴っていた。全身は幸福に満ちあふれていた。
 なにひとつつらいことなど起こりえないはずだ。……それなのに、フルールの枕は濡れている。
 どうして?
 目が覚めてしまえば、夢はもう思い出せなくなっていた。
 指先に力が入らない。凍り付いたように冷えている。胸の痛みがまだ残っている気がする。けれども、その理由は判然としない。思い出そうとしても、記憶はおぼろげで、もやがかかったようになる。
「どうしたの、フルールちゃん……」
 ルミエールが、心配そうにフルールの顔を覗き込んでいる。指先が頬をなぞり、細く、艶やかな金糸の髪の毛がフルールの頬に触れる。ほとんど無意識のうちに、青薔薇に手を伸ばしていた。
「嫌いにならないで」
 不意に発した一言に、フルール自身もまた驚いた。
 どうして、こんなことを言ったのだろう?
 あたたかく柔らかな毛皮が手の甲に押しつけられる。ルクスだ。ルクスもまた心配そうに、フルールの頬を舐める。冷たく湿った鼻先が手の平に触れる。尾に止まった炎が揺れる。
「ならないよ。なるわけない」
「フルールちゃんを嫌いになったことなんて、一度もないわ。これからも、そしてこれまでも……」
「ずっと?」
「ずっとよ」
「永遠に、ずっと?」
「ずうっとよ」
 包み込むように両手を握られて、目と目が合った。
 夢の中と同じ色が映り合い、溶ける。フルールの一面は時として幼いけれど、透き通ったような直観を得ることがある。

 ああ、うそじゃない。
 ほっとした。

 ルミエールのことばが、やわらかくフルールをなだめる。ぎゅうと抱きしめられながら、ぬくぬくとした安心を得る。
 
(うん、そうよね。ルミエールおねーさんはわたしがすき。わたしはルミエールおねーさんが好き。きちんと、ちゃんと、私。私のことが……好きなはずよ)
 それのどこに、疑問をさしはさむ余地があるの?
 ルミエールの言葉はじんわりと胸に染みていって、指先はぬくもりを取り戻している。
「急にそんなことを言うなんて……。きっと、怖い夢を見たのね」
「ううん、なんでもないの。なんでもないのよ、ルミエールおねーさん」
「ほんとうに?」
 フルールは手を伸ばして、ルクスの顎を撫でてやる。ルクスも、ルミエールも。どちらも気持ちよさそうに目を細める。
 ルミエールは、フルールの髪の毛を櫛で、それから手の指で梳いてくれる。鏡台の向こう側、フルールの目は少し赤い。
「きっと、とびきり悲しい夢だったのね」
「うん……」

『嫌い』。

 ぴしりと、鏡にひびが入るような心地。
 思い出したように頭の中に響いた言葉に、フルールは愕然とする。
『嫌い』。
 凛とした声は、研ぎ澄まされたガラスの破片のように鋭利だった。
 ルミエールの声。
 そんなこと、ルミエールおねーさんが言うわけない。
 ありえない。
……ありえない。
 そのはずなのに、今、どうしてこんなに傷ついたの。その響きを正確に想像できたの……。
「……」
 ルミエールが何か言いかけて、唇を開いた。『嫌い』と、言うのではないかという予感に、フルールは凍り付いた。そんなことは起こらない。
「どうしたの。紅茶を用意するわ。ジャムとクラッカーも添えましょうね。そうだ。庭で採れたブルーベリーも一緒に……」
 ああ、ほら、いつものルミエールおねーさんだ。

 けれども、フルールの不安はぬぐえない。『嫌い』。嫌い? 嫌いだなんて! ありえない想像が胸をついて、ぽっかりと穴をあけていた。
 やさしくないことば。抜け落ちた途中式。絶対にあるはずのない光景。
 指先に刺さった薔薇の棘がずうっと残っているように、じくじくと痛む。
 フルールの指先は、ルミエールの袖を掴んで離さなかった。
「いかないで」
 絞り出すような声。すがりつくフルールに、ルミエールの手のひらは優しくフルールの背を撫でた。
「どこにも行かないわ。いつもそうでしょう、フルールちゃん」
「うん……」
「ずっと、目の届く場所にいるわ」
「うん、そうしてね」
「ほら、カーテンを開けましょう。ね?」
 柔らかな陽光が目に入る。まぶしい日の光。どこにも冷たさなんて、ない。……ないはずなのに。

『好き』、『嫌い』、『好き』、『嫌い』……。
 どうやったって、結論は同じ。そうでしょう?
……わかっていましたよね?

(また)
 湯を沸かしに立ったルミエールと交代に、あの声が頭にささやいた。優しげな声。それでいて、言うことは残酷だった。
『嫌い』
 勝ち誇ったみたいに、ぱらぱらと花びらが落ちてくる。花びらの数を数えたくなかった。それは間違っているから。
「っ……!」
 肩を掴まれた気がしてふりはらう。ルクスだった。ベッドサイドのテーブルに積んであったおはなしの本が崩れ落ちる。
「大丈夫?」
「ごめん、なさい。ごめんなさい、ルミエールおねーさん」
 ばさりと床に打ち捨てられて、ページが広がる。開かれたモノガタリのお花畑は、とてもよくあの風景と似ている。ルミエールは本を閉じた。
 フルールの様子が、気の毒で心が痛む。
 同時に、全身全霊で頼られることにほの暗い喜びを覚える。その両手が他の誰でもない、自分を離すまいとしている。
 一生懸命でひたむきで……。いとおしい光景。
「やっぱり、私、今日はおねーさんがいないとだめみたいなの」
 素直に吐露される甘えた言葉に、ルミエールの心は踊った。
……それはちょっと意地悪かしら?
 けれど、ルミエールはフルールのすべてを愛している。恐れも、憎しみも、悲しみも……愛も、いとおしさも。残酷さも。すべてを内包した少女が、可愛らしくてしかたがない。体の奥に根差した根源的な飢えが首をもたげる。独り占めしたいな、とルクスが思っている。ルクスの考えていることは、ルミエールが思い描いていることと一致する。そうね、閉じ込めてしまいたい。
「ずっとそばにいるわ。いい? フルールちゃんが謝ることなんて何一つないわ」

 好きと同じだけの嫌いと、嫌いと同じだけの好き。

(思い出したくない)
「そう、なら忘れてしまいましょう」
「忘れてしまえるかしら」
 花畑に立っているフルールは、どこまでも広がる花畑の中。……たったひとりぼっちのような気がした。


「ずっとそばにいるわ」というルミエールの宣言は、夜になっても守られていた。
 明日も明後日も、その次の日もそうならないかしらとフルールは思った。
 ルミエールは、この子と一つになってしまえば、これほど飢えることはないのかしらと思っている。
 フルールを絶望に陥れるあの声は、ルミエールとルクスが傍にいる間は静かだった。ルミエールがささやく愛はどこまでもまっすぐで、疑いようのないほんとうのことばだからだ。
「今日はなんだか引っ付き虫ね」
「……きらいっていみ……?」
「可愛らしいわ」
「うん」
 さらさらとしたシルクのお洋服に身を包む。ランプの明かりを消そうかとしているルミエールの腕が、フルールをまたいで伸びていった。陶器のように白く、細い腕。フリルと細いリボンが触れ合ってくすぐったかった。
 それだけなのに、おかしくて、思わず微笑みがこぼれる。
「ねぇ、おねーさん」
「なにかしら」
 声を潜めたのは、そうしたら耳を寄せてくれると知っているから。
「あのね、これは秘密なのだけれど……」
「どんな秘密を聞かせてくれるのかしら?」
「あのね」
 顔を寄せて、ささやく。
「好きよ」
 そう、私は、ルミエールおねーさんが好き。
 当たり前のことを口にしただけだけれども、なぜだかとてつもなくほっとする。これは真実。ほんとうのことだ。
「もちろんよ。私も、フルールちゃんが好き。……愛しているわ」
 寝室にさすのは月明りのみ。寝台で秘密をささやき合うように、言葉を乗せた。小さな声。だけれども距離が近いために、息すらもはっきりと耳を揺らす。凍り付いたものを融かすような体温。
 うん、そう。この声だ。じんわりと痺れるような甘やかな声。
「私の大切なフルールちゃん」
 ルミエールが手を伸ばす。頬は赤く染まる。身体に満ちる暖かさ。生命という熱を互いに分け合って、ここにいる。
「好きよ。好きなの。大好きよ」
 秘密めかしたそれは、永遠の少女にとって公然のものだ。互いのことを良く知っていた。手首の細さも、力を込めれば容易く折れてしまいそうな心も。息遣いも溶け合って、分かり合える夢を見る。
「あら……」
 風が吹き込む。
 窓が開いていたかしら。本当にあいていたのかしら。
「あのね、いなくならないでね」


 それは少女の夢のなか。
 秘密の花園。
 これはこの子の心の風景。
 インパーチェンスのささやきの花畑。

 手をつないだままに目を閉じれば、何度でもここにたどり着く。
 ルミエールはこの風景をよく知っている。
 これはいったい何度目かしら。

 シロツメクサ、タンポポ、赤い薔薇。気の遠くなるようないろいろな種類の花……。
 みずみずしい花々が、柔らかくそよいでいる。きらきらと水分を浴びて、生命に満ちた花々。その土の下では苛烈な生存競争が起こりうることなど知りもしないで咲き乱れている。
 この世界の中から、フルールを見つけるのにはちょっとしたコツがいる。とっても簡単なことだ。道しるべをただ、たどるだけ。
 その気配をルミエールが間違えることはない。
 ほどなくして、その気配を見つける。
 すぐそこにいることはわかっているけれど――なんだかなごり惜しくて、わざとにいないほうへと目をやった。腰に手を回される。鈴を転がすような声が、「捕まえた」、と言った。
 ルミエールは、フルールのさらさらとした髪の毛に指を通す。くすぐったそうに身じろいだ。しばらく頭を撫でてから、髪の毛を耳にかける。
「とてもよく似合っているわ」
 インパーチェンスの花が、嗤った。

『素敵、素敵、なんて素敵な光景でしょうか』
 花畑が揺れた。
 ルミエールは顔を上げる。
 美しいドレスをまとった女性が、ぱちぱちと、心からの――祝福の拍手を贈っている。
 愛の魔女。嫉妬の魔種。
 ルミエールは、冷えた目でこの世界の主を見ている。 
 フルールはどこかぼうっとしていて、熱に浮かされたように、嬉しそうに頷いた。
『お二人はとても仲良しなんですね』
「そうよ」
『……花占いをしてみたら、どうですか?』
 一本の花が、ふわりと降ってくる。
「花占い……」
『聞いてみてください。花というものは、真実を知っているものなんですよ。少しばかり立ち止まって、『好き』を確かめるだけのこと』
「うん……」

『好き』、『嫌い』、『好き』、『嫌い』……。

『嫌い』
 凍り付いたように、時が止まる。フルールの肩は小刻みに震えている。
 花びらはもう残っていない。
『どうしましたか』
「ううん、なんでもないの」
『どうなりましたか? 私にも教えてくださいね』
「今からするところ……」
 なかったことにしようと、フルールはちぎれた花を放り出す。新しい花が降りてくる。
『さあ、もう一度。心に聞いてみて……』
 甘やかな声。破滅を誘う声。
『強く願ってみて、そうすれば、お願い事は何でも叶います。そうでしょう、きっとハッピーエンドを』
 目の前にいるそれの、口元に酷薄な笑みが浮かんでいることに、フルールは気が付かない。
 フルールは震える手で、二本目の花を手に取った。きれいな花。
『しっかり、大切な人のことを思い描いて……。描いて。どんな表情をしているの。どんな言葉をささやくの。どんな風に優しいの、ぜんぶ思いながら……』
「好きよ、愛しているわ」
 ルミエールの言葉を、必死に脳裏に思い描く。
 胸の中に満ちる衝動。あふれ出す思い。
 けれども結果は変わらない。花びらの数は変わらないのだから。

『嫌い』

 違う、違う、違う。否定しても、あふれ出すさみしさが怒涛のように押し寄せる。じわりと、目には涙が浮かんだ。
「どうして……ねぇ、なんで、うまくいかないの?」
『どうしてでしょうか。お願い事が足りないのでは、ないでしょうか』
 心から困ったふりをして、魔種はささやいている。
『愛とはね、ずっと欲張りなものなんですよ』
 甘美な夢は、途端に悪夢へと変じる。
「いや……。いや!! こんな世界、ちがう……」
「そうね。間違っているわ。……こんな世界は忘れてしまいましょう」
 ルミエールはフルールをかき抱いた。腕の中でぐずる彼女を閉じ込めて、頭を抱きしめながら、両腕で耳をふさいだ。

『何処から入ってきたのかしら』
「入ってはいけないとも、書いていなかったものだから」
『そうね。お花畑は……みんなのものよ』
 悔しそうに、インパーチェンスは顔を伏せた。
「ルクス」
 ルミエールはよく知っている。この世界の仕組み。
 何もないはずの空間を指さす。ルクスがぱくり、と何かを飲み込んだ。それはインパーチェンスの花びら。ルミエールは、泣いて眠りについているフルールを、何度だって迎えに来た。覗き見るのは趣味が悪いかもしれないけれど、でも、そんな姿のフルールも、笑っているのと同じようにいとおしい。
 永遠に、ずっと。この子は私の下へ戻ってくると知っている……。
「きっと、愛を試すべきではなかったのね」


「フルールちゃん。フルールちゃん。起きて」
「……」
「どうしたの」
「ううん、なんでもないの」
 朝、少女が身を起こす。涙に濡れた枕。
 けれども覚えていない。それは幸せな夢だから。
 忘れてしまえば、ときおり、同じことを繰り返す。それが、ルミエールにとっては愚かでいとおしくて、可愛らしくて。間違うものだから……。いとおしい。
「ねぇ、好きよ」
 縋りついてくる姿も。
「おねーさんがすきよ」
 困らせてくる笑顔も。
 甘いささやきは、どうしようもなく甘美な響きを伴っている。
 どうして泣いているのか、その涙の理由をフルールは知らない。忘れてしまいたいと願ったから。
「この世界がみんな好き」
 いとおしく、愚かで矛盾をはらんでいて子どもらしい愛。
「この世界の、ぜんぶが好きなのよ」
「知っているわ……」
 傲慢で純粋。儚くて何よりも強固。細い体には、幾重にも矛盾をはらんでいる。だからこそ、複雑で美しい模様を呈する。
(どうして、フルールちゃんは)
『好き』は、こんなにもはっきりしているのに。どうして試そうとするのかしら。

 でもそれが、恋というものよ。
 インパーチェンスが揺れる。
 いくらあっても満ち足りることはない。なにかにつけて、自分の場所を確かめてしまうのが、恋というものよ。

 インパーチェンスの姿は黒く淀んでいる。感情の底、純白に押し込めた澱……。
『――この世界の全てを愛しているとは言わないのですか』
「――あの子はあなたも愛しているわ」
『愛にも憎しみにもに差がないのなら。好きは嫌いということではありませんか』

「大丈夫よ。フルールちゃんを嫌いになったことはないわ」
 ルミエールはその理由を自覚しないままの、目じりの涙をぬぐってやった。乱れた髪を優しく整えてやった。
 何度も、ええ。そうね。何度でも付き合ってあげると決めている。
 全部を愛するなんて、とてもむずかしいことだものね。

『好き』、『嫌い』、『好き』、『嫌い』……。
 インパーチェンスのささやきが、フルールの耳にこびりついている。
「ほんとうは、ほんとうに、あいしているのよ」

おまけSS『すべてがいとおしい』

「『好き』、『好き』、『好き』、……『大好き』……」
 ルミエールは、インパーチェンスに差し出された花を無感動にちぎっていた。インパーチェンスはつまらなそうにそれを見ている。
 ルミエールは、インパーチェンスの術には嵌まらない。
「すべてがいとおしいわ。でも、同時に、どうしようもなく傷つけてしまいたいとも思うの」
『それは、同じものですか』
「きっとね。フルールちゃんの愛はとても大きいのよ」
『……』
 ルミエールが邪魔だ。この少女がいる限り、インパーチェンスの手がフルールに届くことはないのではないかと思われる。ならばルミエールの方は……。けれどもその瞳を見て、インパーチェンスは気が付いてしまった。それから、それがおかしくて、ただ可笑しくて笑い声をあげた。
 ああ、もうとっくに『狂って』いるのに、これ以上『狂える』わけがない。

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