SS詳細
好奇心、グラスを満たす
登場人物一覧
●
「絶対治してやるから死ぬなよ!! ただ生きたいと願え!! 生命の光に向かって手を伸ばしてりゃいい!!」
吹雪の中で"生きたい"と藻掻く者たち。その命を掬い上げた時の感触は、今も掌に残っている。医療行為の補佐として傍についていた『怪人暗黒騎士』耀 英司(p3p009524)は、対応にあたっていた『ヒュギエイアの杯』松元 聖霊(p3p008208)の事を思い出す。氷の美貌に熱い魂を秘めた左眼。行動から優しさを、人の命に対して全力で向き合う姿から善良な魂を感じられる彼に、純粋に興味が湧いた。
だからだろう。突然届いた一通の手紙にさえ心躍るのは。黒紫のインクで彩られた薄いパープルの便箋。洋風の封蝋が無辜なる混沌らしさを引き立てる。封を解いた瞬間、ふわりと薬品の香りがした。
「……律儀だねぇ」
元居た世界で聞いた話では、医者はまめな人間でなければ務まらないと聞く。綴られている内容は新年の挨拶に加え、約束していた酒盛りについての事だった。応じない手はないだろう。
ふと、待ち合わせに指定された場所を見て、英司は仮面の奥の目を見開いた。
「境界図書館? どんな店に行くつもりだ?」
●
「英司、応じてくれてサンキューな。すぐに返事を貰えるなんて思ってなかったぜ」
「ハハ、興味を持ってもらえるっつーのは嬉しいもんだ。俺もアンタの事は色々知りたかったしな」
再会した聖霊と英司は軽く拳を合わせた後、他愛もない話をしながら
「この依頼書の担当者、赤斗って書かれてるが……タダ酒タダ飯の依頼があるってのは本当か?」
聖霊に声をかけられた男――『境界案内人』神郷 赤斗は後者の部類だった。袖机から赤と緑の革表紙の本を取り出し、ゆっくりと立ち上がる。
「その依頼書を見つけるなんて、お前さんらはラッキーだったな」
「タダほど怖いモノはねぇって言うが、一飯の代わりに魂を取られるって訳じゃねぇよな?」
「生憎、そんなオカルトじみた趣味無ぇ。俺は異世界でBarを経営してるんだが、今年から本格的な料理を振舞ってみようと思って……その練習に付き合ってくれる相手を探してたんだよ。
魂を取らなくて申し訳ないが、俺の店で食ってくかい? えーと……」
「俺はH、見ての通り怪しい人さ」
「H? そっちの彼は、お前さんを英司と呼んでた様だが」
「なんだ、声かける前から俺達の話を聞いてたのか。なら好きに呼びな」
冗談めいたやり取りの中で「またか」と聖霊は目を細める。英司の行動は――少なくとも、共に依頼をこなした時は善良だった。それこそ、専門外であろう医療行為の補助をしてくれたのだ。好感すら抱いている。なのに彼は、今この瞬間も
「どうした、聖霊。喋らずに気持ちを汲んでくれるのは、長年連れ添った愛犬くらいのもんだぜ」
「何でもねぇよ。俺は松元 聖霊。今日は世話んなる」
店がBarなら酒の類はしっかりしているだろう。アルコールが回れば、普段うまくはぐらかされる様な事も聞けるに違いない。それこそ、仮面に隠れた素顔だって――
●
「おい、聖霊」
「んーー?」
ほんのり赤みがさした頬のまま、ほわほわと幸福そうなオーラを漂わせて聖霊が顔を上げる。
いつの間にかカウンターにつっ伏して眠っていた様だが、当人には記憶がない。
「眠いなら帰るぞ、医者が風邪ひくなんて皮肉にもならねぇだろ?」
「違う、眠たくねぇ……ただ、それなりにいいワインだったから気持ちよくなっただけだ」
向かう店がBarならカクテルの類が主力だろうと思っていたが、店主厳選のワインは聖霊の好みに深く刺さった。
「おつまみのチーズ盛りもチョイスが玄人向けなんじゃねぇか? このふわふわした花弁みたいなチーズ、初めて見た」
「そいつはテット・ド・モワンヌ。"修道士の頭"という意味を持つチーズだ。専用のチーズ削り機を使う必要のある代物だから、確かに珍しいかもしれんな」
(頭……)
ぽーっとしていた聖霊の頭に、そこでようやく来店当初の目的が過る。英司の頭、もとい素顔はどうなっているのだろう。
食事の時ぐらい仮面を外すと踏んでいたが、隣の席に座る彼は未だ防御が固いままだ。……というか。
「それにしても、こんな場所で日本食にありつけるとは思わなかったぜ」
「同じ世界ではないだろうが、俺は日本のシブヤって所で居酒屋のバイトをしてたんだ。もう随分と昔の話だが」
「へぇ、道理で味まで馴染み深い訳だ」
カウンターで調理を続ける赤斗と談笑しながら、牛すじ煮込みを箸でつつき、口元に持っていく英司。その顔はガッチリと、いつ通りの仮面で覆われている。
にも拘わらず、聖霊が瞬きしている一瞬で、箸でつままれていた筈の牛すじが綺麗さっぱり無くなって――もぐもぐと咀嚼する音が聞こえるのだ。どうやって食べているのか謎すぎる。
「……!?」
「ちゃんと奥まで染みてるし、寒い時期にはこいつと熱燗がありゃ他には何も要らな――」
「どうなってんだ!?」
隣から突然あがった驚きの声に、仮面の奥で目を見張る英司。聖霊に肩を掴まれそちらを向かされるなり、ぺたぺたと仮面に触られて、穴でもあるのかと下から覗き込まれる。
探る姿は興味津々で目をきらっきらさせたネコチャンそのもの。もしも彼に尻尾があったなら、千切れんばかりにブンブン振っていたに違いない。
「どう、っていつも通りだけどよ」
「だから余計におかしいんだよ! その
「あ、これ実は
「そんな訳あるか! なんか特殊な加工がしてあるのか? その割には食べカスとか着いてないよな……」
そう言われても……と肩をすくめつつ、英司は自前のストローを使い、またもや仮面を外さずに
「おいおい、情熱的だねぇ。そんなに熱い視線向けられ続けたら火傷しちまうよ」
「悪ぃ、気になりだしたらどうにも気になって。なぁ、一度だけでいいから、どうやって食べているのかゆっくり見せてくれないか?」
「……本当に、一度だけでいいんだな?」
「見せてくれるのか?!」
「そうしないと、聖霊が納得しなさそうだからな」
聖霊のかんばせに嬉色が滲む。誰もが振り返りそうな人を惹きつける華やかさ。芸能界にいた英司からすれば、それは貴重な才能に思える。
(俳優になったら大成するんじゃねーか。というか……酔ったらこんなに可愛くなるなんて、それこそ反則ってもんだぜ)
「嗚呼、一度だけ――」
謎が解明される瞬間は、どうしてこうも緊張するのだろう。聖霊はごくりと唾をのむ。
今まさに、英司が牛すじ煮込みをつついて箸で仮面の口元あたりまで持っていく。それから――
「待たせたな。熱々エビ入り小籠包だ」
「あああぁーーー!!!」
思い切り被った。赤斗の腕と、開けられた蒸篭から上がる湯気とで食べる瞬間がものの見事に隠される!
ばっ! と慌てて湯気を避ける様に身を傾けた聖霊だが、牛すじ煮込みはすでに仮面の奥の口の中。
「全っ然わからねぇ、マジでどうやって……」
「慣れさ。アンタの口元も、綺麗だろ?」
ぴたり。聖霊の唇に英司の人差し指が当たる。耳まで赤くなった聖霊は爆発しそうな色んな気持ちを逸らす様に――
「赤斗!! ……こうなったらもう、やけ酒だ!白で酔えるやつ頼んだ!」
驚いている赤斗へ空のワイングラスを突き付け、泥酔コースに舵を切ったのだった。そんな聖霊を隣で見つめつつ、英司は心中、
(まぁ、蒸しあがりにカウンター越しでも気付けたから、タイミング見計らって提案した……なんて言えねぇよな)
と独りごちる。何にも囚われず、己を貫く為に。また、人社会に受け入れられるべきではない存在だから――この身は、怪人のままでなければならぬのだ。
●
「悪ぃ……」
「何か謝られる様な事でもしたか?」
「そりゃ、こんな事になるなんて思ってなくて……」
あれから小一時間ほど、聖霊はワインを浴びる程飲んで、結果――閉店時間を迎える頃には、足元がフラつくようになっていた。
見ちゃいられないと英司が彼をおんぶする事になり、今は境界図書館からの帰路である。
「気にしてるなら、俺の質問に答えてくれよ」
「質問?」
「どうして医者を志そうと思ったんだ?」
酒盛りの最中、普段は何をしているかと問われた聖霊は、診察だとあっさり答えた。色気のない返答だが、真に彼は医療の道に熱中しているのだろう。
誰かを救うため、全てを懸けて尽くす姿は見ているだけで心が燃える。何故そこまで出来るのか、純粋に興味が湧いたのだ。
「親父は、立派な医者だった。生きたいと願う患者を決して見捨てず、どんな身分でも平等に治療して……子供ながらにそんな格好いいとこ見せられたら、憧れるしかないだろ? そんなの」
語る聖霊の声は、これまでにないくらい優しい声音で、一度聞けばすぐに解る――彼にとっての父親は、まさしく
「眩しいな、その気持ち。忘れず大切にしろよ」
「……」
「聖霊?」
「…………」
返ってきたのは言葉ではなく、すぅという穏やかな寝息。
「近場の宿でも探すか。無けりゃ境界図書館で一泊だな」
呟く声も自然と弾む。いつかまた、二人で何処かへ飲みに行こう。見上げた空には星が瞬き、帰路を明るく照らし続けた。