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喧噪の定律。或いは、ある広場での暖かな一幕…。
登場人物一覧
●喧噪の定律
初めの記憶は“真っ黒”だった。
“ヒト”に興味を抱いたことが転機であった。
山を下り、ヒトと関り、気づけば仲間が増えていた。
カルウェット コーラス(p3p008549)にとって、この世界は“知らないこと”と“楽しいこと”に溢れている。
それはまるで、箱一杯に詰まった宝石や、きらきら光るキャンディのようだ。
素敵で楽しい、そんな思い出がきっとこれからも増えていく。
「スティーブン、あれ、食べる、したいぞ!」
広場に溢れる人の群れ。
鼻腔を擽る甘い香り。
じゅう、と焼けるスパイシーな肉串に、色とりどりの飴細工。
軽快なリズムと拍手が響き、道化た仕草でピエロが深く礼をする。
くるくる回るカルーセル。
はしゃぐ子供たちと、それを見守る父や母。
ヒトの奏でる笑顔と喧騒の波に飲まれて、カルウェットの胸は知らないうちにざわついた。
楽しいひと時。
幸せな空間。
隣に立つ誰かと笑い合っているヒトたちを見ているうちに、思い出すのは暗い場所での寂しい記憶。
目を覚ました時、カルウェットは1人きりだった。
その時は“寂しい”なんて感情を、カルウェットは知らなかった。
けれど、今は違う。
ヒトに紛れて、仲間たちと過ごす時間は幸せで、きらきらで、素敵なものだ。
けれど……と。
胸の奥深くで、ふとした拍子に「もしも」が首をもたげてしまう。
もしも、これが夢だったらどうしよう。
自分は今も、あの暗い場所で1人きりで眠っているのだとしたら。
そんな考えに至ったカルウェットは、傍らに立つ青年の袖を小さな手でぎゅうと掴んだ。
「ん? どうしたよ?」
「なんでもない、ぞ」
カルウェットは、にこりと微笑みそう言った。
けれど、触れた指先からほんの一瞬「不安」や「寂しさ」といった感情をスティーブン・スロウ (p3p002157)は感知する。
彼の有する【ギフト】によるものだが、スティーブンが問い返した瞬間に、それらのネガティブな感情は霧散してしまった。
「そーかい。それで、あれを食べたいってことだが……」
カルウェットの指さす先には屋台が幾つも並んでいる。
串焼き、飴細工、クレープにクッキー、そしてドーナツ。
スティーブンには、カルウェットがそのうち何を指さしたのかが分からなかった。
「ぜんぶ、食べる。したいぞ!」
「全部!? はは、そいつは豪快なことだな」
鋭い眼を僅かに見開き、スティーブンは驚いたように身を仰け反らせた。
その仕草が面白かったのか、カルウェットはくっくと肩を揺らして笑う。
「それじゃ、手分けして並ぶか」
「ん? いっしょに、ならんで、食べる。別々は、いやだぞ」
「あ、おい。先に行くな、逸れるぞ」
1人、屋台の方へと歩き始めたカルウェットを、慌てた様子でスティーブンは追いかけた。
スティーブンとカルウェットが出会ったのはこの広場だ。
時折、顔を合わせては、ごく当たり前の会話を交わす間柄。その関係をヒトはきっと“友人”と呼称するのだろう。
最初に声をかけたのは、果たしてどちらだっただろうか。
今となっては思い出せないほどに昔の出来事だ。けれど、カルウェットのことを「変な子供だ」と、そんな風に思ったことだけは、今でもはっきりと思い出せた。
スティーブンの目つきは鋭く、纏う雰囲気や佇まいもどこか怪しい。職業柄、怪しくて当然といえば当然なのだが、それを隠そうともしないのは、果たして彼なりの処世術ではなかっただろうか。
例えるのなら、見えない壁を常時展開しているようなものである。
真っ当な者なら、初見でスティーブンに声をかけるようなことはまずしない。
避けて通る者がいるなら、きっとそれは正しい思考と行動である。
けれど、カルウェットは少し違った。
見えない壁などないかのように距離を詰め、スティーブンが言葉を返すと嬉しそうに笑うのだ。
初めのうちこそ、大人しい子どものようにも思えた。
だが、それは間違いだったと、後になってスティーブンは気づくことになる。それというのも、カルウェットの出自や世間に対する認識の不足ゆえである。
カルウェットは好奇心旺盛で、そして存外に行動的だ。
もっとも、カルウェットの方もスティーブンを「不思議なヒトだな」と認識しているため、お互い様と言えばきっとそうなのだろう。
不思議で、そして優しいヒトだ。
「ひっひー、すごい、する! な! 見てみて!」
屋台の列に並んだカルウェットが指差した先で、売っていたのは肉串だ。
屋台の梁から吊るした大きな肉の塊を、店員が華麗に包丁を操り薄くスライスしている様子がよく見える。
客寄せのためのパフォーマンスの一環だろうが、なるほどカルウェットがはしゃぐのも理解できるほど、流れるような包丁捌きは見事であった。
「もっと! もっと近くで見る、する。な!」
「列を乱すんじゃねぇよ。ほら、もう少し待っていれば自然と近くに行けるから、これでも食って大人しくしてろよ」
はしゃいで駆け出そうとするカルウェットを引き留め、その小さな口にクッキーを1枚、押し込んだ。
親子でもなく、友人でもない、けれど親し気な2人の様子を、列に並ぶヒトたちはほほえましそうに見つめている。
それから、幾つの屋台を見て回っただろうか。
スティーブンの両手には、食べ物の満載された紙袋がいくつも下げられている。
そんな状態で大道芸を見てはしゃぎ、カルーセルで大笑いして、遊び回るカルウェットの体力は、無尽蔵とも思えるほどだ。すっかり疲れたスティーブンは、珈琲を1杯購入すると、広場の隅のベンチへ移動した。
思えば、2人が初めて言葉を交わした場所はこのベンチではなかったか。
「沢山たくさん、お買い物した、な。おいしそう。食べる、するぞ!」
「あぁ、そうしてくれ。クレープもドーナツもあるからな」
「スティーブンも、たべる、するか?」
「……あぁ、いや。俺は珈琲でも飲んでおくよ。生憎と腹に何かを入れる元気が残ってないんだ」
「こーひー、苦い。クレープ、食べないか? こーひーより、甘い、な」
ほら、と差し出されたクレープと、何かを期待するかのようなカルウェットの瞳を交互に見やったスティーブン。観念したかのようにひとつ溜め息を零すと、差し出されたクレープの端をほんのひと口だけ齧る。
口内に広がる生クリームのほのかな甘みが、舌を通じて脳に染み渡る感覚。
僅かにではあるが、疲れが取れたような気がする。
「おいしいな」
「あぁ、そうだな。偶には甘いものもいい」
「ひっひー、甘いもの。すてき、だな」
満足そうな笑顔を浮かべ、カルウェットは小さな口を目いっぱいに開いてクレープにかじりつく。
満足そうに生地とクリームを咀嚼しているカルウェットを横目に見ながら、スティーブンは自身の膝のうえにドーナツを広げて置いた。
それから、珈琲をひと口喉の奥へと流し込み……。
「……まぁ、こういう休日も時々ならいいかもな」
なんて、誰にともなく呟いた。
美味い食事に楽しい見世物、それから少し風変わりな同行者。
それが揃えば、何てことない休日の、少し煩いひと時でさえ、きらきらと輝いて感じるものだ。
楽しむべき時に楽しみ、そしてそれを誰かと共有することこそが、きっと“喧噪の定律”であるに違いないだろう。
なんて。
心地の良い疲労感に身を浸しつつ、そんな風なことを思った。