SS詳細
オーディナリーの似像昇華
登場人物一覧
「ノルデ、起きてる?」
「寝てる」
「じゃあ、これは僕の独り言なんだけど」
僕は天井を見上げながら、さっきノルデに言われた事を考えていた。
生理的な涙で滲む視界。発散しきれず溜まる芯熱。
頭痛に吐き気に倦怠感。
幼い頃からの友人が体調不良だけ、というの自慢できることじゃないけれど、自身の体調を冷静に把握できるのは僕の数少ない強みだった。
「僕、身体が強くないんだ。あの国に住んでる人間は大体そう。どこかしら痛んでて、病んでた。機械市レストアには有名な医大があって、そこに通えば自分と同じ境遇の人を助けられると思ってた」
「ご立派なことで」
「でも、医者にはなれなかった。借金のせいで退学になったから」
一つ、自分の中に楔を打ち込む。
これは僕が成し得なかった事。僕の、紛れも無い後悔のひとつ。
「カジノが出来て、あの街は変わった。医者は臓器売買が仕事になったし、薬といえばドラッグで、違法酒と一緒にどこにでもあった。非合法な事ばかりが蔓延していて……気がついたら僕名義の借金ができていた。ルームメイトの仕業だったよ。僕なら気が弱いから押し付けられるって」
沈黙。
寝ていない事は分かっていた。ノルデは意外と礼儀正しく、これは最近気づいた事実だった。
彼は人の話を聞いている。良くも悪くも。
「そんな感じで演じられていたと思うんだ、『
「ネネム」
咎めるように名前を呼ばれたけど、僕は聞こえないフリをした。
これは子供の癇癪だ。分かってる。けれど弱音にしては毒のある僕の自虐に、この長兄気取りの皮肉屋は珍しく本気で狼狽していた。それが愉快で……もう少しだけ甘えていたかった。
「ここに来てずっと考えてた。僕は何なんだろうって。僕に元来備わっている性格や素質はイーハトーヴの過去の経験、もしくは知識から引き継がれたんじゃないかって。僕が病気にかかった記憶も、誰かに不合理を押し付けられる性質も『元はイーハトーヴ』のもの。君だってそうだよ、ノルデ。やけに我慢強かったり暴力性の化身のような顔をして紳士的だったりするのは『イーハトーヴが識った憧れ』を反映されたからなんじゃない?」
「お前に時間を与えると禄なことを考えねぇのはよーく分かった」
「僕もそう思う」
「めんどくせぇ……」
ノルデは僕に対しての扱いが雑だと思う。気兼ねしなくて良いけど、君にとって僕は何なのだろう?
「お前、初対面の時、俺にもイーハトーヴにも敬語を使わなかっただろう」
「えっ?」
そう言われて戸惑った。
初めて会った時のことはあまり覚えていない。酷く混乱していたし、真正面にノルデがいて借金取りが追いかけてきたのかと思った。
とにかく恐ろしかった。メルヘンな部屋中に薬とアルコールの匂いが満ちていて、あれを悪夢以外の何と称すればいいんだ、と後になって、僕はイーハトーヴに吐き捨てた気がする。
「カジノにいた時は敬語だ」
「それはそうだよ、怖いもの」
「お前は俺を借金取りと見間違え、イーハトーヴをジャンキーだと思った。だが普通に喋ったな。何故だ?」
「それは」
そう言われると可笑しいな。どうして僕は敬語を使わなかったんだろう。
「違いを数えろ、ネネム。イーハトーヴは敬語で演じたが、お前は敬語じゃない。お前はお前だ。それからな。一つ、その口を閉じろ。二つ、
「ノルデ」
「人の話を聞け」
「君は荒れなかったの? 混沌に来た時」
「荒れた。来て早々は連日あいつらを脅してた。だけどな。一人は何を言っても脅してもヘラヘラ笑ってばかり。警戒心の欠片も無え。もう一人は動けねぇ癖に絶対に俺をぶん殴ってやるって気迫で睨みつけてくる。だから、気に入った」
こんなに饒舌なノルデを見るのは初めてで、僕は少し戸惑っていた。
彼が弱る機会を待っていなかったといえば嘘になるけれど、普段聞けそうもない話が楽しくて、もう少しだけと言葉を探す。
「君、哲学好きだよね」
「毒殺婆と芸術家気取りの犬に呪われた」
「それは何かの暗喩?」
「そうだ、俺の世界から届いた呪いだ」
「君の故郷か。いつか行ってみたいな」
「他にも剥製狂の小娘と愛書狂の貝、犯罪者集めてる変態一家がいる」
「絶対行かない」
「賢明だ」
「ねぇ、ノルデ。最後にもう一つだけ聞いてもいい? 僕がここへ来てすぐの頃、君は『よくやった』って僕を褒めてくれたよね」
「いちいち覚えてねぇよ」
「あの時は分からなかったけど今なら分かるんだ。僕が来てからイーハトーヴ、薬とお酒を一緒に飲んでない」
「お前に言われて、怖がられたと思ったんだろ」
「実際そうだもの。……僕は彼の良い兄になれるかな?」
「知らねぇ。何をするのもお前の勝手だ」
そう言ってノルデは背中を向けてしまう。けれど、僕はその言葉だけで充分だった。
「おやすみ、ノルデ。良い夢を」
「……おやすみ、ネネム」
おまけSS『知を愛する者の三側面』
人は様々な物を諦めて生きていく。
生命である以上、有限性の限界は必然である。
自我があれば終わりに立ち合うこともあるだろう。
しかしながら燃える己が命の蝋燭、その短さを目の当たりにして、人はどれほど冷静でいられるだろうか。
「戦場にいる人間は、それが諦念にしろ、死ぬ覚悟を持っている。だから殺す事を躊躇うな、誰かの死に心を引き摺られるな」
「それも、君のいた世界の言葉かな?」
「いいや。これは、俺の座右の銘だな。或る意味、まじないと言い換えても良い」
「そうなんだ。君がおまじないを信じるタイプだとは思わなかったな。怖いけど、何というか、ある意味では優しい言葉だね」
「そうだろうな。因みにイーハトーヴには絶対に聞かせるな。間違いなく厄介な事になる」
「待って待って、僕は今いったい何を聞いてしまったの!?」
「ジョーク抜きの爆弾発言」
「ちょっと止めてよそうやって説明も無しに僕を巻き込もうとするのは良くないよ」