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武器商人とリリコの話~新しい服のこと
登場人物一覧
木戸を開いて、翠色のウサギが歩いてきた。
よく見るとウサミミに見えたのは大きなリボンで、それをつけているのは陶器の人形のように無表情な少女だ。その子は孤児院の芝生のうえを舞台の花道のように歩き、着心地を試すように時折立ち止まってはポーズをとっている。その様子がまたマリオネットみたいにぎくしゃくしているものだから、武器商人は石造りのテーブルへ片肘をついたまま声をかけた。
「具合はいかがかな、リリコ」
「たいそう気に入っているようですわ」
向かいに座る孤児院の院長、シスターイザベラが明るく笑いながら答えた。
「わかるものかね」
「子どもはたくさん見てきましたから。それにしても武器商人さんが良い仕立て屋さんをご存知で助かりました」
「注文はパフスリーブのセーラーワンピ、チョコミントカラーで、だったね。我(アタシ)は寸法だけ伝えてあとはおまかせしただけだよ。気に入ったのだとしたら『呼ばれた』のだろうねぇ、あの衣装は」
リリコが近寄ってきた。ふたりの前でくるりとまわる。翠とビターチョコの二枚重ねのスカートがふんわりと広がり、真っ白なパニエが揺れてさざめく。大きなリボンも風と戯れてゆらり。
「ほらほら、言ってやってくださいな。あなたの言葉を待ってるんですよ」
ヒヒ、と武器商人は笑った。照れるような年はとうに過ぎてしまったし、歯の浮くようなセリフも『望まれるなら』とうとうと語ってみせよう。とはいえ、相手はまだまだ子ども。未来と可能性の卵へは、奇をてらった言葉よりもストレートに。
「似合っているよ、リリコ」
「……ありがとう」
リリコの頬がほんのりと朱に染まった。スカートの広がるさまを楽しむようにくるりくるりと回り続ける。
「ではお支払いを。仕立て屋さんによろしくお伝えくださいませ」
イザベラはコインの入った小袋を武器商人へ手渡した。武器商人は中を確認もせず胸元へ入れた。
「老婆心ながら、数えたほうがよろしいのでは」
「ごまかすような真似はしないだろぅ? 我(アタシ)にはそう視えるよ」
「お上手ですこと。ふふ」
イザベラが口元へ手を添えた。笑うとなんとも穏やかな顔になる女だ、無邪気さすら感じる。これでいて細腕ひとつで孤児院を経営し、8人の子どもを育てているやり手なのだから人は見かけによらない。もっとも、人の気性が顔に出るという定説を、武器商人は信じていない。優しげな顔立ちの詐欺師もいるし、気がよくて親切な殺人鬼だっている。武器商人はいろんなものを視たし、少々飽きるほど、視てまわってきた。だがそんな武器商人からしても、この孤児院の院長は善良と称してさしつかえない気がした。
「じつはあの衣装は我(アタシ)も気に入っていてねぇ。小さな魔術をひとつ仕込んでおいたよ」
リリコが振り返ってぴたりと止まる。あいかわらずの無表情。代わりにぴょこんとリボンが揺れて、武器商人を指し示した。まるで、そうそう、ウサミミみたいに。リボンの挙動に気づいたリリコが真上を見やる。深い紫の瞳にうっすらと当惑が浮かんでいる。ぴこぴことせわしなく動き回るリボン。驚いているリリコの心をそのまま表すように。
「……商人さん、リボン、なにかした?」
「祝福を書き込むのは久しぶりで、つい筆がノッてしまったよ、ヒヒヒヒヒ」
ぴょこりとリボンが立った。リリコは心持ち頬を赤くしている。うれしかったらしい。
「……大事にするね」
リリコが頭を下げると、リボンも一緒にお辞儀をした。
「まあまあ、これは上乗せをしないといけませんわね。いかがしましょう、武器商人さん」
「サービスだよ。気にしないでおくれ」
「そういうわけにはまいりません。ベネラー、ベネラー!」
からりと窓が開いて、孤児院最年長の新参者、ベネラーが顔を出した。
「なぁにシスター。課題ならもうすぐ終わるよ、あ、リリコ、新しい服着たんだね。かわいいよ」
「リリコの新しい服ー!」
「みるーみるー!」
孤児院の子どもたちがペンを放り出してわっと集まってきた。わんぱくざかりの子どもたちが聖書の書き取りなんて退屈な課題を黙々とこなしていたのは、ひとえにリリコの衣装のお披露目を待っていたからだ。窓から身を乗り出し、少しでも近くでその姿を見ようとしている。
「かわいいー! すっごいふわふわスカートー! ボクも着るー!」
ロロフォイが興奮に頬をほてらせながら叫んだ。
「あ、でもきほんはセーラーなんだね。わたしたちといっしょだー、おそろーい」
「チナナは、チナナは、もうちょっと大人になったら、もっとすっごいの頼むでち」
のほほんとしているセレーデと心底うらやましげなチナナ。
「あのリボンひっぱりてえな」
「やっちまうか?」
などと声をひそめて悪巧みをしてるのはユリックとザス。
独り、顔をしかめているのはミョール。
「シスター、なにか用事があるんじゃなかったの? あと、みんな課題に戻りなさいよ」
「「ええー」」
みんなしてぶーたれるがミョールの眉間のシワが深くなるだけだった。
「いいのよ、今日の課題はおしまい。みんな庭へ出ていらっしゃい。お茶にしましょう」
「「はーい」」
そろって返事をすると、子どもたちは木でできた丸テーブルと椅子を持ち出し、武器商人の近くに並べた。セレーデがギンガムチェックのテーブルクロスを広げる。まっしろな皿とカップが次々と置かれていく。中央にバスケットが乗せられ、山盛りのスコーンから食欲をそそる香りが立った。
「よければお茶を飲んでいってくださいな。ミョールの焼いたスコーンも召し上がれ」
「……シスター、商人さんは、食べるのはちょっと、苦手」
「そうなのリリコ。武器商人さん、お茶は飲めます?」
「お茶もいいけど酒がいいねぇ、我(アタシ)は。シスターもよかったらつきあってくれるとうれしいよぉ」
「あらあらそんな昼間っから、もちろんいただきますわ! ベネラー、地下室のワインセラーからとっときのを出してきてちょうだい。みんなにもぶどうジュースを用意してね」
「はい」
素直に走っていくその背を目で追いながら、武器商人はイザベラへこそりと耳打ちした。
「大丈夫かね、あの子」
イザベラの顔に一瞬悲嘆が走る。
「やはり、わかりますか」
「よくない影が視えるよ。まァ、いますぐなんとかしなきゃならないってほどでもないけれど」
「手を打つ必要があるのですが、現在は八方塞がりで」
「いつでも我(アタシ)たちを頼るといいよ。ローレットは情報収集能力も高いからね」
そうさせていただきますとイザベラは薄く微笑んだが、チナナからスカートをひっぱられた彼女は、もうすでに普段どおりの顔に戻っていた。
「切り替えが早いねぇ」
「だってわたくしはこの子たちの親ですもの。子は親の背を見て育つもの。本を読む親の子は本の虫になり、帰り道にステップを踏む親の子は自然とダンスを覚えるのです。だから子どもが楽しむためにはまず大人が楽しまなければ」
そのためにはわたくしはいつだって上機嫌でいなくてはならないのです。そう彼女は大樹のごとく微笑った。年に似合わぬ悟りきった顔だった。いったいそこへ辿りつくまでいくつもの想いをイザベラは胸へ仕舞ってきたのだろう。
「大人になるって、しんどいねぇ……ヒヒ」
武器商人はイザベラを慮って空のグラスで乾杯した。騒動が起きたのはその時だった。
「おりゃあああ!」
「……あ」
「イェェェイ!」
ユリックがリリコのリボンを奪い、手に掲げて走っていく。ザスがはやしたてながら一緒になって逃げていく。当のリリコは固まったまま動けない。あ、あ、と、小さく、声とも音ともつかないうめきを漏らすばかりだ。
「なにやってんのよ、このバカ男子ィ!」
「ゲハッ!」
「もぶらっ!」
武器商人が反応するより速く、横合いから飛び出したミョールが遠慮もへったくれもない飛び蹴りを炸裂させた。ユリックが蹴飛ばされ、ザスを巻き込んでぶっ倒れる。ユリックの手を離れたリボンを受け止め、ミョールはそれをリリコへ突き出した。
「あんたもよバカリリコ。ぼーっとしてるから狙われるのよ」
「……あ、ありがと」
再びリリコの頭に戻ったリボンがしょぼんとしている。ミョールはそのままつかつかと武器商人へ詰め寄り、ポケットから何かを取り出した。
「ん」
それは見覚えのある鬼灯のランプ。暗い森に迷いそうだった彼女のために授けたもの。明るい陽の光の下ではただの真鍮細工にしか見えない。だがそれが森の奥でどれだけ彼女を助けたことか。ミョールは武器商人へそれを押しつけた。
「借りは返したから」
「ヒヒ、義理堅い子だね」
「筋の通らないことが嫌いなだけよ。あんたみたいなうさんくさいのに借りを作るなんてまっぴら」
言うなりミョールはついと顔をそむけた。リリコのリボンが困ったように武器商人とミョールの間で揺れる。武器商人が指先を唇に当てた。そのまましばし小首をかしげ、何か思い当たったかのように意地悪く笑う。
「幼馴染を取られた気分かい、ヒヒヒ」
それを聞いたミョールは空気がなくなったように真っ青になり、ついで真っ赤になって腹の底から怒鳴った。
「べ、べっつにリリコが心配とか! ぜんぜん、ちっとも、まったく思ってないし!」
ぴょこ。リリコのリボンが片方、ミョールの方へ傾く。叫んでしまった本人は「今のなし!」と追加して乱暴に手近の椅子を引くとお茶の席へ着いた。リリコもその隣に座る。リボンはそよそよと風に揺られている。
武器商人はうつむいて唇の端を持ち上げた。ああ、ここはひなただ。明るい光に満ちあふれた、まぶしい場所だ。自分はけして混じりきることができないところだ。なのにこんなに心地いい。ゆるい風がさらさらと武器商人の髪を梳いていく、まるで撫でるように。
「また、遊びに来てもいいかぃ」
「……いつでも」
風にさらわれそうだったつぶやきを拾い上げ、翠のウサギはほんのり笑んだ。