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それを君は優しさと呼ぶんだ
登場人物一覧
それは月光人形が暗躍したその時から少ししてからの話だ。
聖都フォン・ルーベルグにあるというイルの実家。
スティアは地図を持ってゆっくりとその場所へと向かっていた。戦闘時と異なる桃色のスカートを身に纏った彼女は桜の髪飾りを身に着けて、聖都の淑女の間でも話題となって居るワッフルの店で数種類購入して手土産にと手にしていた。
甘い菓子を気に入るだろうかと僅かな緊張を抱くスティアは石畳を歩みながらじいと爪先を眺める。
自身を庇う様に前に立った事で怪我を負った少女騎士。
――私は、スティアに生きて欲しいよ。
その言葉に、スティアは生きていていいんだとそう、思えた。
傷つけば傷付くほどに、己の生命の基盤が緩んでいく感覚がしていた。
その支えとなって居たサクラ。大切な友人以外にも自身にそうして言葉をかけてくれる人がいるんだという事がスティアにとっては驚きで。
イル・フロッタという少女は未熟で、何処までも『少女』という甘さを持っている。
驚き、笑い、泣き、怒り。そのころころと変わる表情と天義ならば誰しもが『常識』としてしまう断罪と正義の在り方に疑問を覚えている未熟なこども。
それが誰もが抱くイル・フロッタという人物像だ。
石ころを蹴り飛ばす。
そのイルが、その甘さが、スティアに生きて欲しいと手を差し伸べた。
直情で、自身の甘さとその性格で飛び付いてしまう様に動くイル。命をすり減らしてでも他人を護る事が騎士だというならば紛れもなく彼女は『騎士』だったのだろう。
生きて欲しい。
その言葉が頭を巡る。
スティア。
呼ぶ母の声が未だに反響している。
刃を向けた父は明確なる悪であったことをスティアは確かに認識していた――けれども、切なげに自身を呼ぶ母はどうか。
それは『否定』出来る程のものであったか。
スティア――
呼ぶ声が、未だ頭に残る。哀し気に歪んだ母の顔。鏡を見れば自身からもその面影を感じて仕方がない。
商売通りのショーウィンドウに映り込んだ自身を眺めてスティアの表情がくしゃりと歪む。
優しい叔母が秘めた事実の様に、甘い誘惑は家族を知らぬ自身を堕落させてしまいそうになる。
スティア――
けれど、その手を取る訳にはいかなかった。スティアと呼んで笑ってくれる赤毛の友人。
幼馴染の、ヴァークライト家とロウライト家の『因縁』があろうとも、そんな事関係ないと思える只一人。
「運命って残酷だね」
映り込んだ自分にスティアはそう声をかけた。
にんまりと笑った笑顔は何時ものものよりも醜く見える。ブサイク、と自分に行ってみれば拗ねた自分が映り込んだ。
「お母様が生きて居れば幸せだったのかな。
お父様も不正義なんて言われずに、叔母さんも断罪の刃を振るわずに、サクラちゃんのおじい様とお父様の間の因縁だって生まれずに――普通の、貴族の女の子だったのかな」
運命の歯車が軋んで、壊れた。
母という、エイル・ヴァークライトという歯車が欠けたときに全てが我楽多のように壊れていった。
「運命って、本当に残酷だね」
もう一度笑って見せる。イルの前でその言葉を口にした時に、自分はきれいに笑えるだろうか。
――スティア。
こちらへ、と伸ばした手。
いっそのこと『聞き分けのない子供』と刃を振り上げてくれればよかったのに。
私のスティアではないと殺してくれればよかったのに。
石畳を辿る、歩き出す。
辿り着いた家の扉の影からこそりと覗く金が見えた。
「イルちゃん……?」
「あ、いや、見舞いにと言われていたから……その、出迎えだ」
普段の騎士服とは違い寝間着に身を包んだイルは整えてないふんわりとウェーブした髪を一つに纏め、こそこそと扉の影から覗いていた。
「駄目だよ。怪我したんだもん。ちゃんと寝てなきゃ」
「う、す、すまない……」
しょんぼりとした調子のイルははっとした様に顔を上げスティア、と屋敷内へと彼女を招き入れた。
自室へ案内するというイルの溌溂とした笑みはいつもと変わりはしない。
長袖の寝間着から覗いた腕には真白の包帯が巻かれ、肩口を動かした瞬間に痛みを堪えるような表情を見せる。
「――」
「あ、な、何もないぞ! ふふ、『友人』がこうして家に来るなど久々だ。
騎士団に居てはリンツァトルテ先輩とばかり一緒に居たから。いや、リンツァトルテ先輩が家にく、来ることは、その、ないのだが、いや、来てもいいけど、いや、うん……あ、うん」
少女は何処か華やぐ笑顔を見せた後にしょぼりと肩を落とす。痛みを感じさせないようにと気遣ったつもりなのだろうが、口から飛び出したリンツァトルテ・コンフィズリーの行方が分からぬことに心を痛めているのだろう。
「イルちゃんって、リンツァトルテさんのこと……」
「あ、憧れているんだ。その……先輩は、何時だって頑張っていて。
私は、私は――彼みたいになりたいと、そう思った。それに、先輩の重たい荷物を少しでも私が持てたら」
それは特異運命座標の皆がしてくれるかな、とイルは何処かは気恥ずかしそうに笑った。
スティアは曖昧に濁す笑みを浮かべる。まだ計り兼ねた距離に、イルはやけに饒舌に、スティアはその様子を悩まし気に眺めるだけだ。
辿り着いた居室は少女らしい一室だった。ぬいぐるみやフリルのついたカーテンで飾られた14歳の幼い少女の部屋。
ベッドサイドに置かれた写真立ては伏せられていて、スティアはこてり、と首を傾げる。
「ああ、それはお母さまとの写真なんだ」
「お母様――?」
「うん、死んで、黄泉返りで戻ってきて、特異運命座標(せんぱい)達が対応してくれた。
……私は、それを黙ってみてるしか出来なかったんだ。断罪すべきだと知っていても動けなかった」
困った騎士なんだ、とイルは笑いベッドに腰かける。近くの椅子を引き寄せて、スティアに着席を勧めたイルは改まった様に顔を上げた。
「見舞い、ありがとう。私が勝手に飛び込んだんだ。スティアは気に病まなくていい。
それに……その、『友人』を庇うのは、当たり前だろ? 私はスティアには生きていて欲しい、し」
もだもだと言葉を繰り返す。
スティアは仲良くできればと願っていた相手だがイルより友人という言葉が帯び出すとは思わずぱちりと瞬いた。
「あ、いや――迷惑、だっただろうか」
「ううん」
首を振った。
「ううん、そんな事ないんだけど。
私にそう言う事言ってくれる人、サクラちゃん以外に居るんだなあって……。私は生きていていいんだなあって」
切なさを交えた様なスティアの瞳が憂いを孕む。
その様子にイルは「あ、」と口を開きかけてぱくりと金魚の様に口を動かした。
思いがけないような言葉。
家族を失ったスティアにとっては暖かなひだまりのような場所はサクラの傍らだったのだろう。
けれど――けれど、突然人のぬくもりに触れてしまった。
「あ、の……私は」
「ふふ、私ね。イルちゃんに守られてね、生きて欲しいって言われて、嬉しかったの。
他の皆も心配してくれるのに、でも、どうしたらいいかわからなかったんだ。
お父様の刃にはもう戸惑わない。私は、大切なものを護る為ならばこの輪廻だって断ち切って見せる。
……私は、もう一度お母さまとあった時、『もう一度殺すこと』ができるのかな、って……」
その言葉に、イルがぐ、と息を飲んだ。
指先に飾るリインカーネーションを見下ろして、スティアはぐ、と息を飲む。
チェーンとを落ち、首に飾ったそれを指に飾ったのは父母と相対する為の彼女なりの覚悟だったのだろう。
「ス、ティア」
どこか、緊張した様にイルは呼んだ。
言葉が出ないと目線が右往左往し、ゆっくりと彼女は立ち上がる。
スティアが抱えたままのワッフルの袋に視線を落とし、「紅茶を淹れようか」とイルは笑った。
怪我人を動かすわけにはと慌てたスティアに「私がしたいんだ」とイルは胸を張った。
大袈裟な程に明るい挙動に、気を遣わせたのかなとスティアは静かに息を吐く。
残されたスティアの視界にはベッドサイドの倒れた写真立てと、開きっぱなしの日記帳があった。
母との思い出の写真と、開きっぱなしの日記帳に並んだ文字。今までの騎士としての彼女の道。
開かれたページにはないも書かれてはいなかった。いや、書いては消してを繰り返した跡がある。
――せんぱいが無事でありますように。
ただ、それだけが可愛らしい文字で踊っている。
「リンツァトルテ先輩、かあ……」
スティアがサクラに寄せた絶対的な信頼。それはイルがリンツァトルテに向けるものと似ているのだろうか。
その細かな種別は分からないが、彼女にとって大切なパースが抜け落ちた事だけは分かる。
父が母という歯車を失い、その人生が狂った様に。
イルにとってもリンツァトルテという憧れと目標が突如として欠けた事がどれ程までにその精神を揺さぶるものだったか。
あの時、父が呼声をかけたサクラがその手を取っていたならば――私は。
かたり、と音が立つ。器用に盆を支えたイルが扉を開けてにんまりとした笑みを浮かべて立っていた。
「スティア、お待たせ。この紅茶、先輩がくれたんだ。
私が特異運命座標(せんぱい)と仕事をこなした時に仕方がないと褒美で。
私は紅茶を淹れるのが下手だから先輩に教えてもらったんだぞ。頑張って淹れたんだ! ふふ、スティアと飲みたいと思って!」
特別だぞ、とイルはにんまりと笑う。
可愛らしいティーカップの傍には角砂糖とミルクが用意され、テーブルにいそいそと並べるイルは「こっちこっち」と嬉しそうにスティアを手招く。
リンツァトルテからもらったという紅茶の茶葉は甘味の好きなイルがどうしてもミルクティーばかり飲むからとそれに合わせたものだそうだ。スティアがその様子を眺めればイルは角砂糖を2つ、ミルクを入れてスティアの『土産』をじっと見詰めている。
「あ、これね。最近、街で人気だって聞いたの。
幻想のお土産でもよかったけどイルちゃんとだから天義で何かって思って。
だから、お土産で――チョコレートとメープルと、それから……」
「チョコ!」
きらりと瞳が輝いた。嬉しいと笑ったイルは「スティアは何味にする?」と食べる気満々で用意していただろう小皿を回している。
開けた窓から流れ込む風が心地よく、スティアは「じゃあ、これかなあ」とセレクトしたそれにイルは「うんうん」と大きく頷いた。
「ねえ、イルちゃん、体大丈夫?
ごめんね、私を庇って……」
「うん? ああ、これでも騎士を志しているんだ! これは名誉の負傷だぞ。
騎士とは誰かを護るための存在だ! スティアを護って傷を負う。騎士としての本懐だろ?
それに、もしも先輩が傷を負ったら『これ位、どうってことはない』とほら、言う筈なんだ」
「ふふ、言いそう。『こんな傷、直ぐに癒えるだろう』って言うのかなあ?
あんまりリンツァトルテさんとは話したことはないんだけど、そんな雰囲気の人だよね」
くすくすと笑う。普段であれば彼女からはそんなふうには思わないが、等身大のイルは先輩と幾度も口にして華やぐ雰囲気を纏っている。
そうしていれば――もしも、天義で出会わなければ初めから普通の友人として接せれたのだろうか。
事前に探偵サントノーレから聞けばイルはその肩口から腕へとかかる傷は深く、けがを負った当日など泣き言を漏らしていた程だというが、今はそんな素振りも露ほどに感じられない。
お土産が美味しいだとか、あの店のクッキーが好きだとか、このぬいぐるみ可愛いだろうだとか、他愛もないそんな会話。
怪我の事も、父母の事も触れぬ様に饒舌なイルはスティアの心情を慮るように言葉を探す。
騎士として、天義の騎士として。
――正義を遂行するならば母を殺せというのだろうか。
――正義を遂行するならば不俱戴天の敵を滅せというのだろうか。
彼女は『天義の正義』を抱かない。だからこそ、等身大の少女として笑って、言う。
「ふふ、怪我しているからと休暇を貰ってたんだ。それで、暇で暇で。
本も読み飽きたし、家でずっと寝ているのもつまらないだろう?
だけど、スティアが来てくれて助かった。危うく家を抜け出すところだったんだ」
「そ、それは危ないと思うな……?
抜け出して危ない人と出会ったり、上司とばったりしたら……!
怒られちゃうかもしれないよ? それに、今は色々と情勢も不安定だしね」
「怒られるのは大変だ。そうだな、逃亡しなくてよかった!」
顔を見合わせて、くすくすと笑い合う。
ただのスティアとして、イルとして。
「イルちゃん」
「ん?」
「――ありがとう」
生きて欲しい、と言ってくれて。
友人と、言ってくれて。
「私、頑張ってみるね」
もうちょっとだけ、背伸びするようにして。
母は、きっとまた――会う事になるだろう。
スティアの決意の瞳に、イルは擽ったそうに、只、くすくすと笑った。
「うん。応援しているし、何度だって言うよ。私は莫迦で子供だから。
簡単に、友人だって思ってしまうし、簡単に飛び込んでしまう。悪い癖だってよく言われる。
けど、君に生きててほしいんだ。私は、君の友人だから」