PandoraPartyProject

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惡密を溶かす

登場人物一覧

ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)
咲き誇る菫、友に抱かれ
ヴァイオレット・ホロウウォーカーの関係者
→ イラスト

「ひひひ……随分とまあ酷い目をした娘ですねぇ」

 ある日突然、彼女は現れた。唐突に現れ、彷徨う詩織へ声を掛けた。誰にも会わぬよう、誰にも見つからぬよう、誰をも見てしまわぬようにしていたのに。
 人と会うのは怖かった。また殺してしまうかもしれないから。
 人に見つかるのは怖かった。己の"悪"を否応にでも自覚させられるから。
 人を見てしまうのは怖かった。簡単に殺される死ねる体を羨ましいと思う自分がいることに気付いてしまうから。
 だから最初に声を掛けられた時も当然のように逃げるつもりだった。顔を見ぬように、顔を見られぬようにして。

「"同類"の気配がしたと思って来てみれば……」
 同類。今この人はそう言ったか。思わず立ち止まり振り返る。笑みを含んだ嘲るような口調、そんなものは気にならない。
 誰と誰が? この人と、私が? まさか。何を言っているのだろう。伏せた顔を上げ、その人を見る。
 そして、その瞬間に理解した。

 ──嗚呼。私だけじゃなかったんだ。

 金の瞳。黒い結膜。邪悪な『眼』。一目で分かるこの世ならざるもの。紛れもない、想像すらしていなかった"同類"。
 まさか、私以外にいたなんて。どうしてこんなところに。どうして私に声をかけたの。何のために。何をするつもりで。少女の脳裏に疑問が駆け巡る。
 否。真に迫るのは疑問ではなく、忘れようとしていた微かな希望。自分では死ねなくても、彼女なら。人ではない、己と同じ存在である彼女なら……私を殺してくれるのではないか・・・・・・・・・・・・・・
 驚愕に見開かれた瞳に一抹の光が差す。半開きの口は震え、無意識に半歩距離を詰める。

「お姉さん。私を……私を、殺してくれませんか」
 過ぎった筈の疑問は疾うに彼方、貴女にしか頼めないのだと掠れた懇願が漏れる。
 お願い、お願いします。私が生きていると他の人に迷惑をかけてしまう。人を傷付けて、踏み躙って、殺してしまう。そんなのは嫌。もう嫌。そんなことをしてしまう自分が許せない。せずにはいられない自分という存在に耐えられない。もう消えてしまいたい。一人では死ねなかったけれど、貴女なら。これ以上私が誰かに迷惑をかける前に。だから、どうか、どうか。
 私をころして。
 乞うように縋るように迫る少女の目に、湛えていた笑みが消えるさまが映る。
「……興が削がれちゃいましたねえ。死ぬことが他人のため、だなんて。そんな娘をどうにかしても、面白くもなんともありません」
 嘆息。つまらなそうな声。──駄目だった。この人も私を殺してはくれないのか。
 勝手に見つけた希望が潰えたことに勝手に絶望し、それならと返された踵にしかし思ってもないなかった声がかかる。
「着いてきます?」
 ──そのまま獣に堕ちたいなら、無理にとは言いませんけど。



 迷いながらも着いていった少女詩織が通されたのはごく普通の家だった。カレンダーには前月の破り跡、部屋の端には何かの冊子やバインダーが入った鞄。床には着替えが脱ぎ散らかされている。
 "同類"としては考えられないほど生活感のある住まい。不思議そうに見上げる少女を「まあ落ち着いてください」となだめ、皺の寄ったシーツのかかるベッドへ腰かけるよう勧める。
「わたくしは蓬莱。まあ、お好きに呼んでください」
「ぁ……」
 手を差し伸べられたわけでもない。ただ名を告げられただけ。ただそれだけだったのに、己の名をここで告げ返して良いのかと迷う程度には、少女は"人"というものに怯えていた。
「別に、あなたの名前なぞ重要とは思ってませんけどね」
 呼び名がないと不便でしょう。部屋に一つだけ置かれた椅子で足を組んだ彼女蓬莱が言う。
「それで、どうしてあんなところに?」
 無理に聞きたいとは思わないけれど、着いてきたのなら話せるでしょう、と。

 震える唇を噛む。私の悪を教えることが怖い。私の悪を知られることが怖い。けれど、でも……きっとこの人は私と"同じ"だ。漸く名を告げた少女がぽつりぽつりと語り出す。
 両親に愛されて育ったこと。仲の良い友達がいたこと。段々悪い子になっている自分に気が付いてしまったこと。誘拐犯を殺して友達を壊してしまったこと。住み慣れた街を捨て放浪を繰り返していたこと。一人で死のうとしたこと。死ねなかったこと。善い人までもを殺してしまったこと。誰かを傷付けなければ飢えてしまうこと。そんな自分が嫌でたまらないこと。恐ろしくてたまらないこと。逃げて逃げて逃げて、今も飢えから逃げていること。
 まとまりもなく、嗚咽の混じる話は決して聞きやすいとは言えなかったけれど。言葉のなくなった少女に、静かに聞いていた部屋の主は細めた目を一度閉じる。
「知ってます? わたくし達のようなハーフは大勢いるんですよ」
 金の瞳を見せて、次に出た言葉には皮肉な笑みが乗っていた。

 わたくし達のような、人間と"かの邪神"とのハーフはこの世界に大勢いるのです。それはもう、腐るほど。
「かの神性は、本来善だの悪だの……人間が身勝手に定義付けるような倫理など持ちえないのですがね」
 それでも人間というものは、知らぬものを知らぬままにはしておけないもの。それ故に人は、ハーフは、『人間なりに』それを解釈してしまったのでしょう。
「ですから、"かの邪神"が混じった子らハーフ達はすべからく『人間としての悪性、欲望が増大している』のです」
 あなたも、わたくしもね。
「身勝手に悪を解釈し、身勝手に悪を増大させたのだから、悪に呑まれるのもまた人の身勝手というもの」
 大抵のハーフは勝手に膨張させた悪性に勝手に呑まれ、人に害成す畜生になり果てるのですよ。
「まあ、わたくしの生活はそうした外道で成り立っているんですけどね」
 ひひ、愉しいですよ。畜生から地位や金品を搾取して、利用して、時に殺して。畜生に堕ちた癖に、殺される側になると分かった途端に青ざめる様を眺めるのは。

 冗談めかすように嗤う姿は、嗚呼。確かに"同類"なのだ。認めたくはないけれど。同じことをしたいとは思えないけれど。決して思ってはいけないけれど。
「分かっているのでしょう?」
 そうでもしないと、わたくし達の"中の悪性"は満足してくれないのだから。
「あなただって」
 わたくし達の体が飢えることはなくとも、心の、精神の飢餓は抑えようとして抑えられるものではないのだから。
「そうせずにはいられない」
 半月を描いた唇が近付く。白魚のような指先が頬を撫でる。金の瞳がうっそりと嗤う。固まる体とは裏腹に、喉がこくりと鳴った。

 悪人なら。私達と同じ存在なら。もしかして、私の飢えを──否。違う。違う、違う、違う違う違う。それは、違う。駄目だ。そんなことをしてはだめ。
 例え悪い人だとしても、他の誰かを殺すくらいなら。そんな悪い子になるくらいなら、これ以上悪い子になってしまうなら。
「……私を、殺してください」
 私の願いは変わらない。



「随分と……頑固な娘ですねえ」
 良いでしょう、それならば見せて差し上げます。そう連れ出されたのは街の中。
「世の中には、"死んだ方が人の為になる"人間も存在するんですよ」

 河原を歩くのは白杖をついた老爺。向かいを歩く少年達に足を引っかけられ転んでいる。
「あの少年達は万引きや虐めを繰り返し同級生を死に追いやった屑ですが、あの老爺は年金と障害者手当をそれがなければ生きられない他人の分まで不正に受給する屑です」

 仲睦まじく歩く若い男女。ネオンの街に相応しいキラキラとした服が似合うお洒落な二人組。
「あちらの男は既婚者。妻の稼いだ金を賭け事に注ぎ込み、借金まで背負わせては多少の儲けを不倫相手に貢ぐ屑です」
「隣の女は不倫相手。結婚詐欺を繰り返しては被害者面し、せしめた慰謝料でホストに貢ぐ屑ですね」
 電話に出た男の口が「愛しているよ」と動き、電話を切った瞬間笑うように歪んだ。

 料亭から出て車に乗らんとする身なりの良い紳士。落ち着いた佇まいの店は高級感を漂わせ、黒塗りの車は外車のように見える。
「あの男は政治家です。賄賂、人質、脅迫、殺人まで手段を選ばず政敵を追い落として大臣まで上り詰め、企業や暴力団と手を組んで国税を使い込む屑で、中で談合をしていた相手はこの街に根付く不動産の社長でしょう」
「社長の方は度を越した性犯罪者。自社や関連会社の社員の娘を食い物にしている屑です。もう何人も中絶や自殺にまで追い込み、明るみになる前にあの大臣や記者らに賄賂を贈っては揉み消しています」
 ややあってから出てきたまた別の紳士へ、影から走ってきた誰かが刃物を突き立てようとし、届く前に周囲を固める黒服に取り押さえられる。「人殺し! お前のせいで娘は!」そう叫ぶ誰かを"紳士"は蔑むように見下ろして、何も言わずに車に乗り込んだ。

 公園で遊ぶ子供達。後からやってきた一人の子供を指さして笑い、鼻を摘まんで笑い、泥を投げて追い払う。「近寄んなよ!」「臭いのが移るじゃん~!」「ガイジン!」「ママがガイジンに近付いちゃダメって言ってたんだから」「こっち来んなよ!」
 公園に子供達の楽しそうな笑い声が響く中、服に泥を付けた子供が一人逃げるように走り去っていった。
「こちらは……言うまでもありませんね。子供だろうと屑は屑です」

 立ち竦む少女の耳へ、悪魔が甘く囁きかける。
「人間なんて屑ばかりだったでしょう。そんな奴らを慮って、自分が損をする方が馬鹿らしい……そうは思いません?」
 街に、世に蔓延る腐敗、不和、姦淫、堕落、差別。酷い、酷い悪夢を見ている気分だった。
 あんなにも悪い子になりたくないと願っていたのに、悪い子にならないよう律していたのに。街にはこんなにも悪い子が、悪い人が沢山いて。全部全部悪いことなのに。私はこんなに頑張って耐えているのに。我慢しているのに。どうして私ばっかり我慢しなくちゃいけないの? それなら、いっそ私が。
 ──嗚呼、お腹が空いた。
「ひっひっひ……あなたの飢えを満たすには丁度良い相手だったでしょう?」
「……っ!」
 ちがう。違う、違う、違う。駄目。呑まれてはだめ。いけないことなんだから。誰が悪い子でも、私は悪い子にはならない、なりたくない。だってまた、もしまた怯えた目で見られたら。心を壊してしまったら。もうずっと会っていない友達の、最後の表情が脳裏をよぎる。
 小さな拳を握り締め、唇を固く結んだまま少女は首を振る。
 私にはできない。悪い子には……なりたくない。

「はあ……頑固というか、強情というか。では、次で最後です。この家を夜に訪ねてみてください」
 嫌だった。気は進まなかった。人の嫌なところなんて、悪い人なんて見たくなかった。けれど、今の自分は彼女蓬莱の家に置いてもらっている身。何より"同類"たる彼女は少女の飢えを満たそうと勧めてくれている……その筈なのだ。
 夜中、少女は一人、その家へ忍び込んだ。



「ふざけんな! お前さえいなけりゃなあ!」
 目にしたものは暴力。殴られている子供と、殴っている大人。
「お前さえいなけりゃ! 今頃! 分かってんのかテメエ! 今まで生かしてやってたのによお! 恩を仇で返しやがって! ああ!?」
「ごめ、なさ……ごめん、さ……」
 部屋に鈍い音が響き続ける。握り締められた拳は何度も何度も振り下ろされる。その度に転がる小さな影は殴られ、蹴られ、床は血と涙で汚れていた。
(な、に……これ……。なんで、こんな、殴られて……)
 どうして。この子はそんなに悪いことをしたの。ただ泣いて謝っているだけのこの子が? とても……とても、そんな風には見えないのに。
 狼狽える詩織にも気付かぬほど、男は暴力を振るい続け。それだけでは気が収まらないのか、とうとうゴルフクラブまでもを持ち出した。
「ざけやがって! どんだけ俺に恥をかかせりゃ気が済むんだ! ゴミが! お前が生きてんのは誰のお陰だと思ってやがる!」
 鈍い音が硬くなる。高くなる。鳴り響く。床はますます血に染まり、子供からは謝罪の声すら聞こえなくなった。

 衝撃だった。黙って見ているしかできない詩織をよそにエスカレートする暴行に、やがて少女の中に言い知れぬ感情が育ち始める。過ぎった筈の友達の顔が、遠く掠れて。
 嗚呼、ダメだ。これは、私は──。

 鮮血があがる。少女が、倒れ伏す子供が真っ赤に染まる。血が家具を、床を濡らし、男だった欠片が血の海に落ちた。
 こと切れた男だったものと息も絶え絶えな子供が、交互に少女の瞳に映る。殆ど無意識に通報した少女は、呆然としたままその場を後にした。



 雨が降っていた。強く、強く、打ち付けるように。
 遠くでサイレンの音が鳴っている。赤く染まった服が見つからないように曲がった路地裏で、蓬莱が立っていた。
「だから言ったでしょう? 人間なんて碌なものじゃありませんって」
 皮肉るような笑み。半月の唇。
「"誰かが誰かを傷付ける様を安全圏で見ていること"、"後ろめたさのない殺人"。心地よかったでしょう?」
 甘い問いかけ。認めてしまえと、受け入れてしまえと、そう言っている。

 ──否定はできなかった。
 心地よかった。気持ち良かった。啜り泣く声と肉を断つ感触。消えた飢餓感。図星を突かれたようだった。
 けれど、それでもなお。後ろめたくないとは言えなかった。どれほど酷いことをしている人でも、悪い人でも。少女の罪悪感は拭いきれなかった。
 どうして殺してしまったの。どうして心地良さなんて感じるの。殺して当然だなんて思ってしまう自分がいるなんて。泣き声に聞き入ってしまうなんて。ごめんなさい、ごめんなさい。悪い子で、ごめんなさい。
 どうしたら良いのか、少女にはもう分からなかった。

 勝手に零れ落ちる涙に蓬莱は肩を竦める。
「……あなたみたいな娘は初めてですよ」
 少女の手を引きながら零れた言葉。今の詩織には、その真意を汲み取ることは──できなかった。
 激しいほどの雨音に負けじとサイレンが鳴り響く中、二人の影は路地裏へと消えて行った。

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