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もっていかれた
登場人物一覧
少女としての自覚は無かった。だが。今では自らの有無すらも、この者としての『位置』も理解出来ない。判断出来ない。病的なまでに降り注ぐ赤色の暴力が、渦を描いて脳髄に差し、刺し貫かれる混濁――嘲笑うかのように停滞する炎の目玉が、この者としての気力を奪っていくのだ。一種の恍惚とした渇きと餓えが毛と皮を通して伝達する。感染するかのような眩暈が、じんわりと体内を蝕んで――不運なのは仕方が無いと笑っても、貌が映るのは空中だけだ。可笑しい。この者の表情はこんなにも幸せそうなのだろうか。いや。有り得ない。これは誰かに鏡を貸してもらわなければならない。ありがとう。綺麗な硝子だ。其処に晒されたのは確かに痩せ細ったこの者だ。もしかしたらこの物かもしれない。これから養分(もの)に成って牙を剥くサボテンに猫鍋にされるのだから。グツグツと煮え滾った鍋の中に削がれて注がれたっぷりと塩分が――落ち着こう。この者は正気を保たねば成らない。自分を忘れてしまったら、其処で終いなのだ。幾等ぼうっとしていても、自分の輪郭(かたち)までぼうっと弾けたらどうしようもない。足元が不安定なのは飛行しているからだ。もしやこの者は鳥だったのか。兎は一羽と数えるらしい。ならばこの者が……砂漠で飛ぶものなど太陽の他に在るだろうか。ああ。暗い。まさか、天が此処まで暗色だとは想像出来なかった。この者に向かう道は無い。ただ、天蓋へと吸い込まれるだけ――見てほしい。視てほしい。観てほしい。この者の顔を剥ぎ取る貌無しだ。愉快そうに戯れるのは笛を持った獣の群れに違いない。形容し難いなんて君達は驚くが、この者には愉しそうな詩人達にみえる。どぐどぐと鼓動する地面は虚空以上に知れない『味』だ。ざらざらとした舌が絡まって融けて再度構成される。まるでこの者の魂だろう。今、幸福の絶頂に居るのは不適合の仕業だ。たまらなくハンマーが愛おしい打撃音……ごほん。咳払いが聞こえた。転がされた太陽が遂に落っこちて、この者の下に現れたのだ。其処から生える四肢が、ぐねぐねと砂の園を掻き集める。全く忙しない。攫ってくれるならば浚ってくれれば――君。君だよ。この者を上からも右からも左からも覗いている、君。君の色は何だい。この者は知っているさ。君は。ほら。七色の万華鏡だろう。とても不愉快な逃げる液体金属だ。魔種に食べられないように走っている。巨大な茸の森が異常な眼差しでこの者のにくきゅうを狙って。其処は不意に触られたくない。触られたら気まで触れてしまう。もうそろそろ出て往ってくれないか……嬉しい出来事。綺麗な羽を持った蠅に出会えた。ゼリー状の胴体と蜜を放出する頭程度の羽虫。この者は不運だがこれで悪運は強い事が証明され。うん。其処等の水よりも美味しい。誰だってこんな癒しが在れば貪り尽くすだろう。憑かれた心地で咽喉を潤す。この者は――導かれた。世界で一番綺麗で美味しいものの為に、星々が迷わせた。また一個神秘的な宝が証明されたのだ。ぶんぶんと蔓延る愛らしさに乾杯を。水分は彼等なのだが……不意に停滞した音色、深い深い穴が広がった。階段も何もない、されど人工物とも思える空間(やみ)が佇んで在る。抗う術はきっとない。這入り込めば。歩みを止めなければ。歓喜と寒気に辿り着ける筈だ。ずしりとのしかかる圧は、簡単に死に絶えるこの者への罰。違う。舞い降りる人間種達の喇叭だ。星の数は処刑された人数だ。追放された魂が帰ってくる前兆。全長は幾つだろう。この者でもあの者でも姉でも兄でも母でも父でも。誰にだってわからない。だから階段は要らなかった。脳天から墜落すれば万々歳なのだから――穴。左右逆さの壁が、狭まり広まり踊りくねる。真っ赤な顔した呼び声が、この者の反対を映し出している。気の所為だ。此処には反転なんていう、ハッキリとした悪夢など存在しない。この者を取り囲む現実だけだ。だから猫は毒薬被っても嗤っていられる。この者はさっき死んだのだ。楽に成れた。喜ばしい。嬉しい。総てが焔から棺桶に変わった時、それが渡りの結――この者は何処にも居ない。だったら此処に居るのはこの者か。いいや。この物は抜け殻。からからに成った肉体を破棄して、群がる砂に紛れ込むのだ。腐る腐る腐る、苦が去る。手繰られた『もの』は振り回される。乱れ、揺さぶられる。あぁ、呪いの結果だけでも視ておこう。こいつは問う難だ。この者の内臓が個々で動き出して堕されて、傍らで見守る『物』――ぐるぅり。素敵な月(ツキ)。
何時間が経った。何日が経った。何年か。何『生』か――自覚が生まれた。総ては幻覚だったのだ。視界に飛び込んだ緑。後頭部に伝わる柔らかくも硬くもない、枕のような。反応を伺う声。如何やら助かったらしい。髭面のおっさんが息を吐いた。生温い水を一口……ごそごそ。
あ……お財布持っていかれてるやつだなこれ。