PandoraPartyProject

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祈る者

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グドルフ・ボイデル(p3p000694)


 純白の国――聖教国ネメシスの穏やかな秋の日。
 庭の葉はその色を深い茶に変え、はらりはらりと土へと落ちる。

「あら、此処にいたのですね。カテリーナが探していましたよ。買い物に行きたいのに貴方が見つからないのだと」
 庭で一際大きな木の下。腰を下ろし幹にもたれ掛かって本を読む黒髪の青年に、桃色の髪の女が声をかける。どちらも身に纏うのは黒のカソックと修道服で、二人が神に仕える存在なのだと見て取れる。
「全く、私ではなくリゴールを連れて行くとよいというのに……」
 あと少し読み進めたいのです、と女に掲げた本は神聖なる経典。信仰の国であるこの地において、経典を読みたいという願いより優先される用事など、それこそ迷える市井の人々が訪れた時くらいで――
「だめですよ。リゴールは今、懺悔を聞いていますから」
 だから、と白い指先が経典を閉じるものだから、青年は観念して顔を上げる。
「……分かりましたよ、先生」
「はい、よろしい。お願いしますね『   』」
 女が呼ぶ声は、一瞬の風に掻き消えて。
 靡く金糸は、穏やかな午後の日の下で仄かに桃色を帯びていた。
「風が」
 そう手を伸ばした青年は――その手を寸前で引くと、カソックへとついた草を払う。
 すごい風でしたね、と穏やかに笑う女のその表情は、まるで今の季節にはあり得ない春の陽光のようだ、と青年は思う。
 小走りで駆けてくる黒髪の少女と、今も信徒の声を聴き聖職者の道を歩まんとする親友と、傍らに立つ『先生』。
 信仰と、希望と、愛と。
 両手を伸ばせば全てを包めるだろうか――なんて思えるほどの幸福と希望が、青年にとっての愛しい日々だった。


 穏やかな日々の中、青年は一つの噂を耳にする。
 青年の勤める教会には祈りを捧げるだけでなく、もっと気さくに日々の世間話をする程度の人々も集まっており――どうにも最近、それまであまり耳にしなかった教会の名を聞くのだ。
「それで、フィルリムの教会では本当にそんな事が……」
「本当かしら、それならうちの子の虚弱な身体も治るのかしら……!?」
 フィルリム――隣町であるその地の教会とは、青年自身も幾度か交流会で面識がある。
 司祭は――小太りで吊り目の初老の男だった、程度の記憶にすぎない。
 そのフィルリムの名を、やけに最近耳にするのだ。それに加え、耳に入るのは「効果」「値段」「購入」といった不穏な単語で――青年は長椅子に腰掛ける婦人の横へと腰を下ろすと、あくまで世間話だというように彼女達へと話しかける。
「最近フィルリムの名をよく聞くのですが、何か善き知らせでもあるのですか?」
 穏やかな青年に、婦人は口ごもり顔を見合わせる。
「……司祭様がねぇ。魔を遠ざけるとか病を治癒するだとかで、ロザリオやアンクレットを売っているんですって」
「司祭が?」
 聞き返せば、彼女達も又聞きだと前置いて説明をはじめる。
 ひと月ほど前から司祭が信者に「敬虔な貴方だけに」と売り始めたアクセサリーは、魔や病を払いのけるのだという。
 その効果は絶大な様子で、徐々に信者やその噂を聞き付けた者たちに広まっているのだと。
「私達も、気になるのが正直なんですけど……とても手が出る金額ではなくて」
「お幾らなんでしょう?」
 この位ね――そう夫人が告げた額は、この国の収入水準から見ればひどく高額で。
 青年は平静を務め、婦人たちの手を取る。
「物に頼らずとも、祈りを捧げてください。その姿勢こそ、神が見てくださるのですから」
 そう告げると――ふ、と目を伏せるのだった。

 翌日、青年はひとりフィルリムの街へとやってきた。
 カソックではなく、シンプルなシャツとパンツを身に纏い、ロザリオもシャツの中に隠して。
(何故だろうか、嫌な予感がする……)
 聖職者の装いを捨てた彼が、どう教会に飛び込もうかと広場で思案していれば――ロザリオを太陽に掲げ祈りを捧げる老婆が目に入る。
「あの、不躾で申し訳ございません。そのロザリオは、まさか……」
 慌てて駆け寄る青年に一瞬目を丸くした老婆は、ふ、と微笑んで。
「そうさねぇ、これは教会の司祭さんから買わせて頂いた特別なロザリオなのさぁ」
 老婆はこのロザリオがいかに貴重か、どれだけ身体が軽いか――とからからと少女のように語っている。
(それだけ力がある物――? いえ、この『感じなさ』は)
「失礼、私も噂を聞きつけ此処へやってきたのです。もしご無礼でなければ、一度触れさせて頂いても――?」
「あぁ、いいよぉ。お兄さんも一度触れれば、この力を解る筈さ」
 青年は一礼をし、跪きロザリオへと触れる。
(これは――)
「どうだい、お兄さん。すごい力だろう?」
 老婆の純真な笑顔に、どんな顔をすればよいのか。
 青年の先生――シスター・カミラの『祈り』が施されたアイテムに幾度と無く触れてきた青年だからこそ解る。

 これは――何の効力もない、偽物なのだと。


(……どうする。私に何が出来るのだ)
 真実を知った青年は、自室のベッドで天井を仰ぐ。
 老婆と会った後も何人かの購入者と会話をしたが、皆一様に「買ってよかった」と笑顔で。
 本当に効果があるのでしょうか、と口を滑らせた時の相手の男の目は、酷く刺々しかった。
 思い込みの効果か――それで幸せならば、その嘘を白日の元に晒そうとする私の葛藤こそが不正義なのか。
 ぎり、と歯を食い縛らせる。
「先生」
 窓の外から讃美歌が聞こえる。その歌声の主に、青年は子供のように問いかける。
「我等聖職者は、神の教えと愛を広く説くべきなのではないですか」
 なのに、どうして。
 そんな聖職者が、私利私欲に走るのか。

 青年は目を伏せる。
 聞こえてくる讃美歌に――青年は小さく、声を重ねた。

 それから数日。
 葛藤を抱えたままの青年の元へ、数人の若者が訪れた。
 異世界よりの旅人――イレギュラーズだと名乗る彼等が青年に聞いたのは「フィルリムの噂」のこと。
 青年はただ小さく、それでいて強く告げる。
 あれは偽物です、と。
 その答えに大きく頷いたイレギュラーズは――あとは任せてください、と去っていった。


 しんと冷え切った朝の空気に呼吸をひとつ。それだけで、否が応でも意識はしっかりと覚醒して。
 箒を片手に庭を掃除すれば、集まる落葉の量とかじかむ指先が冬の訪れを予感させる。
 すぅ、と気管を通り灰に満ちるこの冷たい痛みを心地好いと思えるようになったのは、何時からだっただろうか。
 朝ですよ、と柔らかな陽光を感じる声に起こされ、温かなスープを囲み――

「おはようございます、新聞のお届けです!」
 
 温かな思案は、快活な少年の声に遮られる。
 少年の手から新聞を受け取った青年は、配達で走り回り頬を上気させた少年に優しく微笑み乱れた襟巻をそっと直す。
「ありがとうございます。もう朝は冷え込みますから、貴方も暖かくしておくのですよ」
「はい、神父様方も御体には気をつけて!」
 駆けていく少年の背を見送り、ひとまず新聞を玄関先にでも置いておくかとふと手元を見やれば――目に入ったのは、一人の司祭が不正により騎士団に捕えられたという記事。
 捕えられたのは、青年が不正を掴んだあの司祭。
 箒を脇に挟み記事を読み進めれば、先日聞き込みに来た若者――イレギュラーズ達があのロザリオが何の効力も無い偽物だと見抜き、騎士団と共に司祭を捕らえたのだという。
(そうですか……解決したのですね。嗚呼、よかった)
 冷え切った肺に、ゆるゆると温かさが沁み渡る。

 悪事には報いが。善き人には祝福が。
 それこそが、神が私達を善く見守っている証に他ならないのだから。
 青年はロザリオを握ると、神への感謝を呟く。

「神よ、感謝致します――」

 深く穏やかな声は、清浄たる都の朝の空気に溶ける。
 それは、遠い日の祈りだった。
 
 ――祈りを捧げる青年の名は、アラン・スミシー。
 彼にとっては、運命を、力を掴んだ者など自分の世界と隔たれた先の『そういうもの』にしか過ぎず。
 紙面で解決を知る事件に傍観者として肩を撫で下ろすことはあれど、それを自分の力で解決する力を持ち合わせてはいない。

 だから、そう。
 酒の味も、女の身体も、人を斬る感触など知らぬ彼が、この先の人生でそれらを知ることだって、あの遠い空中神殿に呼ばれることだって――かかっ、と豪快に笑う海賊とも、手癖の悪い小さな盗賊とも出会うことだって、一片の想像すら出来るはずもなく。

 純白の聖教国にて神に祈りを捧げる青年と、一人の傭兵が出会う未来は遥か遠く。
 そうして青年がその傭兵の名――グドルフ・ボイデルを『受け継ぐ』ことになるのは――まだ、ずっと先の話。

  • 祈る者完了
  • NM名飯酒盃おさけ
  • 種別SS
  • 納品日2021年11月15日
  • ・グドルフ・ボイデル(p3p000694
    ※ おまけSS『掴む者』付き

おまけSS『掴む者』

 その日、山賊――グドルフ・ボイデルは一文無しだった。
「アァー! 今日は七番がクると思ったんだがなぁ。あの騎手がよぉ、おれさまが乗った方がよっぽど早かったんじゃねぇか?」
 手元にあるのは、金にもならない外れロバ券。
 適当に稼げる賊の退治でもないか――とギルド・ローレットにずかずかと足を踏み入れれば――大変なのです、と情報屋の少女が飛び込んできた。
「おぉ、なんだ嬢ちゃん。割のいい仕事ならおれさまに回せや」
 割がいいかは判らないですけど――と情報屋が提示したのは、天義で司祭が不正を行っている証拠を暴いてほしいとの依頼。
 山賊はそれを何の感傷も感じさせない目で一瞥すると、歯抜けの口を大きく開けて依頼書をふんだくった。

「ハッ、こんなもんこのおれ――グドルフ・ボイデル様にかかれば楽勝ってもんよ!」

 ――運命に選ばれた青年は、もう祈るだけの者ではない。
 強欲な山賊は、全てをこの手で掴み取るのだから。

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