PandoraPartyProject

SS詳細

猫の瞳は時に鋭く、時に甘く

登場人物一覧

ニア・ルヴァリエ(p3p004394)
太陽の隣

 何かを背にして立ち続けることは眼前の敵をただ倒すよりもずっと難しい。しかし、それに気付けた者の刃は迷わない。
「こっちだよ!」
 小柄な少女の姿をした風が起こす銀色の軌跡が対峙した男の精神を揺さぶり、空白を生み出した。不思議な程に痛みは無い。だというのに、ふつふつと湧き上がるのは彼女から目を離せなくなるような害意、悪意、殺意。飲み込まれた感情のままに振り下ろす得物は何者をも捉えることはない。
 憤怒に踊らされる男と風に踊る獣種の少女。勝敗は明白で、気配も音も無く迫るしなやかな蹴りに男の意識は一瞬で闇へと落ちた。
「なぁんだ。護衛付きのキャラバン隊を狙うくらいだから相当の手練だろうと思ったのに……この程度かい?」
 次々と現れる野盗風情の男達を少女の纏った風が、唄うような声が煽る、煽る。砂漠の太陽よりもギラギラと野蛮な瞳が突き刺さるのもお構いなしに、彼女は笑って誘う。アンタの獲物はここにいる、と。
 雄叫びをあげて迫る何本もの湾刀。それを短剣で往なし、留守になった足下を払う。次に、開けた視界を覆う程の大剣を小ぶりな盾ひとつで受け止めた少女は衝撃を発条のように柔軟な手足に溜め、そして一気に解き放った。
 威力をそっくり借りた反撃。弾かれた男は驚愕を隠せず2歩3歩とたたらを踏む。再び構えた時には遅い。勢いを殺さず素早く反転攻勢に出た彼女にはもう追い付けない。
 あっさりと膝を着かされた男は集団の中ではそれなりの実力者だったらしく、困惑が伝われば統率も鈍る。逆に、奇襲に対して僅かに動揺していた隊商はその隙に陣形を整えた。
「さあ、尻尾を巻くなら今のうちさ! 一匹たりとも逃がしてなんかやらないけどね!」


 幻想と交易するラサ商人達の護衛。特異運命座標として依頼を受け、国境付近で襲撃者共を返り討ちにしたニア・ルヴァリエは今、水辺に足を浸していた。事前情報があったおかげで迎撃自体は難しくなかったがみな砂埃に塗れに塗れたため、商談前の身支度も含めて幻想領内に入ったところで最後の休息を取ることになったのだ。
 水面に映る薄汚れた姿を見て思うのは『これくらいなら別に気にしないのにな』だった。女の子だから、と先を譲ってくれた善意の声を反芻し、いつか親友に指摘された『自身への無頓着さ』に思い至る。過去への反動——ふっと頭の端に掠めたそれは土汚れと共に水へ流し、ニアは裾を叩いて踵を返した。


 襲撃者の身柄を添えた報告書をローレットに提出した足は、ふらりと帰路から店の立ち並ぶ賑やかな通りに逸れる。
 いつだって探し物は見つけようとすればするほど行方を晦ますもので、大抵の人が無意識に持ち合わせる『趣味嗜好』を改めて探すとなれば自ずと難易度も高くなる。結果は推して知るべし。
 今日も今日とて特に決まった目的地の無い、所謂ウィンドウショッピングだ。
「私、ここのトリュフ大好きなんだけどお高いから滅多に食べられなくってさー」
「試験的な屋台って言ってたな。この辺りに姉妹店でも出すのか?」
 すれ違った男女から、ふわり、と溢れた甘く香ばしい匂いと会話の内容に興味を持ったニアは彼らが来た道を遡っていく。
 すんすんと鼻を鳴らしながら辿り着いたのはごく普通の広場だった。まだ暑さを残す時分であればはしゃぐ子供達の姿があったであろう中央の噴水も、傾き始めた陽の色に染まる今は枯れ葉がひとつふたつと泳ぐのみ。屋台がいくつか出ている以外には寂しげな空気すらあるそこに、例の香りの正体があった。
 屋台の側の幟旗にはニアでも一度は耳にしたことのある有名ショコラトリーの店名。貴族御用達とまではいかないが、こんな場所に店を構えるほど庶民的なお値段ではなかったはずだ。
「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ、お客様」
 落ち着いた服装、声、笑顔、仕種、と何処をとっても評判に偽りなしな店員に差し出された小さな冊子の手触りの良さにも驚きつつ、覗き込んだニアは心の中で頷いた。
 カスタード、ストロベリー、バナナ——お行儀良く並んだフレーバー達の一番上で輝く『クレープ』の文字。なるほど、これならば食べ歩きやすく気軽で手頃なデザートだ。横に添えられた数字も新しい顧客を得るためのお試し価格といったところか。
「どれも当店自慢のショコラを使用しておりまして、ご希望があればトッピングの追加やビターチョコに変更して甘さを抑えることも可能ですよ」
 熱心に眺めるニアが迷っていると思ったのか、店員がそっと付け加えてくれた。その柔軟性は有名店故の余裕か、はたまた立地と客層に合わせた仕掛けなのか。どちらにしろ選べるということは良いことだ。
「……この、ダブルクリームトリュフ、ひとつで」
 まずはフルーツなどは使わないスタンダード、それから女性が口にしていたあれと、クリームを増やしたのは疲れたから甘さが欲しくて——と少々慌ただしい胸の内はさておき注文を済ませたニア。
 畏まりました、と微笑んだ店員の手際は鮮やかなものだった。くるり、くるり、とパレットナイフが薄く焼けた生地を器用に返し、雪のように真っ白なホイップクリームとつやつやのカスタードクリームが盛られていくのに目を、漂う香りに心を奪われながらも大事な質問は忘れない。
「ここは期間限定だって聞いたけど、いつまでいるんだい?」
「そうですね、ひと月程度でしょうか。……お待たせいたしました」
 そんな雑談を交わしながら店員は完成した菓子を店のロゴが入った紙に包んで差し出す。礼と共にお代丁度の硬貨を屋台のカウンターに置くと、ニアは見た目よりもずっしりと詰まった重みを両手で支えて受け取った。
 さて、と広場の隅のベンチに腰掛け、手の中の戦利品を観察し始める。すれ違いざまの香りはこのクレープ生地に違いない。たっぷりのクリームの天辺に塗してある削ったチョコと相まって食欲を——きゅるるる、と耐え切れず鳴いたお腹の音は正直だった。見た目の可愛らしさよりも空腹が勝ってしまったらしい。
「う、動いたらおなかが減るのは当然だしね……」
 誰にともなく言い訳をしてみるくらいには複雑な心地になりつつクレープの端をひと口齧ったニアは、声にならない声を漏らすことになる。
 ふわふわと雲のようなホイップクリームは舌で溶けたのか、はたまた舌が溶けたのか。するりと口内を滑り落ちていく。ほんのり温かい生地は想像よりもっちりとした食感で、噛む度に甘みが生まれた。
 急ぎ、ふた口目。カスタードのなめらかさが加わった。豊かなバニラが鼻を抜けるが甘さは控えめ。スライスアーモンドの隠し味が効いている。
 もうひと口。苦味のあるチョコレートソースでぐっと引き締まり、飽きさせない。次への期待が止まらない。
 4口目にして到達した表層部の奥、アーモンドよりもカリッとした感触。小気味好い硬さを歯で崩せばほろりと解けて広がる微かな洋酒。小粒なトリュフにぎゅっと凝縮された深さに包まれ、まるでショコラトリーを訪れたよう。ニアも思わず顔が綻んだ。

 そうしてすっかりクレープがお腹の中に消えても覚めない夢見心地に浸っていると、幼い子供の泣き声が広場中に響いた。
 火の付いたように泣き叫ぶ女の子がいるのはあのクレープ屋の店先。その足元でべちゃりと潰れた菓子の無惨な姿を見れば何事が起きたかは説明不要だろう。ひとりで来たのか、保護者らしき人影も見当たららず、どうにか屋台の中から宥めようとする店員の様子にニアはベンチを立った。
「この子が頼んだのと同じのをもう1個、お願いするよ」
 横から飛んできた意外な注文に揃って目を瞬かせるも店員の方は瞬時に理解して応える。先程見た時よりも素早く、しかし手本をなぞるように正確に美しく仕上がったのは、チョコレートアイスにスティッククッキーまで刺さった特別豪華なパフェクレープだ。これにはニアもやや面食らったが、見るなり再び泣き出しそうになった女の子の前にずいっと差し出した。
「ほら、しっかり両手で握って」
 小さな手いっぱいに言われるまま掴んだ彼女の、きょとんと固まった瞳に新しい涙はもう生まれてこない。それを見届けたニアは店員の心からの感謝の言葉を背に、気紛れな風のようにさっさと立ち去ることにした。
 護衛の報酬を受け取ったばかりだから、このくらいは痛い出費でもない。少しだけ考えていた自分のお代わりはまた今度改めて来ればいいし、その時はあの子にも教えてあげないと——などとチョコ好きの親友の顔を思い浮かべながら帰路へと向かう足取りは、ひと仕事終えた後には見えない程に軽やかだった。

  • 猫の瞳は時に鋭く、時に甘く完了
  • NM名氷雀
  • 種別SS
  • 納品日2021年11月14日
  • ・ニア・ルヴァリエ(p3p004394
    ※ おまけSS『なんちゃって称号』付き

おまけSS『なんちゃって称号』

『雲断つ風』

 強く優しい貴方の道行は、厚い雲を断ち、陽の差す世界へと導く風となる。
 移りゆく季節と共に少しずつ色を変えながら、素敵な日々を歩めますように。

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