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白百合は朽ちることなく

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

 幼少期にエミリアは婚約者と呼ばれる存在を宛がわれることになった。兄であるアシュレイは何れはヴァークライトを継ぐ。
 だが、女として生まれたからにはどこぞの家に嫁ぐべきである。無論、父は騎士になりたいと懇願するエミリアの気持ちを無碍にすることはなかった。彼女が騎士となったとしても妻として娶ってくれる家をと探し求めてくれたのだ。その名乗を上げたのがクレージュローゼ家であった。代々は聖職者を輩出する家計であるクレージュローゼは女主人が騎士であろうとも問題は無いと言った。寧ろ、長男であるダヴィットは聖職者となる。騎士を志すエミリアが嫁いでくれさえすれば家系の守りは安泰だと当時のクレージュローゼの当主はそう宣言したのだ。
 兄のアシュレイはダヴィットをよく知っていた。一言で言えば律儀な男だ。幼い頃から物の貸し借り一つを行うだけでも彼は貸与の期限をしっかりと確認してくれるような少年だった。ある意味神経質とも言える彼が妹を娶るのはアシュレイにとっては心配事でもあった――どちらかと言えば兄のアシュレイから見ればエミリアという少女はある意味大雑把な性格と言うに相応しいほどに大胆な娘ではあった。兎にも角にも挑戦を第一とする彼女とダヴィットの相性が良いのかどうか。そう不安がったアシュレイは「婚約を正式に決める前に、2人を会わせてみてはどうでしょうか」と各家に提案したのだという。

 ――ある晴れた日のことだった。
 エミリアの前に姿を見せたダヴィットはしっかりした衣服で背筋を伸ばし佇んでいた。「レディ」と声を掛けられたエミリアが硬直する。
 第一印象だけを言えば最悪だっただろう。なんだ此の気障ったらしい男は。エミリアがそう感じたのも無理はない。
 ダヴィットの中の恋愛の知識は所謂恋愛小説だ。詰まりは、婚約者が出来ると聞いて慌てて本から知識を吸収してきたのだろう。
 エミリアの側に居た男性と言えばアシュレイや父だが、そうした『気障』とは無縁な男達であった。兄は何方かと言えば真面目な男で恋愛関係には不器用だ。
 4つ上の兄は、婚約話から逃げ続けてもうすぐ14歳になるが此の儘騎士として婚姻関係を結ぶことはないのでは無いかとさえ思わされる。
「……エミリア嬢?」
「あ。いや……その、今日はよくお越し下さいました。ヴァークライト家のエミリアと……」
「存じていますよ。エミリア嬢。今日はお招き頂きありがとうございます。改めて、ダヴィット・クレージュローゼです。
 貴女のような黄金の薔薇と出会えたことに感謝を――そして今日という日を設けて下さったアシュレイ殿に感謝を」
 黄金の薔薇。エミリアの身体が更に硬直する。周囲の大人とアシュレイもダヴィットの発言には困惑していた。
 この時ダヴィットは12歳。エミリアは10歳である。
 この顔合わせでエミリアが得たのはやたら気障で、物語で勉強をしてしまう真面目が人間の形をすればこんな男なのだろうという印象だけだった。
 婚約は成立し『婚約者』という立場が確立されてからと言うもののダヴィットはエミリアの元へと通った。
 騎士を志し、稽古に励むエミリアを見ながらティータイムを楽しむという奇妙な構図だが、何処かに出掛けることを求められるよりかはエミリアにとっては気楽だった。
「手持ち無沙汰ではありませんか?」
「いえ。頑張る貴女を眺めているだけでも楽しいですよ。それに、此方も勉強をしていますから」
「……何を読まれているのでしたか」
「聖書はお好みですか?」
「……いいえ」
 表情に出るとよく言われるエミリアの渾身の嫌悪丸出しにダヴィットは吹き出した。聖騎士団を目指すならばある程度の知識は必要だ。
 幼い頃のエミリアは何方かと言えば武に全振りしており、大人しく椅子に座って勉学に励むことは苦手だったのだ。
「ならば、要点だけお伝えしましょう。聖騎士団の入団試験に必要な箇所をリストアップし、お教えするのは如何でしょう?」
「……本当ですか!?」
「ええ。エミリア嬢がそこから興味を持って下されば更に深い話を。興味が無ければ別の物語をおすすめします」
 どうして、と。次はあからさまに困惑したエミリアにダヴィットはくすくすと笑った。
「私が好きなものをエミリア嬢にも知って欲しいのですよ」

 時が過ぎ、エミリアは聖騎士団へと所属する立派な騎士となっていた。エミリアの騎士としての活動が安定するまでは待ち続けると言ったダヴィットの言葉もあり、未だ、婚姻を結ばぬまま時が過ぎたのだ。
 気がつけば兄は妻を娶りエミリアには義姉が出来た。エイルという名前の義姉は快活で子供心を忘れないような女であった。彼女が懐妊し、一人娘が生まれたと同時に命を落とした時の兄は見ても居られなかった。
 当初は姪が生まれれば直ぐに婚姻を、ダヴィットと話していたが突然の不幸にその話は一度白紙になった。長くもなった婚約者としての立場は居心地も良いが貴族としては悪評を立てられる。
 曰く『ヴァークライトのご令嬢は騎士となる試験の為に婚約を延長している』と言われているそうなのだ。勿論、ダヴィットは「頑張る女性は美しいでしょう」と微笑むだけではあったのだが。
 生まれた姪が寂しくないようにと本邸で彼女と共に過ごすエミリアはダヴィットとの間にも子を授かることがあるのだろうかと未来を想像することも多くなった。
 自身が剣を振るう立場を捨て、彼と共に未来を歩むならば。彼は驚くはするだろうが了承してくれるだろう。屹度、それは幸せなのだ。
 忙しくする兄の代わりに乳母に預けられて一人きりの姪を見ていることが出来ずにエミリアは「この子が大きくなるまで」と再度の約束を取り付けた。
 これで彼が良い顔をしなくともエミリアは覚悟していた。何度も何度も先延ばしにしてきた話だ。
 最初は騎士になるまで。次は姪が生まれる頃まで。そして、姪がもう少し大きくなるまで――曖昧な理由を付けて先延ばしにし続けるエミリアにダヴィットは「構いませんよ」と微笑み続けてくれたのだ。

 ――思えば、その時点でエミリアもダヴィットも好き合っていたのだろう。家同士の決めた婚姻であっても互いの側が居心地が良かった。
 やけに真面目に恋愛指南書を読むダヴィットに呆れはしたが、嫌悪感を抱くことはなかった。
 エミリアの側もダヴィットの『甘い言葉』に慣れてきたのかもしれない。
 幼い頃から続けてきた習慣のように週に一度、出来事を語るのは忘れない。言葉を重ね合い、日々を過ごす。
 仲睦まじい恋人同士のように過ごしていた。その甘酸っぱさを感じていたかったのかも知れない。
 エミリアにとって『三度目の約束』は結ぶべきでは無かったのか、それとも、と悩ましくも思う。
 それは、兄の『不正義』によって一族の処刑が決まったときだった。嘆願した姪の命。自身が一族を処刑し、姪を救うという『聖騎士の誓い』
 もしも婚姻関係となり、エミリアがダヴィットに嫁いでいたならばヴァークライト家の継続は難しく姪であるスティアも処刑されていたかも知れない。
 だが、婚約を延長したことにより、エミリアとダヴィットは結ばれることはなくなった。不正義だと断罪された家門と婚姻を結ぶことは難しい。ダヴィットは聖職者だ。その様な存在を家門に受け入れることは出来ないだろう。

 週に一度――その習慣を待たずして、ダヴィットは直ぐにヴァークライト領を訪れた。
 閑散とした屋敷ではスティアが遊ぶ部屋のみが明かりが灯されている。遊び疲れて眠ったスティアを腕に抱いていたエミリアは暗い面差しの儘、ダヴィットを迎え入れた。
「エミリア……」
 ダヴィットも聞いている。彼女が聖騎士として一族を――血の繋がった家族も、幼い頃からの使用人も全て――処刑したことを。
 赤いアネモネを胸に挿しているエミリアの泣き腫らした瞳を見遣ってから、ダヴィットは唇を噛みしめる。彼女がそうしてでも護りたかった存在が、すやすやと寝息を立てている。泣き腫らした目が痛ましく、幼い少女は無数の人の死を見てきたのだろう。
「エミリア……ッ」
 ダヴィットは何も掛ける言葉が見つからなかった。大丈夫かと問うて、大丈夫だと帰ってくるはずが無い。
 言葉にすることが出来ないまま、彼女の側に佇み続ける。エミリアはスティアをベッドに寝かしてから、ゆっくりと振り返った。
 立ち竦んだダヴィットが痛ましい表情で此方を見ている。そんな顔が見たかったわけでは無いのに。エミリアは唇を震わせた。

「――婚約を、解消しては下さいませんか」

 ひゅ、と息を呑んだのは何方だっただろうか。何時か、彼と結婚するのだと。幼い頃からそう思い込んできた。
 兄が結婚したときに、義姉にこっそりと話したこともある。彼との結婚を先延ばしにし続けたのは恥ずかしかったからなのだ、と。
「……それは、どうして」
 ダヴィットの問いかけに、エミリアは笑った。「分りきっているくせに」と。それ以上の言葉は唇が震えて出てくることは無い。
「ヴァークライト家は存続する。君が、領主を代行するから?」
「……『不正義』だから」
「いいや、……いいや、エミリア。君の所為じゃ――」
「私が『不正義』であったこの家門を『断罪』したのに!? 家族を殺した冷血な騎士を、不正義なる存在と同じ血が流れた私を、妻に迎え入れると!?」
 エミリアは叫んだ。「ふえ」と小さく声を漏らしたスティアに慌てて振り向き、寝かしつけるようにその小さな身体を抱き締める。
 漸く落ち着いた姪を起こしてしまわぬように。エミリアが気遣う様子をダヴィットは黙って眺めていた。
「……場所を変えよう。エミリア。君が声を荒げてはスティアが起きてしまう」
「いいえ。この子は今日、この屋敷では一人きり。私が側に着いていなくてはなりません。
 仰られたとおり、私はこの子が成人するまではヴァークライト家の代表となります。ですが、本流はこの子。この子がこの家を継ぐまでは私がこの家を護らなくてはなりません」
 エミリアはしっかりとした声音でそう言った。
 聞けば、彼女は年若い使用人達には早く暇を出し、熱りが過ぎた頃に再雇用することを決めていたのだそうだ。
 この家をこれからずっと続けていくために。家族が護り続けた家門を自身が護るために。エミリアは自身が傷つこうともその道を選んだのだろう。
「……分った。直ぐの結婚を辞めよう」
「そういう――」
「婚約は『表向き』解消しよう。だが、私はエミリアを好いているんだ。幼い頃から、結婚するのはエミリアだと思って過ごしてきた。今更それを無かったことには出来ない」
「ッ――」
 それは自分とて同じだ、と。叫びたくもなったエミリアにダヴィットは自慢げに微笑んだ。
「スティアがヴァークライトを継ぐときに、改めて君を迎えに来よう。ああ、彼女は幻想種だったか? ……何時になるだろう。出来れば同じ墓には入りたいのだが……」
 幼い頃、本で読んだ知識で自身へと語りかけてきた頃と余りに変わりない。
 ダヴィットの真面目さにエミリアは小さく笑みを零した。「ごめんなさい」と頭を下げた彼女にダヴィットは首を振った。


 ――――何を、今更思い出したのか。

 エミリアは虚空をぼんやりと眺めながら息を吐く。仕事は一段落したばかり、暫くは思い耽っているだけの時間が訪れるだろうか。
 姪は毎日忙しそうに走り回っている。彼女の成長を見るたびに我が子を眺めているようで嬉しくもなるが、義姉の血を感じて時々苦笑したくもある。
 竜種を狩りに行く等と言って走って行ってしまったらどうしようか、とも思うが屋敷に鮫を呼び出すとんでもない事をしでかすようになったのだ。
 流石は、エイルの娘。それ位、元気な方が安心できるだろうか。
 ノックの音が響き、エミリアは「入れ」と言った。
 そろそろと扉を開いて覗くのは姪とも交友関係のある騎士見習いだ。「失礼しまーす」と間延びした彼女は緊張しているようである。
「あの、エミリア様……エミリア様の婚約者と仰る方が……そ、そのう、エミリア様、婚約されてたんですか? スティアからも聞いたことがなかったような――」
 してない、とは云えなかった。此方を伺うイルの表情には期待が込められている。
 そして『仰る方が』の続きは『来ている』以外にないではないか。
 エミリアは頭痛がした。あの日、婚約を解消してからというものの『婚約者』ではなく『求婚してくる男』に降格したダヴィットは日々、此方にアプローチを仕掛けてくるようになった。
 曰く、忘れられないように貴女に逢いに来ている、そうだ。
 その様なことをしなくとも忘れることはないというのに、彼は何時だって大真面目に本の通りに行動しているのだ。
 魚に餌をあげなければ死んでしまうし、女も構わなければ熱が冷めてしまうなどと書いた恋愛指南の本を破り捨てたい位である。
「……」
 黙りこくったエミリアにイルは困惑しながら後方を見遣った。どうやら其処に彼がいるらしい。律儀に此方が許可をするまでは姿を見せない。
「ダヴィット」
 名を呼べば、彼はひらりと手を振った。手土産はイルに手渡しているのだろう。可愛らしい菓子も『女性に送るアイテム』として雑誌にも載っていたのだろうか。
「ご機嫌よう、エミリア。今日も美しいですね。
 今日も貴女が頑張っていると聞いて伺いました。お口に合うといいのですが」
「……感謝します。それで、何用ですか? 手土産を渡したかったから、などではありませんでしょう?」
「顔が見たかったのですが」
 イルが傍らで「ひょっ」というなんとも情けない声を出した。エミリアは顔を覆いたくなった。そう、彼と会うことを戸惑うのはこの思ったことが全て口から出る所だ。
 勿論、彼も色々と弁えている。真面目で冷静沈着。信仰者であり、聖職者としてしっかりと神に仕えている。
 だが、彼は此方を見れば綺麗だと黄金の薔薇だと甘い言葉を並べ立てる。本で読んだからには実践し、女性を褒め称えるべきだと考えているからなのだろう。
「それはそれは。最近はお忙しそうにしていらっしゃいますね?」
「ええ、そうなのです。私も……そう、私も騎士を志そうかと思ったのですが……こちらの可憐なレディのように剣を握る資格もないと言われてしまい……」
「当たり前でしょう。聖職者たるもの、騎士を志す必要は――」
 言いかけたエミリアは頭が痛くなる。ダヴィットはどうやら騎士になることが叶わぬならばと異邦の剣術を学んだのだそうだ。
 純白のスーツに身を包んだ青年は腰に携えた刀を自慢げにアピールしてくる。何時だってエミリアを守れるという自信の表れなのかもしれないが。
「そもそも、婚約者ではないでしょう」
「元を着けますか? 今は私が求婚しているだけだ、と」
「そうした必要もありません。私は結婚するつもりも――」
「スティアが家門を継ぐときに、私は貴女を迎えに行くと決めているのですが。彼女は幻想種ですから長い時を経るであろう事も織り込み済みです」
「ですから――!」
 エミリアとダヴィットの押し問答を眺めていてイルはふと気付いた。
 スティアから聞いたことがないという事は、ひょっとして彼のことをスティアは知らないのでは?
 そして、エミリアがタジタジになっているのもまんざらではないのでは……?
 自分の恋には奥手だが、それ故か他人の恋路に興味津々であるイルはそっと気配を消した。二人だけの空間が其処にはあると見せかけるかのように。
「エミリア。そう怒らないで下さい。貴女に会いたかったのは私です。
 勝手に押しかけて申し訳ないことをしました……ですが、また、顔を見に来ても? 以前のように週に一度語らう機会があれば嬉しいのですが……」
「……それは婚約者であった頃の話でしょう。今はそう頻繁に会うことは出来ません」
「やはり、私が騎士となり、聖騎士団へ所属すれば良いのではないでしょうか。それならば貴女と毎日顔を合わせることが出来ます」
「それは無理だと――」
「……無理は言いません。エミリア、また私の屋敷に遊びに来て下さい。貴女の気に入りそうな茶葉を用意したのです。私だけでは飲みきれませんから」
 ぐ、と息を呑んだエミリアは嘆息する。此処で頷かなければ押し問答が続いてしまう。彼の方が強気なのだ。
 あの日、婚約を解消してからというもののダヴィットはどのような悪評がエミリアに立とうとも気にすることはなかった。
 寧ろ彼女を護るのは己だと言い、本当に騎士を志す鍛練を積んだのだ。家門では反対の嵐が吹き荒れたが、彼は聞く耳を持たず異邦の旅人にまで剣術を習ったという。
 騎士という職位に立てぬのならば、それだけの力を身に付けてみせる。其れだけ熱烈に愛情をアピールされて、エミリアも厭えるわけがない。
 そうしてずるずるとした関係が続いているが姪には決して悟られぬようにしてきたのだ。屹度、興味を持ち会わせろと懇願してくる筈だ。
 この様な情けない姿を彼女に見せるわけには行かない。そう決意していたエミリアはこの時、忘れていた。
 部屋の隅でお土産を手にしたイルが棒立ちの儘、二人の様子を眺めていたことを。
 ――後日、ダヴィットの話がイルからスティアに伝わったのは『エミリアの敗北』であったのかもしれない。

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