SS詳細
刃の調律
登場人物一覧
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想いの籠った手紙よりも、幾年を果てて極めた一本の太刀筋。
心を交わす為の会話よりも、追い続けた先にある洗礼された身体能力。
時として、”言葉”よりも”魂”と”躰”でぶつかり合った方が絆を深くする者たちが存在する。
そういった者たちの事を人は『武人』だのとカデコリ分けをするのだが、これはその者たちのお話。
かこん。
此処は幻想の一角であるが、わびとさびのある和が強調された庭――日本庭園と呼ばれるもの――で、水をため過ぎた鹿威しが鳴った。
建物は道場のようで、掛け軸と趣のある鎧や神棚が飾られている。
木目の揃った滑りのいい木の床を歩けばぎしぎしと音が鳴り、今、その上には二人の特異運命座標が存在している。
「戦法には人の性格も現れると聴きますので、交流には丁度いいかと」
『守護天鬼』鬼桜 雪之丞(p3p002312)は漆黒の闇とも思える刀を携え、静かに瞳を閉じる。
「互いに武人であるのなら、これ(刀剣)でないと交わせぬモノもあるだろう」
『五行絶影』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は陽虔と陰劉と呼ばれた双子のような刃を構える。
一刀と二刀が煌めいた。詰まる所、二人は仲を深める為に試合――死合いと呼んだ方がいいかもしれないが――をしに来たのだ。若い見目をしている二人であるが、お互いに紅茶や菓子とは縁遠い者たちなのである。
二人が心を震わすのは剣戟の中。
両者、構え。
――いざ、尋常に勝負。
瞬。先に音もなく床を蹴ったのは汰磨羈だ。
秒で雪之丞の眼前、一足一刀の間合いまで詰めて喉たる急所目掛けて剣先を突き出す。
僅かに雪之丞は右目の下をぴくりと震わせた。されど、視界が汰磨羈を捕らえた時にはもう遅い。故に感覚と脊髄反射のみで雪之丞は体勢を横にずらして躱したのだ。
カウンター。雪之丞はそのまま身体を回転させて汰磨羈を刃の腹で打ち払う。その払った一撃の重い事――逆の手の刃で受け止めた汰磨羈の身体が反動で宙へ浮き、弧を描きながら壁に足をつけた。
来る――雪之丞は感じた。
壁に足をつけた汰磨羈は、そのまま壁を蹴って跳躍。
小手先は使わず、純粋に真正面から突撃する汰磨羈の小さな躰。しかし、まともにぶつかれば庭先まで雪之丞は吹き飛ばされる重みが在る――それこそ、攻撃として違わぬ、速さに威力を持たせた突撃だ。
雪之丞の一刀と、汰磨羈の二刀の繊細な太刀筋がぶつかり火花が散った。
鍔迫り合いの距離。
平静を保つ雪之丞に、汰磨羈の口角が僅かに上がった。
そして一度刃と刃を弾き、両者一定の距離を保つ為に放れる。
「その歳で何を見てきたか知らんが、楽しめそうだな」
「光栄です。次はこちらから参ります。飽きる事はさせませんので」
初手は先手を取られたが、本来、雪之丞は防戦を行うようなお淑やかな太刀筋は持っていない。
汰磨羈が構えた刹那には、雪之丞は駆け出していた。
澄んだ川のように大人しそうに見える雪之丞だが、その一太刀は雷鳴さえ裂こう。繰り出された一撃は型無しの一撃。元の世界で歴戦を詰んだ汰磨羈でさえ、雪之丞の荒くれた一撃は――その記憶の中に、一切存在しない。
何故ならばそれが雪之丞の太刀であるから。
何故ならばそれが雪之丞唯一人が得とくしている我流の一手。
そうで無ければ物足りない。
見飽きた太刀なんかに、汰磨羈は、はなっから用は無い。
望むのは、心を揺らす新鮮さ。
望むのは、落ち着ききった心を嵐のように荒らす好手。
待っていたとばかりに、汰磨羈は美酒でも口にしたように唇を舐めた。どう受け取るべきか、どう返すべきか、いや、いなすべきか躱すべきか、最善の一手を探しながら、実際の行動は流れるように太刀をいなす。
雪之丞の武器は一刀。
汰磨羈の武器は二刀。
一筋の攻撃が終わりを迎えた瞬間、汰磨羈のもう一刀が攻撃を仕掛けていた。
早くも露出した好機に汰磨羈の心臓は高鳴った。せめて、この一撃で沈んでくれるなよ――と。
勿論雪之丞は止まらない。
下から振り上げられる形で出された汰磨羈の一撃を、擦り上げて攻撃の道筋をずらして飛ばした。
汰磨羈の手から離れた一刀は、回転しながら後方へと吹き飛ばされていく。そしてその刃は庭に刺さった。
そうだ、それでいい――汰磨羈の瞳が細く狭ばり、雪之丞が静かにふっと息を吐いた。
雪之丞の擦り上げた手には、刀の鞘が握られている。
成程、剣を収めるものでさえ雪之丞は武器とするか。
これで一刀同士。
五分五分なのか。
それとも一刀を失くした汰磨羈が不利か。
いやいや汰磨羈の得物が脇差ならば、雪之丞の長い得物の懐の中へと入られると雪之丞がかえって不利だ。
軍配はまだ判らない。
雪之丞の耳に、彼女を象る魂の集合体が身体の内から語り掛けてくる。次の行動、次の攻撃。聲に急かされるままに雪之丞は半歩を踏み出し、静かに中段に構えた。
間合いは雪之丞が先に作った。
ならばこれは汰磨羈の間合いでは無い。
己が作れなかった間合いで仕掛けるのは得策では無い。
汰磨羈は薄く笑いながら防御の姿勢を取る。冷静に相手の行動ひとつひとつを分析し解析し、隙を探す。それまで例え己の身体に傷がつこうが捨て置け。だが好機と不利な間合いの見分けはするのだ。
そう、汰磨羈は、今、隙を探すとき。
それを理解していたからこそ雪之丞は息を止めて攻撃に集中した。
最後には勝てばいいのだ。
最後に立っていた方が、上回るのだ。
只、それだけ。
庭に風がふき、花弁が舞った。
その花びらが鹿威しの水の面に落ち波紋を浮かべる―――刹那。
雪之丞は消える。
「――ふん」
汰磨羈の瞳が後ろにスライドする。そう、背後だ。
雪之丞は、大上段から斜めに刀を下ろし、汰磨羈は横に回転しながらその太刀を横にいなした。
「甘いぞ!!」
「くっ」
最小限の行動で攻撃を躱し、まだ背後まで回りきっていない身体で汰磨羈は雪之丞へ強引に体当たりをし、そして吹き飛ばした。
後退しながら構え直す、雪之丞。
対して汰磨羈は――同じように雪之丞の視界から消えていた。
次に汰磨羈が雪之丞の視界に現れたのは瞳の端――つまり、側面だ。
視界を掻い潜り、意識を索敵に向けさせる事こそ相手の行動にはロスが生じる。
貰った。
汰磨羈の刃の腹が雪之丞の脇腹を確実にとらえたのだ。くの字に曲がった雪之丞の身体が、床に一度バウンドしてから壁の手前で体勢を立て直しつつ床をスライドする。
顔を上げた雪之丞だがその表情に曇りは無い。成程、矢張り己よりも、幾数年も生を経ているだけある。
「……面白いですね」
ぽつりと、汰磨羈に聞こえない言ノ葉が零れ落ちた。それが雪之丞の心情の全てである。
トン。
瞬歩で汰磨羈は雪之丞の正面へ到達。雪之丞の赤色の眼球の直前に、汰磨羈の刀の切っ先があと数ミリの所まで到達している。
思わず頭を後ろにそらし、海老ぞりのような形で雪之丞はそれを避けた。序でにそのまま後方に回転をし汰磨羈の身体を下から上に蹴り上げる。一瞬の脳震盪に思わず退いた汰磨羈。
「体術をも会得していたか。成程、何も刃ばかりを振っていた訳では無いとみえるぞ」
「ええ、嗜む程度ですが」
「戯け、謙遜なんてする事は無いぞ。嗜んだ程度で実戦に取り込めるものか――!!」
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戦闘は更に激しさを増していく。
幾つ斬り合ったかは判らない、金属の噛み合う音が響くたびに建物を揺らした。
着ている物ははだけ、切れ、服としては役が立たない程になってきた。息も荒々しくなっていたが、お互い互角の所で僅かな緊張感を頼りに魂折れずに剣戟を続けているのだ。
そこに言葉という音は、ほぼ無い。
息を止め、相手の間合いを取る――、今度先に攻撃が可能だったのは雪之丞だ。
最早簡単な一撃は汰磨羈には通じないだろう。
それ程にお互いの技を出し、時には捻り出させて理解していく。
故に雪之丞は真新しいやり方で汰磨羈を崩さねばならない。
同じく汰磨羈もそうだ。雪之丞の防御の独特なやり方には手を焼いた。だがネタが尽きればこっちのものだ。
だが、それだけでは詰まらない。
只の、成長を止めた刃には興味は持てない。
汰磨羈が貪り喰いそれでもなお次の成長を開花させ、腹が膨れても口に突っ込んで来る方がなんと面白い事か。
そう期待していいのだろう、雪の字とやら。
応えるように、雪之丞は得物を逆手に持った。
そう、それだ。
見た事が無い。
ただでさえ長い武器を逆手に持つなんて――手首を自ら破壊するような行為だ。
その時、汰磨羈の視界にちらりと見えた。雪之丞の射干玉のように濡れた黒の髪が、ふわりと舞う雪のように白く染まったのを――。
真夏の蝉が、けたたましく鳴くこの時節に――雪?
その時汰磨羈の背筋に、ふいに冷たいものが奔った。
その幻想に背中を押されたか、汰磨羈は攻撃をしかけて”しまっていた”。
この攻撃は汰磨羈が自ら考えて繰り出したものに非ず。
雪之丞が待ち侘び、結果引き出した攻撃である。
「――ッ!!」
汰磨羈は苦い表情を一瞬見せた。対して、雪之丞の口が鬼のそれのように妖しく笑みを浮かべて横に裂けていく。
――逆撫。
汰磨羈の一撃を最小限の動きで避けた雪之丞、そして逆流する川の流れの如く。勢いを衰えさせずに汰磨羈の身体に斬撃を打ち込んだのだ。
其の一撃は双方に喜びを齎した。
跳ね飛んだ汰磨羈の身体が和風庭園の石畳を破壊しながら着地し、雪之丞は刀を横に振ってから構えを直す。
身体の痛みなんて二の次だ。汰磨羈は天を仰いで笑った。
成程、これが鬼の刃。鬼の一刀。鬼の畏れなるものか。
ならばこの汰磨羈。厄狩に青春を終わらせた身体。鬼退治の意気込みで刀を振らねば喰い殺されるも当然か。
同じく雪之丞も己が磨いたオリジナリティ極めし刃が通じる事に、紛れも無い悦びを迸らせていた。
我が道は、師を取らぬ一本道。歩んだ道にけして間違いの兆しは一切無い事の証明と言えよう。
「ここからだぞ」
「はい、受けて見せます」
反撃。
ハッと顔を上げた雪之丞。
いくら数秒の間があったとしても、今だ戦闘中であらば相手から視線は逸らさない。
懐に飛び込んで汰磨羈を下段から上に摺り上げるように斬った、斬ったはずだったが、斬ったのは汰磨羈の影。
汰磨羈の気配は背後にあった。
その時には遅い。
回転していた汰磨羈の身体は雪之丞にお返しとばかりに蹴り飛ばし、その身体を庭へと投げ込む。
砂利を跳ね飛ばし正しく着地した雪之丞。
カウンターを仕掛ける為、構えを取ったがそれは汰磨羈は読んでいた。
再び正面から攻撃が来ると読んだ雪之丞は、読み通り飛んできた刃を跳ね除けた。
しかし飛んできたのは汰磨羈の刃の一本だけだ。
そこに汰磨羈自身の肉体は無い。
つまり、フェイク。
回避行動を取ったときこそ、雪之丞の一瞬の隙は生まれていた。その瞬の時間で汰磨羈が攻撃をするには、十分過ぎる時間だ。
汰磨羈は一刀のみのそれで雪之丞の背を貫かんと切っ先を向けた。
汰磨羈の計算、やり方、それは全て完璧であった。もし眼前の相手が雪之丞で無ければ背側から胸に刃は突き出た事だろう。
そう、難攻不落の雪之丞で無ければ。
ギリギリの所で雪之丞は後ろに手を回して鞘で攻撃をいなした。だが、かなり無理な体勢で防御を行ったのは明白。
汰磨羈は息を止めた。
此処までくれば一刀だろうが二刀だろうが関係は無い。
汰磨羈は逸らされた刃を再び雪之丞へ向け凪いだ。
結果雪之丞は後退するを得ない。
汰磨羈は一撃、二撃と無我夢中に刃を振り――ただその一刀一刀のなんと美しい事か――相手が無理な防御の隙を作る気立てに出たのだ。
雪之丞は、一歩二歩と後退しながら汰磨羈の撃を躱していく。
刃の擦れる音が秒よりも早い時間で響いた。重ね、累られていく時間よりも剣戟の音の擦れる音は異常に鳴りやまない。
とっくに汰磨羈も雪之丞も、体力は限界近くになっていた。喉は痛み、正常な呼吸は捨てた。だがそれがなんだというのだ。こうして眼前に己の持っていない太刀筋を持つ者がいるのだ。追い詰めて追い詰めていつかまた知らぬ一撃を観察出来れば命が擦り切れようと構わない。
雪之丞は汰磨羈の攻撃に見惚れるように瞳を輝かす。洗礼され、きちんと研がれてきた技の数々は己には持っていないものばかりだ。故に防御をしながらであるが、その一撃をもっと見る為には膝を着くことなど赦されない、いや、そんな事をしたら自分が赦せない以上に汰磨羈に申し訳が立たない。
確かに二人は、そうして気づかぬ所で縁が深く深く結ばれていた。
世界から切り取られた二人の空間は、汗と血と経験がものを言う。
空白から何かを創ったように。
同じ零から刃を極めし武人。
繰り返しになるが、時として人は、言葉よりも魂を削り合った方が伝わるものは在るという事は、今此処で証明されている。
そしてやがて。
終わりは来る。
それはたった、些細な出来事で。
互いに息を交換するように荒れ果てた息で、僅かに汰磨羈の足が砂利に掬われて体勢を崩したのだ。
好機――雪之丞は剣を逆手に持った。
だが。
その剣を反転させた時間の僅かなモーションという、ロス。
汰磨羈は無理に足場を蹴り雪之丞の身体を掴んで張っ倒す。ほぼ同時に雪之丞は刃を摺り上げ、汰磨羈の片手の一刀を吹き飛ばした。
弧を描いて飛んだ汰磨羈の刃は壁に突き刺さった。
雪之丞は、勢いに任せて後ろへ倒れた。そこに、序盤で吹き飛ばした汰磨羈の一刀が、顔の横に突き刺さっていた。
「――あ」
「これは計算外か?」
雪之丞に覆いかぶさった汰磨羈はそれを抜き取り、雪之丞の首に突き立てた。
暫く。
二人はそのまま動かなかった。
代わりに荒い息を吐きながら、汰磨羈の鼻先から汗が流れて雪之丞の頬に落ちて流れる。
「――ハッ、はは、はははは!」
「ふふ、ふふふふ」
雪之丞の上から退いて横にごろんと寝た汰磨羈と、そのまま倒れたままの雪之丞は同じように笑った。
楽しかった。
嗚呼、満足だ。
「流石、一本取られました」
「いやいや逆手の一撃は見事だった」
「お怪我は? 明日の依頼に支障が無ければいいのですが」
「そんなもので壊れるような躰はしていないぞ!」
緊張の糸が解けた瞬間に、二人の日常は戻ってきていた。
刃を交え、同じように心でもぶつかった。惜しみなく技を使い、惜しみなく剣戟を続けた。
交流という催しにしては些か血と汗が流れ過ぎているが、それが武人には正常な量であろう。
「序盤の荒々しさは胸が高鳴ったぞ!」
「こちらも、美しい舞の数々が見れて勉強になりました」
言葉は漸くここで意味を成す。
何気無い二人の日常は、こうして手と手を取り合うように深くつながっていくのである。
それが武人たる、刃での調律と言えよう。