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ニンファエアと笑って
登場人物一覧
アレクシアにとって、故郷であるニンファエア樹層区は窓からの風景でしかなかった。ティナ枝葉区は自然豊かで農地や果樹園の広がった穏やかな区画ではあった。
大樹ファルカウの下層に当たったその場所でも大いなる自然と共に過ごせる風光明媚な場所では会ったのだが病弱であったアレクシアにとっては大して思い出を特筆できるような場所でもなかったのだろう。例えば、部屋の窓から見える景色は四季折々の姿にはなるが大して変わりが無いだとか。知識で知っている果物のおいしさや食物の豊かさ。
自身の故郷のことを考えてみてもアレクシアは客人に自身の思い出を語らう目的で紹介できる場所が少ないことに気付いていた。
そうして悩む内に時間はやってくる。友人となって、折角だからと自身の故郷へとタントを招いたアレクシアは何処へ行こうかと合流してからも頭を悩ませていた。
「まあまあ! ここがアレクシア様の
きらりと瞳と額を輝かせたタントは常通りの太陽の様な笑みを浮かべてる。ふんわりとお出かけ用のワンピースを揺らせた明るい友人の笑顔は見るだけで心を豊かにさせる。
「折角のアレクシア様の故郷ですもの。今日はアレクシア様のお話をたくさん伺う日にしたいですわ~!」
「うん。私もタント君にいろいろなところを紹介したいなと思って考えたんだけど……実はね、小さな頃ってあんまり外に出たことがなかったんだ」
紹介できる場所も知識の上やガイドブックで語られるところばかりかも知れないとアレクシアは肩を竦めた。両親や深緑の住民達に友人を案内する場所を伺えど、特別感のある場所は出てこない。ニンファエアのガイドブックにも掲載されている果樹園などへの案内などが精一杯だろうか。
「そうですのね。思い出の場所というのはあまりお外には無いご様子?」
こてりと首を傾いだタントにアレクシアは言い淀んだ。余り友人達に心配させたくは無いからと、自身の幼き日の事は特段伝えたことは無かった。
それでも友人に何時までも隠し事をしているのはどうにも申し訳ない。それ以上に、タントなら耳にしても大きく関係性が変わるという事は無いはずだ。
「実は――」
幼き日のアレクシアは病弱という言葉だけでは言い表せないような有様であった。ぼんやりとベッドの上で窓の外を眺める日々。
英雄譚に夢を見て、絵本の世界に浸り続ける。それだけの生活を送っていたのだとアレクシアは言葉を選びぽつりぽつりと話し始める。
禄に外にも出れなかったその体では、思い出作りの外出もままならずタントを思い出の場所や自分の昔話に纏わるスポットへと案内することも難しく感じられて。
故に、タントが期待しているような自身の思い出話は出来ないかも知れないと、アレクシアは申し訳なさそうに肩を竦めて。
「……まあ……!」
「あ、心配しないでね。今はもう大丈夫だから。ぴんぴんしてるんだ。
今日はしんみりした話をするために集まったわけじゃないし、そんなこともあったんだなーって流してくれれば……」
僅かな不安を滲ませてからアレクシアはタントを見遣った。もしも、タントがそのことを気に病んで仕舞ったら――自分自身の過去を知って、タントがどう思うかが心配でもあった。それでも、話すと決めたのは自分なのだからとアレクシアはしっかりとタントを見据える。
「ふむっ、アレクシア様の美しい慈愛の心は、きっとそういった幼少期があってこそ育まれたものなのですわね!」
予想通り――否、ある意味で予想外であったkもしれない――『ぴっかり』微笑んだタントにアレクシアは大きく頷いた。タントにとって、アレクシアはとても強く優しい少女だった。
何処までも他人のためにとまっすぐに走って行ける彼女の心の優しさは幼い頃に経験した辛い日々によるものなのかもしれない。
彼女の過去を心配し、しんみりとする事はしない。今の彼女を見て思ったことを伝えてあげたい。彼女の強さが、どれだけ素晴らしいものであるかを友人として湛え、彼女が努力してきた未知を否定したくは無い。
何よりも彼女がそう望んでいるのだから、タントは殊更にその部分のみに触れる気も無かった。
タントに伝えて良かった、とアレクシアは微笑んだ。その言葉一つをとっても、どれほど救われたかは分らない。
「じゃあ」と手を差し伸べる。早速のお出かけの開始だ。
「私の生まれ育った場所だけれど、まだまだ知らないことが多いんだ。だから、探しに行かない?」
「ええ。アレクシア様と新しい思い出を作りに参りましょう!」
「そうだね。フルーツが美味しいって話題のお店があるんだ。そのカフェで沢山美味しものを食べてみない?」
「あらあら! そうですのね! どんなフルーツがあるのかしら!」
きらめく笑顔を浮かべるタントにアレクシアは「んー」と指折り数える。桃やブドウ、梨等がこの地域の果樹園では有名だそうだ。
ファルカウでも幅広く販売されているフルーツ類ではあるが、果樹園の直営カフェで食べるデザート類は絶品だと評判だ。
……と、言うのもガイドブックの受け売りなのだとアレクシアが笑えばタントは彼女が手にしていたガイドブックをまじまじと覗き込む。
「まあまあ! 美味しそうですわね。このお店にはアレクシア様はよく行かれますの?」
「ううん、場所はずっと知ってたんだけど中々、足を運ぶ機会も無かったから、実は初めてで……」
タント君との思い出の場所になるね、と可笑しそうに笑ったアレクシアにタントはぱちぱちと大きな瞳を瞬かせた。
「あらあら! まあまあ!」
頬を緩めて『むふー』と笑ったタントにアレクシアも釣られて笑みを零す。区域を迷わぬように歩いて行くアレクシアに続きタントは不思議そうにきょろりと周囲を見回した。
ティナ枝葉地区は本当に果樹園が多い。芳しいフルーツの香りが漂っているような気がして楽しみだと心も躍り出す。
「ここ、ニンファエアはファルカウの最下層なんだ。麓に近いから、結構いろんな風景が広がっていてね。
ファルカウの中では『外』を受け入れてるんだって聞いたことがある。幻想種は閉鎖的な人が多いけど、この辺りは色々な文化が入り始める区域なんだって。
例えば、隣の地区……サザン・チャーム枝葉区に行けば、『外』との交流も多いから色々な物があるらしくて……ショッピングも出来るらしいよ」
「のんびりとしていて心が穏やかになる場所ですわね。サザン・チャーム枝葉区でのお買い物もとっても楽しそうですけれど……。
アレクシア様が生まれ育ったティナ枝葉区でパフェを頂けるのがとても楽しみで楽しみで……!」
この辺りは田舎だから果樹園しか無いけれど。そう笑ったアレクシアに次の約束が増えますわねとタントはくすりと微笑んだ。
サザン・チャーム枝葉区は商業の賑わいが感じられ、ニンファエアの中でも観光地として知られていることだろう。それでも、今日は『アレクシアの日』だ。彼女の生まれ故郷であるティナ枝葉区を思い切り楽しむのがテーマなのだから。ショッピングもまたの機会に楽しもうと会話を続けているうちに目的地へと到着した。
ナチュラルな木材で作られたカフェの外観は草木も茂り『隠れ家風』を掲げているのだろう。扉を開けばからんからんとベルがなった。
「いらっしゃいませ」と店員が穏やかな笑顔で迎え入れてくれる。店内は甘いフルーツの香りが漂っていた。
折角、天気が良いのだからと初来店である二人はテラス席へと通された。果樹園を眺めることの出来るウッドテラスは此方も落ち着いた雰囲気で食事が楽しめそうである。
アレクシアの言うとおりこの区域は最下層である事から『外』との交流も多いのだろう。故に、幻想種では無いタントに対しても店員は何ら反応を示さなかった。その事にほっと安堵したアレクシアはメニュー表を眺めるタントに「何か良い物はあった?」と問いかけた。
「うぬーぬ! ま、迷ってしまいますわね……」
メニュー表には多種多様のデザートが並んでいる。季節のパフェと、それから……。そうやって指先を滑らせるタントの様子をアレクシアは微笑ましそうに眺めていた。
「タント君、一つに決められなかったらシェアするのはどうかな? 私もパンケーキと、季節のパフェが気になるんだ」
「まあまあ! 実はわたくしもそうでしたの。そう致しましょう!」
ふぬぬぬ。頭を悩ませていたタントの表情がぱあと華やいだ。一人で食べきれなくても二人でならば。ミニパフェやドリンクの付いたパンケーキセットを注文する。
テラス席のテーブルには可愛らしいお手製のランチョンマット。景色を見遣れば先ほど外から眺めた果樹園が眼前には広がっている。
「お待たせ致しました」
運ばれてきたデザートを前にタントは「まあ!」と瞳を煌めかせる。季節のフルーツがたっぷり使われたデザートを前にしながらアレクシアは「思い出の話かあ」と呟いた。
「ええ、ええ。アレクシア様のお話ならなんだって!」
「そうだね……さっき言ったとおり、外ではあまり遊んだことが無かったからずっと本を読んでたんだ。本が私の世界だった、っていうとちょっぴり不思議な感覚だけど」
「いいえ。本は沢山の物語が詰まっていますもの。学びを得る事が出来たり、新しいひらめきを感じることも。
アレクシア様は小さな頃はどのようなお話を読んでいらっしゃったのでしょうか!」
ファオークを口へと運んでから美味しいとそのかんばせで表現するタントは頬へと手を当ててにんまりと微笑んだ。蕩けるような微笑みを見つめてから「ここのデザートは美味しいね」とアレクシアは頷く。
ぶどうの香りを漂わせたフレーバーティーを口に運んでから、「私の好きな物語のお話なんだけど、」と切り出した。
アレクシアにとって、小さな頃の思い出はお伽噺そのもの。それは、いつでもそばに存在してくれる。今だって『なりたい自分』を描いてくれる素晴らしい存在だ。
「私は外には余り出なかったから、外で冒険するような物語が好きだったんだ」
例えば、ヒーローが悪を打ち倒すような英雄譚には心が震えた。未知の世界を切り開いていく冒険譚ではドラゴンと出会うものもあった。ドラゴンと友人になって未踏領域を旅するのだ。そんな物語はひときわワクワクするようで、何度も繰り返し読んできた。
剣を握りしめて堂々と進み行く勇者の姿。彼らは何処までも果敢に冒険を続けていた。挫けそうになっても誰かを護るため、新たな未来を切り開くために。
そんな心躍る冒険譚を語るアレクシアの話を聞きながら、タントは瞳を煌めかせて、ぐんと身を乗り出した。
気付けばパフェよりも彼女の話に夢中になって。手に汗握る冒険譚を楽しげに語るアレクシアに「もっと」とねだるように大きく頷き続ける。
「わあ」と驚けばアレクシアはくすくすと笑う。タントはまるで目の前でドラゴンが炎を吹いたような幻想を見ていた。アレクシアはそれだけ心を込めて思い出の物語を語ってくれる。
それは憧憬によるものなのだろう。物語のお供のデザート達も美味しい。こうしたデザートをのんびりと食べる平穏を護るために誰かが戦ってくれているのだと彼女は語り続ける。
例えば、一人きりで進むことになった勇者が一匹の小さなドラゴンと出会った話。別々の種でありながらも、心を通わせて相棒になった素敵な物語。
例えば、冒険の旅で仲間になった魔女の話。魔法が苦手であった魔女は旅をしながら様々な魔法を学び、立派な魔法使いになったのだという。
例えば……例えば……。ベッドの上で読み続けた本は山積みになっていた。お気に入りだからと下から引っ張り出せば崩れて雪崩になって驚いたことだってある。
そうして窓の外を見れば、そこから広がる世界で『勇者』は冒険をしているのだと思えて心が踊ったことを覚えていた。
「ふふ、いつか自分もそうなりたい、そんな風に冒険してみたいって思ってたんだ」
期待に瞳を輝かせるアレクシアにタントはうんうんと頷いた。病弱で、外に出ることの出来なかった彼女にとって、物語の世界こそが広がっている『外の物語』だったのだろう。
「ドラゴン……竜、と言えば思い出すのは絶望の海に現れたリヴァイアサンの事ですわね」
タントはふと、思い出す。あの絶望の海で戦った強大な敵は彼女の言う冒険譚に出てくるドラゴンそのものだった。絶望の名の通り、過酷を極めたその戦場でもアレクシアは果敢に挑んでいった。
「あの暴威に立ち向かう勇気も、アレクシア様はこういった物語から得たのですわね」
「ふふふ、そうだったら嬉しいな。私もあの冒険譚の勇者様のようになれたかな?」
「ええ! ええ! アレクシア様はとっても勇敢にとやーっと戦って、バシューンッと攻撃し、きらきら~~と皆さんを支えていらっしゃいましたもの!
……とっても素敵でしたわ。屹度、冒険譚に描かれる程の活躍ですもの。アレクシア様は冒険譚の勇者様そのものですわ!」
きらきらと、タントの瞳が光を散らす。まるで夢を見るように、あの日の荒れ狂った海を思い出してタントは「本当に」と言葉を重ねる。
誰も彼もが苦しみ藻掻いたあの海で、希望を捨てずに戦うことの難しさはタントもアレクシアも知っている。
だからこそ、あの海で勇気を胸に立ち向かったことは『英雄』と呼ぶにふさわしい行動だったはずだ。
アレクシアはぱちりと瞬いた後、それなら嬉しいと微笑んだ。自身が物語のように戦うことで誰かを守れるならば。
其れだけでも心が躍る。何時だって、アレクシアという少女は立ち向かうことを辞めなかった。それを友人であるタントはよく知っている。
「むむむ、わたくしも胸の奥に冒険心の火が点ってしまいましたわ! いつかわたくしも、アレクシア様とご一緒に冒険したいですわー!!」
タントの微笑みにアレクシアは大きく頷いた。未知ばかりの広がっている混沌世界で新しい発見が多く存在している。
これからも、危険は常に隣り合わせだろう。何処へ行ったって恐ろしい敵と出会うことは避けられない。
それでも、だ。冒険は希望に溢れている。未知とは期待だ。まだ知らないからこそ、新しい扉を開いていけるのだから。
共に冒険を行えば、ドラゴンと共に戦う機会が来るかも知れない。そう思わせる出会いと新しい道に期待をするように、アレクシアはタントに約束するように微笑んで。
「まだまだこの世界には未知の場所もたくさん広がっているし、私達でもっと冒険していけるといいね!」
ニンファエアでの穏やかな午後がのんびりと過ぎてゆく――