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甘美なる木のその先に
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練達、再現性東京のとある一地区。夕方に差し掛かってにぎやかになりつつあるその通りを、『流麗花月』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)はゆったりと歩きながら周りの店々に視線を投げかけていた。
「ふうむ……」
ここは商店街だ。再現性東京の中でも比較的大きなそこで、汰磨羈は甘味を買いに来ていた。目的は高級バウムクーヘン。いつも頑張っている弟子へのご褒美だ。
しかし、こうして歩いてみると色々な店があり、屋台やワゴンが出ている。和食も、洋食も、中華も。この食文化の多彩さは、練達の……中でも再現性東京の外では見られないものだ。
「やはり、再現性東京の商店街。ここまで多種多様に揃っているとは、有り難いな」
これだけ店が揃っているのなら、自分の求めるバウムクーヘンを売っている店も、きっとあることだろう。
だがしかし、これだけたくさんの甘味を出す店が出ていて、そこかしこから甘い香りが漂ってきている状況。大の甘味好きな汰磨羈にとっては、誘惑が多すぎる。今もクレープを売っているキッチンカーに近づいて、カウンターから中の様子を窺っている。
「んっ、いい香りだ。そのクレープ、そうだな、チョコバナナのものを一つ貰おうか」
「はい、ありがとうございます!」
汰磨羈の注文を受けて店員がクレープを焼き始める。生地が鉄板の上に伸ばされるや、一層甘い香りが広がって汰磨羈の鼻をくすぐった。
生クリームにアイスクリーム、カットしたバナナにチョコレートソースをたっぷりかけたチョコバナナクレープを手に持ち、落とさないように頬張りながら、再び汰磨羈は歩き出す。
「んむっ、ん、美味い! ……おっ、こんな所に茶屋があるとは。少し立ち寄っていくか」
と、視界に映ったのは落ち着いた雰囲気の甘味処だ。先程から歩き通しだったし、座って休憩しながら茶を飲むのもいいだろう。汰磨羈はがっつくようにクレープを腹の中に収めると、甘味処の扉をくぐる。
ボックス席の畳敷きの椅子に腰掛けて、汰磨羈の手がぺらりとメニューをめくる。
「ええと、そうだな……白玉あんみつと、温かい茶と。あとは……おっ、干菓子の新作もあるではないか。これも貰おう」
「はい、かしこまりました」
新作、という言葉に心が躍る汰磨羈。やはり新商品や新作というのはいいものだ。新しいものに触れるのはとても楽しい。
注文を済ませ、店員が伝票を手に下がっていく。そして程なくして運ばれてくる温かい緑茶と、色とりどりの和三盆。そしてつやつやとした白玉あんみつ。
先程ははっきりとした甘さだったから、こうした柔らかな甘さで休憩するのもいい。小豆をスプーンですくえば、弾力のある白玉がぷるんと揺れた。
じっくりと和菓子を味わって、少しばかり空が暗くなる始めたところで。甘味処を後にした汰磨羈はきょろきょろと視線を巡らせた。
「ふー……食べた食べた。さて、目的を忘れてはいけないぞ。バウムクーヘン、っと」
このままでは店を見つける前に空が暗くなってしまう。そうなったら色々と面倒だ。弟子にもきっと叱られるだろう。
甘味巡りをそこそこにして、汰磨羈は商店街を歩き回った。しかし歩けど歩けど、目的の高級バウムクーヘンを売っているような店が見つからない。
「なかなかどうして、いい店が見つからないものだな。おかげであちこちの甘味に釣られて……」
そう話しながら歩いていく汰磨羈の手の中にはビニール袋。中には新商品のスナック菓子と、ケーキ屋の新作のケーキが二切れ入っている。やはり、新商品には釣られてしまう汰磨羈であった。
そんなことを零しつつ商店街を歩いていくところで、汰磨羈は足を止めて振り返った。
「おっと」
商店街の店々の間。大きな店と店に挟まれるようにして、小規模な菓子屋があった。看板には「バウムクーヘン」の文字と、カットされたバウムクーヘンの絵が大きく書かれている。
「専門店か? あるものだな」
専門店なら期待もできよう。そう思って目についたバウムクーヘンの店に足を踏み入れた汰磨羈は、目を見開いた。
店内に所狭しと並べられた、たくさんのバウムクーヘン。他の菓子類は一切ない、完全な専門店だ。
しかもそのバウムクーヘンの美味しそうなこと。表面がトゲトゲしており、糖衣でコーティングされたハード系のバウムクーヘンだ。ぎゅっと身が詰まっていて実に食べごたえがありそうだ。
「おお……!」
「いらっしゃいませー!」
感動の声を漏らす汰磨羈に、レジに立つ店員がにこやかに声をかけてくる。彼女に、汰磨羈は期待に胸を膨らませながら問いかけた。
「すまない、伺いたいのだが、この店で買える一番大きいバウムクーヘンはどれになる?」
「一番大きい、ですか? でしたら……こちらになります」
汰磨羈の言葉に、目を見開いた店員がカウンター下のショーケースに収められたバウムクーヘンを指し示した。示されたそれは、巨大なバウムクーヘンの一本を三分割した、両手で抱えるほどの大きさの一品だ。
それを目にして目を輝かせる汰磨羈だ。これならば、大食漢の弟子も満足することだろう。
「おお、いいな! ではそれを二つ貰おう」
「ふ……っ、は、はいっ、かしこまりました!」
二つ、と聞いて一瞬店員が面食らう。よもやこのサイズのバウムクーヘンを、複数お買い上げされるとは思っていなかったのだろう。基本的に家族向けの贈答用商品だから仕方がない。
巨大なバウムクーヘンを収めた箱を二つ、汰磨羈の前に並べる店員。中身を確認すれば、バターの香りが芳醇に広がった。とてもいい香りだ。
会計を済ませた汰磨羈は、ウキウキしながら家路についた。片手にはバウムクーヘン二箱の入った袋、もう片方にはケーキの袋。
「ふっふっふ、これだけ買えばきっとステラも満足するぞ」
そう言葉を漏らしながら、汰磨羈はもう一度袋を持ち上げた。
これなら弟子が万一バウムクーヘンを食べきって、自分の分を分けてあげてもなお満足しなかったとして、自分も楽しむことができそうだ。
「どんな顔をしてくれるだろうな……楽しみだ」
これを見たら喜んでくれるだろうか、どんな顔をして食べてくれるだろうか。
そんな事を考えながら汰磨羈は商店街から立ち去っていく。日はだいぶ傾き、商店街の街灯が灯りだしては汰磨羈を見送っていた。