SS詳細
ねぇ、リップを贈る意味って知ってる?
登場人物一覧
●
幻想王都。
高級宿『AusDerNeuenWelt』の日々のメニューに、パンプキン・パイとあたたかいビーツのスープが加わった。もうすぐ本格的な冬の到来だ。町を行き交う人々は、冬支度のために忙しくしている。
一緒に過ごすのが当たり前になってから、もう何度目の冬になるだろう?
ヒィロ=エヒト (p3p002503)と美咲・マクスウェル (p3p005192)は、二人でクローゼットの中身をせっせと入れ替えている。
とはいっても、作業の合間に「このお洋服、今年のシーズンはあまり着なかったね」だとか「ヒィロ、ちょっとこれ、被ってみてよ」とか、「えっ、美咲さん、この服着た美咲さんって……レジェンド級だねっ!」とか、ことあるごとに思い出に浸っているので、まったくはかどってはいなかった。
まあ、それも仕方ないことだ。
「今日は休みの予定だったのにねぇ」
「ホントにそうだよ! 美咲さんを補充しないと、やってられないよぉ~!」
ギルドからの急なSOSに応え、休日のイチャイチャ返上で仕事に向かった二人。首尾良く仕事を終えたはいいものの、ずいぶんとくたびれているのであった。
「まあ、ボクと美咲さんとのヒトトキを邪魔するやつなんて、ひとひねりだったけどね!」
怒りに燃えたヒィロは猛烈な勢いで魔物をなぎ倒した。美咲のほうも、ヒィロとのひとときを邪魔された憤りは密かにくすぶっており、それこそ「一にらみ」で、完膚なきまでにやっつけてしまったのだった。
「えらいでしょ?」
「えらい、えらい」
えっへんと胸を張るヒィロの髪に、美咲はそっと手のひらを差し入れた。よく手入れの行き届いた、ふわふわの髪。ヒィロは、気持ちよさそうに美咲に身をゆだねている。美咲の手の平は、ときどき丁度よく耳をかすめていって、思わず、「ふにゃあ」と気持ちよさそうな声が出た。
そのまま、ヒィロはごろごろと膝の上で撫でられていたのだけれど……。
不意に、ヒィロはぱっと顔を上げた。
「ん?」
エメラルドのような目が、ちらりと上目遣いで美咲を見つめている。
これは、なにか「お願いごと」のある表情だ。付き合いの長い美咲は察する。
「どうしたの、ヒィロ?」
「ねねっ、美咲さん。あのね、明日のデートなんだけどねっ……。一緒にお宿を出るんじゃなくてね。……たまには待ち合わせ、しない?」
「へぇ?」
ヒィロがそんな風に言うのは珍しい。いつもなら「一分一秒でも愛しい美咲さんと一緒にいたい!」と言うのがヒィロであるからだ。
美咲には、なんとなくヒィロのやりたいことが分かった。
「うん、いいよ」
「やったあー!」
●
(だって、だって、美咲さんがどういうお洋服でデートしてくれるのか……すっごく気になるし! 先に知っちゃうと、もったいないもんね……)
つまるところ、ヒィロは、「初心に返ってデートしたいな!」と思っていたのだった。
それに、どんな格好にせよ。美咲さんがものっすごく可愛いのは間違いがないから、うっかりすると家を出られなくなりかねない。ヒィロはホンキでそんなことを考えていた。
「……それじゃ、またあとでねっ! ……絶対だよ!」
愛おしい人の「行ってらっしゃい、またあとでね」の声に反応してぱっと振り向きそうになるのを必死にこらえるヒィロ。慌てて身支度をして、宿を出る。
ぱたぱたと駆けていくヒィロに、美咲はくすりと忍び笑いを漏らした。あとといっても、ほんの三十分くらいのものだ。
……そんなに期待してくれているなら、ちょっとおしゃれを頑張っちゃおうか。
「ん……よし、カンペキね」
鏡に映るリップは深みのあるバーガンディ。色を乗せてみれば、ヒィロが自分のために選んでくれたものだということがよく分かった。美しい黒髪に縁取られたかんばせ……深みのあるワインのような色合いが、何よりも色の白い美咲の肌を引き立てている。
いつもよりも、ずっと大人っぽく見える。
きっと、ヒィロも同じようにピンク色のリップをさしているのだろう。……一番似合う色を、というか、「自分が見たい」色を選んだ自負はあった。
誰よりも何よりも、ヒィロを近くで見続けていたのだから。
約束の時間よりも少し早めに家を出る。今日は少し高いヒールだ。大人っぽく、黒を基調にした装い。黒のセットアップにシルクのシャツ。あえてワントーンでまとめて、赤が映えるようにした。
(こうしてヒィロと会うのは、不思議ね?)
最初は、ヒィロとは気安い遊び友達だった。
最初はぎこちない笑顔が、瞳が。会うたびにきらきらときらめきを増していった。そんなヒィロが、とても好きだった。愛おしかった。大切だった。
きれいだな、と思ったのはいつだっただろう。
美咲の目を見て、ヒィロも同じくらい思っていた。
きれいだな、と。
どうしても目が離せなくて、じっと覗き込んでいたら、呼吸すらどこか置き去りにしたように、世界が止まったようになったことがある。
美咲が笑って、ようやくずいぶんな時間が経っていることに気が付いた。
「あっ、ごめん、ごめんなさい、えっと。あまりにきれいだったから。って、ええっとね!? これはヘンな意味じゃなくてね!? あの」
「私もそう思ってたよ」
どくん、と。
ヒィロは、心臓が破裂するみたいな音がした気がしていた。
妹みたい、なんて思ったことがあったような気がする。
大切な存在。傷つけたくない、守りたい、大事な人。
「気を付けて帰ってね」と言いながら、「帰したくない」と初めて思ったのはいつだった?
ヒィロは夕暮れになるのがいやだった。
美咲さんと一緒にいられる時間がなくなってしまうからだ。
「またね」と言っても、手はぎゅっと握られたまま、言うことを聞いてくれなかった。あれ? と思ったら、ヒィロは無意識のうちに美咲の柔らかい手を握っていたのだった。
「あのねっ、あのねっ、ボク、美咲さんのことねっ、大好きだけど。お姉さんだとは……思ってないよ! だって……だって……違うんだ、ボクは」
「……」
ヒィロの目には確かに熱がこもっていて。ほっぺはリンゴのように赤くって。……嬉しかった。嬉しい? 大切な「妹」だったはずなのに。けれどもそれは欠けたパズルのピースがぴったりと埋まるようにはまった。
恋、という感情が、火をともした。
「それじゃあ、送っていこうかな」
「! うん! あ、でも。ボクがエスコートしたいなっていうか、送るよ!」
「ねぇ、泊まっていってもいい?」
「うぇっ……!?」
手を放したくなかった。
目をそらしたくなかった。
●新たな一面
(えへへへへへへ。大好きな美咲さんとのデート!)
ヒィロはそわそわとしながら美咲を待っていた。ほんとうは誰よりも一番先に素敵に装った姿を見たい! とも思ったのだけれども、なんとかこらえて、深呼吸して……。
それでも、はやる気持ちは抑えられない。
ぴくり、と耳が反応する。
あの足音は……。あの気配は……。
「おまたせ、ヒィロ」
「みさっ……」
ヒィロは言葉を失った。
「……きさん?」
美咲が、あまりに可愛かった。
結構な人だかりがあったのに。いや、ヒィロが美咲の気配を見逃すことはないのだけれど。それでも見えた。くっきり、はっきりと浮き上がるように、美咲の姿が見えたのだ。
(どどどどどどどうしよう!?)
「ヒィロ」
(ただでさえウッキウキふわっふわなのに、どうしよう!?)
大人っぽくて、艶やかな……それはいつものことだけど、でも、それも。自分が選んだリップをつけてくれて、微笑んでいるのだ。ああ……自分だけのために!
(あの唇でキキキキスとかしてもらえちゃったら、ボクもうメロメロになっちゃうよ……)
美咲の手の平が、ヒィロの頬に添えられる。
「ふぇええ!?」
「リップ。つけてくれたんだ? かわいいね。似合ってる。そのワンピ、一緒に買った奴だよね。うん、似合うと思ってたんだ」
美咲は満足そうに笑って、ヒィロの全身をにこにこと眺めた。
ヒィロの格好は、カジュアルにまとめたシャツワンピだ。リンゴのほっぺに、可愛らしいリップが乗っている。あわあわと動くたびにスカートが広がった。ぱ、っと押さえてクスクス笑う。
食べてしまいたい、と咄嗟に思ってしまった。
「! あっ、あのねボクもボクも、すごく思って……すごくすごく思ってたの!」
ほっぺを真っ赤にしながら、ヒィロは一生懸命に叫んだ。
「世界で一番かわいい!!!」
叫んだ勢いで、ばさばさと白い鳩が飛んでいった。
いつもと同じ街なのに、一緒にいるだけでこんなにも違う世界になるのはどうしてだろう。色鮮やかで、この毎日がとても大切なものに思えるのはなんでだろう。
「ねぇ、ヒィロ」
「ひゃい!?」
「そろそろ、疲れない? そこね、ホープが教えてくれた喫茶店だよ。寄って行こうか?」
「う、うん! そうする!」
いくつかお買い物をして回って、可愛らしいネックレスを見つけて、それぞれ、チェーンの長さを整えて貰って……髪に絡んでなかなかつけられないでいたら、美咲さんが「おいで」と言って、首筋に……。
不埒な妄想をブンブンと振り払い、幸せを噛みしめている。
(すごいなあ、美咲さんは、いつだって周りを見てて、ずっと大人で……)
そう、思っているのだろう。
(ねぇ、ヒィロ、気が付いてる?)
――私だって、浮かれてる。
まっすぐな感情を正面から受け止めるたびに、美咲は思った。
冷静で、落ち着いているとよく言われる。それは客観的に自分を現す言葉だと受け止めている。
……冷めている、と、思われる事も多かった。
ヒィロは違う。好きなら好き、嫌いなら嫌い。はっきりしていて、鮮やかだ。ヒィロは感情を全身で表す。いつ見ても、「大好き」であふれている。ヒィロはほんとうに愛らしかった。……今すぐに抱きしめたい位に。
ほんとうは自分もかなり浮かれている自覚があった。
でも、自分はやっぱりお姉さん、ううん。しっかり者でいたかった。頼りになる恋人、と思われたい。 優雅に、気取られないように、美咲はヒィロの手を引いた。
そうしたら、二人一緒に喜べるでしょう?
声をかけようとした不埒な野郎の視線は、にっこり笑って牽制しておく。
(ヒィロは私の恋人よ?)
髪の毛をすくって、そっとキス。
おあいにくさま、他者が入り込む余地なんてもうあいてないのだ。
(私、女の子もいけたんだなあ)
それとも、ヒィロだからだろうか?
今では唯一無二の存在だった。
「ふふ……」
全身全霊のヒィロはほんとうに、愛おしかった。
「ヒィロ」
「へ」
ちゅ、っと軽い音が響いた。
「あの、……ほっぺに、ついてた?」
「うん。キスしたかっただけ」
「えええ……!?」
一瞬の間をおいて、ヒィロが膨れていく。それから、ぼふっと破裂しそうになった。
「ね、ヒィロ。今日ね、良いお店予約してあるんだ」
「ふひゃああ……」
ずっと一緒にいるはずなのに、どうしてこんなに新鮮な驚きがあるんだろう。大好きで大好きで、これ以上なんてないといつも思っていたけれど。
それでもやっぱり。大好きで。
●独り占め
いつのまにか夜は更けて、空には星が瞬いている。出るときは別々だったけれど、帰る場所はおんなじところ。
「あのね、今日のパフェ、すごく美味しかったね! お洋服もたくさん買えたし、素敵なところたくさん見れたし、あのね……」
「うん、楽しかったね」
それで、……それで。
ヒィロは、ぽつらぽつらと口数少なくなっていく。気恥ずかしかったからだ。そのぶんの感情はどうぶつの部分にでた。尻尾がすりすりと美咲の二の腕を触った。
あとでね、と、囁かれて、家までお預けだった。
お風呂に入って洗いっこして……髪をすいてもらって、ふかふかになる。
二人していっぺんにベッドに倒れ込んだ。
「ふにゃああああ! み、美咲さん! ボクもうだめだよ、降参しちゃう」
「ふふ。降参しちゃう?」
くすぐりあってふざけるようにじゃれて、笑い声が満ちる。
「うん、こうさん」
ぺしゃりと耳を下げて、それからヒィロはすりすりと寄った。
「えとね、美咲さん。明日も……用事、ないね……?」
「そうだね」
部屋でふたりだけの夜なら、もう周りを気にする必要はない。
ヒィロは、赤い唇に目を吸い寄せられる。
それがずっと気になっていた。
……それは、美咲も同じ事だった。
(ここでだけは、私もヒィロのこと以外何も考えずにいられる)
「ねぇ、ヒィロ」
独り占め。
(あ)
いくらかキスを交わすと、天地がぐるっと反転する。
美咲が、ヒィロを見下ろしている。
美咲さんの瞳の中に、自分だけが閉じ込められている。まっすぐな視線。すきよ、と、甘く小さくつぶやく声がヒィロの頭の芯を揺らした。
「すきだよ。可愛いヒィロ」
「うん……」
ヒィロは心地よさそうに目を細める。こういうときの美咲さんは、ほんとうに優しい。何度も繰り返したやりとりだった。どう言えばどうなるかくらい、もう十分なほど分かっている。
「み、美咲さん。あのね……」
もっと、と小さい声が漏れた。
「うん、大丈夫よ。まかせて」
ベッドは二人分の重さで沈む。
「ねぇ、ヒィロ。リップを贈る意味って知ってる?」
人差し指が唇をなぞった。
――キスで返して。
唇を合わせれば、耳元で言葉が溶けていく。あったかくてほわほわして、脳みそが溶けそうになる。
大好きだ。ヒィロはぎゅっと目を閉じて、大好きな美咲さんにすべてを任せることにした。
そうすればぜったいに上手くいくって分かっていたから。
おねだりをするヒィロの体温は高かった。
「ずっとこうしたかったの。ヒィロは?」
「う、うん。ずっと……」
体はすっかりほてっている。大きな尻尾がふわりと揺れた。ヒィロの尻尾を握って、逆向きに撫でる。
「あわ」
「ヒィロ、大丈夫よ。私もだから。可愛いなって、ずっと思ってたの」
それからちゃんと毛並みに沿って撫でる。
とろんとしたヒィロに、美咲はそっと口づけをした。
熱が移る。
これは、自分にはないものだから。
ううん、きっと、同じモノはずっと奥に眠っているけれど……。
ヒィロのように、素直に表に出すことが出来ないのだ。
素直に求めて、受け入れて、喜んでくれるこのまっすぐな感情がある。……燃えさかる情熱が移ったかのように体が熱かった。
くれるだけ。好きなだけ、めいっぱい返そうと思えた。
意地悪なんていらない。
二人だけの世界。
瞳の色が光り輝く。
(あ、ボクね、それ、好きなんだ)
――そう伝えたかったけれど、口は塞がっている。だから代わりに、一生懸命に答えようと思った。
夜はまだ長い――。
おまけSS『次の日の朝』
ほわほわした気持ちでヒィロが目を覚ますと、美咲はもうとっくに起きていたのだった。枕に残った美咲さんのにおいをすんすんしながら、ヒィロはうっとりと昨日の夜のことを思い出す。
「おはよう」
「わわ、おはよう、美咲さん」
「ん」
寝起きで少し油断した美咲さんは、本当に可愛い。どうしてか、髪の毛はいつだってさらさらだ。
「おはよう。朝食、作ってみたの。口に合うかな?」
「合うも何も! 美味しいに決まってるよ!」
「ダーメ。ちゃんと味見してから感想言って」
「だってこれ、大正解の匂いしかしないよ!」
「先ずは顔を洗ってきて、それから髪の毛をとかして、そしたら」
「もっかいキス?」
「ばか」