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とある402号室
登場人物一覧
誰もいない、真っ暗な部屋。がちり、と鍵の周る音がして、扉が開かれ光が差した。
キイと勝手知ったる様子で部屋を開けたのは、部屋の主ではない。灯りのスイッチを手探りで探して、ぱちりと点ける。
「……はぁ」
アーリアだった。此処は煉瓦造りのアパルトマン、ミディーセラの部屋である。部屋の隅にこんもりと積もった洗濯物を確認すると、ミディーセラのベッドに寄る辺なく座った。
アーリアとミディーセラはこのアパルトマンの隣同士で住んでいる。互いに合鍵を持っているので、アーリアはいつでもミディーセラの部屋に入ることが出来るのだ。
でも、最近は部屋の主に会えていない。もう何日になるかも判らない。何故かというと、ミディーセラが使い魔作りにハマってしまったから。今までは部屋を空けがちだったアーリアをいつも待ってくれていた彼だが、今度は彼の方が箒で様々な所に遠出するようになってしまった。
一方、最近のアーリアは逆にお仕事を控えめにして部屋での生活を大切にしていた。何とも間の悪い事である。片方が忙しければ片方が部屋にこもり、片方が部屋から出ようと決心すれば片方が休もうと思う。たまにアーリアが遠出した日に限って、ミディーセラは帰って来る。其の度に洗濯物を頼むメモが置いてあって、なんて間が悪いんだろうってアーリアはがっかりしている。家事が嫌な訳じゃない。単純に会えないのが、寂しい。
「私たち、そういう処だけは合わないわよねぇ……」
ベッドに横になれば、微かにミディーセラの香りがする。ふんわりと甘い香り。ああ、お掃除をしなくちゃいけないのに。確か別の部屋で魔法の実験を失敗したらしいから、其の片付けもしなきゃいけないのに。
寂しい。
寂しいのよ、みでぃーくん。
貴方のいない家のなんと広い事か。貴方の為になれるのは勿論嬉しいけど、其れよりもとっても寂しいの。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、お洗濯物を片付けなくちゃと身を起こすと、がちり、とドアノブが回された。アーリアは思わず身を固くしたが、扉を開いて掛けられた声に緊張が解ける。
「アーリアさん、いらっしゃるのです?」
「……ミディーくん……」
普通ならきっと、『帰ってきたのね!』と抱き締めにいくのだろう。ふあふあの尻尾ごと抱きしめて、お帰りなさい! って言うのだろう。
だけれども。アーリアの心にむくむくと沸いてきたのは、“どうして一人にしたの”という理不尽な怒りだった。だからアーリアはつんとそっぽを向いて。
「お洗濯物はまだ出来てないわぁ」
と、おかえりなさいの言葉もなしに冷たい声色で言ってやるのだ。
ミディーセラは僅かに目を丸くしたが、いいえ、と微笑み。
「良いんですよ。帰ってきたんですもの、自分でやります」
箒をしまいながら歩み寄ったミディーセラは、アーリアが寝そべる寝台にふわと座った。今日の彼女は素面のようだ。紫色をした髪を掬う。其れだけでアーリアの胸はざわりと波立つけれど、今日は拗ねるって決め……うう、決め……
「今日はお師匠様のところへ行ってきました」
は?
「懐かしいお顔が揃っていましたよ。色々と聞かれたり、お土産を持たされたりして、こんなに遅くなってしまいました。お師匠様たちは昔からお話が大好きで、私が見てきた外の話をせがむものだから――あら?」
「……ふーんだ! みでぃーくんなんてしらないっ」
其処は『愛していますよ』とか『寂しがらせてしまいましたわね』とか言う所じゃないのかしらっ。ばか! ばか! もう!
ミディーセラの枕に顔を埋めて、完全に拗ねてしまったアーリア。まさかお師匠の話をしただけで此処まで拗ねられるとは思っておらず、きょとん、と金色の眸を瞬かせるミディーセラ。
「あら、あら……もしかして、拗ねていらっしゃる?」
「拗ねてませぇん。アーリアは閉店しましたぁ」
「あらあら。臨時休業ですか?」
「そうですぅー! もうみでぃーくん相手には開店してあげないんだから!」
「其れは困りましたねぇ。アーリアさんが開店してくれないと、私、寂しくなってしまいます」
「……。…………。寂しいのは、私なのに」
ぽつん、と零した一つだけの本音。
それはざわ、と雨のようにアーリアの心に広がって、言葉が次々とまろびでる。
「私、使い魔よりもお土産よりもみでぃーくんが良いの。みでぃーくんが隣で生活してる音がすると、わくわくするのに。最近は何の音もしない。時々深夜に爆発の音はしてるけど……でも、其れだけじゃ物足りないの。お部屋の掃除やお片付けが嫌になった訳じゃないのよ、でも、……でもぉ」
「……あらあら。アーリアさん、すっかり甘えんぼになってしまって」
いつも寂しいのはミディーセラの方なんじゃないかって、判っているのだ。
依頼で飛び回っているアーリアをどんな思いで見送って、どんな思いで帰りを待っているのか、判っていない訳じゃない。
でもでもそれでも、寂しいものは寂しい。ぐずぐずしていたアーリアはミディーセラを見ると、やっぱり堪えきれずに枕から手を離し身を起こして、彼の小さな体躯を抱き締めた。
「……寂しかったの」
「寂しがらせてしまいましたね」
「でも、みでぃーくんが寂しがらせないようにしてたのも、判ってるの」
「はい」
「……」
いつもは飲んだくれだけど、頼りになるお姉さん。
でも、いいじゃない。たまには我儘で、ぐずぐずべそかいて、寂しい寂しいって我儘をいう一人の女の子でもいたい。特に、大好きで大切な人の前では。
――みでぃーくん。みでぃーくんだ。
そう思うと嬉しくて、会えた事が、出迎えられたことが嬉しくて堪らなくて、やっぱり自分はミディーくんが大好きなんだなあって実感してしまう。拗ねてみせても、怒ってみせても、やっぱり彼が好きだという根底は覆せない。
でもミディーセラだって、何も思っていない訳じゃない。アーリアの事が好きだ。愛している。寂しがらせるのも、拗ねさせてしまうのも、望ましくはない。可愛らしいとは思うけれども。出来れば笑っていて欲しいし、其れは酔いに任せた笑みではなく、心からの笑みであって欲しい。一緒に美味しいお酒を飲んで、美味しいねって笑いあいたいのだ。――けれど。好奇心には勝てないのが魔女というもの。様々な使い魔を作るのは楽しくて、つい愛しい人さえ最低限でほっぽりだしてしまうのは――許して下さい、としか言えないのだけれど。使い魔に伝言を託したり、手紙にして残したりしても、やっぱり寂しいものは寂しいのだろう。
もっとこまめに、昼間に帰ってきた方が良いかしら。そんな事を考えながら、アーリアの頬を両手で包む。少し距離を置いて目を見て笑うと、相手も笑みを返してくれた。おでこをくっ付ける。其れは二人の神聖。
「……ただいま帰りました、アーリアさん」
「……おかえりなさい、みでぃーくん」
だいぶ彼女の機嫌も直ってきたようで、ミディーセラの尻尾の先で遊んでいる。
しかし次に彼女が発した言葉に、ミディーセラは知らず凍り付いた。
「じゃあ、今日のご飯は一緒にたべましょぉ。豆のスープにしましょう!」
「……豆のスープ、ですか」
実はミディーセラ、豆のスープが苦手である。
あのスープに混じる豆のぼそぼそ感が何とも言えないのである。こればかりは何百年と生きてきた彼も慣れないようで、出来得る限り豆とは縁を切って生きてきたつもりなのだが、此処に来てご対面するとは思わなかった。
これ、明らかに苦手だと判ってて言ってますよね。そんな抗議を含んだ視線を向ければ、アーリアはにっこりと笑って。
「そんな顔しても駄目ぇ。いま決めたの。私の部屋で食べましょぉ」
「……いえ、そんな。私が作りますよ? 色々買ってきましたし」
「其れは明日からねぇ。うふふ、ミディーくんとのお食事、どれくらいぶりかしら! 楽しみだわぁ!」
「……あ、其れなんですけども」
「え?」
てっきり抗議の声があがると思っていたのに、とアーリアがミディーセラを見詰める。常々思っていたことを、ミディーセラはふと口にした。
「そろそろ私たち、一緒の部屋に住んでも良いと思うのですよね」
「……へ」
「だって、行き来するの大変でしょう? あ、実験用にこちらの部屋は置いておいても良いかも知れませんが……」
「……そ」
「そ?」
「そういう大事な事は、もっと大事な時に言って!!」
笑みとも照れとも付かぬ赤い顔をしたアーリアは、思わず大声で言っていた。
さて、これから話がどう転がるか、お隣へのお引越しが始まるか否かは、また別のお話。