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転調
登場人物一覧
●再会
「あら、幻介様」
「おお、星穹殿。久しいな、依頼で御座るか?」
ローレット、其の受付。片や依頼書を手にした女、片や頬の血を拭った男。
男――咲々宮幻介はひらりと手を振って、女――星穹に笑みを浮かべた。
軽く頭を下げた星穹は、足を進め幻介へと微笑んだ。
「ええ、其の心算です。幻介様は……見たところ、依頼帰りと云ったところでしょうか」
頬の傷、匂いは落としたのだろうが其れでも漂う死の香り。傷の手当は未だなのだろう、生乾きの傷に瘡蓋も薬の痕も見受けることは出来ない。
「正解。折角の縁、少し思い出話なんて如何で御座ろう。拙者が奢ろう」
「自分の分くらい出せますわ……なんて。殿方の誘いは無下にするものではありませんからね、喜んで」
ついでに傷の手当ても済ませてやろう。此の男が素直に他者の手当てを受けるとは思えないのだけれど。
簡単に依頼終了の報告を終えた幻介は星穹を手招くと、ローレット近くの酒場へと連れる。
「どれ、今日はお勧めにしてみるかな」
「其処は、貴方のお勧めにするところではないのかしら」
ざわめき止まぬ店内の空いた席に腰掛ければ、メニューを広げて。
「確かに。じゃあ此れにするのが良かろうな。もし、此れを二人分頂けるか」
店員を呼び、メニューを示す。了承がとれたと見受け、ほんの少しの酒気に酔い。
「嗚呼そうだ、貴方の手当てからですよ。全く、傷は残るのですから」
「流石は忍、目をつけるところが違うで御座るな。お手柔らかに頼むで御座る」
「其れは貴方が大人しくしているかどうか、ですけどね」
懐から消毒とガーゼを取り出した星穹は、傷口に消毒液を『遠慮』も『躊躇い』もなく吹きつけ、薬を問答無用とばかりに塗り込む。
「痛っ?!! ちょ、加減……!!」
「びーびー言ってないで大人しくしてくださいな。染みますよ?」
「もう染みてるんだって……全く」
ぼりぼりと頭を掻き乍ら、幻介は丁寧に治療される己の肉体を眺める。
「はぁ……雑菌の温床か何かかしら。せめて傷口は水で洗いましょうね」
「失礼な言い草で御座るな。全く、お主はあの時と何も変わりやしない」
「そういう貴方こそ、大事なところが雑なのは変わりませんわね」
「いいや、そんなことはない筈で御座るよ。だってあの時は――」
頼んだ品を待ち乍ら。空気に溶け込んだアルコールは二人の緊張をほぐし、久々の再会だと云うのが嘘のように弾む会話。
さて、今日は。二人の出逢いを思い出すとしようか――
●明日月
曇天。暗い月夜。光落ちる間は僅かで、其れが導なのか走馬灯なのかも解りはしない。
唯、闇夜は彼女――星穹の庭だった。陽光を恐れる代わりとでも云うべきか、彼女は夜に愛されていた。請け負った仕事は殆どが夜――つまり暗殺を乞われる事が多く。手が赤く染まることが多かった。
此度も『そう』であった。
罪状をつけるならば多種多様。屑には肥溜めがお似合いだ。故に彼女は殺しを躊躇いはしなかった。『そう』あるように訓練していたから。
何時も通りに。何時もやる通りに。
足を狙って移動手段を断つ。電子機器なんて持たせる必要はない。使い魔なんて尚更だ。総て必要無い。唯、情報だけを残してくれればいい。
執拗に。粘着質に。息を殺して追い詰める。得体のしれない恐怖こそ理解不明な衝動に襲われる。故に人間は単純明快、予測可能な行動に出る。だから殺しは不本意ながら得意だ。追い込むだけの作業なのだから。
歳幼い同僚に其れを任せたいとも思わない。其れならば身寄り無い自分が殺せば良いだけだから。結果、彼女は更に陽光を恐れるようになった。太陽の下に出られるのは綺麗な人間だけだと信じて疑わなかった。
だから、屑がへらへらと太陽の下を歩いているのを許すことは出来なかった。
道なりに進めば其処は聳える壁――つまり王手。逃げ道はないのだ。
ほっと息を吐けば、怯え喚く男の無様な姿。見苦しいし近所迷惑だ。こんな寂れた街に近所も糞も無いのだけれど。
「さて。依頼人からの命により幾つか質問をします。先ず――」
殺気。
四面楚歌、仕方なく取り出したリボルバー。弾はあるがこんな場合を想定してはいない。小さく舌打ちが漏れる。
「追い詰めた男に用がある」
低い声。風に靡く結髪と、月光照らす刀。敵が増えたと判断するべきだろう。
(嗚呼、本当についてない。肉弾戦は嫌いなのよね)
(ふむ、二人組だったか。情報とは違うが、まあ良い)
静寂。後、地を駆ける音。刀はリボルバーを削り、男は不敵に笑った。
「嗚呼、女だったか」
「野蛮人の相手は苦手なのですけれど」
踏み込み、低位置から繰り出される斬撃。頬撫でる鉄刃が忌まわしい。高く蹴り上げれば男の足が来る。鬱陶しいこと此の上ない。
かなりの実力者と見て良いだろう、否、見なければ死ぬ。
引き金を引くことを恐れたのならば此の命が潰えることも『視』えた。だからこそ手加減もしない。女だからと云って油断されるのも舐められるのも慣れている。そうやって舐め腐った人間に一泡吹かせてやる瞬間は無様で笑みが零れた。そうあることで己は無力な女等ではないと信じることが出来た。
だから盾役は好きだった。
殴られようと斬られようと、最終的に立っているのは自分だったから。
(此の女、しぶといな)
けして立派な籠手ではないだろう。強いて言うなら『よく手入れされている』。だからこそ幻介の刀は受け止められ、折れない程度に弾かれているのだ。
(だが、此れならどうだ)
ぐ、と腹に息を溜め、形勢逆転を図る。ぐぃん、とやや重めの躱しやすい斬撃が女の銀糸を追った。
(……疲れたのかし――ッ?!)
月光が反射して、星穹の目を突く。目を細めた隙に幻介は舞った。否、舞ったと喩えるのが
「はッ……此れを躱すか、面白いで御座るな」
にぃ、と男の口元が歪んだ。華嵐は未だ吹き荒れる。終わりではない。女の腹を刃が捉えた。白い肌を刃が舐め、赤が散る。ひらりひらりと
女の表情が僅かに歪んだ。無感情だった其の顔に僅かに苛立ちが見える。が、服の裾を千切り腹に巻いて止血をし、また感情の色を絶った。面白い。
「お前、細いのに……小賢しいな」
「褒め言葉だろうか、嬉しいで御座る。奇麗な女に褒められるのは、悪くない――」
「女と呼ぶのを、止めろ」
琴線に触れたのだろう。銃を握らずとも人は戦える。無鉄砲に飛び出した女は間合いに滑り込むと首を狙い手を伸ばした。
「はは、血気盛んで御座るなァ!!」
「こッ、の……!!!」
もう少しのところで背を反らし、保つ。しゃがみ込み刀を逆手に持ち替え、絶つ。
が。
「あはッ、私も舐められたものね……!」
咄嗟に幻介の肩を掴み倒立姿勢に。其の儘勢い落とさず着地姿勢へ転じ、幻介の背に蹴りをお見舞いする。
「ぐッ……」
「ヒールだったら其の背に穴開けてあげましたけれど。鉛玉の方がお好みかしらね、減らず口の貴方」
「おーおー、随分とハイカラな武器で御座るなあ……」
くっくっと喉を震わせて笑う男に、女は鉛玉を進呈。勿論斬られると解っているから、其れは囮に他ならない。ダメージを与えるには刀を振るわせておく必要があると理解した。故に最後迄盾としての戦い方をする方が良いと思われたのだ。
「ね、貴方。此処は引いてくれれば、見逃して差し上げますけれど」
「悪いが、此れも依頼でな……!」
蠱惑的に笑った女。引く気はないのだろう、ならば此処で殺しておく必要がある。籠手越しに握った刃は鋭く、ギチギチと金属が軋み合う音だけが夜に響く。
刃が何度も身体を、肌を斬った。鉛玉は肉を抉り口付けた。互いにふらふらで、流血も最早止まることを覚えていない。
青い瞳が黒曜の瞳と絡みあう。互いに殺気を迸らせて。女の弾丸が男のポニーテールを斬り、男の刃は女の髪を結っていた紐を絶つ。長い髪が夜に解ける。
銀糸が、黒糸が、絡み、解け、夜に堕ちる。
弾きあった刀が、銃口が、こめかみに、首に突きつけられる。
「此処で、殺しておきましょう」
「奇遇だな、同じことを思って居たで御座る」
風が囁いた。
刃は鼓動。斬撃は血液。戦いは心臓。
此の戦いは、終わりやしないんだと。
「っ、はぁっ、はぁ、」
男の汚い息がこだました。
「嗚呼、そう云えば」
「応、此れで終わりだ」
バァン
乾いた銃声は額を貫き、飢えた刃は首を絶った。
「……あら?」
「あれ……貴殿は、此奴の味方ではないのか?」
「否、あれを倒すように依頼を受けた……」
銀のリボルバーは先程迄の獰猛さを潜め、代わりにあったのは申し訳なさそうに眉根を寄せる女の姿。
「ローレットの
小さく礼をした女は、困ったように笑みを浮かべ。
おずおずと、掌を差し出した。
其れはある、月夜のことだった。
「……つまり、ええと」
「拙者と星穹殿は、同じ敵を追うていたと云う事だな」
「……」
星穹が頭を抱える。己がやらかした所業。味方とは言え許せることではないだろう。
「いやあ、済まない……敵だと思って居たので御座る」
「いえ、私も済みません、色々と……お怪我は、ありますよね……」
「まぁ……でも其れは星穹殿も同じだろうに」
「いえ、此の程度であれば。依頼の報告を済ませる前に店に入りましょう、手当てを致します」
「気にする程のものじゃあ……って、ちょっと、お嬢さん?!!」
息をするのも難しかったあの戦いの中、腕を貫いた鉛玉を覚えている。
よく似た異装を纏う幻介の腕を見る為に星穹は着物の袖を捲っていたのだ。べっとりと血で濡れている。嗚呼、本当に、此奴は!
「弾丸が身体に残っていたらどうするつもりなんですか!?」
「わ、解った、解ったから、少々待ってくれ」
「麻酔の用意はありましたかしら……嗚呼もう、貴方は本当に想定外です!!」
●再演
「あの後は中々だったで御座るなあ。どちらが首を持って帰るかでまた武器を……」
「もう、やめてくださいな」
「結局二人で首を持って帰ったんで御座るよ。こうやって、二人で首を担いで――」
「あははっ、もう、お腹が痛くなります!」
ほんのり回った酔い。半酩酊、零れる笑み。
軽食をつまみながら、あの夜を語り合う。
やれ、あの太刀筋は痛かっただの、あの蹴りで青あざが出来ただの。
「依頼主も納得してくださったからよかったけれど、私達も冒険したものですね……」
「今ならもうやろうとは思わないで御座る。あの時は疲労困憊だったので御座るよ」
「否定しませんわ。何せ敵だと思って居ましたからね」
「嗚呼。面倒な敵で御座った。もう刃は交えたくはないで御座るなあ」
「ふふ、同感です」
「傷。ちゃんと治ったようで良かったで御座る」
「其れは此方も……本当に、申し訳ないです」
「もうあの夜のことは謝らないと決めたで御座ろう? ならば謝るのは不必要で御座るよ」
「……そう、ですね。貴方はお人好しが過ぎるようにも思いますけれど」
空になった皿。あの日と同じように困ったように笑った星穹に掌を差しのべたのは。
「幻介、様?」
「拙者達はもう、友達であろうに。何も気にすることは無いで候」
「……ええ」
幾多の人を斬って来た。
斬らなければいけないと思って居た。
『そう』しなければ、生きて帰ることが出来ないから。
刀を振るい続けた其の掌は酷く固く、肉刺が出来ていた。
幾多の人を殺めて来た。
待ち人も家族も無い自分が手を汚せば、他の誰かが汚れることはないと信じていたから。
心を殺し続けることが正しいと思ったから。
ボロボロになった其の掌は酷く小さく、震えていた。
「……良い友を持ちましたね、私」
「はは、そうだろうそうだろう。気分が良くなってきた、酒を頼むで御座る!」
「わ、私酔うと酷いので……ちょっと、幻介様、もう飲んでる?!!」
昨日の敵は今日の友。
であるならば、今宵の敵も夜が明ければ友であろう。
出逢いは死線で、戦を交えたとしても、結び、繋がる縁もある。
例えばそう、今日の二人のように。
おまけSS『次は私が奢ります』
「貴方、狼に追われているって聞きましたけれど」
「ん? 狼?」
「私迄刺されるのはごめんですから。情報通なのも忍の心得……は、置いておいて。丁度近くに居るみたいですけれど」
「えっ」
「では、また。私は此れにて」
「ちょっ」
「一緒に刺されても良い人はもう決めてありますから」
「まっ」
「だって私、昼時は苦手なんですもの。お話相手は見つけておきましたから、では」
「…………ヨシ、帰ろう帰ろう何もないで御座るお勘定をするで御座る」