SS詳細
夏の終わり、現実の続き
登場人物一覧
ある老婆は語る。
「バランツの人かい? なんていうかね。仕事はきちんとしてくれてたよ。ただ、顔を見たことはなかったねぇ」
ある男は語る。
「無能ってわけじゃなかった気はするがね。
ある女は語る。
「ただ……ほんとうに、ね。顔を見たことは無い。会ったり、挨拶とか……領地の見回りみたいなこともしなかったねぇ、あの人は」
ある老爺は語る。
「わしらは、
憎かったのなら、圧政を敷いたじゃろう。奇妙な事じゃ。奴は確かに悪人じゃったろうが、興味を持たれなかったが故に、奇妙な共生関係が成立していた。
まぁ、最後は女神への生贄として毒を撒かれたのじゃが。皮肉なもんじゃな。
クローディス・ド・バランツの日記より抜粋――。
「究極的に言えば、領民どもは僕の事等見ていないのだ。それは都合のいい関係であったが、同時に屈辱的でもあった。
結局、誰も……『僕自身』を見ていないのだと再確認しただけなのだ」
例えば、王家に歯向かったものの末路はどのようになるのだろう?
少なくとも、バランツ家は取り潰しになった。元々世継もいない家系だったから、国への憎悪が蓄積されることも無いだろう。領地には別の貴族がやってきて、つつがなく統治を続けるだろう。何も変わらない。領民にとっては。興味のない領主が、また別の興味のない領主に変わるだけ。
では、王家に歯向かった末に死んだものは、その亡骸をどこに葬られるのだろうか? 当然のことながら、正しく家の墓で祀られることなどはないだろう。そもそも葬られるのか? 絶対たる王に歯向かった愚か者が?
様々な理由から様々な所へ葬られるであろう。これはケースバイケースだ。殊クローディスに関していえば、彼は幻想中央教会の管理する共同墓地に、ひっそりと埋葬されることになった。
その埋葬の場所も秘匿。反逆者になんらかの
――とはいえ。一人か二人位、墓に参るものがいても罰は当たらないだろう。
夏の終わり。涼し気な風とまだ暑い太陽が照らす山道を、アーリア・スピリッツとシャルティエ・F・クラリウスは、汗を拭きながら歩いている。
「随分と、辺鄙な所に居るのね」
アーリアが笑った。
「帰っちゃおうかしら」
「でも、せっかくここまで来たんですし」
シャルティエが苦笑する。アーリアが本気で帰ろうとしたわけじゃないことは解る。ろくに参拝客もいないだろう墓に通じる山道は、最近ようやく人が数度通った後を感じさせる程度で、ほとんどが草木に覆われている。そうだろう。彼に参るものはいない。むしろ、墓に入れてもらえただけでも御の字だろう。彼は間違いなく、悪人なのだから。
「シャルティエくんは」
歩きながら、アーリアは言う。
「どうおもう? 彼の事」
「正直言えば」
シャルティエは、少しだけ考えるそぶりを見せて、
「やっぱり、彼自身のことは、よくわかりません。ただ、間違いなく、悪人だったとは思います。
リルを傷つけ、アンジェロを傷つけ。自分の欲のために、多くの人を利用して。はっきり言います……許せないです。殺したい、とすら思ってたと思います」
シャルティエは、少しだけ目をつぶった。体に巻き起こった熱を冷ますみたいに、木陰が風を運んだ。
「でも、リルはきっと、許してあげてください、って言うんでしょうね」
「そうね。あの子はきっと、そう言うでしょうねぇ」
少しだけ山を登る。鬱蒼と生い茂る木々の合間に、僅かながら道がある。記憶と想いをたどる様に、一歩一歩、登っていく。
「それと……なんだろう。あの時のアーリアさんの言う通りだったなら……寂しい人、だったのかもしれません」
シャルティエが言った。アーリアは、ふと思い出す。最後の瞬間にすれ違った視線。魔種と言う、強大な力を手にしながら、最後の最後に見せたのは、母に叱られるのを恐れる子供のようですらあった。
「……私もね。別に彼を許したいとか、そう言うんじゃないの」
アーリアが言った。あの目。あの瞳。喉元まで出かかっていたのを、飲み込んでしまったような表情。彼は何を言いたかったのだろうか?
別に、同情していたわけじゃない。それほど深く、クローディスと言う男を知っていたわけじゃない。
ただ、最後の彼の姿が、どうしても気にかかる。最後まで、彼が飲み込んだ言葉。
「もしかしたらリルちゃんも、クローディスがそう言う人なんだ、って気づいていたのかもしれないわね」
「リルが?」
「そう。女って、男の子よりもずっと早く、大人になるんだから」
くすくすとアーリアが笑う。シャルティエは解ったようなわからないような、そんな表情をした。
それからしばらく進むと、突然、小さな墓が現れた。例えば開けた場所に堂々とある様な、そんな姿ではなくて、木々の木陰に、まるで石ころみたいに、その墓石は安置されていた。此処に眠っているのは、クローディスだけではないだろう。本来ならば、祀られることない名もなき死者たち。歴史の敗者たち。そんなものが、きっとここには眠っているのだろう。
アーリアとシャルティエにこの墓の場所を教えたのは、当然のことながらイレーヌ・アルエである。「秘密ですよ?」と微笑むイレーヌの姿が目に浮かんだ。出来れば、祈ってやってほしい。眠っている彼らは間違いなく悪とされる人々ではあるが、安らかな眠りを祈ることぐらいは許されてもいいだろう。
「なんだか、うまい具合に利用された感じがあるわねぇ」
アーリアは、花屋で適当に見繕ってもらった花束を、ゆっくりと墓前に捧げた。何の花なのかは、アーリアも知らない。本当に、ランダムに選んでもらった。なんだか自分で選んだら、その花の意味を考えてしまいそうで、そして花の言葉の意味なんてクローディスも望んでいなさそうだから、こういうのが一番いいと思った。
「シャルティエくん、お祈り、付き合ってくれる?
どんな思いでもいいわ。安息を祈るのだっていいし、恨み言だっていい。
祈りって、生き残った自分がつけるケジメみたいなものだと思うの。だから、この想いを昇華するためにも」
「一緒に来るって決めた時から、そう思ってました」
シャルティエは微笑むと、アーリアの隣に立った。小さな墓の前に、二人は跪いて、ゆっくりと目を閉じて、祈り。
「リルは、あなたを許してくれと言うでしょう。でも僕は、一生あなたを許さない」
シャルティアが呟いた。最後の瞬間の、クローディスの姿が思い浮かぶ。嘘だ、と喘いだ姿。もし彼に、リルに助けを求める勇気が、リルを信じる勇気があったなら、何か変わったのだろうか。
「幻想は……今も変わりなく、これまでのままです。僕たちが守っていく。貴方みたいな人が何度、現れても。きっと」
それは、クローディスに対しての心底からの決別だった。同情するわけではない。むしろこの体制と秩序を維持するのが、今の自分たちの仕事であるならば、たとえ何度クローディスのようなものが現れたとしても、それを駆逐するだろうと。
「そうね。許してなんかあげない。もういいわ、なんて言うわけないでしょう」
アーリアが、続くように言った。彼は悪人だ。間違いなく。だから彼は罰せられ、裁かれ、死と言う形で罪を償う必要があった。
「……最期の言葉位、聞いてあげたのに」
静かに呟く。紡ごうとした言葉。紡がれなかった言葉。きっとすごくシンプルで、バカバカしい願いだったに違いない。でも、それを聞く機会は永久に失われた。
「男ってほんと、意地っ張りなんだから!」
アーリアはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。シャルティエが続くように立ち上がる。
「――さて。これでお終い。付き合ってくれてありがとうね、シャルティエくん」
アーリアが微笑むのへ、シャルティエは頷いた。
「いえ、こちらこそ、誘ってくれてありがとうございます。まだ気持ちの整理はつかないけれど、何となく、終わったことを実感できました」
ばさり、と鳥が羽ばたいた。空を覆う木の枝が揺れて、二人に影を作る。それをしばし見つめてから、アーリアは、「んー」と唸った。
「……ここ、なんか陰になってて暗いわよね」
「そうですね」
シャルティエの返事に、アーリアは「うん!」と声をあげると、
「ね、シャルティエくん。なんか辛気臭い場所だし、この枝切っちゃいましょ!」
そう言って、空を指さす。シャルティエは天に蓋する木の枝を見上げて、
「……そうですね。墓までこんな有様じゃ、幽霊になってからも暗くなっちゃいますから!」
そう言って、頷いた。
果たして二人は簡単に用意をすると、空をふさぐように伸びた木の枝を簡単に切りそろえ始めた。切り払った枝は地面に並べておいて、ふと空を見上げてみれば、午後の日差しが墓石を照らしていた。夏の終わりの静かな陽光を浴びながら、アーリアはゆっくりと伸びをする。
「よし! 帰ろうか、シャルティエくん!」
アーリアは、柔らかく笑った。シャルティエは頷く。二人は草木のしげる山道を、ゆっくりと歩き出す。
「さようなら、クローディス。きっともう、来ることは無いわ。貴方だって、来てほしいなんて思ってないでしょう?」
アーリアは小さく呟く。きっともう、アーリアもシャルティエも、この地を訪れることは無いだろう。
でも、それでいいのだ。これは気まぐれ。わずかに触れ合った袖。
彼は眠り、二人は生きる。
彼の夢は潰え、二人の現実は続く。
長く長く、未だ続く道の途中に、二人はいる。