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幸えたまえ
登場人物一覧
真性怪異。それがどの様な存在であるかをヴェルグリーズは深くは知らない。だが、希望ヶ浜怪異譚を追って往く事は怪異と出会う事になるのだと知っていた。
石神での経験則。真性怪異は希望ヶ浜の土地に根付く信仰を――音呂木を嫌っているのは確かなのだろう。
逢坂地区と呼ばれる神奈川県をイメージした海沿いまでの小旅行。距離は少し離れているがその地にも怪異の気配がするならば往かぬ訳にはならないか。
それに己も放浪のみだ。何処へ往こうとも災いを退けられるような。そんなお守りを手にしたい。
念には念を入れて、安全のために音呂木神社の鈴を買いたい。
――と云うのはヴェルグリーズが此の地を訪れた切っ掛けであった。
ふらりと姿を消して主の縁を辿り歩む。縁を結わえ、紡いで、道を辿る放浪癖。それを思えばこそ、旅の安全はお守りで気休め程度にも得られるのではないだろうか。
さて、お守りとはどこに売っているのだろうか。希望ヶ浜は独自の文化を有している。石段を登り鳥居を潜り周囲を見回せばこじんまりとした小屋が建っていた。
境内はしんと静まり返っている。木々の擦れる音を聞き、一先ずは目に見えた小屋に向かって歩き出す。
「あそこかな……?」
授与所と書かれた看板が掲げられている。人影は疎らで、誰かに確認するために問い掛けることも出来なさそうである。
一先ずは其処まで向かえば誰か居るだろうかと近付けばお守りの種類が書かれた札が幾つか掛けられている。どうやら、問わずとも此処で購入できそうだ。
「すみません」
――そう声を掛けるのだと知っている。
誰も座っていなかった受付に声を掛ければ奥から顔を出したのは見慣れた顔であった。
きっちりと巫女服を着用し、髪を1つに結わえた音呂木ひよのは「あら」と不思議そうに目を丸くする。
「ヴェルグリーズさんじゃないですか。こんにちは。お参りですか?」
「ああ、いや……お守りが欲しくてね。逢坂に出掛けるというのもあるけれど、混沌世界を歩き回っているから。その道中の安全祈願になれば良いかと思って。
ひよの殿は今日はここでの仕事?」
「はい。実家の手伝いとも言いますね。今日はカフェのアルバイトでは無くてこちらなんですよ。
ふふ。安全祈願が欲しい……良き心がけです。ご準備しますね」
微笑んだひよのにヴェルグリーズは頷いた。彼女は特別に準備しましょうと張り切ってお守りの用意を始めてくれる。
準備をして居るひよのの様子を眺めながら、ヴェルグリーズはふと物思う。彼女に送り出される地は何時だって
勿論、普通の夜妖の仕事も多い。彼女は希望ヶ浜での案内人であり、イレギュラーズの為に精力的に活動している。西に東に奔走して居るとも言えるだろうか。
「……あまり見詰められると驚いてしまうのですが、変なことはしていませんよ?」
「ああ、ごめん。ひよの殿に準備して貰えると、何だかご利益が有りそうだと思って」
「あら。勿論ですよ。なんたって、当代の音呂木の巫女は私一人ですからね。神主の方が良いというなら父を呼びますけど」
揶揄うように笑えば、揶揄い返してくれる。音呂木ひよのという少女はそう言う性格なのだろう。自慢げな彼女が準備してくれてお守りは鈴飾りと、旅の安全を願うものだった。
音呂木の鈴が希望ヶ浜の真性怪異に対して有効で在ると言うのはよく聞く話だが、外ではそうも行くまい。それ故に、彼女は敢てお守りを用意したのだろう。
「これで……屹度、ヴェルグリーズさんは無茶をなさるのでしょうから。
コレを見れば私を思い出して、ちゃんと帰ってきて下さるのでは無いかと思ったのですよ」
「かもしれないね?」
「そうしてください。貴方の
その言葉に、ふ、とヴェルグリーズは噴き出した。彼女は希望ヶ浜ではイレギュラーズの誰にとっても先輩なのだという。夜妖退治の先輩、学校の先輩、様々な意味を込めて、自身を後輩として扱い危険な場所に送り込むことを厭う彼女。
ソレは優しさなのだろう。大丈夫だと口にするわけではない。だが、彼女が一番に欲しい言葉をヴェルグリーズは知っていた。
「いつだって、きちんとただいまを言えるように気を付けることにするよ」
「はい」
頷いたひよのは分かって居るじゃないですかと言わんばかりに満足げに頷いた。しんと静まった境内で木々の擦れる音を聞きながら二人で談笑をする。
そんな穏やかな一時に、共通の話題が生死をも左右することであるとは余りにも想像もつかないことで。
ひよのが「次は何方に行かれるんですか?」と問い掛ける言葉にヴェルグリーズはうーんと首を捻った。イレギュラーズとして様々な地に呼び出されるのは日常茶飯事だ。
彼女の居る練達は再現性東京にだって訪れることは多くあるだろう。1つの場所に向かうわけではないのが中々に言い辛い。
「呼ばれた場所、かな。それ以外にも行きたい所は色々あるけれど」
「まあ、そうですよね。イレギュラーズともなれば、仕事仕事で大忙しです。それだけ、頼りにされているのでしょうね。
……私は再現性東京の外には疎いのですが、世界を救うような冒険をなさっていることはよく聞いています。
ですが、それはとても危険で……私が
ソレが少し寂しいのですよと笑ったひよのにヴェルグリーズは「でも、キミが居なければ此処での活動は困っていたよ」と微笑んだ。
「本当ですか? それなら、褒めるついでにお土産の一つや二つ、下さいよ」
「ひよの殿は何が欲しいんだろうか。地域の特産物とか?」
「変なモンスターはイヤですよ。アクセサリーでも良いですし、食べ物だって。お礼として受け取りましょうか」
揶揄うように笑った彼女は、ヴェルグリーズが放浪し何処へ旅だっても此処に帰ってくる場所があると、そう告げていたのだろう。
それが皆の先輩である音呂木ひよのの優しさなのだと感じてヴェルグリーズは微笑んだ。
「いつも俺達を支援してくれてありがとう。キミもどうか無理の無いように、ね」
ヴェルグリーズのその言葉に、ひよのはぱちりと瞬いた。何時だって見送る側であるひよのにとって
「……それは、私が言うべき言葉ですよ。
ヴェルグリーズさん。どうか、貴方の進む道に幸ありますことを。私は希望ヶ浜の、この
この場所からしか見守れない。常に、共に進むことが出来ない歯痒さが、祈りとなって皆を護る力になればいい。
音呂木の鈴はひよのの祈りだ。どうか、皆が無事に帰ってきますように。ただいま、と言ってくれますように。
「……どうか、気をつけてくださいね、いってらっしゃい。ヴェルグリーズさん」
微笑んだ彼女は何時も通りの声音でいってらっしゃいを告げるのだろう。
だからこそ、ヴェルグリーズも何時も通りの言葉を返すのだ。
――いってきます。きちんと、ただいまを言いに来るから。