SS詳細
アレが食卓に並ぶまで(ほぼロバ目線)
登場人物一覧
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はじめに断りを入れておくことにする。
ここから綴られる記録を読み終えて、あなたが何ひとつ理解できず、寧ろ脳が理解に対して拒否反応を起こしたとしても、それはあなたの正気を示すものに他ならない。
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「どこに消えた!?」
「こっちにはいないぞ!!」
雨の降る林の中、ボタンはただ怯えながら木の陰に蹲っていた。
捕獲業者の怒号が飛ぶ。彼ら、彼らの法で言うところのボタンの所持者であるらしい。
とんでもない話だと目を疑うかもしれないが、これは間違っても奴隷制や人身販売の話ではないので安心してほしい。なぜならボタンは食用ロバだからだ。
逃げ出した松阪牛を畜産家の人が追いかけてもなんとも思わないだろう。釣り上げたたいやきを漁師のおじさんが平らげてもなんとも思わないだろう。なぜならそれらが食用だからだ。
しかしこの話はロバであるボタンの目線で描かれる。結果としてこれを読み終えたときには一週間くらいロバ肉が喉を通らないかもしれないが、安心してほしい。大体の日本人はロバ肉が喉を通ったことはない。
安心してもらったところで、主役のロバ、ボタンのことを紹介しておこう。
ボタンは屠殺業者の元を逃げ出した母ロバより柵の外で生み出された野生の家畜ロバである。既にあらゆるところで矛盾が生じている気もするが、いいか、私はもうこれ以上この話を整合性のもとに組み直したりとかしないからな。
母ロバの名前はチェルシー。チェルシーの子供がボタンとは中々ネイミングセンスがキラってやがるが、趣旨とは異なるので横に置く。
さて、チェルシーはボタンを女手ひとつで懸命に育て上げた。はじめは業者の追手がいつ差し向けられるのかと怯えていたものだが、季節が一巡する頃にはその心配もどこへやら、親子はけして裕福ではないものの仲睦まじく暮らしていた。
問題が生じたのは三時間前のことである。チェルシーがいつもどおり川へ水を飲みに行こうとしたところ、林の中で人間を見かけたのだ。
慌てて隠れ、息を潜めた。あの人間には見覚えがある。かつて屠殺業者のところに居た時に出入りしているのを何度か見かけたことがあった。
自分を探しに来たのだろうか。
人間が居なくなった頃を見計らい、棲家へと戻っては来たのだが、チェルシーの中に生まれた不安が消えることはなかった。
一年も経ったのに。経っていると、思ったのに。心の中で臍を噛む。ロバにそういう感情表現はないので心の中だけで行った。
逃げなければならない、せめて我が子だけでも。
チェルシーがそう長期間逃げ続けることなど不可能だ。なぜなら耳に業者がタグをつけてしまっている。一回頑張って外そうと、なんとか顔を曲げたり舌を伸ばしたら届かないものかとやってみたのだが、耳のタグを顔だけで外すことは生物の構造上不可能だった。
刃物を扱うという選択肢はない。なぜなら文明の発達程度の問題で刃物を使用できないからだ。そんなアチーブメントは種族的に開放されていないのである。
ともかくも、チェルシーは人間の目に止まれば脱走家畜であることはひと目でわかってしまう。娘の邪魔にはなりたくない。我が子を逃がすためには、ボタンをひとりで行かせるしかなかった。
「あなたはもう、子供じゃないのよ」
突然の通告。だってついさっき一緒に水を飲みに行ったのに。母は乱心したのかとボタンは自分の耳を疑ったが、チェルシーの顔は酷く真剣だ。正直、ロバの表情変化って全くわからないけどそれはそれは真剣な表情をしていた。
ボタンは後ろを振り返る。その先には二人で食べるには手狭な草地と、水飲み場にしている川へと繋がる林が広がっている。
この先に、ひとりで。緊張に背筋が震えたが、生きていくためには自分の足で歩いていくしかない。
ボタンは決意を目に宿し、母のことを一度も振り返ることなく林の向こうへと広がる大草原を求めて駆け出したのだ。
人間に見つかったのはその15分後のことだった。
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ボタンは暴れて抵抗しながら、母の教えを思い出していた。
初めて見るが、こいつらは母の言う『トサツギョーシャ』に違いない。母は言っていた。彼らは自分たちを殺すために育てているのだと。なんてやべえやつらなんだトサツギョーシャ。サイコパスにも程があるぞトサツギョーシャ。
捕まればまず命はない。母は無事だろうか。今さっき別れたばかりの肉親のことが脳をよぎるが、まずは自分が無事でなければ安否を確かめることも出来やしない。
幸い、捕獲業者の数は少なく、成長したボタンの馬力を抑え込める者はいなかった。
成長した四足獣が本気で暴れると、訓練を積んでいない人間に抑えておけるものではない。
捕獲業者もまさか若いロバがもう一頭居るとは思っていなかったのだろう。暴れるボタンを前に、取り押さえられないでいた。
いける。逃げられる。ボタンは確信する。トサツギョーシャは自分を抑えることが出来ない。ならばこのまま逃げ出し、手の届かないところまで行ってしまおう。
後ろ足を強く蹴り、前へ。いざ、自由へと。
背後で何か声が聞こえる。「待て」とか「取り押さえろ」とか「先生お願いします」とかそういうものだ。異常者どもめ、待つものか。
この分では母も逃げられていよう。自分のような若いロバが容易く逃げられたのだ。母のように賢いものが逃げられぬ道理はない。
木々の隙間を走り抜ける。獣道でも道は道。この林に慣れた自分には寧ろ開けてすらいるものだ。
追いつけやしない。木々が薄れていく。ゴールが見えてきた。林の向こうには行ったことがない。あの向こうには、未だ見たことのない広大な草原が広がっていることだろう。
走れ。走れ。走ることが生きることだ。その為に進化して来たのだ。
木々が開く。光の向こう。輝かしい未来へ――――そこで首筋にチョップを受けた。
暗転。
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檻の入り口がガラリと開き、チェルシーの前にそのロバが転がされた。ボタンである。
我が子との思いの外早い(旅立ちから20分)再会に驚愕したが、ボタンを連れてきたハンターの顔を見て納得し、同時に絶望と諦念を抱くことになった。
ハンターの名は咲花・百合子。ロバを生かすも殺すも腕一本で自由自在というSS級ロリババア漁師である。彼女に目をつけられたのならば、逃げられるはずがない。彼女は青春時代(システムが上手くバベれてないので誤訳だと思われます)にロリババアとの深い因縁があり、その経緯を持ってロリババア漁師の道で今も最前線を駆け抜けていると言われているが、それはまた別の話である。
なぜなら尺が足りないからだ。お前なんだよ発注文の全7章って。6000文字で終わるわけねえじゃねえか。
「チェルシーと再びまみえて、ボタンは幸せなのである」
百合子の言葉はちょっと何言ってるのかマジでよくわからないが、書いている方もよくわからないので不安がることはない。これを書くために何度も発注文を読み返したが、未だに全く理解できないでいる。一文字打鍵する毎に反比例的に正気度を奪われている気がしてきた。お前これ本当に世に出して大丈夫なやつなんだろうな?
不安が取り除かれたところで百合子は言う。今度新しくステーキハウスが開店し、そのオープン記念で振る舞われるのがチェルシーなのだという。
チェルシーは絶望を更に深めていった。業者に捕まっても野生の期間があった以上、味を戻すためにしばらくは生きていける可能性もあったのだ。しかしその道も最早断たれた。百合子に落とされ、未だ眠り続けている我が子の顔を見る。
せめて子供には別れを言いたい。もう一度だけ、言葉を交わし合いたい。その願いは聞き入れてもらえるだろうかと、我が子を捕らえたハンターの顔を仰いだ。
「大丈夫、きっと美味いのである」
だめだこいつ話が通じねえわ。
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ついにステーキハウスがオープンした。「ほおら、これが今からチェルシーの出されるお店の外観であるぞ」とナチュラルに絶望を擦り込むような発言とともに最後の散歩を行わされていたところ、店の周りはお祝いの花で飾られていた。
立派な店構えだ。ロバ肉中心というのはなんともチャレンジ精神溢れているが、気になったのはメニューよりも店の大きさの方である。この規模で人を呼んだのなら、自分一頭で果たして肉は足りるのだろうか。
『その時』を待つチェルシーの顔はどこか晴れ晴れしい。たぶん全てを諦めというフィルターで受け入れたからだと思う。ちょっともう飲んだくれ亭主にパート代取り上げられた後の奥様感のある目元をしているし。
そして、我が子との最後の時を迎える。
この日まで隔離されていたがあの時の願いが受け入れられ、最後に言葉を交わすことを認められたのだ。
本来、屠殺業者は自分たちに情を持たない。それはロバの肉を得るという生業を選んだ上で彼らが自分から背負ったものであり、そこに徹しているのだとチェルシーは理解していた。
だからこそ、チェルシーは彼らに感謝の念さえ抱いていた。自分を殺し、ゆくゆくは我が子をも手にかけるのは間違いなく彼らである。ともすれば死神にすら等しい存在であるのだが、最後に投げかけられた微笑みにその奥底にある優しさを垣間見た気がしたのだ。
生きるため、彼らがそうあるのも仕方がないことなのかもしれない。娘が生きるため、自分が優しさを包み隠したのと、同じことなのかもしれない。
目の前に娘が現れる。生かすためと、一度は突き放すように別れを告げた。それが今度は、死を受け入れて優しい言葉を投げかける。因果なものだと空を見た。めっちゃ曇っていた。そういや午後から降りそうだからってテラス席片付けてたな。
我が子の顔はまだあどけない。屠殺業者に捕まったという意味を理解していないのだろうか。それとも、理解していてなおこれも運命と、自分のように受け入れてしまったのか。
「おかあさん、わたしも家畜なんだよ」
娘の言葉は明るい。せめて失意に落ちたそれが最後に聞くものではなくてよかったと思う。幸せな思い出を抱えていれば恐怖はなく、寧ろ幸福の涙を浮かべていた。
娘に見せぬように一筋のそれを流しながら、言葉の意味を問う。最後は何でもない会話で、何でもない日であるかのように終わりたかった。
せめて日常のように、消して広くはないが草原を棲家とし、飲水にも困らず、夜は身を寄せ合って暖をとったあの時のように。
しかしチェルシーは気付かされる。絶望とは底のない闇であり、落ちたものをけして手放すことはないのだと。
「わたしも生ハム希望したんだ」
娘の答えは朗らかな声音で突き出され、振り返ればそれが寧ろ名誉だとでも言うふうに胸を張っていた。
「ずっと一緒だよ」
慌て、隣に立つロリババア漁師に目を向ける。人間の表情はよくわからないが、その時確かに、彼女は娘と同じ目をしていたと思う。
「うむ、ずっと一緒であるぞ」
言葉の意味が理解できない。理解しようと脳が働かない。これ以上に残酷な話があるだろうか。娘は笑っている。本当に、本当に朗らかな表情で笑っている。
嗚呼、娘は受け入れたのではない。刷り込まれてしまったのだ。家畜のあり方を。食肉となる為に育まれる生き方を誉れとしてしまった。
豪州産よりは高いものの、黒毛和牛と比べると流石に勝てないくらいのお値段になる運命を頂きとしてしまった。
これは娘でない。娘の形をしている別のものだ。娘はどこへいった。嗚呼、娘をどこへやった。
娘の形をしたものが、私へと母に向けるような目をしながら言う。本当に、幸せそうな笑顔で言う。
「ずっと、一緒だよ」
いつしか涙は止まっていた。別の感情の涙はとうに枯れ果てていたのか、視界が歪みすらしなかった。
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「いやはや、ステェキはまことに最高であるな」
百合子が最後の一切れを胃袋に収めると、満足げに口元をナプキンで拭った。
ロバの肉は馬に似ているもののそれより柔らかく、口に含むと抵抗なくすんなりと入ってくる。さっぱりしているが確かな甘みがあり、牛豚では味わえない感動をもたらしていた。はい、適当いいました。実食経験ないのでレビューサイト見てそれっぽく書きました。うん、私が悪かったから販売業者のURLを送ってくるのはやめようね。
しかし、肉の質だけが味の決め手ではない。ステーキハウスと聞くと細やかな調理手段は無いように感じられるが、ここで雇われているのは一流の料理人である。高級な肉の味をさらに深みがあるものへと進化させていた。
「待ってゆりこちゃん! まだ生ハムとワインが残ってるよ!」
食卓。百合子の正面に座っているのはロクである。そういえば発注者であるのだが、ここで初登場だ。そろそろこの話も締めくくる時が来ているのだが、まあいいか。
ステーキハウスのオープン記念、非常に多くの客で賑わっていた。ひとり、またひとりと彼らに祝いの言葉を投げかけては、ウエイターに連れられて予定されていた席へとついていく。
混沌に子ロリババアの愛好家は多く、このオープン記念に自分の飼い子ロリババアを連れてくる子ロリババアオーナーも見受けられた。子ロリババアを食す場に子ロリババアを連れてくると聞くとなんともクレイジーな行動に思えるが、子ロリババアの愛好家が集まる場というのは得てしてそういうものだ。実際、イベシナでも一回見たしなそんな光景。
百合子がワイングラスを手にとった。美少女だけど飲酒はいいのかという質問はさておこう。低レベルの頃はあんなにも酒が似合いそうであったのだし。ワインというより、コニャックとかそっち系だった気もするけれど。
「これからいただくのである。待っているのだボタンよ、吾が腹中でまた母君に会わせてやろうぞ」
おかしいなー、視点を人間目線に戻してもまだ何言ってるのかわかんないぞー。
ともあれ、ふたりはワイングラスをかちりと鳴らし、更に盛り付けられた生ハムを一枚ずつゆっくりと味わったのだった。