SS詳細
家族ごっこ
登場人物一覧
目覚めの日は語るまでもなく近く、頬を撫でる風に目を細めた。煌めく陽光にはまだ目を傷める。人間とは、なんと不便なことだろうか。それが第一の感想であった。
街を見ることにした。人々の営みがあった。浮かれていたのだろう、街をぐるりと一周し、店を見、家を見、時折侵入し怒られ、理由も解らないので促される儘にお縄にかかるところを、偶然見かけていたらしい彼――後の主となる男――ジャン・ユウ・ナーリィが顔を出した。
これもまた後に解ることだが、彼は人々から『信頼』されているらしい。決して大きくはない街で人々から愛される騎士というのは、どれ程のものだろうか。
「お前、見ない顔だな。家は?」
「家が定住するための塒を指すのならば、俺にそれはないよ」
「ふぅん。親は?」
「ええと、血縁者だよね? それも恐らくは無い、かな」
「……どこかの貴族か?」
「俺に爵位は無いよ。ヒトとしてのこれまでは、何一つ無い」
さらりと告げるヴェルグリーズ。瞬いたジャンは、ふうむと顎に手を添えてまじまじとヴェルグリーズを見つめた。
「お前、端正な顔だな。人間じゃないくらいに」
「ああ、それもそうだね。俺は剣なんだ……俺は上手く人間が出来ているかい?」
穏和に目を細め、『微笑む』をしたヴェルグリーズにジャンはまたもや瞬いた。
「……まぁ、この様子じゃ嘘じゃあないだろうな」
「そうだね。俺は……精霊。精霊種のようだ」
他人事のように語るヴェルグリーズに、ジャンは吹き出しそうになるのを堪えながら頷いた。
「お前、名は?」
仲間である騎士に『もういい』と手を払い、むっとした顔をされるのをその大柄な体格で隠しながら、ジャンはヴェルグリーズに笑いかけた。
「ヴェルグリーズというよ、宜しくね。……なんの精霊かって? 別れの精霊にして、剣の精霊だよ」
「心を読むんじゃねえよ。それにしても、剣の精霊か……なら、腕は良さそうだな」
「そうだね、俺の身体を扱うわけだから悪くは無いと思うよ」
街を抜け、外れた森の近くにあるというジャンの家に案内されたヴェルグリーズ。これまでの主達に比べれば小さいが、立派な邸宅だった。
「……お前、さ」
「うん?」
「帰るところ、ないんだろ?」
冷たい冬の日だった。赤らんだ鼻が、銀化粧で揺れる睫毛が、緊張したように揺れる。
「なら、うちで暮らしていけばいいんじゃないか? まぁ、受けるかはお前次第だけど」
ぽん、と肩を叩かれ。『まぁ入れって』なんて、上擦った声で言うジャン。知っている言葉で彼を例えるならば――
「お人好し?」
「っるせ、おら、飯! 腹膨らませてから考えな、精霊剣さんよ」
温かく開かれた扉。差しのべられた手。そのどれもが心地よく、暖かった。
「おかえりなさい、ジャン……あら、また『連れて帰って』来たの?」
「にいちゃんだ!」「しぃー、おしごとのひとかもしれないよ」「でもかあさまはつれてかえってきたって!」
三人の子供たちがヴェルグリーズを囲む。ジャンは大きく欠伸をし、奥の部屋へと入っていく。つまり置き去りにされた。
三人は髪色も、瞳も、恐らく種族も違うようだ。見た目も二人とは似ていない。
「おれはジル! くまのブルーブラッド!」
「わたしは、セナです。ハーモニアです」
「ぼくはリヤムといいます。くらげのディープシーです」
「あなたのおなまえを、おしえてください」
小さな三人が、ヴェルグリーズの瞳を真っ直ぐに見つめて告げた。
「名はヴェルグリーズ。種族はグリムアザーズ。宜しくね」
くすくすと笑う淑やかな女と、小さな子供達。どうすればいいのか解らずジャンを見ると、ジャンは頷いた。
「こいつも今日から俺達の家族だ」
「もう、いつもそうやって……まぁ、そういうところがジャンなのよね」
恐らくは夫婦であるのだろう。柔らかな空気にヴェルグリーズの心は温かくなった。
訪れた変化は確実に。彼らにとっては長い時を、共に過ごした。
歩み寄り、ふれあい、分かち合い。補い合い。
結んだ絆は、太く、固く、確かなものとなっていた。
その、矢先だった。
絶望が、芽を踏み潰したのは。
「魔種?! 魔種が、どうしてこんなところに……」
「ヴェルグリーズ」
声は震えていた。
「男と男の約束だ。出来るな?」
「……ジャン、いくらキミとは言え、」
「できるかできないかを聞いてるんだ」
「……」
「ジルと、リヤムも。母さまをしっかり守るんだぞ。ただし無茶はいけねえな」
「とうさまは、どうするんですか?」
「……とうさまもおれたちといっしょにいこうよ!」
普段は聡いリヤムが想像できなかった。半面、ジルは震えながらも声を張った。セナはルセムの腕の中で泣いていた。
「……大丈夫だ、駄目そうならすぐ戻る。一応騎士だしな。それに、」
「それに?」
「もういくつかのギルドには要請を出してある。ここをしのげば大丈夫だ」
「……わかった。じゃあ、今すぐ出ようか。ジャン」
「ああ」
「約束だよ」
多くは語らずとも理解できた。そうでなければ『家族』などとは二度と名乗れない。
魔種と共に襲い掛かって来た魔物を退けながら、四人を領の外へと連れ去るのが精いっぱいだった。
「……ジャンが、遅いわ」
「……」
「ヴェルグリーズ、彼を見てきてくれない?」
お願い。
瞳で訴えられた。セナも子供達も動けそうにはない。
「ああもう……そこから絶対に動かないで。でも、襲われそうになったら、俺のことは気にせず逃げるんだ」
「わかったわ」
強い人だった。だから、信じていた。守ってくれると。
●
「……おい。ヴェルグリーズ、ッ、なあ、こっち見ろ。そう、だ。顔を、あげろ」
「ッ、そんな――」
「はは、おい……狼狽えるな、よっ、はぁ……ッ、掠り傷だ……ハハ。だからさ、」
腹を裂かれていた。致命傷だと一目で解る。たじろぐ俺を、ジャンは笑った。
「――――みんなを頼んだ」
「……ッ!!!」
固く握られた手。
微睡み、溶け、消えていく温もり。ひかり。心音。
白淡の滲んだ青い空が奪っていく。
駆けるような。唸るような。吠えるような。
そんな、願いすらも、俺は。
叶えることが、できなかった。
「ジャン?! ジャン!!! しっかりするんだ!!」
『何か良くないもの』に囚われ、震え、身を捩らせて。そんなジャンを見ているうちに、彼から託された家族を思い出した。
だけれども、それどころではなかった。冷たくなった筈のその身体が恐ろしい程に震え、光の宿らぬその瞳に怨嗟の炎が灯る。
「ヴェルグリーズ、おれを、ころせ」
「どうして?! 今、キミに何が起こっているんだ!!」
「はやくっ……う、ああ、あああ――――!!!!!」
ヴェルグリーズは垣間見た。
ジャンの身に降りかかった『奇跡』を。
『ねぇ』
『おかしいと』
『思わない?』
(駄目だ、ジャン、その手をとってはいけない――!!)
「ジャンっ、やめろ、その手は――!!」
「でも、だって。はは、だって、」
「――――俺が弱いから、
そんなことはない。少なくとも、一人で護り切るには限界があった。逃げてしまう騎士も、死んでしまう騎士もいた。そんな中では被害は致し方ないものだ。だが、それを良しとできないジャンの性格を、ヴェルグリーズは理解していた。
笑っているとも思えない綺麗な笑顔を浮かべたジャンは、迷わずその手を取った。ジャンが消える。消えて、ジャンではない『誰か』がそこに居る。
領を襲った魔種の誘いであろうか、それともまた別であろうか?
「――みんなは、」
ジャンは最早聞く耳を持たない。あれはジャンではない。震える足を叩いて、ヴェルグリーズは走った。
が、人生と言うのはそんなにも優しいものではない。華奢な女の細腕では反抗すらできない。小さな子供の身体では逃げ延びることすらできない。率直に言おう。四人は皆死んでいた。
ジャンを追うヴェルグリーズを追いかけたのだろう。領の中で、散っていた。
子供達に息はなかった。ルセムだけがまだかろうじて息をしていた。
「かひゅっ、あ、はっ」
「ルセム……!!」
「ヴェ、る、ぁ、」
「ああ……!!」
涙が止まらない。ヴェルグリーズもルセムも、だ。
生きてくれていてよかった。キミはこんなじゃないか。どうかきにしないで。そんなのは無理だ。
「じゃ、ん?」
「え……?」
「ああ、じゃんが、きて、くれた、わ」
「違う!! ジャンは、ジャンはもう、もう――!!」
「あははははははははははは、はははははははははは」
「ルセム、ルセム!! しっかりするんだ、俺の方を見て!!」
頬を叩き肩を揺すって。ルセムの身体も、また、『良くないもの』が包み込む。最期に人として散ることすらも許されない。
『なぁ、ルセム』
『俺達、まだ』
『幸せになれるよな?』
「ああ、ああ、あ」
ヴェルグリーズを蹴り、ルセムの身体を抱いたのは。
「……っ、ジャン――!!!!」
傷も何もかも癒えた、ジャンだった。
「じゃ、ん」
「わたし、まだ」
「あなたと」
「ルセムっ、やめるんだ!!!! 彼はジャンじゃない、あれは――!!」
『ヴェルグリーズ』
『お前はもう、家族じゃない』
身体の底から力が抜けるような感覚。手を伸ばしたまま、ヴェルグリーズは、気を失った。
目が覚めた。
其処には何もなかった。
燃え盛る戦火。命はとうに枯れ果てた。
「――――くそ、くそっ、糞――――――!!!!!」
叫び、泣き、地を叩けども。
失われたものは、帰ってこなかった。
それだけで終わらないのが、咎なのだろう。
生き延び放浪を続けたヴェルグリーズの元に舞い込んできたのは、二人が魔種化したという事実だった。
おまけSS『悪夢』
それはあの日より続く悪夢。
終わらない後悔と、懺悔の物語。
「お皿、ありがとう。其処に置いておいて?」
「うん」
「……驚いたでしょう、子供達。でもあの子達も彼が拾って帰って来たのよ」
皿を洗いながら告げるルセム。驚き固まるヴェルグリーズに微笑んで、ルセムは続ける。
「彼はね、孤児だったの。それをここまで、腕っぷし一本で頑張ってね。
ちょっぴり優しすぎるから、結婚もまだなのにお母さんなんて呼ばれちゃってるんだけどね」
「うん」
ルセムは語った。没落貴族の末娘であったこと。『不幸な事件』により傷物にされていたこと。そんな自分を愛してくれたこと。ジルはネグレクトを受けていたこと。セナは奴隷だったこと。リヤムは盗みをして食い繋いでいたこと。
「……彼が拾ってきたってことは、あなたも今日からここの家族。だから、何があっても、わたしたちを頼ってね」
子供と呼ぶには大きすぎるから、俺の使用人だ、なんて陽気に告げたジャン。
「それから、彼を支えてあげてね」
きっと、苦労も大きいに違いない。ヴェルグリーズは、頷いた。
「ヴェルグリーズ、ヴェルグリーズ!」
とんとん、と部屋をノックしたのはジル。そわそわとした様子のジルは、ヴェルグリーズが笑って扉を開けると、ヴェルグリーズに抱き着いた。
「きょうがなんのひか、しってる?」
「ええと……シャイネンナハト、だよね」
「そう! だいぶものしりになってきたな。おれ、ヴェルグリーズにもプレゼントよういしたんだ。もらってくれるか……?」
「俺に? ふふ、ありがとう。見せておくれ」
お小遣いを大層使い込んだに違いない。そこにあったのは、美しい宝石があしらわれたネックレスだった。
「これは……」
「おれがあせみずたらしてはたらいたおかねでかったんだ。ことしがはじめてなら、おもいでにしなくちゃだろ?」
「ふふ、そうだね。ありがとう、ジル。来年は素敵なものを、俺からも贈らせてくれる?」
「もちろんだ! ふぁふ、おれはそろそろねなきゃ……」
「廊下は冷えるだろう。今日はもう俺の部屋で休んでいくといいよ」
「ヴェルグリーズのこもりうたはかあさまともちがってすき! やったぜ」
もう、叶うこともない。
「ヴェルグリーズにいさま」
「どうしたの、セナ」
「あのね、セナ、おはなをつんできたの。ヴェルグリーズにいさま、おかぜをめされたって、きいたから」
「……ふふ、ありがとう。でも、うつってしまうから、部屋の外にいくんだよ」
「うん。おはなをおいたら、いく」
とてとてと歩いて、ヴェルグリーズが身を横たえる寝台の隣には、いちごといちごの花。
「こうふくなかてい、っていうんだって。セナ、にいさまとであえてよかったから、これ、あげる」
「! ……ありがとう、セナ。かぜがなおったら、俺と一緒に遊んでくれる?」
「うんっ! たのしみにしてる。それじゃあ、おやすみなさい」
もう、できることもない。
「ヴェルグリーズ」
「うん? どうしたの、リヤム」
「……ぼく、ジルとけんかをしてしまったんです」
「……こっちにおいで」
小さく俯いて頷き。リヤムは、寝台に腰掛けたヴェルグリーズの隣に座り、ぼろぼろと涙をこぼしはじめた。
「ぼく、きらわれちゃうかなあ……」
「大丈夫さ。ちゃんと謝れるかい?」
「うん……」
えぐえぐとしゃくりあげながら、ぐずぐずと泣くリヤムの頭を撫でて、ヴェルグリーズは微笑んだ。
「うん、いいこだ。じゃあまずは景気づけに、あたたかいココアでも飲もうか。一緒に来る?」
「うん」
ヴェルグリーズの手を握ったリヤム。その手もまた小さく、あたたかかった。
そんな手を、握ることも、もうない。
「おかえりなさい、二人共」
「今日は一段と疲れたぜ」
「でもジャン、まだまだって言っていなかった?」
「気のせいだろ。それより、飯にしようぜ。俺は鎧を置いてくる」
「うん」
目配せし合い、二人はリビングへ走る。今日は。ああ、今日は!
『とうさま、お誕生日おめでとう!!』
「は?」
呑気に手を洗いリビングへやってきたジャンの間抜けな顔と言ったら!
「はは。こういうのもたまにはいいんじゃないかい?」
「お前の仕業か、ヴェルグリーズ!」
「とうさま、とうさま、いちごをね、セナがつんできたのです」
「おれはプレゼントをみてきた!」
「ぼくは、かあさまのおてつだいをしました」
「ふふ、子供達も頑張ってくれたのよ」
「……そうだな。おい、ヴェルグリーズもこっちに」
「……? わかった」
その逞しい腕が、五人を纏めて抱きしめる。
「ありがとうな……!」
夢を見た。幸せだったあの日の夢だ。
あぶくのように浮かんでは散って、この手では掴むことすらできない。
子供達は皆死んでいた。頭を潰され、全身の骨を折られ、四肢を捥がれて。魔種の正体は解らない。ただ、酷く憎かった。
ジャンもルセムも、死んでいた。守りたかった。守れなかった。
どうして。どうして。俺が弱いから?
旅を続けるうちに、二人の魔種の話が流れ込むたび心が痛かった。から、耳を塞いでいた。
「家族を探しているんだってさ」
「もう死んでるらしいじゃねえか?」
「でももう一人、欠けているんだって」
「その一人をいつまでも探してるのか?」
二人はきっと俺を恨んでいるだろう。そうだと言ってくれなければ、俺はどうすればいいのだろう?
「ヴェルグリーズ」「ヴェルグリーズ様」「ヴェルグリーズ先輩」「ヴェルグリーズくん」「ヴェルグリーズさん」
名を呼んでくれる、優しい友の声ですら、不確かな灯火のようで、怖くて、抱きしめて、叶うならずっと安全な檻の中で、護り続けたいのに。
ジャン。ルセム。ジル。セナ。リヤム。
俺は、君達の家族たり得る存在になれなかった。
ごめん。どうか、許してほしい。