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大丈夫だと君は笑った
登場人物一覧
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ダークネイビーの夜空に薄い星が僅かに光る。
地上の明かりは満天の星空を隠してしまうのだろう。
けれど、光が眩ければそれだけ影も濃くなってしまう。
「お二人とも頑張ってくださいね」
ミディーセラの優しい声が戦場――夜妖の領域に揺蕩う。
ペールグリーンの明りが灯るランタンから広がった波紋は戦場に欠月を描いた。
彼が紡ぐ月の魔法はアーリアと廻の傷に降り注ぐ。
痛みがゆっくりと引いていくのを感じてアーリアはミディーセラに微笑みを浮かべた。
「ありがとうミディーくん。これで万全ね。じゃあ、一気にきめましょ! 行くわよ廻君」
「はい!」
「回復と援護はまかせてくださいね」
全員が前に出るタイプではないが、この三人しか居ないのだからアーリアと廻がミディーセラを守るように布陣する。
事の発端は一仕事を終えてカフェ・ローレットで寛いで居たミディーセラとアーリアの元へ舞い込んだ依頼だった。突発的で他に行ける人も居ないからと三人は依頼を受けた。子供達が遊ぶ公園の中に出現した悪性怪異を倒す重要な役目だ。
「子供達が安全に過ごせるように!」
ミディーセラの月影の魔法はアーリアの身体を被い、光が守りの壁となって夜妖の攻撃をはじき返した。
「皆の平和を守るのが僕達の役目です!」
アーリアの道を開くように、廻が前に立ち魔法陣を展開する。それは暁月の術式を模したものだ。
今だと廻がアーリアに目配せし、その好機をミディーセラが加速させる。
ミディーセラの増幅魔法はアーリアの銀の指輪に収束した。
螺旋を描き幾重にも重なる魔法陣を束ね、アーリアが月明の弾丸を解き放つ。
「悪い子にはさっさと退場して貰いましょう――!!」
アーリアの魔術に穿たれた夜妖の核はパーティクルの煌めきを放ち砕けた。
瞬間、夜妖の領域は解かれ、元の静かな公園に戻ってくる。
「やりましたね。お二人ともお疲れ様。おや……? 何か夜妖が落としましたね。なにかしら」
ミディーセラは夜妖の傍らに落ちている宝石を拾い上げた。
街灯の明りに晒せば、タンザナイトの煌めきを見せる。
「これは綺麗ですね。使えるかもしれませんし、拾っておきましょう」
何かをため込んだ夜妖から出た宝石。魔術や呪いの媒介になってくれる怪異という存在はミディーセラにとって美味しい素材であった。そうでないただの邪魔なだけの夜妖には興味はない。
ふわもふの尻尾を揺らして振り返ったミディーセラはアーリアの傍に寄ってもう一度回復を施す。
「傷が残ったら嫌ですからね。念入りに回復しておきましょう」
「ふふ、ありがとぉ。ミディーくん」
「足が震えてますよ。おばけ怖いですものね」
本当は幽霊や怪異といったものは苦手なアーリアをミディーセラはふわりと抱きしめる。
「よく、頑張りましたね」
ミディーセラの言葉に満面の笑みを浮かべたアーリアは『後片付け』を始める廻に視線を移した。
緊張した面持ちで深呼吸する廻。夜妖の亡骸に触れて祈るように言葉を紡ぐ。
「――思食み」
ざぁ、と闇が風に乗って流れ、一瞬で過ぎ去っていく。
廻の中に流れ込んでくる夜妖の記憶と大罪の咎。
獏馬との戦いと二ヶ月半の療養を経てコントロールが上手くなったあまねを持ってしても思食みを使うのは負担が大きいのだ。血こそ吐かなくなったが顔色は悪い。
「廻君」
「余分なものまで吸い上げていては、身体が持ちませんよ?」
ミディーセラは長命の魔女だ。魔術的な知識は広く持っている。
「掃除をするにしても物体だけ消して仕舞えばいいのでしょう? 貴方のそれは夜妖の全て、罪さえも引き受けるもの。代償を昇華するのに時間も体力も消費してしまう」
傷を引き受ける事が出来るミディーセラだからこそ理解した『思食み』の絡繰り。
廻が使う不完全な思食みの能力は、獏馬の尻尾であるあまねの力が不足しているから。
「共存するのであれば、コントロールを覚えなければいけませんね。わたしの知識が役に立つ事があるならいつでも尋ねて来てください」
あまねを祓う選択は無いのだろうと判断したミディーセラは諭す様に優しい笑みを浮かべた。
「おや、それは是非お話を聞きたいね」
三人の背後に聞き慣れた声が聞こえてくる。
「暁月さん」
アーリアが緑瞳を上げれば、そこには刀を差したスーツ姿の暁月が立っていた。
「こんばんは。今からでもわたしは構いませんよ」
「ふふ、ありがとう。なら、家に招待させていただくよ。美味しい酒と料理を用意してあるからね」
美味しい酒という言葉にミディーセラの耳がぴくりと動く。
「それは、楽しみですね。お仕事のあとのお酒はより美味しくなりますもの」
ふらつく廻を抱きかかえた暁月は車へと歩いていく。
車に乗り込んだ一同は、燈堂家へと向かうのだ。
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「えへへ、こんなに美味しいお酒を頂いちゃっていいのかしら?」
「確かにこれは……」
燈堂家本邸のリビングで日本酒に舌鼓を打つ、アーリアとミディーセラ。
再現性東京の一画にある蔵元で作った日本酒は暁月のお気に入りだった。
「爽やかで甘めだろう? 香りも良いし飲みやすいんだよね」
肴を摘まむなら辛口でも良いけれど、それだけ飲み続けるのであれば僅かに甘い方が好みだと暁月は笑みを浮かべた。
アーリアは日本酒を傾けながら、縁側の近くにある戸棚にふと視線を上げる。
そこには灰皿とオイルライターが飾られていた。
綺麗に磨かれているが、使い古された色合い。
けれど、何年も使用された形跡が無いようにアーリアの瞳には映った。
昔は吸っていたのだろうかとアーリアが視線を流せば、暁月が棒状の砂糖菓子を噛む音と共に、ココアの香りがする。
口寂しさを誤魔化すみたいに室内に響いた。
「ねえ、暁月さん。最近少し顔色が悪いように見えるのだけど、何かあったの?」
「……何か、か」
少し考え込むように視線を落とした暁月は小さく深呼吸をする。
「実を言うと、少し疲れているんだ。……しゅうとあまねが来てからというもの、私の醜い心が少しずつ膨れてしまうように感じる。あの子達はね。何故か、朝倉詩織という女性の姿を取っている」
「それって」
「察しの通り。私の恋人だよ。本当に参ってしまうよね」
愛しい者を殺す原因となった怪異が、その姿を取っているなんて。
「……けれど、私はどれだけ苦痛を味わおうと、壊れてしまう訳には行かないんだよ。この地に鎮めた『真性怪異』の封呪『無限廻廊』を護る為にね」
それが燈堂暁月の背負う使命。されどアーリアやミディーセラに分かる程にこの地の結界は綻んでいる。
守人たる暁月の精神的な軋みが原因であるのは明白。
「いずれ、本家の深道と、もう一つの分家周藤が此処へ来るだろう」
結界の綻びを彼等が感知してない訳がないのだ。必ず調査に訪れる。
「それは調査に訪れるだけではないという事なのでしょうね」
ミディーセラの問いかけに暁月は頷いた。
「私が結界を綻ばせてしまった『原因』を排斥しようとするだろう」
「そんな。しゅう君とあまね君が消されてしまうの?」
アーリアはミディーセラのふさふさの尻尾をぎゅっと握る。
「……それを望む自分と、望まない自分との間で心が悲鳴を上げてるんでしょう?」
ミディーセラは暁月の心を解いていく。こうして暁月が言葉にしたということは少なからず信頼され助けを求められているということなのだとミディーセラは視線を上げた。
「廻さんが悲しむ顔を見たくないということなのでしょうね」
「それも、あるけれど。共に一つ屋根の下で数ヶ月も過ごせば、情が湧いてしまうだろう? 恋人と同じ顔をしているんだよ。普段は全然別人なのにさ、ふとした瞬間に見せる表情が同じなんだよ」
そこに恋愛感情なんてものは無いけれど、燈堂一門の子供達と同じように、暁月の中では慈しみ守らなければならない存在になりつつある。
けれど、それで軋みが解消する訳では無いのだ。
確実に封呪『無限廻廊』は綻んできている。
「明日は満月だ。警戒をしなければならない」
燈堂の地に封じられた真性怪異は満月の晩に力を増す。
「……大丈夫ですよ。暁月さん」
「廻君! 起きても平気なの?」
「ええ。ミディーセラさんがあまねに教えてくれたコントロールの方法で、少し元気になれました。ありがとうございます。助かりました」
「あらあら。それは良かったです」
自分の知識が誰かの役に立つ事があったのならば嬉しいとミディーセラは優しく微笑んだ。
「だから、大丈夫ですよ。暁月さん。僕は『月祈の儀』をしますよ」
「……」
暁月は眉を寄せ言葉を紡ごうとして言い淀む。
「月祈の儀とは?」
ミディーセラの問いかけに頷いて廻は座布団の上に座った。
「――『満月の晩に我が元へその身を捧げ。さすれば、この脆く頼り無い揺り籠の中に留まろうぞ』。それが真性怪異からの夢渡りでした」
何処か誇らしげに笑って見せる廻にアーリアは眉を下げる。
「大丈夫なの? せっかく元気になったのに」
「相手は真性怪異。拒絶すれば、燈堂の敷地だけでなくこの周辺一帯が草も生えない焦土となります」
近くに居るだけで目を合わせるだけで普通の人ならば狂ってしまう。そういう存在。
この地が不可侵域となっているのは、真性怪異が鎮座しているから。他を寄せ付けぬ絶対的な力。
それは正しく神霊と呼ぶべきものなのだろう。だからこそ、真性怪異が出した『要求』は受入れるしか無いものなのだ。
「アーリアさん大丈夫です。これは、僕がやりたいことだから。暁月さんの役に立つ事が僕の生きて居る意味だから。……だから、今日はいっぱい飲みましょ? 酔っていたいんです」
儚く笑う廻はアーリアとミディーセラにグラスを傾ける。
「乾杯」
高く鳴ったグラスの音は、どこか悲しげに室内へと響いた。
願わくば、誰も欠けずに来年の今日を迎えたいと。
切に祈り――