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それは好機を与える石
登場人物一覧
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『黄昏時』――現実と幻想の境界が曖昧になり、人成らざるモノがこちら側にやって来る時間。逢魔時ともいったか。
ともかくその日は不気味なほど美しく空が焼けていた。
今日の分の仕事を終え、朝長 晴明(p3p001866)は急ぎ足で帰路につく。はやく、はやく。愛しいひととかわいい娘の待つ家に。
夕闇の迫る細い路地を進むと、思いがけないモノと遭遇するのも黄昏時ならば当然だろう。なにせ『誰そ彼時』である。
『よぉ、誰かと思えば朝長さん家の色男じゃねーか』
そんなごく当然と言った語り口で自分に語りかけてくるその男。
赤に黒の混ざった緩やかなウェーブ、耳元の刺々しいエラ。首筋に埋め込まれた鱗はあえて見せつけるように。むせ返えるようなバニラの香りを漂わせて目の前に立つその男は。
「お前、は」
――紛れもなく『自分』だった。
『なァんてな、この世界じゃ姿形を似せるなんて赤ん坊の手を捻るくらい簡単……だろう?』
確かに変装の得意な人間は掃いて捨てるほどいる。姿形、声色、背丈までそういうギフトを賜っていれば自由自在。まさに売り切れ御免歳末感謝大バーゲンセールだ。
だから、そうだ、きっとこの男はきっとそういう手合いなのだろう。何処かから仕向けられた刺客。もしかすると『アレ』を出した張本人かもしれない。
『ところがどっこい、俺はお前なんだよなぁ』
「はぁ?」
不審人物の意味不明な言動に眉間に刻まれたシワがより深くなる。
その表情を見て、男はニヤリと笑った。まるでこの状況を楽しんでいるかのように。
『朝長 晴明。本名はターフェアイト・キャラハン。キャラハン家の現当主で今は自身のパートナーと娘、娘が拾ってきたナニモノかと四人暮らし。白珠の海龍にいたときのことは……まだパートナーに全部話してないな?
早く話した方がいいと思うぜ。ベルは優しいからきっとどんな【俺(お前)】でも受け入れてくれるだろうさ』
随分とおしゃべりな自分である。しかも、余計なお世話だ。
うるせえ、と手袋を外して投げつける。愉快そうに笑う男が、自分の鏡写しを見ているようで余計に腹立たしい。
「よしわかった、百歩譲ってお前が俺だとしよう。だがお前が俺ならそれを証明してほしい」
こちらの要望に、男は首を傾げた。
自身の存在を証明する、今の俺を俺たらしめる唯一の理由。
「大切なものへの愛だ」
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同じ背丈、同じ姿、同じ声の存在が二人。一つのことに対して熱弁を繰り広げている絵面は側から見れば非常にシュールである。
「ベルは体つきがいいわりに可愛いんだ。料理も美味いし、これで女だったら……、」
『いや、ハニーは今のままでも十分だろ? むしろ男だからこそいいっていうか……』
しかも会話の内容が文字に起こすのもはばかられる程の、砂糖に水飴を混ぜ合わせたような、或いはチョコレートケーキに蜂蜜をかけたような甘ったるい惚気話なのだから余計に手が追えない。
視界の端で黒猫が不審な顔を向けてから横切っていくのがわかった。
「はー……お前、男色の気があるのかよ」
『俺はお前だよ!』
なるほど、道理で。頷くと男と目が合ってしまい、なんとなくおかしくなってお互いに笑ってしまった。
「確かにお前は俺らしい」
ノロケ話の殴り合いがひと段落し、一服しようと胸ポケットからタバコを探ると目の前の男がタバコをこちらに向けて差し出してきた。もちろん愛飲しているのと同じ銘柄だ。
ありがたく使わせてもらおう。火をつけてからふぅと息を吐けば紫煙は空に立ち上り消えていった。
地平線に沈んでいった夕日に最も遠いところは藍色に染まっているのを見ると、少しずつ日が短くなってきているのを実感する。
季節は巡り、恋人と共に過ごし始めてから二度目の秋を迎える。
あと何度、この季節を迎えられるのだろうか。肺に煙をいっぱいに吸い込んで、憂いとともに吐き出す。
『今、お前が何を考えるか当ててやろうか』
男の手元にはつい先日届いた自分宛の手紙。とてもではないが恋人に見せられる内容ではなく、乱雑に封を切って内容を確認したまま書斎の引き出しに押し込んだものだった。
なぜそれを。声に出すよりも早く【自分(おとこ)】は笑う。
『俺はお前だからな』
男の前では隠し事はできない。したところでその裏に隠された真実は筒抜けなのだから。
人には言えない暗殺家業。そこから足を洗ったとは言え未だ付きまとうのは短くない月日をそこに身をおいていた代償。
どんな仕事だったか、事細かには覚えていない。ただ一度、仕事を見られた。
『なんでもない』と張り付いてしまった作り笑顔で答え、甘ったるい香りを隠し、その男を見逃してしまった。
それが、その男が復讐と称して牙を向けてくるとはその時は露ほども思わなかった。
「わかるっていうなら……なら、答えてくれ。お前ならどうする?」
心なしか普段よりも声が小さく掠れているように感じる。
きっと怖いのだ。妹を失い、家族を亡くし兄を手にかけて、今手元に残っている幸せが崩れ去るのが。
一度までならず、また家族を失うかもしれないのが。
永遠のようにも感じる長い沈黙は男(じぶん)の笑い声で破られた。
『俺はベルもアルトも信じてる。そんな復讐者ごときにやられるような、ヤワな人間じゃないってな。それに兄上の時の方がもっとキツかっただろう?」
自らの意思で兄を手にかけたあの日。家族を失い、家族と生き始めたあの日。
新しい家族を迎え入れたあの日を、自分もコイツも覚えている。
『あの時と今のお前は違う。ただ流されるまま生きて、生きるために殺し続けたあの時にはなかったものがあるだろう。【家族を守れ】、だがたまには守られる側も、悪くないと思うぜ?』
――なんたって、俺のハニーは世界一頼り甲斐のある男だからな。
『差し当たって、そういう熱烈な【脅迫状(ラブレター)】が届いたって説明するところからだな』
自分に似た姿の男は手をヒラヒラとさせながら晴明の脇を通りすぎた。
空に浮かんでいた太陽は完全に姿を隠し、濃紺のキャンパスにはひとつ、ふたつと宝石のような星々が煌めいている。
そして、男の歩いて行った先を振り返れどもその姿は吐き出した紫煙のように跡形もなく。
「……夢でも、見てたのか?」
黄昏時は現実と幻想の境界が曖昧になる。時間が経って短くなったタバコを地面に落としもみ消す。
帰ろう。そして、家族にこのことを話してみよう。
与太話だろうと笑うだろうか。その実真面目な彼らのことだ、真剣に聞いてくれるかもしれない。
そして、甘い棒付きキャンディーを差し出してこういうのだ。
――大丈夫、俺らは家族だろう?
短く長い、その日の出来事の一部始終は、地に捨てられた吸い殻だけが識っている。