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毀れ、堕つる。ただ、それを掬う指先で。
登場人物一覧
毀れる。
堕つる。
世界の輪郭は曖昧で、簡単に除け者を作り出す。
両の掌に救い上げた砂は気付いた頃には指先から零れ落ちていくから。
毀れる。
堕つる。
世界は皮肉な程に不幸を肯定するのだ。
ぱちり、と焔が弾ける音がした。
緩く瞼を持ち上げて、微睡の海を漂いながら、アランは小さく息を吐く。
肺に詰まった苦い思いを吐き出す様にごろりとベッドに転がって彼はくそ、と小さく毒づいた。
それはこの渾沌なる世界に喚ばれる前の話だったか。
太陽の聖剣『ヘリオス』を手に勇者として魔王と戦う使命。それはありがちな英雄譚だったろうか。
悲劇の勇者とその言葉をお涙頂戴なロマンスに代えようともアランは納得しなかった。
――世界の為に、救うために、殺さないと。『勇者』だから。
幼馴染の少女は、その身を魔に魅入られた。魔族となった彼女のいのちを絶ち、残った悔恨は呪いの様にその胸に刻み込まれた。
殺すしかなかったのか。あまりに無力で、あまりに弱い。
アランを突き動かしたのは憎悪。その身に修羅を宿し、魔王を撃破した。
そうして、そうして今の彼が出来上がる。贖罪と責務、救済の使命に塗り固められた勇者像。
『アランさまの事、命を奪うだけの勇者かと思っておりましたが、改めたほうがいいですか?』
その言葉は、どれ程に彼の勇者像を揺るがせたことだろうか。
テメェと噛みつく様に言ったアランに彼女は首を傾いだ。
殺す、と簡単に口にしたアランにあろう事か『聖女サマ』は不正義です、と口にしたのだ。
『私の進展は兎も角、殺すなんて不正義よ!
曲りなりにも勇者であらせられる御方でしょうに! めっ! 次そんな事を仰ったら、チョップですからね』
――そんな言葉を言って置いて。
どれだけ純粋な付き合いをしているんだ、と呆れを含んだアランに彼女が口にした『不正義』
正義に行き、国家の在り方をその心の底から信じ、剣を振るった騎士。
村を救うが為、祈りを捧げその心全てを神に渡した聖女。
男だ女だ、そんな事何処にもありはせず、顔を合わせれば軽口を叩いた相棒。
唐揚げにレモンを絞るかどうかでさえも顔を合わせればすぐに喧嘩が始まった。
「お前が『不正義』になってどうすんだ、バカリリス」
王子様気取って、ワルツを踊る。港町ローリンローリンで踊る夜の魔法もとうに溶けてしまった。
『……私の身に余るほどの幸福がここに。こんなの、父の焔に焼かれた村人が赦してくれる筈がないのに――』
炎に怯える様に、息を潜めた相棒は災禍の焔に撒かれた村を思い出したようにその表情を昏くした。
『……父親がやったことは、父親がやったことだ。
それに騎士の誉れは戦場で死ぬことじゃねぇよ。戦場で誰かを助けることだ。
俺がずっと近くで見た来た純白の騎士は、ずっとそれをやってた。最近は幻想の騎士に転職したらしいけどな』
それは、アランの思う勇者像でもあったのかもしれない。
炎は人を焼く災禍であり、人を温める光であり、それは光と闇の様に相反する。
金の石を飾ったミサンガに込めた思いが空虚に見える。人々を救え――だなんて。
『……にしても、お前とこう遊ぶのは何だか新鮮な気分だな。
依頼とか殺伐としたことばっかだったから、この前の唐揚げもだが……こう言う平和ななにかをするってのは悪くねーわ、また来ようぜ』
『はいっ、勇者が望むならばこの聖女、どこまでもお供いたします』
嘘だ。
嘘だった。
――もっと世界が優しければ、あの子のような魔を生むことはなかったのでしょうか、神様。
こっちのセリフだよ、聖女サマ。
その姿を攫ったのは黒と白の翼。あれ程までに怯えた焔にその身を委ねた相棒に『あの日』が重なった。
毀れ、堕つる――世界の規範という枠から。
善人と呼ばれた誰かが、悪人として違われたその行方を。
正義と不正義で分かたれた国の、不正義の烙印をその身に刻む事となった聖女(あいぼう)。
『不正義ですよ』だなんて、冗談で言っていた日々がまほろばに消える様に霞む。
――神様。
神様が残酷なことぐらい、知っていたではないか。
勇者として、その刃を魔族(おさななじみ)に突き立てたときから。
勇者は己の幸福ではなく、人が為の刃になるべきだと『神様(せかい)』が言っていたではないか。
紅の瞳がちらついた。
あの、鮮やかなる――彼女の忌み嫌った焔に似た――赤。
「魔種からは戻れるのか」と、聞いた。
アランの言わんとする事に気づいたか、情報屋は目を伏せりそっと首を振った。
そんな事『分かっていた』ではないか。
誰に聞くでもなく、世界の枠から外れた彼女を『世界に戻す』事が出来ないなんて――『あの時』から分かっていた。
幼馴染を手に掛けた、その日から何も世界は変わってはいない。
相棒が『魔種を人に戻せないか』と海深く昏いダンスホールで悔やんだ事と同じ。
諦めるなんてガラじゃない。勇者とは全てを救う使命を課せられた生き物なのだ。
魔種から戻れるか? ――いいえ。
いいえ、なんて簡単に口にするべきじゃない。
「……それでも……100は救えないにしても50は絶対に救う。そして、その中にアイツは必ず入れる」
全(ひゃく)はその手で抱えられない。全てを『すくおう』と伸ばした指先から簡単に零れていく。
半分(ごじゅう)なら。
その片ならば、その指先で救えるだろうか、掬えるだろうか。
零れぬように、大切に。
言葉にして関係性を並べ立てるのは余りに陳腐で。
愛だ恋だの甘ったるい感情はない。
その役目は他が全うすることだろう。
もっとシンプルに隣に居るだけの『相棒』の席に座る者として。
邪魔立てする者は全て蹴散らし、救いの手を伸ばす。
それが『勇者』という生き物であり、『アラン・アークライト』という存在の使命。
微睡の海から起き上がり、窓辺から外を見遣る。
気づけば雲に隠された月がその輪郭を覗かせて、淡く世界を照らしている。
その光の下に、救いがあるかは分からない。
贖罪。
責務。
救済。
「俺は未完成な勇者だからな」
――ただ、それを掬う指先で。