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幸いを知った日
登場人物一覧
誕生日――それはこの世に生を受けたことを祝福する日であり、これからも健やかに過ごせることを願う日である。
万人に等しく訪れるその日を迎えた者がここにも一人。ブレンダはカレンダーを見て自分がまた一つ歳を重ねたことに気がついた。
(ああ、そういえば今日は誕生日だったな)
元の世界にいた頃、成人する前は家族でパーティをしたりもしていたが、いつからかそれもなくなり、誕生日は少しばかり豪華な食事をする日になっていた。もちろん両親は毎年祝福してくれたがブレンダ自身があまり喜んではいなかった。
昨年も混沌へやって来たばかりで忙しなかったとはいえ気がついたら過ぎていた。
(ケーキでも買って帰るか……)
ブレンダにとっての誕生日はいつもと何一つ変わらないただの一日。その程度の物だった。
「ただいま」
家の扉を開けて荷物を置く。買ってきたケーキを早く冷やさなければと思いながら靴を脱ぐ。
「インベル?」
いつもなら扉を開けると同時に出迎え、飛び掛かってくる愛犬がどうしてか今日は来ない。長いお昼寝でもしているのかと足音を殺して歩き始めるとリビングの方からひょっこり顔を出してきた。
しかしその口には見慣れない封筒と一輪の花。インベルはとことこ歩いてくると咥えていたそれをブレンダへと差し出してきた。
「わう!」
「差出人は書いていないな。それにこの花は……」
花についてあまり詳しくないブレンダでは見ただけでこの花の名前を特定することはできない。だがこうして送られるということは綺麗な緋色をしたこの花にも何か意味があるのだろう。後で調べてみることにした。
ケーキを冷やし、服を着替え、リビングの椅子に腰を下ろすと改めて先ほどの封筒を見返した。やはり差出人も宛先も書いてはいない。つまりこの封筒は配達されたのではなく直接ここに持ってこられた、ということになる。
「インベル、これは誰が持ってきたんだ?」
「くぅん?」
とぼけた顔をして膝の上を占拠する愛犬の頭を撫で、封を切る。こういうところは誰に似たんだか。
中に入っていたのは手紙というには短すぎる文の書かれた一枚の紙とどこかへの招待状。こっちに来てからは縁がなかった招待状というものにふと懐かしさを覚えてしまう。
「ふふ、あの暇人め」
紙に書かれていた文字を見て笑みがこぼれた。
そこにあったのは『Happy Birthday。ちゃんとしたお祝いはここで』の文字と日付、それとどこかの住所だけ。
本来これだけでは誰から送られたかはわからない。しかしこの文字は見覚えがある。幾度となく文を交わすうちに覚えてしまった文字。名前はなくとも誰かはわかってしまう。
わざわざ手紙を家まで持ってこなくても送ってくればいいし、会った時に言ってくれれば手紙を送る手間もいらない。正直無駄だと頭のどこかで分かっていても彼がわざわざ手間をかけて持ってきてくれたという事実でまた頬が緩む。きっと花が萎れる前に渡したかったのだろう。
紙に書かれている日付はもう少し先、準備の猶予はしばらくある。向こうがもてなしてくれるというのならこちらもそれ相応の対応をしなければならない。明日は特に予定もないし自分へのプレゼントも兼ねて買い物に行くとしよう。
「くぅ……」
「そろそろ夕食にしよう。私はケーキでいいか」
夕食の準備のために席を立つブレンダ。ここで初めて自分の気分が高揚していることに気がついた。自分へのプレゼントを買うなんていつ以来だろう? 想像以上に彼が誕生日を祝ってくれるということが嬉しかったらしい。
結局のところ誕生日とはその日が大事なのではなく、誰がそれを祝ってくれるかということが大事なのだと気づかされた。独りではどうでもよかったことが彼と一緒だとこんなにも心が躍る。両親と一緒に過ごした時に感じた安心感ではなく、もっと違う気持ちが胸に溢れる。
その気持ちの名前はもう知っているが口に出すのはまだ少し恥ずかしい。
伽藍洞だった彼女の中に気がつけばいっぱいの幸いが満ちていた。きっとこれは彼だけのおかげではない。彼女の周りにいてくれた皆のおかげ。
「インベルも手紙を運んでくれてありがとう」
「わうわう!」
今日は愛犬のご飯も奮発しよう。配達もきちんとできる自慢の子にご褒美をあげないと。そんなことを思いながらブレンダはインベルの頭を撫でて台所へと向かう。そしてインベルもその後をとことこついていく。
今日は26回目の誕生日。食卓を彩るのはまだ名前も知らない緋色の花。
今年は祝ってくれる人がいた。大切な誰かに祝ってもらう幸い知った。独りでは知ることのできなかったとても暖かい気持ち。
伽藍洞だった心の中には気がつけばたくさんの
きっとそれが一番の贈り物。亡くすことのできない宝物。
誕生日――それはこの年からブレンダにとって一年で最も幸いを感じる日になった。
おまけSS『飼い犬は見た』
お夕飯のあと、ご主人は分厚い本を持ってきてあの赤い花のことを調べていた。
あのお花がなんなのかボクにはわからないけど、シルトのおにーさんが大事そうに持ってきて、ご主人がそれを貰って嬉しそうにしていたからきっといいものなんだと思う。ちゃんと運べてよかった。お肉ももらえたし。
「ああ、この花もスカーレットなのか。って花言葉がじゅ、純愛ぃ!?」
なんて思っていたら急にご主人が本を閉じちゃった。びっくりした。
いつの間にかご主人の顔はおにーさんといるときみたいに、あのお花みたいに真っ赤っか。いやそうだけどいやそうじゃないお顔。
おにーさんはご主人と一緒にボクを助けてくれたから好き。おやつもくれるし。
早くご主人と一緒に住めばいいのになぁ、なんて思いながらボクは丸くなって夢の世界へ旅立った。
おやすみなさい、ご主人。
「インベルは寝てしまったか。改めて今日はありがとう。おやすみ、今宵もよい夢を」