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【新道風牙の食ノ道】白い息に交じるスープは豊かな味
登場人物一覧
他の国々に比べて、1か月近く遅くやってきた春。されど、他の国々に比べて随分と早くに過ぎ去る春。ゼシュテル鉄帝国という国において暖かい時期は随分と短い。その気候がさらに食糧問題をより苛酷にさせているのだが、さすがに天候や気温そのものを操作できる力は今のゼシュテル鉄帝国には無かった。
さて、そんなゼシュテル鉄帝国だが、新道 風牙(p3p005012)はヴィーザル地方に居た。資源的うまみの少ない凍った港には船なんてものは浮かんでいない。しかし、分厚い氷は彼らにとってもう一つの大地であった。6匹の犬たちが口元から白い息を吐き出しながらソリを引っ張り、新道たちを連れてやってきた。1時間程度走っただろうか。男たちがソリから降りて何やら笛を吹いていたが、ふと新道の方を見もせずに、声をかける。キツネの獣人である彼らは耳が良いようで、靴音だけで察したようだ。
「おい、イレギュラーズ。灰色の氷の上には乗るなよ。割れて海に落っこちるぞ。アンタたちなら死にゃぁしないだろうが、凍えたくなければやめておけ。夏でもここいらは冷たいぞ」
「うひ、それマジ? あっぶねー……。教えてくれてよかった」
新道は好奇心のまま氷の上を散策しようかと思っていたが、気を改めて男たちが踏んだ氷の上だけを歩くことにした。いくら夏とはいえ、氷の浮かぶ海水に浸かりたいとは思わない。ここはプールでもなんでもないのだから。
「ところで何してるの?」
「アザラシを探している今の時期は子供だったヤツが独り立ちして泳いでいる。それを狙ってクマも追いかけていることが多い。冬近くになって子供のいるクマは普段に比べて随分気性が荒くなる。今のうちに狩って、毛皮を作っておきたい」
「もちろんアザラシも狙っているぞぉ。あれの肉は旨いし精がつくからなぁ」
ソリの上に座ったままの老人が品無く笑うと男はやれやれと肩をすくめたが、老人は語るのを辞めない。この苛酷な環境下において、子供を成すことはとても大事なのだ。多くの子を成して丈夫な子供をなるだけ育てる。そうすることで働き手も増え、血も絶やさずに生存できる。
「じいさんは考えが古いんだよ……。首都の方ではそういう思想のせいで捨てられてスラム街で暮らす子供だっているのに」
「ふん。せいぜい『使い捨ての壁』か『捨て駒』としか思っとおらんアッチのことなど知るもんか」
ソリから降りて大きく伸びをしたのち尻尾をピンを張ったまま鼻を鳴らしてそっぽを向く老人に、男はため息をこぼしたのちに、新道を連れて歩き出す。海の中に生息する狂王種もいると聞いたらしい北の最果ての地ともいえるヴィーザル地方の町民は護衛を雇った方が良いだろうと結論を出した。貧困が続くこの地では、イレギュラーズを雇うためのお金を賄うのも大変らしく、ようやく1人雇うだけの金が集まった。今回、新道が彼らに雇われた理由はこのためだった。
「とくに異常はな……」
「静かにしろ」
「むぐ」
新道のつぶやきに男が口をふさぐ。見れば、遠くに白い毛皮のクマが居た。新道は内心『ホッキョクグマだ』と思ったが、塞がれているので口には出さない。出したところで、異世界の生き物であるこれを理解できる人間はいないだろうが。クマはちいさな穴の前で待っている。何をしているのだろうかと目を凝らす新道に、耳元で男がささやいて教えてくれた。
「あれはアザラシが息継ぎをするのを待っているんだ。少しでも顔を出したら最後、クマは氷を割ってでも獲物を捕まえる。……見ていろ」
それはほんの数秒のことだった。クマが前足を振り上げたかと思うと、分厚い氷を破砕し、海水ごと若いアザラシを氷上へと打ち上げる。衝撃で気絶しているらしいアザラシはそのまま動かない。男はいつのまにか新道の口をふさぐのをやめており、弓を構えていた。クマ目掛けて矢を放つと、アザラシに近づいていたクマはこちらに気が付いたようで、こっちに向かってくる。
「いまだ!」
男と犬たち、そして新道は走り出した。
●
狩りは大成功と言えた。アザラシはもちろん、クマを仕留めると、ソリで安全な場所へと運んでいく。待機していた老人が解体を始めた。なんでも、動ける年長者が獲物を仕分けるのがこの地の習わしらしい。少しでも無駄のないように慎重に解体するためなのかもしれない。おつかれさま、と町の女に差し出された木の器にはスープが入っていた。
「美味しそうだね。これは?」
「クマ肉とジャガイモのスープよ。しゃれたものじゃなくてごめんなさいね」
「いや、全然。温まるし助かるよ。むしろいいの?」
食べ物はこの地で希少なはずだ。にもかかわらず分けてくれるらしい姿に新道は心配する。女は頷いたまま差し出してくれた。
「余所者とはいえ、功労者に1椀も出さなかったら、そっちのほうがご先祖様におこられちゃうわ」
「そっか……ならもらうよ。ありがとう」
受け取ると、キツネの尻尾を1度振ったのちに立ち去っていく。
さて、スープといったが、どちらかというとこれはシチューやポタージュに近かった。塩味とほんのわずかなコショウの香りがする。クマ肉はもともと干されていたものらしく、旨味が凝縮されており、臭みは少なかった。具材はクマ肉のみと、とても種類こそ少なかったが、分厚いブロック状のクマ肉が4つも入っていたので、ものたりなさは全くない。なにより、トナカイのミルクとジャガイモが高濃度で配合されたスープは随分ともったりとしたもので、スプーンですくい取った後、数秒ほど掬った痕跡が残るほどで、胃に収めると随分と満たしてくれる。
遠くで、今日獲れた食材を分配する声が聞こえた。老人の処理が終わったらしく、先ほど、男と新道が獲ったアザラシ肉とクマ肉が配られている。気温ですでに凍っているらしい肉は、器に入れずともそのまま持ち運びができるようで、それがなんとも新鮮な光景だった。きっとこれらの肉はこの後、家々でそれぞれ加工して、これからに備えるのだろう。毛皮の方は老女を筆頭にした女が引き取っていった。
「よ、イレギュラーズ。妹のスープは口に合ったか?」
「妹だったんだね。美味しくいただいたよ。ありがとう」
先ほど行動を共にした男が声をかける。新道は頷く。男は隣に座ると、肩を押さえて腕を回した。
「瘦せた土地だから、どうしても大きい芋とかはできなくてな。小粒だが量が多いジャガイモが獲れるのさ」
「ああ、だからこういう感じなんだね」
「なにより、一度蒸かした後につぶして凍らせた方が日持ちするからな。それに食事に使いやすい。効率がいいのさ」
「なるほど」
『保存のしやすさ』『加工のしやすさ』『効率的』……それらの言葉に、なんとなくゼシュテル鉄帝国らしさを感じた。
「ここは貧しく、寒い土地だが……悪くないだろ?」
「そうだね、たしかに――」
新道が言いかけた直後、さきほどまで母親に連れられて支給品を受け取るべく並んでいた子供たちがこちらに顔を向けた。なんだろうかと思っていると、大きな声で『ありがとうイレギュラーズ!』と感謝の声を上げているのがわかった。通行人が何事かと振り向くが、納得した様子で微笑んだ後、それぞれの生活の営みに戻っていった。妙な形で目立ったのがわかると少しだけ新道は恥ずかしくなったが、言葉の続きを男に告げた。
「――たしかに寒くて貧しいけど、でも、ここは熱くて豊かな国だと思う」