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同人誌『触手ちゃんに愛されシノムツinサマー メイド編』
登場人物一覧
●はじめに
この同人誌は同人サークル"S号さんと歩道橋"による二次創作です。実際の人物団体、およびアンテナが可愛い神様や、女王大好きメガネくんとは一切関係がありません。ありませんてば!
●
何の変哲もない、植物の種だった。
料理の腕が壊滅的な幼馴染の世話をするのに付随して、秋宮・史之は
だから、次の収穫のためにベランダの植木鉢へ野菜の種を蒔く事は役割のうちなのは分かっているつもりだった。自家栽培は手がかかるものの、直接家計に響かないというのは何にも代え難い大きな利点。ローレットに所属してから資金援助は続いているが、この家の住民達は異世界から来た旅人だ。先立つ物として貯蓄はいくつあってもまだ足りない。もしかしたら、こんな事を考えているのは家の中でも史之くらいかもしれないが。
――とはいえ、面倒くさいの一言に尽きる。
おまけにあの日は猛暑だった。屋外で茹だった頭でぼんやりしながら種まきをしていれば、普段育てている野菜の種に混じって見た事のない種類の物を見つけても、うっかりそのまま植えてしまったのはしょうがない事で。
とどのつまり、史之が言いたいのは――「助けてくれ」の一言だった。
ベランダのプチ野菜農園にまぎれてすくすく育ったツル植物の魔物は、育ての親の史之の意図に反して巨大に育ち、アパートの窓をぶち破った。
後はもう、同人誌のお約束だ。マイホームで気の緩んだタイミングの奇襲に得物を手に取ることもできず、あれよあれよという間にいくつものツル状の触手に腕やら足やら絡め取られ、パンイチ姿で部屋の中で宙吊りにされている。
「というか、普通はこういうサービスシーンって女の子の方に起こる物じゃない? 何でカンちゃんじゃなくて俺なの?
まぁ、仮にカンちゃんがこんな目に合わされた日にはアパートを消し炭にする勢いで証拠隠滅をはかるけど……」
しかもこの触手、蜜なのか出液なのか不明だが、ヌルヌル謎の液体で湿っている。おかげで風呂上がりの爽快感が台無しだ。テンションが下降の一途をたどってしまうのも仕道理と言えよう。とはいえ、だ。このままされるがままでいては、絶対に見られたくない人物にこの醜態を見られ――
「しーちゃん、ただいまー!」
「おかえりカンちゃん。行ってらっしゃい」
「どこに!?」
「境界図書館でいちイケメンな蒼矢さんのお店に行くでも、ローレットで他の特異運命座標と交流して来るでもいいよ。
とにかく今は居間まで来ちゃダメ、だから……っ、ふ……」
突然、身に絡んでいる触手達がぞるりと蠢いた。声がくぐもりかけて、慌てて唇を噛む。
幸か不幸か、玄関の位置からは居間の様子を知る事はできない。このまま睦月が何事もなく外出してくれさえすれば、被害は最小限で済むのだ。
(守護者として、こんな情けないところ見られる訳にはいかないよ。何より……俺のせいでカンちゃんが危険な目に合うなんて、俺自身が許せない!!)
「わっ! しーちゃん、これどんな状況!?」
「説明すると長くなるけど、俺の高潔な意志が秒で台無しになったのはどうしてくれるの?」
「だってレーダーに反応あったんだもん。秒でバレてたよ」
睦月の
緑の触手っぽいものに絡まれている史之。ぬるぬるした液体。装備品がパンツと眼鏡のみ。つまりこれは――
「モンスターめ! よくも……しーちゃんの服を溶かして、あられのない姿にしたね!」
『くっ……! まさか服が溶けるなんて。このままじゃ、俺ッ……』
「このままじゃ何!? カンちゃんちょっと、大ゴマで妙な妄想電波たれ流すのやめてくれるかな!?」
そう。忘れちゃいけない、これが同人誌だという事を。この薄い本の見せ場なので結構気合いれて作画コストを割いて、ぬるぬるの触手と絡み合いながら頬を切なげに赤らめる史之の姿がどーん! って大きく描かれる。周りにお耽美っぽい薔薇とかキラキラとかの
「だって激レアだもん。しーちゃん強くて、ピンチになる事ほとんどないでしょ? そういう所が格好いいんだけど――うわっ!?」
「カンちゃん!!」
惚けている間に足元をあっさり救われ、ついに睦月までサービスシーンの仲間入りだ。これには史之も焦ったが、ぷらーんと逆さになった彼女を見て目を細める。
(よかった、カンちゃんが性別迷子を解消してもスラックス派で! スカートだったら大事故だったよ)
「しーちゃん、しーちゃん!」
「ごめんカンちゃん、すぐに助けるから!」
「そうじゃなくてね。このモンスターさん、しーちゃんにすごく懐いてるみたいで」
どうしてそんな事、と史之は言いかけて、うすぼんやり睦月の瞳が淡い光を帯びている事に気づいた。感情探知と『幽世の瞳』――たとえ敵対する相手でも、きっと何か理由があるはず。睦月の優しさは、誰かの声ならざる声に耳を傾ける力となって彼女に見についているのだ。
「ここまで大きく育ててくれたしーちゃんに、いっぱいじゃれて甘えたいんだって。戦うつもりなんて最初からないみたいだよ」
「そう……だったのか。やけに捕まえられた後も苦しくはないと思ってたけど……」
きっと、丁寧に扱ってくれていたのだ。今まで史之がそうして育てて来たように。
雨の日も風の日も、カラカラな日照りの日だって手入れを欠かす事はなく、恵みの水を与えてくれた。元気に育てと声をかけて、沢山愛してくれたから――
じゅるじゅるじゅる……ぽっふん☆
「ひにゃあぁぁあ!?」
「カンちゃーん!?」
取ってつけたような可愛い効果音と共に、唐突に睦月の服装がリボンタイのブラウンブレザーからKawaii☆メイド服に早変わり!
顔を真っ赤にしながらスカートの前を押さえ、ふわふわパニエの隙間から零れそうになったパンツを隠そうと慌てふためく睦月の姿は正しく乙女。
「この触手、服を溶かすんじゃなかったの? なんかサービスだって! し、しーちゃんもしかして、こういう趣味……」
「そんな露骨に下世話なサービス触手に求める趣味はないけど、カンちゃんが可愛すぎるから100点満点」
「そ、そんな真顔で言われても照れちゃう、から……」
本当なら顔を押さえたいのに、吊られている間は隠す優先順を強いられる。ちょっぴり涙目になった睦月を目に焼き付けてから、史之はスゥーと目を閉じて深く息を吸った。
「カンちゃん。人はね、本当に尊いものを見た時に心のバベルが一気に崩れて語彙力も瓦礫の下に沈むんだよ。
だけど今回みたいに……睦月を泣かせるほどのおイタは許せないな」
これは守るための攻勢だ。防御力を破壊力へ転換し、アイアースの無双の力が絡まる触手を弾け飛ばす! 空中に投げ出された直後、飛行で受け身を素早く取って、アクロバティックに空を駆る。投げ出されていた不知火をようやく掴めば、鯉口を切る音が部屋に響いた。
「愛してくれてありがとう。けれど俺には心に決めた人がいて、その涙を拭うのが役目なんだ!」
抜刀された妖刀にすぐさま魔炎が煌々と宿り、繰り出される直死の一撃。黒顎魔王の
「大丈夫? カンちゃん」
「ううん。だからいっぱい……ぎゅーってして」
「はいはい。無事そうでよかったよ」
「無事……なんかじゃ、ない」
お互いに粘液まみれでぬるぬるなまま、薄いメイド服の布越しに触れ合う体温。誘惑するような睦月の声に誘われて、史之はごくりと唾をのんだ。
「カンちゃん、その
「何でもいいよ。ズルくても……しーちゃんが好きだから欲しいの。もっといっぱい」
絡み合う指先と、火照るばかりの身体を慰め合うように、二人の唇はそっと近づいて――
●
「で、これは何なの?」
境界図書館の床は冷たい。長時間の正座で足の感覚を失いながら『境界案内人』神郷 蒼矢は本日何度目かの『若木』秋宮・史之(p3p002233)の質問に苦すぎる笑みを浮かべていた。
「シノムツ本、夏の新刊かな」
「登場人物がしーちゃんと僕にそっくりだけど、これって……」
成人指定のラベルが付いていないのは登場人物が17歳ゆえの配慮だろうか。『しろがねのほむら』冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)も蒼矢に問うが、彼は滝のように汗をかいて明後日の方を向いたままだ。
「実在の人物には関係ないって、はじめに書いたから!」
「俺の台詞でナチュラルに"かっこいい蒼矢さん"って自賛が入ってるのも創作だから?」
「メイド服のあたり、露骨なテコ入れすぎないですか?」
「もう許してえぇぇ」
2人のダメ出しが突き刺さり、ようやく蒼矢が観念した。『僕は勝手に特異運命座標の薄い本を描きました』と書かれたプレートを首から下げたまま、ぴえんと目を潤ませる。
「どうして密かにバレたの?! 本の委託先だって異世界だけに絞ってるし」
「とりあえず、委託先のライブノベル燃やそうか」
何にせよ、描かれた本人たちに迷惑がかかるのは同人活動のご法度だ。
青ざめるを通り越して真っ白になった蒼矢を見て、さすがにこれで懲りただろうと2人は背を向ける。だから気づかなかった。
「内容にはビックリしたけど、モンスターを倒すしーちゃんの姿は格好よく描かれてたよね」
「カンちゃんのメイド服姿だって可愛かったと思うけど」
寄り添い惚気合う2人の背中をネタに、新たな本のプロットが生み出されてしまった事を――
おまけSS『こたえあわせ』
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異世界《夜の塔》にて。
「行きましょう皆さん。敵はしーちゃんが倒してくれるから…かっこいい…さすが武家…」
「むつきどのー」
「……あ、いえいえ大丈夫です! 煩悩に浸ったりしません」
チルチルに声をかけられ、睦月はハッと我に返り、自分の成すべき仕事に戻ったようだった。
パーティーを守るため、罠対処でトラップを解除しながら進むというのだ。
一生懸命がんばる睦月の小さな背中を見守りながら、ふとロベリアは考える。
(睦月も特異運命座標として成熟してきたようだし、安心ではあるけれど……何かしらこの釈然としない気持ち)
可愛い子がちょっぴり痛い目を見る姿は愛らしさの塊だ。頼もしいだけじゃ物足りない。
(彼女が引っかかる罠は何かしらん。史之に似た偽物の虚像? 行列の出来る和菓子屋の羊羹?
ううん。もっと興味を掻き立てて、分かっているのに喉から手が出てしまうほど魅力的な餌のある……そういえば、最近だと蒼矢が2人の薄い本を作っていた様な――)
「僕が歩いた後を追って進んでください。影の攻撃も激しくなってきましたし、どこかに罠があるかも」
「罠って、もしかしてアレの事かしら?」
ロベリアが指差した先を視線でたどると、大きな籠とついたて棒のベタすぎる罠が行手を阻む様に鎮座している。
罠自体は至極単純だ。問題なのは、罠にかけるため籠の下に置かれた餌の方。
「しーちゃんと僕の……薄い本?!」
「あの絵は見覚えがあるわ。蒼矢の新刊ね」
「駄目だよカンちゃん、ああいうのはあと一年待ってから!」
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「どうして……どうして僕が薄い本を作ってたのが史之と睦月にバレちゃったんだろう。あんなに徹底して隠してたのに!」
(私のせいじゃない。あれは《夜の塔》が記憶を具現化したせい……そして蒼矢は120%自業自得)
『僕は勝手に特異運命座標の薄い本を描きました』のプレートを下げて地べたに正座する蒼矢を横目に、ロベリアは冷や汗混じりで図書室の廊下の奥へと消えていった。
後日、新たなシノムツ本の原稿作業をしていた蒼矢へロベリアが労いの珈琲を淹れてやるという珍事が起こり、境界図書館の中でちょっとした噂になったりしたとか、しないとか。