PandoraPartyProject

SS詳細

本当に、なんて偶然

登場人物一覧

古木・文(p3p001262)
文具屋
古木・文の関係者
→ イラスト
イーハトーヴ・アーケイディアン(p3p006934)
秋の約束


 眠っているような、起きているような、いわゆる半覚醒の状態を、雨音で塗りつぶすように叩き起こされたら、気が滅入ってしまうことはないだろうか。
 別段、晴れやかな日々だけを好ましく思っているわけではない。夏の訪れを想わせる暑さを和らげてくれている点に関しては、降り注ぐひとつひとつの水滴に、感謝もしようものだ。
 ざああざあと鳴り止まぬそれらをバックに、本題に入ったばかりの推理小説に目を滑らせながら、珈琲杯を傾けるという作業も乙なものだ。
 整っているように思えて、その実完全にランダムな単音の群れは、どこか心を落ち着かせるものがある。
 だがそれはそれとして、現実的な事情を鑑みれば、行動を制限されているという事実がため息をもたらしもするのである。
 例えば、その茶色い液体の豆を切らしていることに気づいたのが、昨晩である場合など。
 自覚できるほどの吐息をひとつ。
 口寂しさを感じる。どうしても飲みたいのなら、今からでもこの静かな騒音の中を出かければ良い。しかしまあこういう時には不精の虫が、脳の真ん中であぐらをかいているものだから、傘を手にするのも億劫になる。
「夕方からはマシになるらしいから、それからでいいかな」
 誰に言い訳をしているのかと、笑みを零そうとして、ふと、耳を傾けていた。
 ざああ。ざああ。
 聞こえるのは雨音だけ、雨音だけ。そのはずだ。なんとはなしに、息を止めてみれば、本当に雨音だけの、それならば無音と言っても良い。それだけだ。そのはずなのだ。
 その時。
 不意にチャイムが鳴ったので、軽く飛び上がりそうになりながら、普通に考えればただ客人が訪ねてきただけであるということに思い至り、苦笑をしながら口を開いた。
「すぐに行きます」
 扉の向こうにいるであろう人物に声をかける。
 念の為、着替えておいてよかったと思う。流石に、寝間着のままで表に顔を出すようにはなりたくない。
「おや、イー君。いらっしゃい」
 扉を開けてやれば、そこには見知った顔がいた。イーハトーヴ。よく懐いていくれていて、血の繋がりはなくとも、弟のような存在だ。
 見られぬように、そっと心の中だけで胸を撫で下ろした。何に安心をしたのかは自分でもうまく言語化出来ないが、きっと、これも雨のせいなのだろう。
 だが。
「こんにちは、古木さん。ふふ、遊びに来てしまいました」
 そのイーハトーヴの後ろに、もうひとり。彼女は会釈をすると、薄く微笑んで見せた。
「すぐそこで会ったんだ。文の知り合いだって聞いたんだけど……あってる?」
「あ、あー……うん。会ってるよ、大丈夫。こんにちはラルバートマンさん」
 ティサ・ラルバートマン。彼女もまた、見知った顔だ。とある仕事で関わって依頼、こうして時々、遊びに来ることがある。彼女の事情を知っている身としては、同情の余地もあって、はじめはやや義務感も感じてのことであったが、思いの外話をしやすい相手であることもあり、今では茶飲み友達と言って差し支えはない。
 彼女はとにかく、タイミングがいいのだ。客の居ない隙間、予定のない休日、土砂降りの雨の日。そういった、暇を持て余すような時に限って訪ねてくる。それも、ひとりになりたい時には顔を出さないものだから、何かと受け入れやすい人物でもあった。
 そうだ。タイミングが良い。あまりにも良い。どうしてと思わなくもないが、なんとはなし、問い質すのは躊躇われた。
「ケーキを買ってきたんです。ご一緒しませんか?」
 そう言って、彼女が掲げた箱は、数ブロック先に、最近出来た店のもの。どうやら毎日、朝から行列を産んでいるようで、昨日方、興味を持って昼頃に足を向けたものの、とうに売り切れて口寂しい想いをしたことを覚えている。
 そう、ちょうど昨日。
 口には出さない。そのタイミングの良さを、けして問い質さない。たまたまだ、たまたまなのだ。
 話題にはなっている。この家からけして遠いわけでもない。ありえない話じゃない。友人がお茶をしたくて菓子を持参した。ほら、とても自然な話じゃないか。
「ああ、これはありがたい。あがってよ。豆を切らしているから、ミルクで我慢してもらうことになるけどね」
「やった、ケーキ。ケーぇキ」
 はしゃぐイーハトーヴ。中に入る靴の音がふたつ。
 濡れた足跡がひとつであることには、気づかないふりをした。
 いつものこと。いつものことだ。


「あれ、珈琲あったの?」
 小皿により分けられて運ばれてきたケーキと、カップから湯気の昇る珈琲を目にして、イーハトーヴはきょとんとした顔を見せる。
 文が自分のテリトリー内での物事を把握しきれていないのは珍しいことだ。この家で、彼の店で、文が把握していないものなどないのだと、勝手に思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「それが見落としていたみたいでね。買い置きがまだあったんだ……戸棚の手前の方に」
「ふぅん?」
 最後の方はよく聞き取れなかったが、あったのなら良いことだ。生憎と土砂降りの雨。窓を締めていても、雨音がわかるほど。ここに来るまでに、裾に泥が跳ね、靴底から水が染み出してきたものだ。靴下の感触は今でも気持ちが悪い。
 早く乾け。そうして、できれば帰るまでに止んでおいてくれ。そう思わずには居られないほど、今日の黒雲は泣き続けている。
 そうしている間、ティサという女性―――文が珈琲を淹れている間に上の名前を教えてもらった―――は、一言も話さず、しかし無表情というわけでもなく、柔らかいと印象を受ける笑みを見せたまま、自分たちのやり取りを見守っている。
 なんというか、居心地の悪くない人だと感じる。本当に、間が、良い。声を出すタイミング、その場での佇まい、雰囲気に溶け込む自然さ。こういう人を、『できたひと』と言うのだろうか。
 イーハトーヴは今日が初対面だが、どうやら文とは以前からの知り合いであるらしい。あまり質問を重ねて根掘り葉掘り聞き起こすというのも頂けないが、それでも、親しい人に自分の知らない友人がいるというのは、なんとなく寂しい気持ちになる。
 だが、問題はないように思われた。ティサは非常に話しやすい人物だ。なんというか、まるで以前から自分のことを知っていたかのように呼吸を合わせてくれる。すぐに仲良くなれるのではないか。そう思わせるだけの魅力が彼女にはあった。
 だが。
『おかしいわ』
 手元にいるオフィーリアにはそのようには映らないようだ。
 イーハトーヴが抱えたぬいぐるみ、オフィーリアは彼にだけ聞こえる声で言う。
 なんとなく、内緒話のような雰囲気を察したので、それに合わせて目線を向けず、極力口も開かずに小声で話すことにする。
「おかしいって、何が?」
『うまくいえないけど、引っかかることが多いの。空気が読めるにしたって、出来すぎじゃないかしら。普通、初対面なんてもっとギクシャクしていいものよ』
「人生経験ってやつじゃないの? これまでだって、話しやすい人はたくさんいたよ」
『そうね、ええ、そうだわ。でも、疑念を持たずにいられないのよ。間が良すぎるの。そう思えて仕方がないの。一度疑問に思えば、どの言動もおかしく見えるものでしょう。あれも、あれも、あれも』
 オフィーリアの言う『あれ』がどれのことを指しているのか、イーハトーヴにはわからない。だが、きっと彼女が意図的にそれを口にしないようにしているのだとは、なんとなく察しがついた。
『まるで、私達がここに来ることを知っていたみたいじゃないの』
「考えすぎだよ。俺たちが文お兄ちゃんのところに行こうって決めたのは今日の話じゃないか」
『ええ、そうね。その通りだわ。でもどうして?』
「何が?」
『どうして、ケーキが3つあるの? 私達がここに来ることは、文具屋さんだって知らなかったことなのに!』
 沈黙、とは少し違う。オフィーリアの叫びは、疑念は、イーハトーヴ以外の誰にも聞こえていない。こうしている間にも、談笑は続いている。
「……そういえば、そうだね。んー、聞いてみる?」
『駄目よ!!』
 強い口調だった。それが少し珍しくて、イーハトーヴはきょとんとしてしまう。
 だが、感情任せに荒ぶるようなことはしないだろう。声を大きくするだけの理由が、彼女にはあったのだ。
『駄目よ、聞いては駄目。疑問があることを、何かに気づいたことを、絶対に悟らせては、駄目』
 表情が思わず固まったことを自覚して、それは良くないことなのではないかと思い至った頃、イーハトーヴは、ティサが自分の顔を覗き込んでいることに気がついた。
「な、なに!?」
 思わず体を退くと、椅子ごと後ろに転げ落ちそうになって、慌てて体勢を立て直した。
「ごめんなさい、驚かせましたね。ケーキが、お口に合わなかったのかと思いまして」
 見れば、一口だけ食べて、そのままになっているモンブラン。話に夢中になって、忘れてしまっていた。ケーキが運ばれてきた時は、あんなに喜んでいたのに。
「う、ううん、美味しいよ。ちょうど、モンブランが食べたかったし」
 そう、本当に、たまたま、モンブランの気分だったのだ。本当に、たまたま。ばったりあった女性が、ちょうど同じところを訪ねていて、持ってきたお土産に、自分が食べたいものが入っていた。なんて偶然。なんて幸運。
 本当に?
 疑問に思えば、膨れ上がっていく。ありえないと首を振る自分と、もしかしたらと疑う自分がいる。
 大丈夫だろうか。今自分の顔は、本当にいつもどおりだろうか。
「それなら良かったです。選んだ甲斐がありました」
 本当に、いつもどおりだろうか。

PAGETOPPAGEBOTTOM