SS詳細
Luna musica.
登場人物一覧
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照り付ける太陽が、生温い風に舞った土埃を照らす。
兎の獣種が主だろうか。簡易な露店に織物を並べ商人達を迎え入れる様は、小規模ながらもこの気候よりずっと熱く活気に溢れている。
「兄さん、どうだい? こっちの白い組紐なんてあんたの身体によく似合うよ」
「……遠慮しておく」
白がよく似合う、が癪に触ったわけではない。けれど、兎の男が勧めるそれを身に纏う気にもなれず。
値切りと交渉の声が響く人混みを縫って再び歩き出したルナの耳が、微かに聞き馴染みのある唄を捉える。
――la、lala♪
立ち止まって耳を澄ませてみれば、それはたどたどしく、途切れ途切れで。思わずそれが聞こえる方へと進めば――辿り着いたのは、キャラバンの外れに立つテントの裏だった。
(ここの娘、か?)
表の露店に立つ者達と同じ毛色の耳の少女は、齢五つかそこらだろう。
「えっと、次は……こうだっけ?」
どうやらそれはうろ覚えの唄と舞で。此方にも気付かないのをいいことに、ルナはそれを見守っていた。
(ああ、違ェよ。次は右手を前に)
「あれ、あれ? もぉ、忘れちゃった――」
くねくねと体を動かし、必死に思い出そうとするその姿。気づけばルナの蹄は乾いた土に踏み出していた。
――lala♪
ひゃあ、と少女の気の抜けた声が聞こえる。
ぽかんと口を開けた少女は、此方を物珍しそうに見て――あっという間に目を輝かせる。
少女の目の前では、真っ黒な雄獅子のタウロスがあまりに美しく歌い踊っていた。
女性の高いそれとは程遠い、低く、ラサの砂埃を浴びて仄かに掠れた男の声。
けれど、不思議とその声は潤み、艶やかで。沢山の感情を孕んだ唄だった。
その唄に合わせて舞い、伸ばす指先は、節ばった無骨な指だというのに流れるようにしなやかで――
「すごい! おじちゃん綺麗! 上手だね!」
歌い、踊り切ったルナの眼前にずい、と近寄る少女。
「もっと教えて」と背伸びして顔を近づけてくる少女から目を逸らし、小さく溜息を零すと、少女の頭を乱雑に撫でる。
「間違ったっていいだろ。まずはオマエが楽しんで歌え」
「楽しむ?」
「あァ、後は……そうだな、踊る時は頭が空から引っ張られてると思えばいい」
それだけ告げ、ルナは踵を返し雑踏へ消える。
後ろで自分を呼ぶ少女の声は、高く澄んでいて。
その声と、舞による身体の熱は――ルナの遠い記憶を呼び起こす。
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「ねえ、貴方。見て頂戴、夜のように綺麗な肌! 顔立ちも美人さんだわ!」
母は、生まれて間もない自分を見てそう言ったという。
自分を取り上げた助産師の女がそれを教えてくれたのは、幾つの時だっただろうか。尤も彼女は、その後に続いた言葉を隠していたのだが。
「続けての男子――それにこの色は、我々と似ても似つかぬ。我等に災いも諍いも訪れぬようにしなければ」
そうして白き一族に生まれた黒き獅子は、
彼には、一人の兄が居た。
父は決してルナを疎んでも、嫌ってもいなかった。ただ、父は父である以上に、一族の長であったが故に――守るべき一族の者達の為、兄へと注ぐ時間が多かったにすぎないのだ。
女のような名前に、細い躰、特異な色。
ルナは、男達の狩りに誘いを受けることもなく――自然、女達の輪の中にいた。
母や、それに近い年頃の女達は、弓を、剣を持って血を流す代わりに、包丁と、鍋の使い方を教えた。
男達はきっと、それを他愛もないことだと気にも留めなかっただろう。
けれどルナは、その日々の中で知った。
女は、強いものだと。
自らが命を宿し、時にその命をかけて子を産み、次代へと繋ぐ。
家族や一族を真に大切にする思いは、時に男のソレよりも強いのだろう。
「……ほら」
「優しいねぇ、ルナは。うちの旦那も息子も、アタシの泣き腫らした目に気付きやしない」
冷えた水を含ませた布を女に渡したのは、何故だっただろうか。泣いているのに穏やかに笑うその女はとても強く美しく――あまりにも眩しすぎて。
心はゆっくりと澱み、息が詰まっていった。
歳を経て、姫巫女たる女が舞い歌う唄を教わった。
それは、楽しかったのか苦痛だったのか――太陽に吼え、月に歌う祈りの唄を教えてくれた女は、口癖のように言っていた。
――楽しんで歌いなさい。
――そして、背筋は伸ばして。頭を糸で引っ張られているようにね。
男のくせに。女に守られて。
そんな台詞を背に、気付けば自然とルナは群れから外れていて――
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(……下らない記憶だ)
手を差し伸べたのも、受け売りの言葉が口を付いたのも。
きっとあの唄がそうさせたのだ。
それでも――
「悪くなかったな」
雑踏の中、微かに男の歌声が響くのは――きっと、誰も気付かない。
おまけSS『或るキャラバンの少女の夕餉』
ねぇねぇお父さん、お母さん。
あたし今日ね、歌と踊りの先生が出来たの!
前に少し、一緒に旅していた獅子の部族がいたでしょ?
その時に見せてもらった歌と踊りがとっても綺麗だったから、お店の裏で練習してたの。
でも難しくて「もー!」ってなってたら、いきなりおじちゃんが出てきてね、すっごくすっごくかっこよかったの!
ムキムキなのに踊りはふわーってなって、奇麗で、お歌もすっごくうまくて!
でもすぐどっか行っちゃったから、あたし走ってその後追いかけたの。
「おじちゃん!」って呼んで、何かお礼がしたくて……この前作った組紐あげたんだぁ。
――歌と踊りを教えてくれた先生に、あたしからのプレゼント!
おじちゃんはこれ、似合うと思うの!
そしたらおじちゃん「先生じゃねぇよ」なんて言ってたけど……でもね、ちょっと笑ってたし、つけてくれたんだ。
おじちゃんにぴったりな、黒い組紐のブレスレット。
……また、会えるといいなぁ。