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砂の城
登場人物一覧
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砂は時の残滓だ。
色鮮やかな記憶も風化すれば形を失い、面影を掬い上げても指の間から落ちてゆく。
アーマデル・アル・アマルは砂に飲まれゆく遺跡を見ながら、かつていた世界を思い出していた。
彼という暗殺者を作り出した教団。
砂礫に埋もれかけた
「時の砂に沈んで眠れ。この《無辜なる混沌》に同じ
砂の一粒一粒は名も知らぬ人達の、此処に存在していたという証明。
アーマデルは砂塵を避けてフードを被ると、風を背にして祈りを捧げた。
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白い敷布の上で縺れ合う二人を、アーマデルは砂に溺れているようだと思った。
儀式は薬を含んだ口付けから始まり、終いは今は亡き弟の名で締めくくられる。
少年は毒による緩やかな死を迎え、死の神の化身たる男との交わりによって復活する。
男に忠実な
(
王を持たないラサという国でも、一人の俊才を頭とする集団は大小ある。
だが死の神と嘯くのなら、それは傭兵団ではなく教団というものだろう。
少年に薬を盛るのも、男が長い白髪なのも、かつていた場所とよく知る誰かを彷彿とさせて居心地が悪い。
(俺の番が来る前にとさっさと仕事を終わらせよう)
アーマデルは儀式が終わるまでを機と見ると、纏った防具、神威六神通の力で寝室の壁をすり抜けた。
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ラサの砂漠地帯には点在する遺跡。
その一つを根城にする傭兵団の一つがカルト教団化し、連合の制御が効かない状態になっていると聞いて潜入したのは二週間前だ。
癌を排除せよというだけならばアーマデルは依頼を受けなかったかもしれない。
彼の心が動いたのは、ひとえに死を司る神というのに引っかかりを覚えたから。
「遺跡から何かを見つけたのか? 甦りを信じる根拠となるようなもの……」
神殿ならばなにがしかの宝具や神具があったとしてもおかしくない。
ただ一人の弟を失った男が縋らずにいられない、パンドラの箱の底に残された希望が。
「死にゆく運命にあらぬ者を救うのは生者のため。だけど死にゆく運命にある者を蘇らせるのは死者のためにはならない」
偽りの神を弑するのは、
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鍛え上げられた褐色の背に垂れた髪は、月光の滝となって流れ落ちている。
美貌を縁取る髪と黄金の虹彩の黒い縞とは、どこか砂漠の蛇を思わせた。
男が傭兵として頭角を現し、自身の傭兵団を持つようになったのが8年前。
遺跡にて死の神の化身、死の王を名乗り、連合の手に余るようになったのは3年前。
傭兵団の顔ぶれは立ち上げ時とは異なり、今や秘技により死から蘇った者達ばかり。
(息を吹き返すのはそれが仮死薬によるヤラセとしても、洗脳が極めて厄介だな。くすねて持って帰ったら喜ぶかもしれないけど)
自分と共に異世界に来た、かつての主治医である医療技官。
彼の教えによれば、薬の品質を保って安置するなら冷たく暗い場所でなければならない。
砂漠においては太陽によって灼熱と化す地表から離れた地下を置いて他にはないだろう。
アーマデルは地下への入り口に立つ番兵に暗闇から急接近する。
気配を察知しアーマデルを捉えても、インサイドダークネスが間合いを惑わせ、蛇のようにうなる剣が見張りを薙いだ。
柘榴を漬けた果実酒を含ませておくと、酒の香りを嗅ぎ付けた酒蔵の聖女、女の霊に見張りを頼んだ。
死すべき運命にないのであれば、毒はただの眠りを誘うだけの酒でしかない。
他の傭兵達も霊達の怨嗟の叫びを聞き、しばらくは身動き取れぬ状態に陥っているはず。
『
星晦ましの目隠し布で下へ下へと続く昏き階段を下りた先は、迷路のように分岐した地下道。
虚空に向かって口唇を動かせば、神殿に蔓延る霊達が己の屍の在処を教える。
恨みと悲しみで魂を現世に繋がれた者達は、甦りがまやかしであることの証左だ。
(蘇りの薬を完成させるまでに何人殺したんだろう。いずれ蘇るからと地下に屍を安置しても、死んだ者は決して生き返らないのに)
地下は巨大な墓地となっており、幾つもの骸が安置されていた。
乾燥した砂漠の地下という低温環境に置かれ、古いものは既に木乃伊化している。
その中の一つに、特別に安置された『箱』があった。
用意した小瓶に指を浸して恩寵で茶色い薬を作ると錠前に一滴垂らす。
鍵を開けたそのとき。
「我が弟に触れるな」
秘事に耽っているはずの男の声がした。
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「気配を殺し伺う者がいたことは察していた。仕掛けるのでなければ安全を確認していたのだろう?」
凶手のやることは凶手だからこそ分かる。
見張りに置いてきた酒蔵の聖女が報せなければ、背中から心の臓を貫かれていただろう。
「死者は生き返らない。
「弟は甦る。私は何度も甦らせてきた」
男を説得したい訳ではない。
「それは身体機能を低下させたことで死んだように見えただけのまやかし。死んだものは
刃を交えた男は傭兵団を束ねるだけあって間違いなく手練れだった。
アーマデルの肌に血が滲む。
軽く痺れを感じるのは剣先に毒のせい。
「嫌がる弟を犯して殺し、死んでもなお抱き続け、復活するのを待ったとしても、弟は帰ってこない。いや、帰って来たくないって言ってる」
箱を開けたとき、アーマデルは聞いた。
だけど男の耳には何も聞こえることはないだろう。
生きているときでさえ、聞こうとしなかったのだから。
ふ、と気を吐くと酒の香。
捩れた一翼の蛇の吐息が男の足を一瞬止め、踏み込むと愛器・蛇銃剣アルファルドが男の腹を掠める。
男を追撃するのは、H型の刀身に沿わせて隠した銃が放つ連弾。
そして──
「毒など効かぬ……!」
「普通の毒じゃ死なないだろ。俺がそうであるように慣らされてるとちょっと痺れを感じただけで終わる。でも世界に一つだけの、解毒薬が存在しない毒もあるから」
アーマデルに様々な薬を施した医療技官でさえも解毒剤を作れない毒。
アーマデルは
生きていた頃と変わらぬ少年の身が、みるみるうちに腐り始めた。
「ああぁあぁぁぁぁあぁぁぁああ!」
叫んで駆け寄る男と入れ違いに部屋を出て階段を駆け上る。
遺跡を脱出すると、予め仕掛けておいた導火線に火を付けた。
砂丘が崩れ、遺跡を飲み込む。
兄も、弟も。
洗脳された傭兵も、殺された遺体も、何もかも、砂が攫っていく。
背に現れた翼の幻で飛び上がったアーマデルが離れたところに下り立つ。
無数の砂にかき消された城は、いつか人の記憶からも消えるだろう。
時の前には人も城も、等しく砂の一粒に過ぎないのだから。