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無情
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- グドルフ・ボイデルの関係者
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大切なものを失って、早いもので一年が経った。
ただ生きているだけでも腹は減り、涙は乾く。
張り裂けそうな悲しみに暮れる個人を置き去りにして、世界はいつも通りに動いていくのだと思い知らされる。
天義という国で聖職者として生きていくはずだった青年、アラン・スミシーは今、砂漠に囲まれた街の薄暗い酒場で安酒を呷っていた。
アランは今、ラサという国で何でも屋紛いの傭兵として活動している。
革鎧から覗くのは、あの頃に比べてたくましくなった腕。擦り傷や切り傷が化膿したのか、ケロイドのような痕が所々目立っている。
彼が過酷な戦いを切り抜けた証か。否、そんなものが勲章になる事も無い。ただ、そんな傷を治療する余裕も無かっただけ──。
「……」
客は多いものの、この酒場はどうにも活気は無い。
いや、原因等知れている。カラになったグラスに安酒を注ぐアランのせいだ。
「ゲッ」
酒場の扉を勢いよく開け、どかどかと乗り込んだ傭兵の一人が、アランの姿を見るなり呻く。
アランはちら、と男に一瞥くれるも、すぐに視線を明後日の方向へ投げた。
「けっ。テメエが居ると、酒が不味くならあな」
扉をあけ放った傭兵たちが、捨て台詞と共に踵を返して酒場を去っていく。
今度は、一瞥もくれなかった。
「なあ」
酒焼けしたような低い声で、おずおずと切り出した。
アランの深く刻まれた眉間の皺が動いた。
「そんなツラして、酒を飲むなよ。此処は楽しく飲む場所だぜ」
向かいの椅子に座っているのは、もじゃもじゃとした髪と髭を持つ男。
赤ッ鼻のグドルフ──荒くれ者のような外見の割に、どうにも面倒見のいい男だった。
「俺に酒を教えたのはあんただろ? 好きに飲ませろよ」
「けどよ……」
グドルフは空きっ歯を見せながら、寂し気に笑った。
「なにも、皆と仲良くしろって言ってるんじゃないんだ。これじゃあ、よその連中と組む仕事にも支障が出るぜ」
「言われた事はキッチリやってる」
グドルフの言葉に、にべもなく返す。
「……なあ、おめえ、何て呼ばれてるか知ってるか。『無情のアラン』──血も涙もねえ冷血漢だと」
アランは、誰よりも優しい青年だった──そう、聞いている。
グドルフは、そんな彼に良くない悪評が付く事が許せなかった。
「……言わせておけばいいさ。俺は周りにどう思われようがどうでもいい」
「そういう事じゃねえ。悪い噂が付いて回る傭兵に、仕事を頼む奴がいるかってハナシだ」
「説教する為に呼んだのか? その話は聞き飽きたよ。俺はもう寝る」
数枚の金をテーブルに叩き付けると、アランは襤褸のフードを纏った。
「おい、アラン、待て!」
グドルフの制止の声も届かず、アランは足早に酒場から抜け出した。
「……たく、グドルフの奴も、何だってあんなヤツを拾っちまったんだ」
「カネの為なら家族でも売っちまう──あながち噂は間違ってねェかもな」
辛気臭い男が居なくなったことで、ようやく小さな酒場に喧噪が戻る。
馬鹿話とうるさい笑い声の中、細々と傭兵たちの中で囁かれる噂話。無情のアランとはそういう男だと。
男の過去を勝手に脚色し、傭兵たちの一夜の酒の肴にエンタメとして消費されていく。
「……」
残されたグドルフは、彼が置いていった金を力なく眺めていた。
すっかり暗くなった街を歩き、安宿にするりと入り込んだ。
命のやり取りに疲れ果てた彼の前にあるのは、木の板にシーツを敷いただけの粗末な寝床。
装備をさっさと外すと、ベッドにごろりと転がり、目を閉じた。
今でこそもう慣れたが、初めの頃はろくに風呂にも入れず、虱やダニ、毒虫が残す痒みに苦しんだものだ。
入り込む砂や凍えるような隙間風がどうしようもなく不快で、寝る場所にすら安寧は無いと夜も眠れない日が続いて──いつしか鴉の濡れ羽のようだった黒髪は、白髪だらけになった。
アランは思い返していた。
傭兵として生きてきた一年間は、過酷だった。
天義での暮らしは、確かに慎ましいものだった。貧しいと言っても良い。
だが、そんなものが生ぬるく思えるほどに。
非力だったアランに、剣を教えたのはグドルフだ。
腕が動かなくなるほどがむしゃらに剣を振った。グドルフの仕事に付き添って各地を転々とし、獣や賊の襲撃に恐れながら野宿をした。死と隣り合わせの毎日に、心がすり減っていくのを感じた。
傭兵として生きる事。自分から望んだ生き方だった筈なのに、何度も天義に帰りたいと思った事を。
初めて人を斬った夜を思い返していた。
盗賊とも呼べぬこそ泥だった。しかしやり過ぎれば恨みを買うものだ。
だから彼は殺害依頼を出されて、アランはその仕事を引き受けた。それだけの関係性だった。
妹を奪ったのは山賊だ。連中と戦う為には、誰かを殺すという壁は乗り越えなければならないものだ。
アランは人が絶望した目を見た。彼は、生きたかったのだろう。
盗人という生き方に身をやつし、他者を踏みにじってでも、生きたかったのだろう。
もう動かない肉の袋が、恨めしそうにこちらを見ていた。突き刺した肉の感触と、あの目を思い出す度、そこらじゅうに胃液をぶちまけた。
でもそんな日々も、一か月、二か月、半年──と経つうちに、感覚は麻痺して薄れていった。
自分が斬るのは悪人だけ。それが自らに課した正義だった。
死んで当然な連中だ。そう思うようになった事を。
命を奪う事が日常になった頃を思い返していた。
悪人や害獣を殺し、それでようやく食べ物にありつけるのがやっとな日銭を稼ぐ毎日。
食べものは嗜好品と割り切れる。だが薬や装備に金を掛けなければ戦いで死に、病で死ぬ。
安い金で使い潰されるような金も後ろ盾も無い傭兵はそんなものだ。
他の傭兵連中は浮いた金を酒や女に使っていたようだが、アランは一人、ひそかに金を貯蓄としてまわしていた。
いつか、やりたいことがあった。グドルフにも言わなかったけれど──こんな毎日の中、粗末な夢や希望でも慰めにはなった事を。
初めて女を知った頃を思い返していた。
「お兄さん、前歯入れないの。そっちの方がカッコいいよ」
小うるさい女を黙って組み敷いた。
ベッドの上の女が鳴く度、哀れに感じた。彼女も生きるのに必死なのだと思った。
「あんな泣きそうな顔で抱かれたのは初めてだわ」
別れの時、そう言い残して去っていった女。
哀れに思われていたのは、こちらも同じだったのだと。
後々になって、彼女は金目当ての強盗に襲われて死んだと酒場の噂話で聞いた。
人間の死という情報が異常な速さで流れていくこの国と、情を持たないと誓ったアランの前では、ただ無味な情報だった。
それももう、三か月も前の話で。彼女の話をする人間は、もう何処にも居ない事を。
妹を失ったあの日の出来事とその後の悲惨な生活は、アランから感情を奪った。
人の死をどうにも思わなくなる事。無情こそ、彼には必要なものだった。
しかし一年間という時間は、未だ彼の感情全てを奪い去る事は出来なかった。
煤けたロザリオが砂にまみれたバッグの中で、もう一度陽光を浴びる事を信じているかのように。
ふと女の声がした。優しい声だった。
──愛を忘れてはなりませんよ。アラン──
「先生……」
無情と呼ばれた男が、折れた前歯をむき出しにする。
枯れた筈の水が、黄ばんだシーツを僅かに湿らせた。
![](/assets/images/scenario/ssicon.png)
- 無情完了
- NM名りばくる
- 種別SS
- 納品日2021年06月20日
- ・グドルフ・ボイデル(p3p000694)
・グドルフ・ボイデルの関係者