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われをもすくいし

登場人物一覧

グレン・ロジャース(p3p005709)
理想の求心者
グレン・ロジャースの関係者
→ イラスト

われをもすくいし 

●モノ言うヒトガタ

 薪束の上に敷いたシート。
 雨粒はまだ垂れない。子供たちに手伝ってもらったが、もしかしたら必要なかったかもしれない。溜息は大勢の子供たちの寝息に紛れて消える。
 雨が降れば少し動くと汗ばみそうな陽気を多少は和らげてくれるかなと期待したけど、残念ながらこの中途半端な天気はその役に立ってくれそうにはない。
 子供たちは誰一人起きる素振りを見せず、普段の賑やかさが嘘のように静まり返る教会。私の膝を枕にして眠る男の子の、自分と同じ金髪を軽く撫でながら、心と視界は遠い昔に遡る。
 あの日も、今日みたいに中途半端な天気だったなあ、という残響のような言葉が、今と昔の境界線を曖昧にする。

 自らが特権階級に生まれたと悟ったのはいつだったか。物心ついたその瞬間から、ではないと思う。ただ、そこまで時間を要さなかったことは覚えている。
 ロジャース系のご令嬢——グレイシー・ロジャース。その名前には恐らく名前以上の意味があって、両親はそれをどうやって最大限利用するかについて随分と腐心していたように見えた。
 良家の子女としての嗜み、教育。そうしたものはいわば商品に施す『付加価値』のようなもので、そうしたものを修める義務を課せられる代わりに望めば望んだものを与えられる権利を与えられた。
だからといって私はその権利を積極的に行使することはなかった。仮に行使してもグレイシー・ロジャースが出荷される際に結局所有権を失うことを、私はどこかで薄々感づいていた。
 切り取られた窓辺の景色が四季を刻み、それを何度か繰り返した。『礼儀作法』『おべっか』『コネクション』——その他諸々の『付加価値』を付けられた私という名の商品は、16にしてついに出荷される。相手は勿論、グレイシーの家柄を更に高める家。少し飾った表現をすれば親同士が決めた婚姻、虚飾を取り払った形容をすれば政略結婚である。
 その運命を呪う気力もなかった。抗う意思など最初から綺麗に取り除かれていた。親が望むまま、豪奢な馬車に乗せられ、婚礼用の衣装と道具を持って相手の屋敷に入った時、何も感じなかったことをよく覚えている。
 鳥籠を変えられたとて、籠の中で生きることを強いられていることに変わりがない。変わったことと言えば、望まれることが一つ増えた程度。
 長子、それも男児を生むこと。嫁いだ瞬間、それは私が成すべき義務の最たるものとして位置づけられた。折に付けて期待の眼差しを向けられ、ほぼ同じ回数は嫡子を生むように厳命された。
 これまで、私は望まれるままに両親の期待に応えてきた。その全てが、ロジャース家の家名を高めていくことに繋がっていた。
 そうして付加価値を高めた私だが、皮肉なことに相手の家が最も求めていたこと――嫡子を生み、家の安定を図ることはできなかった。本体の価値がないまま、付加価値のみが飾り立てたドレスのように虚を飾っていたというのだから、運命というのも皮肉な話だ。
 期待が批難に変わり、やがて陰湿な嫌がらせになるのに、それでも季節の一巡を3回程要したと思う。最初は期待と不安が半々で見る視線が、やがて失望に変わる。
「どうして子供を産めない粗悪品を連れてきたの!?」
 寝室の一角で義母が使用人にそう当たり散らすのを聞いてしまった時に、私は自分の未来を悟った。
 それから更に季節が三巡した初夏のある日、澱んだ空気の立ち込める屋敷の中、私は後妻と義母に追い立てられるように屋敷から追い出された。親が望んだ結婚は義親の希望で破棄された。ご丁寧なことに婚姻の際に持ち込んだ道具は全て処分された。
 虚飾のドレスに身を飾ったご令嬢は、その虚飾を取り払った状態で外に放り出されたということだ。
「……さて」
 どうしようかな、と思わず言葉が出た。実家に帰る選択肢もある。幸い少量ながら手持ちもあったのでどこかで慎ましく生活することもできるだろう。
 どうしよう、どうしようか。そこまで考える段になって、頭が真っ白になった。
 どうすればいいのかわからない、という感じとはまた異なる感覚。名状しがたい靄が脳を覆う。その正体は、屋敷の門を抜けて暫く当てもなく彷徨っている最中に見つかった。
 私はこれまで、誰かの希望に沿って生きてきた。結婚する前は両親に、結婚してからは相手の家に。それが今になり、見事にどちらも存在しなくなった。
 初めて――それが望んだものであるかどうかは別として――提示された選択肢、しかもそれが『今日の夕飯は塩をどれだけ振ろうか』などというスケールではないのだ。
 要するに、これまで碌な判断をしてこなかった人生に唐突に巨大な決断を迫られる場面が降って湧いたことで困惑した、ということだ。
 他人の求めに唯々諾々と従ってきた人生に初めて恨み言を言いたくなったちょうどその頃だった。東へと続く道から見慣れた馬車がやってきたのは。
 ロジャース家の家紋の入った馬車。以前婚礼時に乗ってきた物とは格段に劣るが、それでも家の者を乗せるのに不都合はない。
(私を迎えに来たのかしら)
 御者の顔も覚えている。祖父の代から家に仕えてくれたその男は、実に見事な手際で手綱を操り、私の前で馬車を止めた。
「お嬢様、お乗りください」
 言われるがまま、私は乗った。すぐに馬車が東へ……あれ?
「家に戻るのではないの?」
 返ってきた言葉はいいえ。続いて用意された回答は予想外。
「お嬢様はこのまま東にある修道院へお連れするよう、旦那様に命じられております」
「修道院?」
 聞かされた名前は、私の知らないものだった。場所を尋ねると、馬車でも半日はかかるところだ。自力で家に帰るのは難しいだろう。
(帰りたい? あそこに?)
 ぽっと鬼火のように灯った疑問。あの家で過ごした時間や思い出、そうしたものが蘇って……こない。去来するのは、人形のように生きる私の姿。
 もうそろそろ、そんな生活に別れを告げるのも悪くないような気がした。
「わかりました。但し、我儘を一つだけ」
「何なりと」
 多分これが、私の人生で初めての我儘だ。
「最後に生まれ育った家を見たいの。一度引き返してもらえますか?」
 嘆くための、後ろ向きな邂逅ではない。新しい生活の楽しみを想像するための邂逅だ。
 御者が慣れた手つきで馬を操り、来た道を引き返す。木々の絨毯から覗く灰色の空は、今にも泣きだしそうでけれど修道院に着くまで泣きだすことはなかった。

●幸運と不幸の天秤
 そんな、追い立てられるように辿り着いた修道院で私を待ち受けていたもの。
 それはこれまでの生活とは全く縁のなかったもののオンパレード。
 日も登り切らない早朝に目を覚まし、掃除を済ませてから祈りを捧げる。日が登れば畑の手入れや街に買い出しをする。料理、裁縫、洗濯の家事をこなし、夜になったら一日に感謝を捧げて眠りにつく。
 ロジャースの家は貴族だ。家事の一切をやる必要はなかった。ましてや畑で鍬を握る事や土に触れることなど皆無だった。そのどれもが初体験で、新鮮で、暫くは迷惑をかけたと思う。修道女たちの中には同じような経緯で流れ着いた者も多く、皆慣れているかのように私に接してくれた。
 そんな中でも私が最も面食らい、そして最後まで苦労したもの。それは子供たちの相手をすることだった。孤児院としての一面もあったこの修道院では入れ替わりこそあるが大抵10人以上の子供がいた。親に先立たれた子、酷い暴力を受けた子、戦火から命からがら逃げ延びた子。どの子も複雑な事情を抱えながらそれでも太陽のように眩しく、元気に生きていた。
 まず日常の作業さえ満足にできない私だったが、子供たちにそんな事情は通用しない。
御伽噺を話してくれとせがまれたり、遊び相手を頼まれたり、駄々をこねたり。そんな苦労の中で時折見せる眩しい笑顔。それが私の心を満たすとともに、時に心の隅を小さく突いて痛みを呼び覚ました。子供がいれば、そう考えたことが全くなかったかと言えば嘘になる。
 そんな小さな棘に時折苦しみながら、次第に望まれ、それを叶えるためだけに生きてきた人形から少しずつ抜け出して来たある日。
「おはようございます」
 その日は、私が朝皆を起こして回る日だった。前日、滅多に見れない流星群のせいで皆夜更かしをし、誰もが普段の三割増しで眠気を有していた日。
 まだ寒さの残る外の空気を礼拝堂に入れようと扉を開けたその瞬間、小さな籠とおくるみが目に飛び込んできた。その時はフルーツでも入っているのかと思ったがすぐに違和感に気付いた。寝息を立てているかのように緩やかに上下している。
 生まれたばかりの赤ん坊。そうだと悟るのに時間はかからなかった。反射的に籠を抱き抱えて長の部屋に飛び込む。突然の事態に面食らった彼女だが、初夏とはいえまだ肌寒さの残る夜に赤子が置き去りにされていたと伝えると血相を変え、すぐに私にてきぱきと指示を与えてくれた。幸か不幸かはわからないが、長の経験豊富さのお陰で赤ん坊は命拾いをした。
 その子がグレン――今私の膝の上で休む子だ。金髪に、蒼い瞳。私と同じ色の髪と瞳。
一命をとりとめ、初めて目を開けて私の目を見てくれたその瞬間の衝撃を、私は生涯忘れることはない。初めて神の存在を信じた。自らの存在を全て捧げても厭わないと思えた。
「私にあの赤ん坊の、グレンの世話を任せてもらえないでしょうか」
 そうやって長に直談判して了承してもらえた時の感無量さを伝えることなどできはしない。

 そうして、グレンは私達の仲間になった。他の子にもシスターにも愛され、囲まれた彼はとても健やかに、そして聡明に育っていった。
 私はそんなグレンに私が培った全てを教えた。かつて詰め込まれるだけだった私が、グレンにそれを少しずつバトンパスしていくのはとても不思議で、でも楽しかった。最初に「しすたぁ」と舌足らずの声で呼んでくれた時、泣くのを堪えるのに苦労した。
 グレンは私をシスターと呼んだ。それでよかった。私を母と認識してしまうと、私を取られてしまったと勘違いした他の子の標的になりかねない。私にとってグレンは、それだけ、特別だった。他の子も可愛いし天使みたいな存在だった。しかし、表では平等を謳いながらもやはり、グレンは特別だった。
「しすたー。お手伝いしますね」
「ありがとう、グレン。ではこのお皿を持って行ってもらえますか?」
「うん!」
 グレンは、真っすぐに育った。ただ真っ直ぐなだけでなく、聡明な子に育った ……我が子可愛さが私の目を濁らせているのかもしれないが。
 進んで手伝いをし、年下の子の面倒を見る。喧嘩があれば仲裁にも入る。
 私の特別扱いをどこかで理解し、その扱いをみんなに還元しているようにも見えた。
(あの子はあの子なりに、何かを感じているのかしら)
 そう思うと同時に、やはり嬉しくなった。あの聡明さと心優しさがあればきっと誰かに手を差し伸べられる優しい子になれる。
 まだ小さいその体に蓄えられた優しさを、私は自慢したくなった。

 そんな感じで一日は積み重なり、やがて百を超え、千を超える。小さな成長は積み重なって変化となり、今は過去へ、明日は今日へ。そして未来の足音が少しずつ大きくなる。
 そんな中、すっかり重くなったグレンの頭を膝に乗せつつ、私は思いを馳せる。過去のあの時、忘れようにも忘れられないあの分岐点へ。
 もし、あの時あの家で子供を産んでいたらどうなっていたのだろうか。今のグレンを腕に抱いたときのような幸福感を抱けただろうか。わからない。起きなかった事実を夢想し、そこからさらに思いを紡ぐのは思った以上に難しい。
 そうして考えるのを止めると、不意に不安が襲い掛かるのだ。
――この幸せは、いつまで続くのだろうか、と。
 何かの本であった記載が時折脳裏をよぎる。曰く、『人は一生の間で使える幸運の量と不幸の量があって、それぞれの合計は等しい。まるで、釣り合う天秤のように』
 生まれてから、不幸と言えるだけの期間がどれだけあっただろうか。子を為せず、義母に疎まれていた頃が唯一そうと言える期間だろうか。その前、嫁ぐ前は不幸だっただろうか。いや、そうは思わない。求めることはなかったが、飢えることも乾くこともなかった。
 今、今は恐らく幸せの頂上にいる。グレンを抱え、大勢の子供やシスター達との共同生活はとても満ち足りている。或いは、両親は私がせめて幸せな生活をしてほしいと願ってこの修道院に送ってくれたのではないかと、この頃は考えもする。
 振り返ると、使った幸せの量と不幸の量に著しい差があるような気がする。それが時折居ても立っても居られないほど怖くなるのだ。まるで、自分のせいで未曽有の不幸が襲い掛かってくるような、そんな気がするのだ。

「……グレン」
 金色の髪を撫でながら、愛し子の名前を呼ぶ。
 泥の中にあっても美しい花を咲かす様にあやかって名付けた、愛しい子よ。君がこの先幸せに生きられるのなら、私は残りの幸運を全て君に分けることも厭わない。君の不幸を全て肩代わりして、今すぐここで火に身を包まれても構わない。
 だから、どうか。幸せに生きて。

 まだ煮え切らない態度を崩さない空に向けて、ある修道女は祈る。
 それは与えられ、けれど欲することを望まなかった彼女が、きっと人生で初めて心の底から「欲した」ものだった。

おまけSS『もう読めない手紙』

『しすたーへ

 いつも、ごはんをつくってくれてありがとう。
 いっしょにあそんでくれてありがとう。
 うたをうたってくれてありがとう。
 
 しすたーはいつもいっています。
 ひとにはやさしくしないといけませんよ、って。
 だからぼくは、しすたーがくれたパンをちいさいこにわけてあげています。
 おとうとやいもうとがないていたらぎゅってしてあげます。
 しすたーのおてつだいもします。

 そうすると、しすたーはぼくのあたまをなでてくれます。ぼくはそれがだいすきです。
 しすたー。
 ぼくはしすたーが、ほんとうのおかあさんだったらよかったのになあとおもいます。

 しすたー。
 いつもありがとう。 ぐれん』
                   

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