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幸せな、二人の一日
登場人物一覧
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――例えば。朝目覚めて、人はどんなことを考えるだろう?
よく寝た、かな。それとも、朝が来ちゃった、かな。
でもきっと、大多数の人はこんなことを考えると思う。「今日が幸せでありますように」。
だけど、私にとっては、そんな風に祈る必要なんてない。だって、隣で眠っている貴女の顔を見るだけで、今日が幸せな一日になる事なんて決まってることなんだって確信できる。
「ヴァリューシャ、おはよう……朝だよ~♪」
同じベッドで眠る彼女の額に優しく口づけをして見せれば、赤毛の眠り姫がうっすらと目を開く。
「んーー、もう朝れすの? あと少し……」
そう言って目をこすりながら体を起こすけど、このくらいで完璧に目を覚まさないのが、私のわがままな眠り姫だ。すぐにまたこてん、とベッドに倒れ込むと、
「眠いれすわ……こういう時、時間を操る魔法が使えたら良いのに……」
それもいいなぁ、と私は思う。柔らかな朝のまどろみの時間を永遠に切り取って、その穏やかな時間をずっとヴァリューシャと過ごすんだ。
ふわふわとした夢と現実の間、ふかふかのベッドの上で、私たちは見つめ合ったり、キスをしたりする……なんて。そんなことはきっと、混沌の神様にだってできないんじゃないかな。それに出来たら、きっと幸せ過ぎて、私はダメになっちゃうかもしれないし。
「先に起きてるよ、ヴァリューシャ。つかれてるだろうから、ゆっくりしてて」
もう一度、今度は頬にキスをして、私は階下のキッチンへと向かう。お揃いで買ったエプロンをつけて、朝食を作り出す。休日のヴァリューシャは朝に弱いから、朝食を作るのは私の役目。昨日は卵が沢山手に入ったから、それで炒り卵を作って、これまた昨日手に入れたバゲットを、練達製のオーブンで少し炙って温めなおす。それだけで香ばしい匂いが家中に広がって、私の眠り姫もつられて起き出すんだよね。
「おはよう、マリィ……いい匂いですわね~」
まだ眠気の取れない、柔らかな笑顔を浮かべる彼女に、私は微笑んで返した。
「ん? 匂いに釣られちゃった? もう出来てるよ、先にリビングに行っててね」
「ふふ、配膳くらいは一緒にやりますわ」
その申し出を断る理由はない。私は二皿分の炒り卵を、彼女にカゴに乗ったバゲットをお願いして、一緒にリビングに向かう。ヴァリューシャに重いものは持たせられないからね!
「いつもありがとう、マリィ。今日はスクランブルエッグですのね。いただきまーす」
テーブルについて、二人で朝食をとった。バゲットに、ふわふわで半熟の卵を乗せて、二人で食べる。とてもおいしいけれど、これは料理の味だけじゃなくて、目の前にいる彼女の力もあるって、私は思う。
「ごちそうさま! ふふ……美味しかったね!」
朝食が終わると、ヴァリューシャと一緒にお皿を洗って片付ける。終わったら、ヴァリューシャはうーん、と伸びをして、
「ご飯を食べたら目が覚めて来ましたわっ! 私、顔を洗って来ますわねー」
「うん。私は新聞をとって来るよ」
もう一度リビングに集合して、私たちは二人で顔をくっつけながら、新聞を覗き込む。混沌世界は決して平和とは言い切れないくらいに事件が起きているけれど、それでも人々の営みは、小さな幸せや楽しい記事を紙面に踊らせてくれる。
「今日はどうすごそうね? 久しぶりの揃っての休日だし、ゆっくり過ごそうか?」
「そうですわねー……やっぱり、マリィとのんびりしたいですわね。あ、冷蔵庫の中身は大丈夫ですかしら。買い出しにもいかないといけないかも」
「それは午後にしようか!」
二人でまどろむ時間を愉しみたくて、とっさにそう言ってしまった。だってもっと、ヴァリューシャとのんびりくっついてたいし……。
「ふふ、では午後に……あら」
そう言って、ヴァリューシャが手を止めたのは、今日の各商店の広告の欄だ。彼女の視線は、新入荷の香水の所にむかっていて、
「買い出しのついでに、出来ればこのお店に寄りたいのですけれど……」
と言うので、私は首をかしげてみた。
「いいよ。でも、香水が欲しい? 君にしては珍しいね」
「まぁ。私だって年頃の女性ですのよ?」
と言うので、私は本当に、不思議だった。だってヴァリューシャはとってもいい匂いがするから、香水なんて必要ないじゃない?
「香水なんか付けなくても君はいい匂いだよ?」
と言うと、ヴァリューシャは頬を赤らめて、苦笑している。
「マリィがそう思ってくれていても、こういうのは気分が大事ですのよ!」
そう言うものなのかな。でも、ヴァリューシャが喜ぶのなら、それは良い事なんだって思うし……香水をつけたヴァリューシャかぁ。きっと、今よりもっときれいな人になるんだよね。そうなら、やっぱりいい事だなぁ、と思う。
「うん。じゃあ、夜ご飯の買い出しもついでに済ませちゃおうか。午後は、ヴァリューシャと買い物だ。やったね」
と、私は背中側から、ぎゅう、とヴァリューシャに抱き着いた。ヴァリューシャは、そんな私が回した手を、自分の手で包んでくれた。
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マリィとお揃いで買ったエプロンをつけて、私はキッチンに立っています。お昼ご飯の担当が私だからなのですが、それはちっとも嫌ではなくて、むしろマリィが喜んでご飯を食べてくれるのが嬉しいから、気合も入ってしまうと言うものです。
「うーん、このお肉も、色が悪くなってきたから入れておこうかしら……」
冷蔵庫に入れてあったお肉を取り出して、ソバの実もありましたから、今日はカーシャを作る事にします。夕食は買い出しもあるし、きっと豪華なものになるはずですものね。
と、髪の毛に触れられたような感触がして、包丁をまな板の上に置きます。
「もう、マリィ?」
優しく窘めるようにいうと、背後にいたマリィが、えへへ、と笑って後ずさりします。
「ごめんごめん」
そう言うけれど、きっと反省はしていないのです……いいえ、しているのかしら? でもすぐにまた私に近づいてきて、興味深げに、その目をくりくりとさせて、私の髪に触れたりします。
まるで遊んでほしい子猫みたい! ……って言ったら、きっとマリィは口をとがらせるでしょう。私は猫じゃないよ! って。でも、本当に、そのしぐさが子猫みたいで、可愛らしいな、って思ってしまいますわ。
……でも、いくら愛しいとはいえ、こちらは料理中。じゃれつかれては危ないですし、私だけならまだしも、マリィにまで怪我をされては、と考えると、生きた心地がしません。
「ちょっと、マリィ!」
今度は少しだけ強めに。マリィはわぁ、と両手をあげて、
「わー! ごめんよ! もう邪魔しないってばー」
と言うのですが、その顔はとてもにこにことしていて、きっと構ってもらえてうれしいのだろうな、と思うのです。
……もちろん、私もマリィにかまってもらえるのは嬉しいのですが。料理中は危ないから、自重してほしい所。
さて、そんなマリィを構いながら、昼食は完成します。
「やっぱりヴァリューシャの料理は最高だよ!」
なんて笑って食べてくれるので、やっぱり作り甲斐がありますわね♪
二人で後片付けを済ませて、まだ日の高いうちに外出します。
「お肉がなくなりましたから、買っておきたいですわね」
「麦とかお米も少なくなってたよ」
「それは重いですから、最後に買いに行きましょう?」
商店街を歩きながら、そんなとりとめのない話をします。何気ない会話ですけれど、それが堪らなく幸せな時間である事は、二人の共通認識であったりします。
「まずは、香水を買おうか。ヴァリューシャって、どんな香りが好きなの?」
「そうですわね。フローラルなものとか……最近は、カムイグラから回ってきたオリエンタル系の香りもいいですわね。他には石鹸のような香りも」
「石鹸? ヴァリューシャの髪も、何時も素敵な石鹸の香りがするよ?」
「もう、そう言うものではありませんわよ? マリィだって女の子なんですから、香水をつけてみたらいいのに」
そう言うと、マリィはむむ、と唸った。
「うーん、変に香りが残ると、潜入作戦の時に敵に印象が残らない?」
たまにズレた回答をするのが、マリィの可愛らしい所ではあるのですが。まだまだ軍人時代の思考が抜けないのかしら?
「もう! 別に戦う際に着けるわけではないでしょう? 決めましたわ! 今日は私の分と、マリィの分も買いましょう!」
ええっ! とマリィはびっくりした顔を見せました。
「そ、それこそ私には似合わないよ!」
「いいえ、そんなことありませんわ! 私のマリィに似合わないものなんてありませんわよ! マリィでしたら……もしかしたら、男性用のシトラス系や、スパイス系なんかが似合うかもしれませんわね!」
やっぱり、戦いのときはきりっとしてカッコいいですし。その時のイメージを考えれば、さわやかな香りもいいかもしれませんわね。
「ええ、どうせ買うなら、ヴァリューシャとのお揃いがいいよぉ」
そう言ってくれるのは嬉しいですけれど。
「ダメですわ! こういう時は、きちんと本人に似あうものを選ぶべきですわよ!」
私はぐっ、と拳に力を込めて力説してみせました。ええ、そうです! マリィの魅力をさらに引き出す香りを見つけるのが、今日の私の使命!
「うう、虎の尾をふんじゃった……?」
「虎はマリィでしょう? それにこの場合、そのことわざの使い方って正しいのかしら……?」
及び腰のマリィの手を引いて、私は香水店へと向かいます。
それからしばらく、マリィを着せ替え人形ではありませんけれど、色々な香りを試してみました。やっぱりマリィには、さわやかな香りが似合うみたい。私の分と、マリィの分を買ってお店を出ると、マリィは少しだけ疲れた様子を見せて、
「やっぱり、すぐには香水の事は理解できないかもしれないけれど」
けれど、すぐに笑顔を見せて、
「ヴァリューシャが、私のために選んでくれたのは嬉しいよ! 今度つけてみるね!」
と言ってくれるので、ああ、やっぱりこの子は可愛らしいなぁ、と思ってしまうのでした。
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「今日も楽しかったね」
そう言って玄関に買い物袋を置いた。時刻はもう夕暮れ。買い物の疲労は少しあったけれど、私たちはまだまだ元気だ。
「ええ、良い香水も買えたし、大満足でございますわー!」
ヴァリューシャの、香水、と言う言葉に、少しドキッとしてしまった。香水をつけたヴァリューシャは、今よりもさらに綺麗になるのかな? 私の買い物袋にも、ヴァリューシャが選んでくれた、私のための香水がある。これをつけたら、ヴァリューシャはもっと私を好きになってくれる?
「どうしましたの? マリィ。ぼんやりして……疲れました?」
そう言うヴァリューシャの声に、私は現実に引き戻された。
「ううん、今日も本当に楽しかったなって。あ、そろそろ夕食も作らなきゃだね。一緒に作ろう、ヴァリューシャ!」
ごまかすような私の言葉に、ヴァリューシャはくすりと笑って頷いた。買い物袋の中身をそれぞれの場所にしまって、二人で夕食を作る。食材が沢山あるから、今日は少し豪華に。買ったばっかりの野菜は新鮮なうちに食べたいから、ヴァリューシャ特製のドレッシングをかけたサラダに。新じゃがの季節だったから、あげたポテトとポタージュも作った。新鮮なお肉も少しレアに焼いて、私特製のスパイスでぴりりと味付けする。それに、今日はお米を買ったからライスを炊いて、ちょうど飲み頃のワインもあったから、それを開ける。
「なんか思わず豪華になっちゃった」
「ふふ、たまの休日ですからね。幸せな一日の締めくくりによいのでは?」
そんな風に笑い合いながら、二人で夕食をとる。今日一日の思い出を語らいながら食べて、食べ終わったら食器を片付けた。
それから二人でお風呂に入った。一緒にバスタブにつかって、今まで使っていたヴァリューシャの香水を、入れ替えだから、と数的、お湯に垂らしてみた。
お風呂いっぱいに広がる、今までのヴァリューシャの香り。なんだかヴァリューシャに抱っこされてるみたいで、ふわふわする……と思ったら、なんだかのぼせてしまったらしい。
お風呂から上がって、ヴァリューシャの髪をといた。石鹸の香り。ヴァリューシャの香り。
「君の癖っ毛可愛くて好き……♪」
「ありがとう、私もマリィの髪の毛、サラサラで好きでしてよ」
そう言って、今度はヴァリューシャが私の髪をといてくれた。心地よくて、うっとりとしてしまう。
就寝までの時間を、それぞれ過ごす。ひとりの時間も大切だからね。でも私はすぐにそれに飽きてしまって、読書をしていたヴァリューシャに、後ろから抱き着いてしまう。
「読書ばかりしてないで、もっと私に構ってくれてもいいんだよ?」
なんて、ヴァリューシャの髪に、顔を埋めてみると、ヴァリューシャはもう、と苦笑しながら、
「もう、分かりましたわよ。今日はこの章までにするから、もう少しだけ待っていて下さいまし」
と言ってくれるのが、すごく嬉しかった。
「冗談だよ♪ 邪魔してごめんね。読書中の君を眺めてるだけで私は幸せさ!」
とはいってみるものの、やっぱり離れるのは名残惜しい。
「……でも、くっついていてもいいかい?」
「仕方がありませんわね」
ヴァリューシャはそう言って、私のするがままにさせてくれた。ヴァリューシャに後ろから抱き着いて、手元を覗き込むように、ヴァリューシャの読んでいた本を見る。
「小説かい? それとも、いつもの思想の本?」
「今日は小説ですわ。流行の推理ものですわよ」
「凄いね! 推理小説とか、私は頭がこんがらがっちゃうよ」
「でもマリィは、すぐに犯人を当ててしまうではありませんの」
「んー、だってほら、怪しい人って怪しくないかな? ほら、このページに出てくる、この人のセリフ……」
「わーっ! マリィ! ストップ! ネタバレは禁止ですわ!」
なんてわたわたしてるヴァリューシャが、本当にかわいかった。
月がすっかり昇りきったあたりで、私たちはは寝室にむかった。一緒に買ったパジャマ(これももちろん色違いのお揃いだ。色も一緒にしたかったけど、どっちがどっちのか分からなくなるって、色だけは変えたんだ。間違ってヴァリューシャのを着ても、私は気にしないのにね!)に身を包んで、同じベッドに入る。
向かい合って、一緒に眠る。常夜灯の明かりに照らされて、ヴァリューシャの瞳がきらきらと輝いていてた。
「おやすみ、ヴァリューシャ……また明日ね♪」
そうして優しく頬にキスすると、ヴァリューシャは笑って、
「ええ、おやすみなさい。また明日ね……」
私の頬にキスをしてくれる。
私たちは向かい合って、暖かな心地のまま眠りにつく。
お休み、ヴァリューシャ。
ヴァリューシャの髪の石鹸の香りが、私をまどろみの中へ誘っていった。
おまけSS『彼女が眠りに落ちるまで』
……マリィは眠ったかしら?
うっすらと目を開けると、穏やかな寝息を立てる、マリィの寝顔が見えました。
ゆっくりと、マリィの髪に、手をやります。それからすくように撫でてやると、マリィは眠りながらも、くすぐったそうに微笑むのです。
「お疲れ様、マリィ」
今日も私と過ごしてくれて、ありがとう。
今日も私と共にあってくれて、ありがとう。
そんな事を思いながら、口づけされた頬の温かさに思いをはせながら。
「おやすみなさい、私の、マリィ」
そう呟いて、ゆっくりと瞳を閉じるのです。
瞼の裏に、愛しい貴女の顔を浮かべ。
貴女と一緒に過ごすのであれば、きっと明日も素敵な一日になるのだと。
そう思いながら、ゆっくりと、私は眠りの中におちていくのでした。