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ノンストップランナー
登場人物一覧
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初夏、という言葉がいやにしっくり来るほどの熱気を伴った昼間とは打って変わって、太陽が沈めば、世界は半袖を毛嫌いしているかのような様変わりを見せてくれる。
その日の気温も、ちょうどそのようなものだ。日中にはあれだけ太陽が燦々と激しい自己主張を見せていたと言うのに、雲がかかったのか、星々も月明かりも顔を隠してしまっている。
僅かで乏しい街灯は、足元を見るには十分と言えず、ぼぉんやりと路地を照らすばかりだ。それも大通りに限った話で、少し横道にそれてしまえば、途端に手元の洋燈だけが家路につくまでの頼りとなってしまう。
そうなれば、おかしな事も考えてしまうもので、ただただ暗いばかりであるだけのいつもの小道が、今日はなんだか薄気味悪いものに思えて仕方がなかった。
背筋を冷たいものが走ったのは、冷気のせいだと自分に言い聞かせる。けしておかしいものがいるわけではないのだ。
ちらりと後ろを確認しても、何が居るわけでもない。いいや、何が見えるわけでもない、というのが正しいか。手持ち用の洋燈ひとつでは、誰かが身を潜めていても、どうのような怪物が引きを潜めていても、わかったものではない。
ごくりと、喉をひとつ鳴らした。そこにいるんだろうと、叫んでみたくなる。だが出来はしない。わかっているのだ。暗いだけだと。理解しているのだ。全ては怯えている自分が生み出した妄想に過ぎないと。
だがこの日、この瞬間、この場所においては、彼が正しかった。
月明かりのない夜道は彼の命を狙うものの姿を隠し、風のない通りは匂いのひとつすら感じさせることはなく、乏しい洋燈は黒塗りの刃を見通すことが出来ない。。
聞き取れたのは、明確な殺意を持って動く凶刃が、風を裂いた微かなそれだけで、彼は自分の頭と胴の間を通り過ぎたものの招待さえ認めることはなかった。
ごとりと、首が落ちる。勢い余ってくるぅりと回る。その間、脳に満たされていた僅かな血と酸素が、刹那の間だけ彼を生きながらえさせたが、どこを見ても真っ暗な通りでは、目を瞑っているのと、何ら変わりのない光景だった。
暗転。
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「まさか、仕事で鉢合わせるなんてな。この男、一体何をしたんだ?」
「さあ、事情は聞いてないんだ。聞かないほうが、お互いのためになることもあるんものだろう。特に、こういう仕事なら」
男が二人、人気のない裏路地で何やら作業をしながら話をしている。傍らには首のない死体が転がっており、もう少し離れたところに切断された頭部があった。
二人が殺人現場の調査を行っているのかと言えば、事実はその真逆である。彼らこそが実行犯であり、彼らがしているそれは、いわゆる隠蔽というものであった。
殺人そのものを隠すことは難しい。今は太陽もなりを潜めてはいるが、昼間になれば初夏の熱気だ。死体が腐るのも早く、悪臭を放って、容易に発見されるだろう。
かといって、どこかに死体を隠そうとしても、それはそれで痕跡が残る。彼らが隠そうとしているのは、死そのものではなく、彼らにつながる証拠の方なのだ。死体の発見自体は重要ではない。しかし、彼らが実行したのだという軌跡だけは、抹消しなければならなかった。
他殺ではないと認定されればなお良いが、頭と胴が泣別れではそうもいくまい。重要なのは、殺害事実を深堀りできる跡、物、人。がたり。
音がして、二人の反応は早かった。誰かが逃げる。明かりの乏しい夜道では、その実体まで視認することはできない。しかし彼らは迷うことなく逃亡者との距離を詰め、背後から追いすがり、そのままうつ伏せに転がせた。
男の反応は早い。素早く短刀を鞘から引き抜くと、恐怖と痛みで動けないでいるその首筋に刃を走らせる―――寸前、もうひとりによって手首を捕まれ、その行為は阻まれた。
「何のつもりだ?」
「こちらが言いたい。目撃者だぞ。俺たちを見ている。消すべきだ」
消す、という言葉に反応して、ビクリと震えたのがよくわかる。このままでは殺されると理解できているのだろう。だから逃げた。だから、始末しなければならない。ここで起きたことを赤裸々にする前に。
それがたとえ、
「まだ子供だぞ」
そう、子供であったとしてもだ。
「だからなんだ? 子供だから、ここで起きたことを黙っておけず、何もかも話すだろう。それに、魂が穢れる前に救済してやるべきだ。ここで殺す」
「その必要はない。口を割ると言うなら脅すだけで十分だ。この子供も、誰かに話せば自分がどうなるかくらい理解している。幼い命だ。なるべくなら生かしたい」
手首を掴む力が増す。短刀を握ったその腕が、問答無用に子供のそれへと突き立てられようとしたからだ。
「離せアーマデル。こんなことで争いたくはない」
「離すものかよ弾正。たとえ友でも、譲れない一線がある」
沈黙は一瞬。ガギィンと鈍い音を立てて、何かが砕けた。
「……何故折った?」
「言うまでもない。こうしなきゃ、止まらないだろ」
折れたのは、今まさに子供を刺し殺そうとしていた短刀だった。根本からぽっきりと別れており、これでは刃物としての用をなせはしない。
「これで止まると思うのか?」
「思ってない。いや、わかっているという方が正しいのかもしれない。実感しているところだよ」
そう言って、アーマデルと呼ばれた男が上着をめくり、脇腹を見せると、そこは夜目にもわかるほどはっきりと、抉り取られ、血が滴っていた。
「そんな、違っ……いや、すまない。違うんだ。本当に」
それは明らかに、弾正の持つ兵装がアーマデルを攻撃した事実を示していた。短刀への攻撃に無意識に反応したのか、はたまた兵装にプログラムされた何某かによるものか、それとも、邪魔をされたことによる己の意志そのものか。
だが、弾正に故意のつもりなどない。自身の武装が友を攻撃した事実に、困惑するばかりだ。
「止まらないんだよな。たとえ、争うことになっても」
「違う、そうじゃない! いや、だが……」
本当に、そうだろうか。本当に、攻撃の意志はなかったのだろうか。
アーマデルの行為は、弾正にとって教義に反するものだ。神の意志に反すると言ってもいい。なら、刃を向けるのは当然の好意だ。何も間違ってはいない。
本当に?
人を殺したら、居なくなるんだろう?
だが、思考の時間をくれはしないようだ。殺気を感じて飛び退れば、刹那手前まで自身が居た場所を、ワイヤーで繋がった刃の群れが薙いでいる。知っている、それが友の、アーマデルの得物であることを。
「それでも駄目だ。その子を殺しちゃいけないんだ。それが、弾正、友と争うことになってもだ」
「やめろ、俺は争いたくないんだ!」
「じゃあ、子供を殺さないと、言えよ」
言葉に詰まる。教えは、殺せという。心は、争うなという。どちらが自分なのか、答えが出ない。わからない。
「ほら、な?」
剣が迫る。体が勝手に反応する。殺意には殺意で。積み上げられた経験が、殺人へと肉体を組み替える。
「違う!」
何が。どちらが。誰が。
答えを出せないまま、それでも時間は感情を持たず、止まることを許してはくれない。