SS詳細
オッターと八百屋さんのおはなし
登場人物一覧
むかしむかしでもない、あるところ。ローレットからそれほど遠くない幻想の商店街を、ひとりの小熊さんが歩いていました。
本当は熊ではなくマーモットなのですが、町行く子供や、掃除夫や、目覚まし屋たちは彼(?)を小熊さんと呼んでいました。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
小熊さんは八百屋の店先に立って前足を上げると、ちょこんと座るような姿勢で大きく声をあげました。
通り過ぎる馬車も鶏の鳴き声も、まして街の喧騒すらも貫いて響く声に、八百屋のおじさんは店の奥から顔を出します。
「やあオッター。お買い物かい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
もう一度同じように鳴くオッターに、八百屋のおじさんは果物籠からリンゴとキャベツを一つずつと、キュウリを三本だけつまみあげて紙袋に詰めていきました。
「一人で持って帰れるかい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「あいよ」
両手を合わせてくいくいと上下に振る小熊さん(オッター)の前に歩み寄ると、八百屋のおじさんは薄い革製のナップザックを手に取りました。
そして野菜と果物を紙袋ごとナップザックに詰めると、オーターの身体にかけてやりました。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「いいんだよ。うちの子の使い古しだからね」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
オッターはどこか嬉しそうに、そして感謝を示すように吠えると、前足をおろしてちょこちょこと店から離れていきました。どこから出したものでしょうか。店先には料金分のコインが置き残してありました。
ある雨の日のことでした。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
雨合羽を纏ったオッターが、ちょこちょこと商店街を歩いていました。
「どうしたね、買い置きの野菜がつきたのかい」
オッターの姿と声に気づいた八百屋のおじさんが軒先に色鮮やかな天幕をかけながら振り返りました。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「ああ、なるほどねえ」
おじさんはバナナを一房手に取ると、それをオッターの背負ってきたナップザックに入れてやりました。
「あんた、ずっとそんな調子で不便しないのかい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「はは、余計なことを聞いたね。今日はピッツァを焼いたんだか、どうだい。食べていくかい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
まるで同じ鳴き声に聞こえますが、どうやら八百屋のおじさんにはそれが何を意味するか分かっているようでした。
それだけ長い付き合いなのか、それともおじさんがひときわ察しがいいのか、もしくはオッターのジェスチャーが素直でわかりやすいのか、どれが理由かはわかりませんが、どうやら二人はちゃんと通じ合っているようでした。
「タオルを貸すよ。あと暖かいお茶も。……熱いものは平気だったかな?」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
にこやかに笑うおじさんの顔が、オッターが何を言ったのかを物語っているようでした。
オッターはナップザックを下ろして雨合羽を脱ぐと、八百屋さんへと入っていったのでした。
チーズのたっぷりのったピッツァを掴みとり、両手でしっかりと持つと、オッターは先端から順にはむはむと囓り始めました。
「うまいかい。アンチョビを使ってみたんだがね」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
ひとしきり食べてから、オッターは再び声を上げました。
「そりゃあよかった」
八百屋のおじさんは二人分の湯飲みにお茶をそそぐと、一方をオッターのほうに差し出しました。
「オッターの家は山の方だったね。あのへんじゃあ、こういうピッツァは食べないんじゃないのかい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「なるほど、だから好きなんだねえ」
おじさんとオッターは湯飲みを手にとって、ずず……とお湯をすすりました。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「あはは、ごめんね。熱すぎた」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
「そう怒るなって。すこし冷ませばいい具合だよ。ほら、もう一切れピッツァ食べるかい」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
そうこうしているうちに夜はふけ、お土産を貰ったオッターは雨上がりの町をちょこちょこと歩いて帰っていきました。
きっとまた、明日もやってくるのでしょう。
ピザが好きである意味無口な、それでいてひそかに人気者の、『こぐまのオッター』は。