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その言葉を誰に捧ぐ
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その言葉を誰に捧ぐ
●怒りでそれができるなら
その日のメフ・メフィート大通りは、春の陽気というには些か以上に暑い日だった。
人々はしかし常よりも多く、ともすれば冬を越してから一番の人出であったかもしれぬ。そういう意味では、その遭遇はかなり運が良かった――或いは悪かった――といえるだろう。
「玄丁」
「なに? 僕は疲れ――あ」
『蔵人』玄緯・玄丁(p3p008717)はその日、かなり疲れが溜まっていた。
『命脈の垓』――深緑における不具者の遺棄区画として名前すら出ぬそこに於いて『拾った』少年、ディーレ・ディーアを練達に連れ出し、芳しい成果を得ることなく戻ってきたばかりだったからである。
なので、『ポテサラハーモニア』パパス・デ・エンサルーダ (p3n000172)の声のトーンがいつもより2オクターブほど低いことに気づけなかった。単純に「まずい相手と会った」程度の認識だった。
「今日は、依頼を受けてなかったと思いましたが。疲れるほどの用事でも?」
だが、その認識が最悪なまでに間違っていたと気づいたのは、彼女がいつもの口調をかなぐり捨てて詰問してきた段になってからだった。
「え? 口調……いや、そのこの子がね、道に迷っ」
「私のことはどうでもいいでしょう。……盲でいますね、この子は。道に迷った?
「え、あ、っと……」
パパスは即座にディーレの状態と身辺とを見やると、改めて玄丁に視線をやった。周囲の温度が、さらに下がったように感じた。
「私は貴方を見誤っていたようですね。私の認識が事実なら、穏便に済ませていい話ではなさそうですが」
これは、まずい。
恐らく、玄丁がその気になればパパスを制圧出来なくはない。されど、往来のド真ん中でイレギュラーズ同士が荒事を起こせばどうなるかわからぬ両者でもない。パパスが動くとすれば、然るべき場所で然るべき手続きを踏んで、という話だろうが……。
「あのっ」
「なにか?」
しかし、その空気は誰あろうディーレによって破られた。
全身から怒気を放散させるパパスと、にわかに殺気立つ玄丁の間に立って、あろうことか玄丁を庇うが如くに。
「ぼくは、玄丁さん、に、助けてもらいました。お医者様にも連れてって貰ったんです。本当です。だから、ぼくは大丈夫です」
「ですが、これは貴方1人の言葉でどうなるという話では――」
「お願いします。ぼくは、玄丁さんを頼らないと生きていけません。戻る場所も、ありません」
さしものパパスも、その言葉には口を挟む余地がなかった。もしも彼女が懸念した通りだとして、果たして玄丁1人をなんとかしてこの少年が生きていけるのか? 無理である。暫し逡巡した後、パパスは深い、あまりにも深い溜息のあとに全身から怒気を霧散させた。
「……不愉快な話だけどしかたねえゆ。子供一人の人生、背負えんのかゆ? 飼い犬と違っておまえより遥かに長生きゆ」
「まあ……頑張るよ?」
「おまえ一遍ガチでシメてやろうかゆ」
●
場所は変わって、メフ・メフィートの裏路地の喫茶店。表だって話せる状況じゃなかったため、河岸を変えて仕切り直しと相成ったのである。ディーレがパパスの豹変ぶりについていけなかったから、というのもあるが……。
「で? そこのガキの名前はなんゆ、玄丁」
「で、ディーレ君……だよ」
「よろしくお願いします、えっと……」
「パパスでいいゆ」
「パパス、さん」
互いの名乗りが終わったところで、パパスは玄丁の方にまず視線を向けた。メンチを切った、というのが正しいくらいの剣呑さで。
「で、玄丁。おまえディーレをちゃんと育てる見込みあんのかゆ」
「一応、あるよ? 1人養うくらいは全然できるし……」
おずおずと応えた玄丁に、パパスは「そうじゃねえゆ」と眉根を寄せて告げた。
「生きてるうちは養って当然ゆ。お前が死んだ後の話をしてんゆこっちは。
死亡を伝える手段、相手。盲目のハーモニアのガキ1人が介助無しで生きていくだけのリソース、色々考えることはあんだろうがゆ」
「あ、あの、それは……ぼくは大丈夫、です。見えなくても『聞こえてる』ので」
「そりゃ結構。でも
パパスだって別に、嫌味で言っているのではない。命を預かる以上は、最悪『玄丁一人の問題』で済まされなくなる可能性を秘めているのだ。そういう意味では、汎ゆる可能性を加味しなければならぬわけで。
「それじゃあ、パパスさん、この子に戦い方、教えてくれない?」
「……本気で言ってんのかゆ?」
然るに、玄丁から持ちかけられた提案はパパスにとってこの上なく面倒極まりないものだったことは、言うまでもない。
「だって、幻想種同士戦い方を教えるのは有意義じゃない?」
「オメーそれ『蒼剣の弟子』とか『緑雷の魔女』と同じことをできるようにこのガキに指導しろつってんのと同じゆ」
「できないの?」
玄丁の節後なものをみるような視線に、パパスは心の底から呆れたような顔になった。名前を上げた両者を知る者なら、この呆れ顔にも合点がいくだろう。
「わたちごときに出来たらローレットの幻想種は異世界の『サツマハヤト』とかいう戦闘集団になるだろうがゆ。ぶっちゃけ器用貧乏にしかなんねえゆ。それでいいんか」
「でも僕のやり方教えるのは無理じゃない?」
「笑っちまうくらい無責任ゆおまえ」
げんなりしたような顔をするパパスをよそに、玄丁は「それじゃあよろしく!」と逃げるように去っていく。パパスとディーレは呆気にとられた様子で暫くその背を見送り。
「……ディーレ、腹は減ってるかゆ」
「す、すこし……?」
「遠慮してんじゃねえゆ。奢ゆ」
結局、パパスはディーレ少年に戦い方を教導するという厄介事を押し付けられることとなった。
●
数時間後、野外訓練場。
体よく指導役を押し付けられたパパスは、ここに来るまでの間にディーレがどの程度行動できるのかを把握していた。
然るに、この少年は目が見えずとも聴覚である程度行動できはする。
だが、聴覚が封じられるとかなり厳しい。例えば大音量が流れ続ける状況下などだ。
その辺りを克服している猛者もローレットにはいるにはいるが、交友がないのでどうしようもない。ひとまず、分かるところと理解させることから、が優先事項となる。
「おまえ、自分の体についてどこまで把握してゆ?」
「体、ですか? ……ええと」
「背の高さ、手足の長さ、歩幅、歩く速さ。耳で聞き分けて、『どのくらいか』は分かってゆか?」
たとえば、相手と自分の距離を詰めるのに何歩いるか。何歩目で、手が届くか。
或いは、どの程度の長さ、重さの得物なら自由にできるか、佩くか吊るか背負うか――そんな基準だ。
「え、ええと……得意ではない、です」
「なら近接武器で切った張ったは今は諦めろゆ。直ぐに戦うやり方はそういう肌感覚が無いまま覚えたらあぶねーし、目が見えない奴は普通の4~5倍かかる筈ゆ。視覚は感覚の8割。自分と相手の位置しかわからないなら、まず神秘を操るところからだゆ」
とはいえ、術式をこの場で教えるのは専門外、経験を積ませるような連れ出しは勘弁願いたい……悩みに悩んだパパスは、意外な武器に帰結する。
「……これは、革の紐と、石?」
「
投石紐と
「弓は矢がなきゃ戦えねえゆ。それは転がってる石があれば延々戦えるし、走りながらでも手首さえ動けば撃てるゆ。意味、わかゆか?」
「……意味?」
ディーレに聞こえるようにわざとらしくスリングの風切り音を鳴らしながら、パパスは離れた的へと礫を飛ばす。中心から大分ズレた位置に着弾する。彼女はノーコンであった。ディーレは音を頼りにパパスに倣う。彼は狙いはともかく、的に届かなかった。
「腕一本と命さえあれば最後に生き残るのはおまえかもしれない、ってことゆ。ぶっちゃけ、石一発で獣だって殺せゆ……その前に、まずは体力も要ゆが」
呆れた、と言うより納得した様子でディーレの様子を観察したパパスは、先ずディーレから投石紐を受け取ると直立させ、姿勢を正し始めた。
「……何やってるの、パパスさん?」
「練達で変な髪型のジジイから聞いた鍛錬やらせてるゆ。『站樁』っつったかゆ」
果たして、暫く経ってからその場に足を運んだ玄丁は、2人が奇怪な姿勢のまま微動だにしない様子に面食らったのである。
「あとは適当に毎日やれゆ。そのうち神秘のなんたるかが分かったらそっちを学んだ方が早えゆ、おまえは」
それでも、体の動かし方は役に立つ日が来るだろう。
……それが、何をするために、なのかはパパスが知るところではないし、知りたいとも思わないが。