SS詳細
不慣れな名前
登場人物一覧
バスケットにはリゲルが作ったサンドイッチにポテトが作ったおかずと焼き菓子。水筒にはお気に入りの紅茶。
たまには目的も決めずにのんびりしようと決めて、お昼ご飯だけ持って何となく、気の向くままに白馬を走らせた二人がやって来たのは森の中。近くの村の人がきちんと手入れをしているのか、木々が密集することもなく風が吹き抜け、さわさわと微かな葉音と、心地良い木漏れ日を作りだしている。
のんびり出来そうな場所を見つけて白馬を自由にさせれば、白馬は近くの草を食み始める。それを見て、小さく鳴ったのはどちらのお腹か。
ちらりと見れば、視線が合ってお互い思わず笑みがこぼれる。
お腹も空いたしお昼にしようとバスケットを開ければ、ふわりとパンの香りが鼻をくすぐる。
二人で食べるには多いかな? なんて小さく首を傾げれば、ポテトのご飯は美味しいから全部食べてしまうよ。と笑顔が帰って来る。
笑いながらサンドイッチとおかずを取り出して、コップに紅茶を注げばお昼ご飯の準備完了。頂きますと手を合わせれば、さっそくサンドイッチに手を伸ばす。
ふんわりとしたパンに挟まれた卵サラダとたっぷりハムのサンドは、ふんわりしっとりとした食感の後に、ぱりぱりしゃきしゃき、隠れていたきゅうりがふいに現れ食感の変化も楽しく美味しい。
焼いたパンに挟んであるのはローストビーフにたっぷりのレタス。さくっとしたパンの歯ざわりと、しゃくしゃくジューシーなレタスとローストビーフの組み合わせがたまらない。濃厚なソースとの相性もばっちりだ。
フランスパンで作ったのはシンプルに、生ハムとチーズ、トマトのサンド。生ハムとチーズの塩気に完熟トマトの甘味が混じりあい、しっかりとしたフランスパンを噛みしめればフランスパンの旨味と一緒に口いっぱいに広がる。
次はどれを食べようとかと悩んでいたら、リゲルが夏野菜のサラダが美味しいと一口差しだして来る。普段なら恥ずかしくて戸惑ってしまうけど、今は二人きり。思い切ってぱくりと食べれば、太陽の恵みをいっぱいに受けた夏野菜の旨味が口いっぱいに広がる。自分で食べるより甘く感じるのは気のせいだろうか?
お返しにチキンの香草焼きを一切れ差しだせば、こちらは恥ずかしそうに、だけど美味しそうに食べてくれた。
のんびりゆったり、他愛ない話をしながら過ごす時間。
木漏れ日でリゲルの白銀の髪が光って綺麗だと笑えば、ポテトの髪はミルクティーみたいで美味しそうなんて笑う。残念ながら、持ってきた紅茶はストレートだけど。
リゲルが淹れてくれたこの紅茶は、すっきりとした味わいと鼻に抜ける甘く華やかな香りが特徴で、最近のポテトのお気に入り。焼き菓子も一緒に食べれば幸せだ。
楽しくて、幸せで、だけどその分時間はあっという間に過ぎて行く。
「今から帰るのは流石に危険だな……」
そろそろ帰ろうと森を出たら既に日暮れ。一等星が空に輝き、空の端は夜色に染まり始めていた。
リゲルの愛馬はとても賢いけど、慣れない道を急いで、それも夜に走るのは危険すぎる。
来る途中にあった村で一泊しようと決めるのに時間はかからなかった。
「一部屋でよろしいですか?」
「はい」
一軒だけあった小さな宿は、急な宿泊にも関わらず快く受け入れてくれた。簡単な物で良ければ夕飯も出してくれるという。
リゲルが愛馬を預けに行っている間にポテトは宿泊の手続きを行っていた。夕飯、朝食の有無や風呂に夜着の貸し出し。
細々としたことを決めると、宿の人が一冊のノートを開いた。宿泊客の名前を書いた台帳だ。
「では、こちらに名前をお願いします」
差し出されたペンを取って台帳に名前を書いて行く。だけどその途中、不意にポテトの手が止まった。
台帳にリゲルの名前はしっかりと記入されている。次の行にはポテトの名前が書かれ、今から苗字を書く所だった。
今までは迷うことなく「チップ」と書いていた。だけど今は違う。今の苗字は、リゲルと同じなのだから。でも、自分の名前の後にその苗字を書くのはまだ慣れないし、照れくさくて恥ずかしい。
ペンが何度か何もないところに何か書くように動いていると、不意にリゲルが横から覗き込んできた。
台帳に書かれたリゲルの名前。そしてその次の行に書かれたポテトの名前と、まだ書かれていない苗字。
それを見てリゲルが優しく笑う。
ランプの暖かな光の中、コバルトブルーの瞳が優しくポテトを見守っている。
それが恥ずかしくて、照れくさくて、だけど嬉しい。
あたたかくてくすぐったい思いを胸に、ポテトは空白だった苗字を書きこんだ。
リゲル=アークライト
ポテト=アークライト
真新しいページに並ぶ二つの名前。
これからも一緒に歩いて行く二人の名前だ。
いつの間にか鍵を受け取ったリゲルがポテトに手を差し出す。迷うことなくその手を握り返し、二人で一緒に廊下を歩き始めた。