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Re:frain you
登場人物一覧
焼けるような喉の痛み。
嗚呼、そうだ。此の剣は、嗚呼。そうだ。
君が、愛していたあの剣なら。
僕も、君と同じ
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
●If you and I hadn't met,
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
海は安寧の地であると思っていた。
美しき世界。溶け合う青。嘗て合ったであろう文明の残骸。音も無ければ争いもない。
そんな海が好きだった。
地上は酷く恐ろしい。
怒号。罵声。社会の枠組みから外れるだけで異端だの問題だの、叫喚を受ける。
其れが酷く耳障りな音であるように思えて、ロイは幼いころから海にばかりいる子供であった。
のんびりとした性格だと父からは頭を撫でられ、母は心が優しい子だと褒めてくれた。
貴族でもなければ平民でもない。
長けたことと云えば、人一倍歌がうまいこと。
其れがロイの取柄だった。
家は其れなりに名のあるパン屋だった。海洋は海種と飛行種の争いが激しい。そんな国だった。だけどおいしいものを食べればひとは一つになれる。それだけは変わらないと思っていた。
出入りする客たちも地元の住民が多かったから、海種と飛行種が多かったように思う。ただ、店の中では怒鳴り声も嘲笑も、何もなくて。『嗚呼あれがおいしそうだ』とか『こっちも捨てがたい』だとか、そんないい意味で呑気な言葉が聞こえてくる穏やかな場所で、ロイはそこが好きだった。
ロイにとっての安寧の地は、家と海以外にはなかった。
前述したとおり、温厚で、純真で。だから、一部の同級生には『面白くないやつだ』とでも思われていたのだろう。
彼は、いじめを受けた。
ただ人一倍思いやりが強い。其れだけで。
●I wouldn't have known this feeling
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
事の発端はある女生徒へのいじめを注意したことだった。
最初はただの弄りだったのかもしれない。空も飛べないくせに、と。
彼女は海種であった。飛魚の特徴を持っていた。飛行種のクラスメイトは飛べるわけでもないのに『飛』という字が入っていたのが気に食わなかったのだろう。飛べよ、と毎日のように声をかけ続けた。
「飛べるんだろ、飛魚ならさ」
「海賊の子供なんだろ、なんか言ってみろよ」
「其れとも何、飛べねえの? これだから海種は」
「ほら吹きディープシーじゃねえか。女王も嘘ついてんじゃね?」
彼女は海賊の娘なのだと聞いていた。ただ、其れは言われれば解らないほどだった。おとなしい性格の娘だった。護身用に剣を持ち歩いている以外は、本当に普通の。
親御さんも参観日に見たことがある。優しそうな人だった。海の香りが強い人だと思った。
だから、自分だけであるのならば、きっと彼女も我慢できただろう。
女王。その言葉を聞いたとき、彼女は初めてへらへらして受け流していたのを改め、いじめていた生徒に対して声を荒げた。
「ふざけないで」
と。
いじめは本格化した。
上靴を捨て。弁当を泥まみれにし。カッターシャツを切り裂いて。
日に日にエスカレートしていくいじめに耐え切れず、彼女はどんどんやつれていった。
酷く、心がつらかった。同じ種がいじめられるのは。ただ種族が違うだけで、気に入らないだけで、このようないじめを受けていることが。
だから。
口に。
出して、しまったのだ。
「見苦しいよ」
と。其れからロイは、彼女に自宅のパンを分けた。泥まみれで何も食べられないなんて酷く悲しいことだと思ったから。
彼女は瞳を揺らしてロイを突き飛ばし、遠くへと駆けて行った。『どうして』と涙を流して。
困惑するロイに対して、飛行種の生徒たちは告げた。
「お前も、明日からターゲットな」
彼女を追った。
彼女は酷く泣いていた。
海賊の娘なのに、なんて言えるわけがなかった。彼女は只、等身大で生きているのだから。
「嫌だった?」
「だって、ロイくんもいじめられるかもしれないでしょ」
「だって、でも。間違ったことはしてないでしょ、××さんは」
「でも、いじめられるって。つらいんだよ。見てたらよかったのに。お店にだって迷惑かかっちゃうよ」
「父さんがね、」
「女の子が困ってたら助けろ」
「って言ってたから」
「……何、其れ」
ぷっと吹き出した。彼女の泣きはらした瞳は漸くしあわせの色を映した。
彼女の手を引いて、ロイは海へと向かった。
学校をさぼってしまうことなど、とうの昔に忘れていた。あとでこってり絞られたけれど、気にしなかった。
「ここ。僕のお気に入り」
「……ここ、水が綺麗なんだね」
「そ。僕がごみ拾い、頑張ったんだ」
「凄いね。私、船に乗ってばかりだったから、知らなかった」
「どうして学校に来たの?」
「必要だと思ったから。海賊が不要になる時代が来るかもしれないでしょ」
絶望の青なんて越えられるか、わかんないんだし。
海の中で煌めいた彼女の足は、酷く美しかった。
飛魚。
其の名に相応しい銀糸と蒼穹のひとみ。
穏やかに微笑んでいるのがなんとも、海賊とは不釣り合いだと思った。
「つらくなったらここ、来ていいよ」
「なんで?」
「ここ、僕の家からも近いから。一緒に遊べるし」
「はは、青春っぽいね」
「でしょ」
しゅわしゅわの炭酸みたいな、弾けるような青春を。
そんなものはないと知りながらも、願ってしまった。
穏やかな日常の訪れを。切実に。
いじめは酷かった。それ以上に、抜け出して遊ぶのが楽しかった。
出席届には空欄ばかり。制服は砂で汚れ海水に染められていく。
彼女が持っている剣でオレンジを切って食べたり、家のパンをひっそり持ってきて調理したり。
海の中をぶらぶらと泳いでみたり。寝たり。学校の屋上でやり過ごしたり。
素行不良と云われれば否定はできない。でも『いじめ』が無ければ、こんな楽しみ方もできない。
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels――」
「其の歌、よく歌うね」
「空の果てに行ってみたい、みたいな歌だったはず」
「覚えてないんだ? ふふ。でも、ロイくんのうた、好きだなあ」
「……Die Geschichte der Erforschung des Himmels」
「あ、照れた」
「照れてない」
「照れた」
あはは、と笑う彼女は、ロイに隠し事をしていた。
其れは海賊の娘であるという意地だったのかもしれない。
ロイは酷く安心していた。嗚呼、彼女は笑っている、と。
●Escalate
其れでもいじめは終わらない。彼女の負担は減ったのだろうか。
殴られ、蹴られることにもなれた。其れで彼らの気が済むならそうしてやればいい。ロイはそう考えていた。
だが、身体は違った。
いってきますを言うだけで吐き気を催した。扉に手を伸ばす前に意識が飛んでいく。
引き裂かれたカッターシャツ。暴言が踊るノート。いじめを打ち明けていた両親と相談し、学校を休むことにしたその日。
「ロイくん休みですか」
「うん、ごめんね××ちゃん」
「学校が終わったら来ます」
「終わらなくたって、おいでね」
「はい!」
パンを抱えた彼女の足音が遠ざかっていく。
彼女は、来なかった。
そして事件は起こった。
両親の反対を押し切って学校へと歩んだ。不思議と眩暈が酷いだけで――否、だけで済ますような症状ではないのだけれど、彼は慣れ切っていた。
教室の扉を開けた時、己の机と彼女の机には白い菊が飾られていた。
嗚呼、綺麗な花だな、なんて思いながら荷物を下ろした時、声は降り注がれた。
「あいつ、飛んでったよ」
くすくすと。けらけらと。嗤う声が聞こえた。
「飛んでいったって、何」
「パンと
「すげーの、べちゃって死んだの! ウケる~」
「あはは、だからお前も死んだかと思った。あれ、知らなかった?」
彼女の剣をロイの目の前で振り、生徒はロイを揶揄った。
「じゃー次はお前の番ね、ロイ」
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels」
「は?」
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels」
「おい」
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels――」
酷く耳障りなものように聞こえて。歌うことでしか音をかき消せなかった。
生徒から剣を奪い、駆けだした。
彼女はこの世界にはいない。いないのだ。
両親の静止はこれだったのかもしれない。
もう何もわからない。
海。
青。
死。
眠。
遠。
君。
追。
別。
喉を切り裂いて海へと進んだ。
声は出ない。声帯が切れているのだから当然だ。
其れでも、声を振り絞って歌った。
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
『ロイくん』
『来てくれたんだ』
『嬉しい』
嗚呼。
其処に、いたんだね。
僕を、置いていかないで。
『ね。やりかえそ』
どうして?
『だって、あのパン。私のだもん』
そっか。そうだね。
『だから、一緒に。いこ』
おまけSS『音』
●
ロイくんへ。
この手紙を読んでいる頃、私はもう死んでいるでしょう。
いわゆる『呼び声』が聞こえ始めました。
剣を握っている間は正常でいられるんだけど、駄目そうです。
だから、この剣をあなたに託します。
どうか、あなたは、堕ちないでください。
ロイくんのお家のパン。すっごく好きだった。
それから、ロイくんのことも。
助けてくれて、ありがとう。
オトより
●Die Geschichte der Erforschung des Himmels――
君の音が、聞こえないんだ、オト。
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels――」
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels――」
「Die Geschichte der Erforschung des Himmels――」
君がこの音を見つけてくれるまで。
僕はこの歌を、歌い続ける。
●Data
ロイ・バカラリ。
シロイルカの海種。
歌うことが好き。
すらりとした長身と、白い髪。短くてふわふわの毛が、両親譲りなのだとか。
実家はパン屋を経営している。
無自覚に恋をしていた彼女の形見である『ヴェルグリーズ』で喉を掻き切り自殺。
以降、行方は知られていない。
筈、だった。