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仄暗い部屋にて
登場人物一覧
●欲望渦巻く部屋にて
……ぴちょん、ぴちょん。
時間の感覚さえ忘れてしまうような、薄暗く、湿っぽく、埃っぽい部屋。その中央にある、所々が破れたソファー。アーマデル・アル・アマルが目を覚ましたのは、そんな場所だった。
最初はぼうっと、何かを見ているようでいて何も見えていなかった寝ぼけ眼が、一回、二回と瞬きを繰り返すうちに、驚きに見開かれていく。ここは自分の部屋ではない。旅先の宿に選んだ場所ですらない。そもそも、昨晩は宿がどこも一杯で、仕方なく野宿を選んだ筈だ。こんな場所は知らない。
体を起こそうと手をつこうにも、手は後ろで縛られ、満足に動かせない。よく見れば、右足首にも鉄輪が嵌められている。
……つまり、自分は今、見覚えも、記憶もない場所で拘束され、転がされている。
自分は拉致されたのか?
一体誰に、どんな理由で?
その答えの出ぬまま、部屋のドアが、突如として開かれる。
扉を開いたのは、髭を生やした男。その背後に居るのは、身なりと恰幅の良い、着飾った婦女子。そのまま男に導かれるままに室内に入り、彼女等は値踏みするかのようにアーマデルを見つめ、何事か囁きあっている。
……なるほど、自分は今、いつぞやの奴隷騒動よろしく、『商品』にされているらしい。
どうにかして抜け出したい所だが、さて、どうしたものか。
その時、彼を値踏みしていた女の一人が、静かに口を開いた。
「退廃的なこの空間に、無表情クールっぽい男のコが、縛られて、転がされて……」
その声は、艷やかで、静かに熱を帯びていて。
両頬に手を添え、恍惚に唇を釣り上げながら、こう叫んだ。
「……なんて、なんて『萌え』なのッ!!」
「わかり味が深いっ!!」
「いやあ〜皆さんお目が高い!」
おや、何か空気が変わってきたぞ?
「『褐色美少年を愛でる有閑マダムの会』の皆様のために!お外でスヤスヤしていたこちらの彼を!この秘密のスタジオまでお連れしたのですから!センスあるでしょ私!!」
「ええ、素敵ザマス!!!」
なるほど、完全に理解した。こうなった元凶はこいつらか。
いやまあ、そういう性癖の方々が居られるのは一向に構わない。性癖を語り合う場があったって良いとは思う。
だけど、こう。俺を猫か何かみたいに扱うのはやめてくれないかな。
「あっあの子、こっちみてる……!」
「ぽやんとした目……あの小首を傾げた感じ……たまらないわ……無知シチュもいいわね……」
自分としては目一杯に不満を訴えたつもりだったが、思いの外表情筋はストライキを起こしているらしい。マダム達にこの顔を良いように解釈されてしまった。
「さて、ここに『蕩ける』お薬と『滾る』お薬の2種類がございます」
男が取り出したのは、赤い液体と青い液体の入った小瓶一本ずつ。
「これは『どちら』でしょうか!?」
「んッ……!?」
男が無理矢理、青の小瓶をアーマデルの口に突っ込み、流し込む。
その殆どが流し込まれた所で、男はほぼ空になった瓶を床へと投げ捨てた。
口の端から生物ではあり得ぬ青を垂らしながら、アーマデルは男を睨んだ。
短時間とはいえ無理矢理、小瓶で口を塞がれていたためか、酸素を少しでも多く得ようと、ぜえはあと荒い呼吸を繰り返す。
……しかし、それだけだ。身体が妙に熱を帯びてもいないし、逆に意識が遠のくこともない。
つまり、口の中がブルーベリー味になっただけで、何も起きていないのだ。
「……?」
「ちょっと、何が変わったのよ?」
「クソッパチモン掴まされたのか!?こっちはどうだ!?」
カッとなった男が、今度は赤い液体を無理矢理、アーマデルに飲ませる。
その時だった。
今自分が口を付けている、瓶の表面。そこには『混ぜるな危険』と刻まれている。
しかし、自分はつい先程、謎の青い液体を飲まされたばかりで、胃の中で赤と青が混ざりあったのなら……?
……あっ。
あたりが、眩しい光に包まれてーー
●少しだけ、後日談を語ろう
『混ぜるな危険』と記されていた赤と青の薬がアーマデルの体内で混ざった事で、彼の身体は一瞬にして1680万色に発光。
その眩さに、アーマデルを除く、あの場にいた全員が気絶してしまった。
その間に、なんとかかんとか拘束を解き、無事に脱出する事ができたのだ。
結論から言えば、男の薬は本物だった。赤の薬は、興奮作用。青の薬は、鎮静作用らしい。それを口にしても何も起きなかったのは、単純にアーマデルの耐性の問題であり、そもそも毒と病を司る『一翼の蛇』たるアーマデルには、そんなチャチなものは通用しなかった。
あってよかった【BS無効】。
因みに、赤い方はスイカ味だった。
あの(中略)有閑マダムの会はといえば、青少年誘拐の疑いで逮捕された。アーマデル本人が通報したからだ。ざまあなかった。
余罪もたんまりあるらしいが、その辺りのことは専門家に任せるとして。
この一件以降、アーマデルは、見張り無しの野宿は、避けるようになったとか、ならないとか。