PandoraPartyProject

SS詳細

As imperceptibly as Grief.

おやすみ、おやすみ

登場人物一覧

美城・誠二(p3p006136)
元。
シュテルン(p3p006791)
ブルースターは枯れ果てて

 夢と現を彷徨う青年の頭を撫でれば、其れは安らぎの蓮華草レンゲソウ
 せせらぎを伴奏に脣から漏れ出る歌は、繊細で優美な矢車菊ヤグルマギク
 鼻を擽る、甘く慎まやかな馨は永遠の時間を祈り乞う花水木ハナミズキ
 ぱっぱっぱっぱ。ぱっぱっぱ。膝に頭を預け浅い睡りに就く彼の心を覗くと、きらきら眩く春に逢いたる花が咲いていた。繁る樹々の合間を縫ってそむるはるかぜが、ざあっと柔く暖かに。瑞々しく力強い葉達や梢枝が軀を擦り合わせて、気紛れに落ちる木漏れ日の位置が移り行く。
 眩しくない様にと、貌に掛かる光を手で遮ってシュテルンは小さく息を漏らす。翠の眸を覆う瞼の下、薄らと出来た隈。其れに、彼方此方に出来た傷が痛々しい。一つ一つこそ軽微なもので、清潔を保って居れば直ぐに治りそうではあったものの、整った白いかんばせには少しばかり目立つのだ。
 自分の拙い表現力では上手く形容する事が出来ないのが歯痒いが、そう。他人の尺度だとか言葉を借りるとするのなら、誠二は『強い人』なのだと、思う。そして、同時に『弱い人』なのだろう。『自称』とか、『元』とか、『英雄ヒーロー』の前に付けて彼が云う時は、決まって皮肉そうに笑い乍らも何処か遠くを見ていたから。
 けれど、彼が真に心休まる事は無いのだろう。決めたのは『シュテの』崇拝するのとは違うかみさま屹度、意地悪な人か、本人自身か――何方にせよ、『立ち続ける』と云う在り方――矜持プライドが赦さない。赦そうとしない、『意地っ張り』。
 せめて、嗚呼、どうか、せめて。自分の存在が癒しと成れれば或いは、邪魔にならなければ――良いのに、だなんて感情すら言葉にする術を識らない無垢な少女。
 ふたりの取合わせに、ひとつばかし特別な鍵となる単語キーワードと成り得るものが在る。其れは『戀』以外の何物でもなく――然して、青年は似通った感情に違う名前を付ける事で自覚を持てず。少女はと云えば、概念を唄う事は有れどとっくの昔に己の心にも宿って居る事を理解して居ない。
 『兄』の様な。
 『妹』の様な。
 『友達』だと。
 そんなハードルは飛び越えてしまってる筈なのにも関わらずに。

 ――
 ―――

●Our Spring made her light escape――In to Beautiful.
 夢を、観ていた。何時の間に寝こけていたのかは判らなかったが、夢の中の『シュテ』の軀は随分と小さい。少女は何時だって歌を唄っていた。其の聲の美しさたるや誰もが聴き惚れる程で、彼女が唄い始めれば人々はお喋りもそこそこに、仕事の手を止めて耳を澄ました。
 平凡な暮らしの中のひとつの非凡。幼い少女の誇り。愛くるしさも相俟って、『屹度、将来は大物の舞台女優になる』だとか父も母も笑って居て、幸せの絶頂に在った、未来を嘱望されていた、約束されていた、彼の日々の事。
 識る由も無かった。自分が唄えば唄うだけ、兄は嫉妬し劣等感を募らせて居た事に。新しい歌を覚える度に、周りが褒めそやす度に、疎外感と酷く醜い感情で毀れてしまいそうに迄成って居た事も、其の耳に口を寄せて、怒りの火を焚き付ける様に唆かし利用しようとする悪い大人の存在も。
 柔らかい黄金色かねいろの髪は、手を繋いで家路を辿るるる春の夕焼け小焼けに見上げる度に橙、茜、紫にと染まり移ろうのが綺麗で、お揃いなのが嬉しかった。優しく髪を梳いてくれる兄も同じ気持ちなのだとばかり思って居た。
 無知とは、罪である。
 香りの良い石鹸だって、喉に良いと与えてくれた甘いミルク味の飴玉だって、少し冷える夜に淹れて貰うのが好きだった蜂蜜たっぷりのレモネードだって、何れもが唯『商品的価値』や『品質』を高める為に与えられた紛い物の愛情で、純粋無垢な少女いもうとに向ける眼差しには憎悪だけが宿って居ただなんて、こうも最低で最悪で、救われない日々に追い遣ってしまっていたのは紛れもない己の所為だ。
 生き乍らにして死んでいる様な毎日だったのであろう。全てが瓦解する日をさぞ待ち侘びたのであろう。

 ――『其の子供の――を、――に捧げ――と――』

 嗚呼。悲劇の幕が切って落とされる。

   父だったもの

         母だったもの

    見下ろす兄

      夥しい程の

 血溜まり

 幼き少女『シュテ』の日々も、兄の心も、もう二度と戻れない所迄、毀れきってしまった彼の日の夢だ。

 ――
 ―――

 守るべきが、泣く。
 愛すべきが、哭く。
 しとしとと、しとしとと、滔滔と流れる泪は誠二の髪を、貌を濡らすから彼は驚いて跳ね起きた。
「……シュテ。夢、こわい。みた」
 何だか寒い、とそうする様にふるふる震える両腕で己の軀を掻き抱き、きわやかなうすももいろの眸は、唯、そう云って――泣いていた。嗚咽して喉に詰まる聲も、しゃくり上げ小さな脣で空気を吸い込む音の其れすらも、知らず知らずの内に情欲を催す程には――彼女の泣く様は美しいのだ。
「どんな夢?」
「……おぼえて、ない。でも、たくさん……こわい、した」
 嘘を、吐いた。否、――半分本当で、半分嘘。
「そうか」
 シュテルンを抱き締めれば、背中に腕が回され。然し、縋るには余りに弱々しくて、離したら何処かに行ってしまって二度と逢えない――そんな気がして。繋ぎ止める様に、強く、強く。心ごと、抱き留める。
「なあ、もし。其の夢が本当に成ってもさ、俺が駆け付けるよ。だから……心配するな」
 嗚呼、嗚呼! 違う、違うのだ。彼の時に、英雄ヒーローは居なかった。駆け付けてくれなんてしなかった! だから、『シュテわたし』を救えやしないのだ。そう、黒く静寂な怒りの感情が心の中でじわりと、滲み出す。彼の正義を何時だって信じていた筈なのに、今の自分はこうも醜くて仕方がない。
 其れでも、過去の事象に囚われて死んだ様に生きるよりは幾分かましだったから、忘れる事にしていた。目玉を抉るスプーンも、喉に突き立てるフォークも、手首を切り付けるナイフも。自分を傷付ける道具がひとつもない鳥籠の中は、日がな一日唄うだけの過酷で休まらない毎日は、思い出した今になって考えてみれば、忘れるには丁度良い救済の日々でもあったのだ。
 毒入りの苹果記憶を齧ってしまった、そんな時に、不意に。歌が、唄いたくなった。全てを識ったら屹度、絶望するであろう彼に捧げる、あいのうた。
 或いは、そんな命運を捻じ曲げる、報いと救いのうた。
「……誠二、シュテ、うたがうたいたい。ぱって、来たの」
 眼には約百ヨブの泪、ぬれてこいしきソプラノは『少女性』に別れを告げ、大人に成り行こうとする『Presto急速さを乞うて』。
「……伴奏が必要かな?」
「おねがい、できる?」
「嗚呼。けれど、もう少しだけ。こうさせてくれ」
「それは。シュテもさんせー、かな」
 昼の眩い光を溶かすパステルの、柔らかな西陽の夕焼けがしっとりと、景色を、ふたりを溶かして行く。
 宵の空、身を委ね合う月と星みたいに。境界が曖昧になる様な錯覚を感じる程に抱き締めあった春夜のかいなは、頭を撫でるたなごころは、髪を梳く爪繰りは、如何しようもない位に優しかった。

 『止まった時間』は針を進め出す――。

  • As imperceptibly as Grief.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2021年04月29日
  • ・美城・誠二(p3p006136
    ・シュテルン(p3p006791

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