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不死鳥の子
登場人物一覧
●炎の館
めらめらと燃える音がして、ばちばちと弾ける音がする。
男の怒声が裏切られたと叫び、女の金切り声が助けてと訴える。
炎は打楽器のリズムに似て、怒りと悲しみが掻き鳴らすメロディを縁取っていた。
火の無いところからの出火、延焼は瞬く間に全体に及び、付け火であることは明白。
粛清の炎は貴族の依頼で館に逗留中のイレギュラーズを否応なく巻き込んだ。
そも──
果たしてこれは偶然であろうか。
意図した謀り事ではなかろうか。
例えばイレギュラーズを放火犯に仕立て、殺人の罪を着せるための。
「あ……あの時、同じ、逃げる、する……しないと……みんな……捕まったら、火炙り……する、されて、殺され……」
チック・シュテル (p3p000932)の脳裏に響くは忌まわしき記憶の赤の連弾。
飛行種で構成された『渡り鳥』の一族は、無実の罪を着せられ血と炎に断罪された。
種族も貧富も問わず、見返りさえも求めず、ただ「手伝う」ことを旨としてきたのに。
善意は悪意に踏み躙られ、謂われなき汚名を着せられ、阿鼻叫喚の地獄に落とされた。
木霊となってこびり付く呪いのような音楽に耳を背けようとしたその瞬間。
『弟』という言葉が胸を突き刺し、逃げようとするチックの足を引き留めた。
「助けて……中にまだ弟が……! 誰か弟を助けて……!」
使用人らしい少年は大人を見るや縋り付いて懇願する。
けれど誰しもが幼子のために命を賭けようとはしない。
「中にいるなら、助ける……しないと……」
見回せばイレギュラーズ達は、逃げ去ることもなく救助活動を始めている。
自分も今は『渡り鳥』ではなく、イレギュラーズなのだと心に繰り返した。
「おれ……行く、する……。だからここで、待ってて……弟、必ず連れてくる、するから……」
チックは混乱する少年に落ち着くように言い、弟の特徴を聞いた。
そして水を被ると金色の縁取りのある黒く長い袖で口と鼻を覆う。
煙を吸おうとも歌い続けるために。
『めらめら燃える、火が踊る
ばちばち焼ける、木が焦げる
怖がらないで、火の祭り
躊躇わないで、輪に入ろ』
口ずさむのは魔女集会の焚火の輪舞曲。
怖れるな、助けるんだと念じる行進曲。
弟を助けるのを「手伝う」ために歌えば、恩寵は眠たげな眼差しをも強めた。
炎に妨げられても、煙に隠されていても、幼子の姿を見逃すことのないよう。
チックは外に逃げてくる波とは反対に、燃えさかる館の中へと飛び込んだ。
●炎の記憶
炎の中で時は遡り、弟の姿が甦る。
チックにはクルークという弟がいた。
自分とは似ても似つかない賢い弟が。
(弟、置いて……逃げる、する……出来ない……)
火が回らぬ場所にも煙は満ち、逃げようとする者達の呼吸を奪う。
もしかしたら少年の弟もまた、途中で倒れているのかもしれない。
炎の奏でる音は激しく、チックの歌は掻き消されがち。
それでも幼子に届けと、火の勢いに負けず歌い続ける。
(歌、聞こえる……する、すれば……助けに来た、分かる……かも……)
助けに来たのだと伝え、此処に居ると教えて貰う。
もう駄目だと諦めずに、助かるかもと思うように。
「いた……今、助けるから……オレ」
歌に反応したのか、啜り泣く声を耳が拾う。
チックは子供から瓦礫を退かして励ました。
だけど火は手に手を取って逃げる二人に追いつき、意地悪に先回りして逃げ道を塞ぐ。
「この先……いけない、何処か、逃げる、する場所……探さないと。弟、死んじゃう……死んで……」
『死』という言葉が口唇から漏れたとき、手を繋ぐ幼子にクルークの姿が重なった。
火に捕まる、クルーク、奪われる。
兵に捕まる、クルーク、殺される。
傷付く前に、クルーク、楽にする
死なす前に、クルーク、眠らせる。
クルーク。
クルーク。
クルーク。
クルーク──
チックはいつの間にか煙を吸いぐったりする幼子の首に手を伸ばしていた。
今なら眠ったまま楽に逝けると信じて。
守るためには必要なことと言い聞かせ。
関係に縋れば縁が断ち切られることを怖れ、愛は執着と言う名の狂気に変ずる。
月明かりの下、一面に咲く白い花。
葬送するには相応しい美しい場所。
其処でチックはクルークに手に掛けた。
──にいさん
そう呼んで指先に込めた愛情を、拒まずに受け入れてくれた面影を、断ち切ったのは崩れる壁の欠片。
咄嗟に幼子を抱きしめて庇うと、白い羽根を強かに撲たれて呻く。
痛みはチックを現実へ引き戻し、或る約束を思い出させた。
うすにびいろと呼ばれた雛に、チックと名付けてくれた友。
春になったらまた会いに来ると告げた、ただ一人の幼馴染み。
彼はチックに火を怖れるなと言った。
●炎の鳥
『火が怖い? 確かに私たち『渡り鳥』は炎によって追い詰められ、多くの者が捕らわれて火炙りにされた。その時の理不尽さに対する悔しさは忘れることなど出来ない。だが──』
白き氷は冷たく、重く、人の命を凍らせて奪うもの。
赤き炎は激しく、熱く、人の命を燃やして奪うもの。
抗いきれない自然の暴威にも屈せず、人は子を遺し,幾度となく立ち上がってきた。
雪解け水の濁る色。
燃え尽き残る灰の色。
命の始まりはいつもうすにび色をしている。
『火を怖れるな。うすにび色であることを恥じなくてもいい。痛みや悲しみを背負いながら再生する勇気と希望の色、それがお前の生まれ持った色なのだから』
博識な友は今頃氷の道を歩んで荷を届け、雪の中から家を掘り起こす手伝いをしているのだろう。
生き残った『渡り鳥』の一部は、人間種への憎しみから離反したと聞く。
残った者を束ねる新しき長として、それでも彼は手伝いをやめないでいる。
「俺に出来ること……歌う、すること……」
死を避けることは出来なくても、寄り添うことは出来る。
だけど甘んじて受け入れるのではなく、抗い生き延びることも大切なこと。
歌おうと息を吸い込めば火の粉が肺を焼き、瓦礫に撲たれた背が痛む。
それでもチックは負けまいと勇気を振り絞り、炎の旋律に声を乗せる。
「めらめら燃える、火が燃える
ばちばち弾く、火が弾く
火の粉、灰の粉、白鳥の子
生き残りはうすにび色
生まれ変わりもうすにび色
火の粉、灰の粉、不死鳥の子」
業火は傍まで迫り、今にもチックを飲み込みそうだった。
だけど歌えば誰かに届くと信じ、炎さえも伴奏にして、チックは歌い続ける。
不思議とこの絶望的な状況も怖くはなかった。
きっと火の力が不屈の闘志となって奮い立たせているのだろう。
チックの中で火が、そして死が、今や味方となって励ましていた。
「チック、そこにいるのか!?」
赤く揺いだ向こうから声が聞こえ、仲間が炎を描き分け手を伸ばす。
チックは抱きしめた幼子を委ねると、自分もまた肩を駆り外へ急ぐ。
(逃げない……戦う、する……出来る。火の力……心に、貰う、できる……)
崩れ落ちる館を振り返りながら、チックは拳を握りしめた。
クルークと繋いでいた手を。
クルークの脈を止めた手を。
チックは新たな力を授かったことを感じながら、クルークも不死鳥のように復活していればいいと願った。
例えそれが、禁忌の復活だとしても──
チックは助けた幼子の手が、兄の手に繋がれるのを眩しく見届けた。