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白く清らな愛し君
登場人物一覧
●皆があなたを、大好きだから
ーーここに『神』がいる。
クレッシェンド・丹下がそう確信を持って、歩を進めるのはいつもの事だ。それが彼のギフトであり、旅の目的でもあった。
自らの目と耳でーー尤も、彼の頭部は鎌の刃なので『顔』らしいパーツもなければ、常人が彼の表情を知る術もないのだがーーその土地の信仰を確かめ、朧気なる自らの『神』の記憶と照らし合わせ、『違う』とわかれば、静かにそこを去っていく。いつもの事だ。『日常』と言ってもいいのかもしれない。
ただ、今まさに彼の目にした光景までもが『日常』であるかは、保証しかねる。
なぜならば。
ーーおお、我らが神よ。海より来たりし愛し君よーー
ーー願わくば、我らもまた、貴方様と同じく凍えずに、逞しくあれますようにーー
海洋のとある漁師町、小さな石造りで、捧げられる祈りが。祭壇に座す……というか横たわっている『御神体』が。
とてとて。ぺちぺち。きゅうきゅう。
ーーお願いします、どうかこの子が健やかにありますようにーー
海の男達のみならず、幼子を抱える母達もが、真摯に捧げる祈り、その対象が。
白くて、ふわふわで、細いひげをひくひくと、黒くて丸い目をキョロキョロと動かす、なんとも愛らしい……
ーーあざらし様ーー
ーーーあじゃらすしゃまぁ!ーー
どこからどう見ても『あざらし』である事など、丹下に想像できただろうか?
……さて、そこから少しばかり、時を進めよう。
「お兄さん、『あざもち様』食べる?」
「いえ、お腹は空いていませんので……」
「みてみて、『あざらし様帽子』! ぬくぬくで温かいのよ。次の冬が待ち遠しいわあ」
「それは良かったですね……」
丹下の奇妙な外見に当初驚いた町民だったが、そもそも漂流者を受け入れることや、『旅人』の存在に慣れているのと、丹下本人の温厚な気質もあって暖かく彼を受け入れ、快く宿を提供してくれた。
丹下自身も、一目見ただけではその神の本質などわかるまいと、それに甘え、何日間か、この漁師町に滞在することにしたのだ。
その中で、わかったこともいくつかある。
どうもこの町の町民は『あざらし様』にあやかり、それに合わせた商品を幾つも作り、丹下のような旅人や、外部にも売り出しているらしい。実際、女性の観光客に特に評判が良いようだ。
そして丹下が最初にこの町を訪れた日は、偶然にも週に一度の、町民が直に、祭壇に座すあざらし様に、祈りを捧げる日だった。だからこそ、丹下も信仰の気配を強く感知できたのだ。
では、それ以外の6日は、何をしているのかと問われれば。
「あざらし様ー!」
『キュー!』
あざらし様の住まう聖域ーーただし地球の旅人には、これを見て『水族館では?』と疑問を漏らす者も数多く居ようーーに向けて手を振る子供と、それに答えるようヒレを上げ、元気よく鳴くあざらし様。
「あざらし様の愛らし……神々しいご尊顔を間近で拝める……この仕事ができて、私は幸せです……」
と、宮司が(飼育係では?)うっとりした後も、彼女のマシンガントークは続いた。
「まあこの通り、礼拝の日以外でも、こちらにお越しになる方も多いんですよ。皆さん、遠くから呼んだり、手を振ったりもなさってますね。ほら、あそこの男の子なんか毎日、朝一番に……」
また、あざらし様はこちら……町民達の言葉をある程度解しているらしく、深刻な悩みを告げる者には瞳を潤ませそっと手(?)を添え、明るく話す者には拍手のような動きを見せることもあった。事実、初日のあざらし様が誰に促されるでもなくそのように振る舞っていたのは、丹下自身も目(?)にしている。
神と言えるかはさておき、ただのあざらしと置くには、確かにかなり賢いのかもしれなかった。
しかし、人の良い町民達と数日、時と問答を重ねてもわからない事もあった。
●それは皆が、大好きだから
一に、そもそも何故、信仰対象が『あざらし様』なのか。
英雄となったアザラシの海種がこの町出身で、それにあやかり、あざらしを祀っている……という理屈なら一応は呑み込めようが、この町にこれといってドラマチックな歴史的背景もなく、ついでに言えば、この町にアザラシの海種の住人もいるにはいるが、彼が特別待遇を受けているわけでもない(ただし誰かのあざらし様ジョークに巻き込まれることは多々あり、当人もそれを自らのネタにしていた)。
二に、なぜこの『あざらし様』を祀っているのか。他の個体ではだめなのか。町民に尋ねた所、過去数十年の間に、他のあざらしが漂着してしまう事も、数度あったそうだ。その時は、あざらし様の聖域の一部を(恐れ多くも)お借りして、その個体の回復まで世話をし、海に返したという。
他のあざらしをぞんざいに扱うことはないが、かと言ってあざらし様のように、手を合わせ、願いを伝えるような事はしない……ということらしい。
三に、あざらし様はいつ大人になるのか。
あざらし様は、白くて、ふわふわで、小さいお姿……というのが、町民の共通認識。
つまり、外部から迷い込んだ大人のあざらしは、手当こそすれど特別神聖視しない。
となると、あざらし様は世襲制であり、大人になったならば退役し、次なるあざらし様を迎えるのでは……と思ったが、どうやらそれでは説明のつかないことがある。
それは、多忙な船乗りから、十数年ぶりにこの町に帰ったという男性の発言。
昔彼は、週に一度の礼拝の日、あざらし様と遊ぶのが、楽しみで楽しみで仕方なかった。
特に、キャッチボールが、二人のお気に入りだった。
そして船乗りになってから、最初の礼拝の日。愛らしい少年の頃と違い、すっかり海の男となった、逞しい彼の側に。
あざらし様が自ら這い寄り、ボールを尾びれで蹴って寄越したというのだ。
他にも同様のケースが、町民から多々聞かれた。
思い切って、これらの疑問を町民に聞いてみても、あざらし様の気性の穏やかさと愛くるしさを称えるばかりで、誰一人明確な理由を知らなかった。
……こんなにも『わからない』事は、久々かもしれない。鎌首をもたげ、丹下はゆったり、朝から椅子に腰掛ける。
その時、窓の外には少年が一人、歩いていた。
あの子は確か、漁に出る父を見送ってから、毎日あざらし様に会いに行っている子供だ。
今日も、その足で誰よりも早く、そこに向かうのだろう。
……その時、強く吹いた風が彼の足元を狂わせ、真っ逆さまへとその身体を水面に叩き落とす。
荒れ狂う海に、子供が落ちたのだ。
助けを呼ばねば。早く!
でもこの距離じゃ。今から行って間に合うのか。
そう思うより先に。
ーーきゅう!
この、声は。
真っ白で大きな光が、少年を追うように海に飛び込んだ。
そして、時計の針を巻き戻すように。落ち行く少年の体は、そっと引き上げられ。
気絶した少年の脇を、ぺちぺちきゅうきゅう、小さな神が寄り添った。
……町民に愛されるのと同じだけ、町民を愛する神。
あざらし様の正体はさておき、本質はそうなのだろう。
……けれど、残念ながら。
「こんな早くに出て、大丈夫かいな」
「もう少し居てくださってもいいのに」
「いいえ、僕は大丈夫ですから。皆さんも、あざらし様も、どうかお元気で」
少なくともこの『あざらし様』もまた、彼の求むる所の『神』ではないのは明らかだ。
なれば、長居など不要。次こそは……いや、いつかは仕えるべきお方が見つかる事を、そっと信じて。
潮風に背を押され、彼はこの町をあとにした。