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燃やし給いそと亡女は語りき
登場人物一覧
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遺産目当てに親族に劇物を盛られて衰弱死した女の亡霊は少しづつ形を取り出した。
アーマデル・アル・アマル(p3p008599)の神は復讐を肯定する。死者の安寧はアーマデルも望むところだ。
「聞こう、往くべき処へ逝けぬ程の、お前の未練を」
同じ劇物を口に流し込むか? やらかしたことを噂としてばらまくか?
嵌められ貶められ、地位も名誉も財産も失い、失意のうちに死んだ亡霊は、無念に震えながら囁く──
『――罪荷を燃やして』
親族なんてどうでもいいと、亡霊はうそぶく。
「……なんて?」
『燃やしてもらえないと別次元に行けないモノを燃やして』
明確だ。その未練はとある物品にだけ注がれている。
(めっちゃ気になるだろ。それ、高確率で薄い本だよな)
アーマデルにはそれなりの知識があった。稀覯本に命を懸けて身を滅ぼす輩は古今東西次元を越えてけっこういるのだ。
「わかった。約束しよう。アンタの罪荷は俺が燃やそう」
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亡霊の親族は素行がよろしくない輩と懇意らしい。
「墓穴掘るの得意っすわねぇ……」
当の昔に死んで、今はアーマデルのアクセサリになっている女は『秘蔵の酒を燃やしてほしいっすわ』とは言わないだろうな。と、アーマデルは思う。
「いーから、偵察。屋根まで飛ぶから見張りがいないか見てきてくれよ」
「ごほうびくれなきゃ聞き流すっすわぁ」
使い魔には報酬を。正しい。異界のモノとあやふやな契約を結ぶと清算の時に泣くことになる。
「報酬は後払いだ。先に払うと――あんた、浮かれて仕事しないだろ」
「シワいっすわぁ…」
浮かれないなら、もう「酒蔵の巫女」ではなくなる。肉がないとはそういうことだ。
「いいから! 早く!」
強い酒から立ち上る酒精のような揺らぎが、夜闇を渡り屋根の辺りを漂い、再びアーマデルの元に帰ってきた。
「何の障害もないっすわ。でも階下にはたまってるんで注意っすわ」
「わかった」
体中に身に着けた装備品の一つ一つがアーマデルの仕事を支えている。
魂に刻まれた加護の気配を装身具として扱うアーマデルがふわりと屋根の上に軟着陸するのに、すでに死んだ女は陶酔を帯びたありえない吐息を漏らす。もう呼吸などしていないのに。
「味見としてはまあまあっすわぁ」
残り香が行使される気配に舌なめずりをする霊魂。異界の神の実在はうまい酒に似ているのかもしれない。
「あ」
防具[神威六神通]の能力[物質透過]で壁や天井を通過――のつもりが、身にまとっているのは[ストームロード]。
覆面代わりに目元に巻いた星晦ましの目隠し布の暗視能力でまじまじと見ても、嵐の王の外套だ。
「――仕方ない」
物質透過ができないように術式が張られているところに潜入しなければならない案件もあった。そういう時はどうするか? 決まっている。穏便に侵入できないなら、推し通るのだ。幸い、痛んでいる個所はすぐ見つかった。後は速やかに踏み割ればいいのだ。
火口箱をするだけの仕事と思っていたのに、これは大立ち回りしなくてはならないかもしれない。
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板子一枚下は地獄。
ヒトが行き来している気配がする。丈夫な梁の上を歩いて死者が示した目的の地点を目指す。
主寝室の――かつて死んだ女が息を引き取った部屋の――天井。
その部屋で、何人かの男たちが酒を酌み交わしていた。計画殺人の成就を祝っている。
天井の柱に括りつけられたフックに吊られた包み。大きさはB5判。
手を伸ばし、フックからそっと音がせぬよう取り外す。
階下からひときわ高く聞こえる哄笑。
このまま事は闇から闇に葬り去られるのだろうか。
ふと沈んだ思考に気配が漏れたのか、後ろめたい者のささくれだった神経が鋭敏だったのか。
「何奴ッ!」
ズドン!
足元に槍の穂先が何度もつきあがってくる。何故槍を用意しながら酒を飲んでいるんだ。まるで何かに襲われるのを恐れているかのようだ。
(着てきてよかった。[ストームロード]!)
素人の病的に張り詰めた精神を侮るべからず。体捌きを助ける防具は素晴らしい。
開いた穴から敵の力量を図る。アーマデルは確信した。いける。天井板を踏み割った。
刃をワイヤーで結び付けた奇妙な武器が金属音を立てて宙をのたうち回る。
木っ端と共に豪奢な部屋に降り立った侵入者に酩酊した男達は虚を突かれた。
このまま殺してしまおうか。と、アーマデルの頭をよぎった。片手に満たない数の酔っぱらいだ。十分勝算はある。
「穴だらけにしてやる」
槍を構えた男がしゃがれた声で言った。すごい顔色だ。
罪荷が穴だらけになるのはだめだな。と、アーマデルは思った。
負ける気はしないが破かれては依頼失敗だ。あくまで完全な状態の罪荷を焼かなくては。
『親族なんてどうでもいい』
ならば、優先されるべきは死者の願いだ。
アーマデルは窓を叩き割り、そこから身を投げるようにして脱出した。聖女が報酬をたっぷり吸いこんで「この一吸いのためにここにいる―!!」と叫んだ。
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脱出してしまえば話は早い。
屋敷から少し離れた場所。死んだ女の墓前で罪荷を燃やした。本人が手元をのぞき込んでいるのでやりにくい。
紙の束から上がる煙はゆるりと形を変えて、死んだ女の手の中で薄い絵草子に戻る。
死者があの世で使えるように、金銭や家具や携行品を模した模型を燃やす風習は、どこの次元でも一部の地域にある普遍的なものだ。死出の慰めに絵草子。穴を開けられたら台無しだった。
『ありがとう』
未練がなくなってよかったな。とアーマデルが仕事の完了に胸をなでおろしたとき、燃えさしから何かが飛び出し、今抜け出してきた屋敷の方向に飛び去った。
「今のは――」
どんっ!
腹に響く音がして、空からオレンジ色の火の粉が降ってくる。
振り返ると屋敷から火柱が上がっていた。いや、何かが激しく燃えて、屋敷に飛び火したのだ。
アーマデルが蹴り割った屋根も、身を潜めた天井も、伝い歩いた梁も火の海に沈んでいく。燃え方が尋常じゃない。
『あの家の財は、さっき飛んでいった火の精で培ったもの。呪符をこの罪荷で挟んで封じておりました』
死んだ女はアーマデルに笑いかけ、絵草子の表紙を撫でた。艶めかしいをのこ同士の陸睦み合いの絵にアーマデルはわずかに目をそらす。
『このような趣向の絵は火を封じます」
なんでかは、アーマデルが相応の経験を積んだらおのずとわかるだろう。
「当主は一番気に入りの絵草子で火精を封じるのが最初の仕事です。当主になってからこの絵草子を読むことができなくなっていたのです』
その制約がより強い力を生み、加勢を閉じ込めえたのだろう。
『今、罪荷ごと燃やしてもらいましたので、くびきから逃れた火精は次の当主に清算を求めたのでしょうね。払えなければ火精の餌食です』
あの槍を用意していた男は知らなかったのだろう。実際餌食になっている。
『あんた、こうなるのを知ってて――』
罪荷を燃やさせたのか。と、言外で尋ねる。
『いいえ。私はこの絵草子が欲しかっただけです。誰かに焚き上げてもらえないと死者は手に取れないので』
絵草子だけが欲しかったのです。と、死んだ女が笑う。
『私は、あなたに言いましたよ』
死者は胸に薄い絵草子をかき抱いてほほ笑んだ。
『親族なんてどうでもいいって』