PandoraPartyProject

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氷が溶ければ――

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

「春が来るのよ」
 そう告げた彼女は呆気もなく命を落とした。大きくなった腹に手を当て微笑んで、今か今かと出会いを楽しみにしていた彼女は――

「叔母様! それじゃあ、行ってきます!」
「ええ。暫くは留守にするのでしょう。身体には気をつけて。帰ってくる際は文で教えるように。好物を用意しましょうね」
『あの人』と瓜二つ。柔らかい銀の髪は幼い頃は丁寧にブラッシングしたものだが、今はその世話も必要ないだろうか。
 楽しげに細められた瞳には勝ち気でやんちゃな輝きが宿っている。そんな所までも似なければ良いのにと、冗談のように思ったことがある。
 、彼女の家族を奪って唯一のとなった日に、守ると決意した小さな少女は一人で冒険の旅に出るほどになった。
 特異運命座標と、世界を救う可能性をその身に宿したなんて悪い冗談のような運命を背負わされて、突如として姿を消した彼女――スティア。
 数枚の衣服と、旅行用の準備を整えて今日から幻想王国で活動を行うらしい。随分とにも慣れて仕舞ったものだと呆れるが……そういう所も母譲りなのかも知れない。
 もう少し兄に――彼女の父に似てくれても良かったものの。どうにも、あの天真爛漫さが彼女の母を思わせるのだ。
 竜の卵を奪いに行くだとか、悪漢を見つけたから倒しに行くだとか。幻想種の嫋やかさから懸け離れて快活であったエイル・ヴァークライト。
 彼女に似たかんばせに満面の笑みを浮かべ、自身とは真逆の温かな気配を発するスティアに「気をつけて」と声を掛ければ、彼女は驚いたように目を丸くした。
 ――ああ、そうか。こうして声を掛けるのもの前には無かった事だった。
 彼女への負い目は、あの天真爛漫さに溶かされていった気がする。はあいと声を弾ませ、テレーシアの頭を撫でたスティアがもう一度「行ってきます」と微笑んだ。
 楽しげに走り去ってゆく姪をゆっくりと見送っている暇も無い。執事に声を掛けられてそろそろ準備を整えなくてはならないのだ。
 これでも、忙しい方だと認識はしている。ヴァークライト家の当主代行としての勤めもあるが聖騎士の一員でもあるのだ。悠長にモーニングを楽しんでいる場合ではない。

 ―――――
 ―――

 氷の騎士の異名で知られるエミリア・ヴァークライトはヴァークライト家の当主代行である。その座に落ち着いたのは当主であったアシュレイ・ヴァークライトの不正義による断罪の結果、家督を継ぐべき少女が余りにも幼かったからだ。何時か来たる日にスティアが婿を取れば当主の座を譲り渡すと決めていたが、予期せぬ事態に見舞われた。
 スティアは特異運命座標と呼ばれる世界を破滅から救う可能性を宿した英雄の一員になってしまったのだ。エミリアからすれば盛大な人攫いでしかない召喚。記憶喪失にまで陥っているスティアが自ら帰ってくるまでは途方もない時間を費やすこととなった。やっとの事で戻ってきた彼女はとの対峙を経て、知らぬうちに大人になって仕舞っていた。
(……スティアの世話もそろそろ手を離れるなら、私も考えることも山ほどあるな……)
 エミリアは執務机と睨めっこしていた。氷の騎士と呼ばれるだけあって同僚達はエミリアとは距離があった。その異名とギフトの事もあるが、エミリアの顔立ちは女性にしては凜としている――しすぎている。長年の苦労と、男に負けてはならぬと言う研鑽の結果だろうが鋭い目付きと纏う氷柱の如き冷たく冴えた空気に怖じ気づく者も多く居る。
「エミリアさま」
 執務机の下からひょこりと顔を出したのは騎士団でも自由の利く立場である見習い騎士のイル・フロッタであった。彼女は姪とも非常に懇意にして居るらしい。金色のふわふわとしたロングヘアーを揺らがせた桃色がよく似合う彼女はむくれ面で此方を見詰めている。
「……ああ、どうかしましたか?」
「書類、お持ちしました」
「どうしてそんなにむくれているのです?」
「先輩達が、私の文字が下手だというのです。真剣に一字一字書いたら今度は遅すぎると。速さを取るか美しさを取るかではないですか?」
 幼い子供のように頬を膨らます彼女に「何方も出来て一人前ですよ」と揶揄うように返す。膨れ方が更に激しくなったが――それは彼女の愛らしさだと認識しておこう。
 こうして話しかけてくれる者も居る事には居るのだが、その数は限られている。やはり、ヴァークライト家と言う看板を背負うこともあり、等と陰口を叩かれ風当たりが強かったことも多かった。それも――かの大罪による一連の凶行が済んだ後には少しは和らいだが……。
「そういえば、スティアは今日から仕事で遠くに行くんでしたっけ?」
「ああ。……友人を連れて帰ってきてくれることも多くはなったのですけれど……その、イル、君は知っているかな」
「え? あ、あー……はい!」
 合点がいったようにイルはこくこくと頷いた。彼女の表情に浮かんだ何とも申し訳なさそうな空気感はもしも自分が彼女の立場でも同じ表情をする気がした。
「分かります。あのぅ……サメちゃん……」
 ――彼女まで知っているのだと頭が痛くなった。
 そう、姪のスティアは聖職者を志し、天義の貴族として真っ当な道を歩んでいる振りをして突如として意味不明な存在サメちゃんを召喚し始めたのだ。その原理は不明、何処からともなくサメは現われる。それも海産物らしく水の中に居る訳ではない、空を泳ぎ、壁に刺さり、なんなら花壇から生えてくる。
 兄夫婦の忘れ形見、唯一残った大切な姪。大事に大事に宝物のように、お姫様のように育ててきたつもりだ。それがあの天真爛漫さに繋がったのなら仕方が無い。
 だが――どうして! 大事にしてきたというのに――!
 そう叫びたくなるほどに現実は無情にサメを召喚していた。スティアの友人など頭から呑まれてしまっているが特異運命座標とは凄いもので英雄的な可能性を滾らせれば再度行動するらしい。サメちゃんは可能性喰らいパンドライーターか何かなのだろうか。非常に恐ろしい存在を見ているかのような気さえする。
「イルが知っているという事は、……いや、まさかな……一応聴いておこうか。コンフィズリー卿も――」
「ローレットがイベント? で天義で行った合同訓練の際にリンツァトルテ先輩も一緒に居たので、そのう……」
 知っているかも、ともじもじとしながら告げるイルにエミリアは更に頭が痛くなった。如何したことであろうか。此れから国の未来を一緒に背負っていくこととなるリンツァトルテ・コンフィズリー卿までもがサメちゃんの事を知っている――いつか、スティア討伐の命令でも下るのではないかと嫌な汗が滲む程だ。
「エミリアさま……?」
「ああ、ありがとう。仕事に戻って下さい。……私は頭痛がしてきたし身体を動かしに鍛錬にでも向かいましょう。
 ……そうだ、イル、これを……変なことを聞きましたし、私は余り食べないので。イルは食べるでしょう?」
 彼女の掌乗せたのは小さなクッキーであった。同僚達が配り歩いていたものだがエミリアは勤務中は甘いものを余り口にしないようにして居る。
 騎士として己を律するためなのだと言う。イルはぱあと表情を明るくしてから「ありがとうございます!」と声を弾ませ駆けていった。

 鍛錬所へと踏み入れれば空気がぴしりと固まった。手合わせを誰かに頼みたかったが、こう言う時『嫌われ者』は困るとエミリアは肩を竦める。
 実際は変則ファイターである彼女の戦いに付いていくことが儘ならない質実剛健な騎士達が畏れ慄いて居るだけではあるのだが……それをエミリアは知る由は無いだろう。
 騎士達から見ればエミリアは良き上官であった。少し頭が硬いイメージもあったが最近は幾分か和らいだ。その分、疲れた表情を見せるようにもなったが。
 姪や飼い犬、サメの話をする際のエミリアは生き生きとしており、昔よりは『氷の騎士』としての冷たいイメージも和らいだのだろう。イルのように気軽に話しかけてくれる騎士も増えた――が、それもまだまだである。
 エミリアにとってはもっと気安く相手にして貰っても良いと思うが、それも立場故に難しいか。
「さて、励んでいるか?」
 一応は貴族、一応は戦の功労者。其れなりの地位に立つエミリアの言葉にぴしりと背筋を伸ばす騎士たちは彼女の命令であれば剣を合わせると姿勢で示したのだろう。
 喜ばしいことだが、エミリアとて無理矢理その様にしようとは考えていない。もしも、稽古を付けて欲しいと願ったならば喜んで応じるが、無理矢理の鍛錬は何方にとっても酷だからだ。
 騎士達の訓練を見て居るだけでも十分な息抜きだ。剣を合わせることが息抜きになるとは女性的ではないだろうか。
 ――そう、エミリアの最近の悩み事と言えば、スティアに家督を譲り渡した後の話だ。
 自身がヴァークライトの当主代行の座に就く内は婚姻などは全く考えては来なかったが、彼女が一人前になって家督を継ぐ日が来たならば自身はさっさと身を退く方が言い。
 出来ることならばヴァークライトから何処かへ嫁ぎスティアがヴァークライトの女主人として伸び伸びと過ごせるようにしてやりたいとも考えていた。
 彼女の母、エイルは冒険者という出自で天義の貴族へと入ったこともあり非常に息苦しそうだった。スティアにはその様な想いをさせたくはない――彼女の配偶者にとっても自身は小姑になるだろうと云う事も考えて、だ。
(だが、婚姻を結ぶ空いても此の儘では見つからないな……。まあ、そう焦ることでもないか)
 騎士達との打ち合いを楽しむ独身期間も楽しいものだ。スティアがそんなに早く誰かと婚礼を上げる事は――特異運命座標としての仕事に熱意を燃やしている様を見れば――ないだろうとも思って居る。知らぬうちに恋人が居り、紹介もされていないとなれば親代わりとして些かショックかも知れないが……。
 そんなことが無いか、彼女が帰ってきたら少し探りを入れてみよう。サメのように何か付随していたならばそれこそ気を失ってしまいそうだが……。

 書類仕事に、鍛錬、そして市中の見回りが終われば明日は休暇の予定だった。スティアが留守にすれば久々に広い屋敷で彼女なしに過ごすことになるがそう思えば一抹の寂しさを憶える。元から対して関わり合いのある家族では無かった。蟠りがあったのは確かだが彼女なりに歩み寄ってくれていると感じてからはエミリアもスティアとは親子のように接すると決めていた。
「お帰りなさいませ、エミリア様」
 微笑んだ使用人はヴァークライトの遠縁の者だった。あの日、年若い子供などは使用人として雇用し直した。彼女たちにとっても、自身とスティアが仲睦まじければ喜ばしいかのようで「スティアお嬢様がいらっしゃらず寂しいですね」と普段より気兼ねなく話しかけてくれるようになった。
「ああ、そうだな。……まあ、居たら居たで壁に穴が空き、花壇にサメが生えて、作りすぎた食事でテーブルが溢れるのだが……」
「そうは言いながらもエミリア様も楽しんでいらっしゃるでしょう? 時々、この世の終わりのような顔をしていらっしゃいますけれど」
 本当にこの世の終わりを感じていることは黙っておこう。大事に育てた姪がサメ召喚士になった驚きは通常の感性では理解出来まい。
 使用人のくすくすと笑う声音にそうだな、と微笑んだ。スティアが居なくとも、遣ることは沢山ある。そう、屋敷に何時の間にか住み着いていた自身をサメだと思い込んでいる犬、テレーシアの世話でもしながらのんびりと過ごせば良い。
 自身をサメだと認識している以外は可愛い同居人だ。せめて陸上生物だと認識していてくれれば嬉しかったとエミリアはテレーシアの様子を見に犬小屋へと向かった。
『てるこ』のネームプレートが掛けられた可愛らしい犬小屋の中でサメの着ぐるみに身を包んだ子犬がすやすやと眠っている。彼女は今回のスティアの仕事には付いていかなかったのだろう。犬を使い魔として利用することもあるだろうが、テレーシアは犬ではなく自称はサメだ。中々扱いにも困りそうだとエミリアは眠るテレーシアの鼻先をつんつんと突いた。
 ふご、と息を漏らして足をばたつかせるテレーシア。彼女の重みで最初に用意したクッションはへたり始めていた。きっとサメの牙を尖らすために懸命にクッションと戦ったのだろう。綿も出てきている。テレーシア用に新しいクッションでも買ってやろう。スティアに相談はしていないが、勝手に買っても文句は言われないはずだ。
 海を思わすような蒼い色が良いだろう。もう、この際犬だろうがサメだろうがどうでも良くなってくる感覚の麻痺。
 いけない、いけない、とエミリアは首を振る。テレーシアは犬、テレーシアは犬とエミリアは何度も言い聞かせた。
 ――自分の常識が歪んでいく気配がする。犬かサメかの判別も付かないとは人間性を疑う。婚期も遠のけば正気も遠のく。末恐ろしいサメである。
 脚を動かしながらもまだ夢の中のテレーシアを眺めて居れば、背後に立っていた使用人が「よく眠っていらっしゃいますね」と微笑んだ。
「エミリア様、明日はどの様に過ごされますか?」
「一先ずテレーシアに新しいクッションを買ってやろうかと。その後は、そうですね、菜園の周辺もサメの余波があったでしょうから……其方の手入れを」
 社交界に騎士として出席するのもあまり好かない。それならばサメの攻撃を受けた屋敷を補修して犬と過ごすのも良いだろう。
 家庭菜園なども行ってみていた。野菜をいくつか育てることが出来たらテレーシアの食事に交ぜて遣っても良い。勿論、食べて良いかどうかはきちんとチェックを行ってからだ。
「畏まりました。それも、スティアお嬢様がいらっしゃればご一緒できたでしょうに……」
「仕方がありません。スティアが無事に帰ってきてくれることが一番の幸せですから。
 今日はどこで何をしているでしょうね。……怪我など、していなければ良いですが」

 ――一方のスティアはサメが暴発してであった。どうしてと叫びたいスティア・エイル・ヴァークライト。
 きっと、と叫びたいのはエミリアの方であるのは……天真爛漫で可愛らしいスティアも気付いてしまっている事なのである。

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