SS詳細
後語りの始まり
登場人物一覧
●マスカレード
乙女が踊る。
仮面が廻る。
女というだけが真実で、誰も彼もが偽りのドレスを纏う夜。
燕尾服に白い蝶ネクタイを身に着けたヴェルグリーズは、獲物を品定めする淑女達の目を潜り抜けて追想する。
あれは
容易には思い出せぬ程に記憶は色褪せているのに、愛しげに名を呼ぶ女の声だけは鮮明に甦る。
「会いたかったぞ、ヴェルグリーズ」
振り返った先には黒い羽をあしらったドミノマスクの少女がいた。
だがその出で立ちは華やかな貴婦人の集いには不釣り合いに軍人めいている。
「何か御用でしょうか、お嬢様」
尊大な物言いの令嬢に恭しく一礼する。
今宵の彼は淑女達の秘密の集会に、マダム・ヴォルフに雇われた給仕として此処にいる。
イレギュラーズの中でも見目良い青年ばかりが選ばれた理由、本当の役目が「夜のお相手」だと気付いたのはつい先程。
軍装を好む彼女が見初めたのは、己が剣であるからなのかと考えた矢先。
「貴殿を買おう。──いくらだ?」
マスク越しの瞳は青とも灰ともつかぬ色をして、真っ直ぐにヴェルグリーズを射貫いてくる。
「申し訳御座いません、お嬢様。ご要望には応じかねます」
場に合わせて敬語を用いれば、亜麻色の髪の乙女が口唇を釣り上げる。
その仕草は見た目以上に大人びて、ただならぬ相手であることを匂わせた。
「夜伽なら間に合っている。こう見えても嫉妬深く束縛の強い許嫁がいる身だ。それに今すぐどうにかしろという訳でもない。だがいざという時のために、予め貴殿を買っておきたいということだ」
「依頼ならローレットを通して……」
「ローレットを通したのではこちらの動向を気取られる。だからこそ今夜、暇を持て余した女共の饗宴に赴いたのだ」
「俺に会うため?」
思わず従者の仮面が剥がれ、素の言葉が口に出る。
軍服の令嬢はヴェルグリーズの腕を取ると、ホールを抜けてバルコニーへと導く。
喧噪を逃れ二人きりの場所で告げたのは、記憶に刻まれたある男の名。
「私はヴィルヘルミーネ。第27代、カノッサ男爵だ」
思わず息を飲まずにはいられない。
幾度か戦場で
その手にあった紫雷を纏う戦斧の銘をカノッサと言った。
●オーダー
「我がカノッサ男爵家は武人の家系。代々長子が初代・フレデリークの愛用した
ヴィルヘルミーネはカノッサ家の内情を言葉尽くして説く。
傍目には年若い令嬢が従者の青年を口説いているように見えるだろうか。
だがヴェルグリーズの目に彼女は、告白するうら若き乙女というより、政略を語る老獪な女軍師に見えた。
「我が家は一子相伝。長子以外、相続権は持たない。本来であれば長男である父が継ぐべきものだが、先代が亡くなったとき父もまた重い病の床にあった。長子相続のならわしを破って次男である叔父が相続するか、父を飛ばして私が相続するかという話になったとき、ハルベルトが私を選んだ」
ハルベルト、と彼女は己が受け継いだ
初代・フレデリークの
歴代の当主達と共に数多の戦場で武勇を馳せた戦神の如き精霊。
ヴェルグリーズの知る彼は雷の如き峻厳さで、立ち塞がる者を悉く粉砕する猛将でもあった。
跡継ぎとなる子が女児しかいなかった場合、彼が当主の夫となり血を繋ぐ。
今回もこれまで同様に女当主を立てることで相続の問題を解決したつもりであったが、それに異を唱えたのがヴィルヘルミーネの叔父、アドリアン卿。
「つまり長男が生きているのに継がないのであれば、その時点で長子相続の慣習は崩壊している。だからキミの継承は正統じゃないし、自分にも当主となる権利がある……と主張してお家争いが発生しているってことかな? 下手するとキミに子どもが出来ないうちに暗殺しかねない」
「察しが良くて助かる」
「『いざって時のため』、キミの護衛をすればいいのかな?」
「護衛は必要ない。嫉妬深く束縛の強い婚約者がいると言ったろう? 貴殿が側にいることをハルベルトは許すまい。何しろ目の仇にしているからな。それに暗殺防止には違いないが、護衛が貴殿を雇う理由ではないのだ」
ヴェルグリーズにはヴィルヘルミーネの思惑が測りかねた。
ただこの狭いバルコニーが密事を企てる場になっていることだけは分かる。
カノッサ家の象徴である
接触してきたら断らずに申し出を飲み、味方のふりして最後の最後に裏切れ。
それがヴィルヘルミーネの
「二重スパイになれと言うことか」
「そういう事だ。貴殿に頼みたいのは私を守ることではなく、私に絶対に刃を向けないということ。そして仕掛けさせて叔父を粛清する」
「俺が裏切ってキミの計画をアドリアン卿に話すとは思わないのか?」
「貴殿は誠実な男だ。それに報酬は先払いする。カノッサ男爵領の一部を受け取るというのはどうだ? ゆくゆくは叔父の所有する土地と屋敷も。アドリアン卿を排除するまで表向き雇われた領主代行という形になるが、貴殿の好きに治めてくれて構わない」
イレギュラーズの中には領地を購入、あるいは委譲されるなどした者が少なくない。
自分も土地持ちとなって一国の主となるのは魅力的な話ではあった。
だが美味い話には裏があるもの。
策謀の一環ならなおさら。
「何故俺なんですか?」
ヴェルグリーズが剣であり、名を馳せた勇者や騎士の剣だったのはかつての話。
この世界にはそう言う物は五万とあるし、異世界から来た者は彼ら自体が英雄であることも少なくない。
「騎士ヴェルグリーズ、その愛剣。異国へと嫁いだ姫が託した愛の約束。その剣があったればこそ、亡国の血は断絶を免れた。貴殿がいたおかげでな」
「どうしてそれを」
騎士ヴェルグリーズと姫君の物語を知る者は少ない。
ましてや別れの精霊を名乗るヴェルクリーズだけが知る、お伽話の真相ならば。
「隣国に嫁いだ姫の名をオデッサと言う。我がカノッサ家はオデッサ姫と共に落ち延びた孫の裔、王家の血脈に連なるものだ」
「ああ……」
──愛しているわ、ヴェルグリーズ
ヴェルグリーズの耳に、愛しげに騎士を呼ぶ姫君の声が木霊する。
オデッサとただ一人の姫の名を呼ぶことさえ許されなかった騎士の想いも。
溢れ出る感情に口元を抑えると、黒い仮面の少女は腕を伸ばして涙を拭ってくれた。
●トゥルー・エンド
「負けた国の歴史は消され、今はもうそんな国があったことさえ分からなくなってしまった。根絶やしにされないよう王家の血を引くことを隠し、真実を知っているのは直系だけ……。でもカノッサと名を変えても、騎士ヴェルグリーズが命に代えて守ろうとしたものはちゃんと残されている」
「
「そう、それは貴殿もだ」
姫の血を受け継ぐ孫たち。
姫の愛の証たる一振の剣。
それぞれ別の場所で永らえてきたものが今また邂逅する。
必ず助けに行くという約束を果たす時が来たとでも言うように。
溢れる感情が姫君と同じ色をした目から流れると、少女は優しく、だけど毅然と言う。
「カノッサ家の象徴である
その声は遠い日に聞いた女の声によく似て聞こえた。
「ハルベルトが貴殿を嫌うのは何も戦場の縁だけではない。カノッサの守護神を自称する精霊にとっては、ヴェルグリーズの姿と名を持つ貴殿が気になるのだろう。私の男は彼だけなのに」
少女の口から聞く「男」という言葉は生々しくもあり、この大人びた物言いの少女には似つかわしいようにも思えた。
「彼を好きなのか?」
「もちろん。初恋の人と結ばれる上に、一途に愛されているのだ。焼き餅焼きなのがたまに傷だが。あれは存外可愛い男なのだぞ」
そして戦場で暴威を振るう男を可愛いと言ってのけるのは惚気だろう。
「引き受けてくれるな?」
「承知した。接触してきたら味方になるふりをして『何もしない』……そういうことでいいんだな?」
「では商談成立だ。領地は早急に手続きしよう」
ヴェルグリーズが涙を拭い頷くと、黒衣の少女は身を翻す。
だが去り際振り返って尋ねた。
「貴殿、私が作り話で騙しているとは思わないのか?」
「キミが嘘を吐いているようには見えない。俺を雇うなら金で十分なはず……領地を分譲してまで釣ろうとするのは、俺を土地に縛り付けても近くにいて欲しいということだろう? 婚約者が嫌がったとしても。それに約束だから。如何なる場所にでも助けに行くって」
「やはり騎士ヴェルグリーズの剣だな」
美しき別れの物語の続きを噛みしめながら、一人バルコニーに残り夜風にあたる。
これから当主の座を巡り、少女と叔父が争い合う。
血で血を洗う結果となるか、後語りを美しく締めくくるか。
それはヴェルグリーズの立ち回り次第。
「ヴェルグリーズ、あなたもこんな気持ちで姫を見送ったのかな?」
ヴェルグリーズは父である最初の
他の男の元へ嫁ぐ恋人を見送る騎士の心にある清と濁。
女との別れの悲しみの底には、そこはかとなく男への嫉妬が沈んでいた。